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「妊娠なさってます」
産婦人科医の言葉に、シェリルは静かな感動というべきものが心を満たしていくのを感じた。喜び、期待、不安、いくつもの感情がない交ぜになったものが、こみあげてくる。
「いくつか検査がありますので、次回のご予約をとっておきましょうか?」
「お願いします」
シェリルは携帯端末でスケジュールを表示させた。
「双子で、性別も既に判別可能ですが…」
シェリルは微笑んで首を横に振った。
「性別は産んだ後の楽しみにしておくわ」

シェリルが診察室から出ると、廊下で懐かしい人に会った。
「おや、珍しい所で会うな」
白衣を着た、赤毛に褐色の肌の女性。カナリア・ベルシュタインだ。
「お久しぶり。お元気そうね」
「ああ……そっちは」
シェリルは自分の腹部を撫でて見せた。
「楽しみだな、それは」
「ええ」
「経産婦の立場からアドバイスすると、他にもあるぞ。楽しみは」
「それは何?」
カナリアは、ふっと唇の端をつり上げた。
「妊娠したと報告する時と、出産に立ち会う時の男の顔は見ものだ。間抜けこの上ない」
「そういうものなの?」
「男は部外者だからな、妊娠・出産に関しては。オロオロするケースが多い」
「ふぅん」
シェリルはうろたえているアルトを想像してみた。
「それは、楽しみね」

その日の夕食はアルトが準備した。
鰆の塩焼き、ホウレン草のおひたし、味噌汁、カボチャの煮物と純和風の献立が食卓に並ぶ。
その席で、シェリルはアルトに話を切り出した。
アルト、報告したいことがあるの」
「うん」
「子供ができたの」
アルトの箸がピタリと止まった。
「そうか」
「双子よ」
アルトはちょっとの間黙ってから、味噌汁を飲んだ。
「双子……親父にも知らせてやらないと。喜ぶぞ、きっと」
アルトの顔から表情が消えていた。
今までの付き合いで驚いているらしいと判るが、シェリルは少しばかり失望した。
(もうちょっとリアクションがあると面白いんだけど)
「アルトはどうなの?」
「ど、どうって……嬉しいに決まっているじゃないか」
「見える形で表現しなさいよ」
シェリルは唇をへの字にした。
「ごちそうさま」
箸を置くと、アルトはシェリルの背後にまわって、ぎゅっと抱きしめた。
「どうしたの?」
シェリルはアルトの肩に頭をもたせかけた。
「こうしていると、お前と子供を一緒に抱きしめていることになるんだな、って」
アルトの声は優しかった。
「ちょっとっ、アルトの癖に気の利いたこと言わないでよ」
「なんでだよ」
「……こっちがビックリするじゃない」
シェリルは頭をグリグリと押し付けた。

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2008.08.31 
待ち合わせのホテルのロビーで、シェリルは何度も時計を見た。
あと15分。
時間には正確なあの子のことだから、とエントランスを眺めていると、すらりとした女性士官がこちらに向かってやってくる。
シェリルが軽く手を振ると、士官は足早にやってきた。長く伸ばした真っ直ぐな黒髪が、歩みに合わせて揺れている。
「時間ぴったりね、メロディ・ノーム少尉」
メロディは敬礼をしてから、微笑んだ。白を基調とした真新しい新統合軍の制服は、あつらえたように似合っている。
「お待たせ。行きましょう、お母さん」
二人連れ立って、予約してあったレストランへと向かう。

メロディは学校を卒業後、新統合軍へ入隊。バルキリーパイロットの道を選んだ。
今夜は初めての俸給が出て、シェリルをディナーに招待していた。
本来はアルトも招待していたのだが、仕事の関係で来れなかった。

予約席は街の夜景が見える窓際のシートだった。
イブニングドレス姿のシェリルが食前酒のグラスを傾けた。
「もう乗ってるの? 最新型のバルキリー」
「ええ。今、実機で訓練しているところ。これ、見て」
メロディは軍服の胸に着けている徽章を外してシェリルに渡した。
金色のバルキリー徽章は、パイロットの有資格者であることを示している。形はバルキリーをモチーフにしたもので、発行された時点での最新型をモデルにするのが慣わしだった。
「ふぅん」
シェリルはじっくりと眺めてから、徽章をメロディーに返した。
「どう? 操縦していて」
「素直ないい子よ。人工知能も大幅に性能アップしてて、単座機でも複座みたいな感じ」
メロディーは徽章を胸元につけなおしながら言った。
「おしゃべりできるの?」
「自然言語で会話するわけじゃないから、ジョークは苦手ね。独特の機械語で意思表示するの」
「仕事、充実しているのね」
「すごく楽しいわ。お母さんの方はどう?」
「相変わらず、よ。レコーディングが終わったところで、もうしばらくしたらツアーの準備を始めるわ」
「今度は、どっちの方面?」
「エデン、地球」
「長期のツアーなのね。お父さん、寂しがるわ」
「そう?」
シェリルは片方の眉を上げた。
「お母さん、ツアーに行っている間のお父さんのこと、あまり知らないでしょ?」
「まあ、電話とかメールはするけど」
「私も悟郎も、子供の時は家で暮らしていたから、お父さんの様子が変わるのが判ったわ」
メロディは思い出しながら話す。
「時々ね、上の空になるの。考えていることが顔に出るタイプじゃないから、ぱっと見には判らないけど……お仕事が忙しい時は、打ち込んでまぎらわせているの。暇な時は、お母さんに似合う和服を考えたりしてたわ。それで、お祖父様の所に出入りしている業者さんに、染めとか、織りを発注して……」
「あれ……既製品じゃないの?」
シェリルはツアーから帰るたびにワードローブが充実していくのは判っていたが、出入りの業者に薦められ付き合いで購入した、というアルトの説明を鵜呑みにしていた。
「既製品もあるけど、一点ものも多いわ……お母さんが羨ましい」
メロディの頬が染まっているのは、食前酒のためばかりではなさそうだ。
「知らなかったわ。これで、またからかうネタができたわね。ありがとう、メロディ」
「もう、お母さんたら……ねえ、聞いていい?」
「いいわよ。何?」
そこで、コースの料理が運ばれてきて、会話は中断した。

フロンティア船団が、この星に持ち込んだ豊かな食材は今も受け継がれていて、コースに彩(いろどり)を与えていた。
コースも最後の方になり、デザートとコーヒーが出てくる頃、メロディーはかねてから聞きたかったことをシェリルに尋ねた。
「お母さん、お父さんからプレゼントされたもので、一番嬉しかったのは何?」
言われてシェリルの脳裏に、美星学園の屋上でアルトが言った言葉が浮かんだ。
(嘘はつくなよ、シェリル)
あの言葉で銀河の妖精は再び立ち上がった。どんな宝石よりも煌いていた瞬間。でも、今、それをメロディに説明して上手く伝えられるだろうか?
シェリルは少しだけ考えて、分かりやすいものを選んだ。
「そうね……アルトから初めて贈られた和服かしら。美与さんの…メロディから見てお祖母さんにあたる方ね…形見を仕立て直したものなんだけど、選んだ理由がね…」
「うん」
メロディは瞳を輝かせて、先を促した。
「アルトったら、一番最初にデートした時の服を、よーく覚えていたのよ。色味が同じだから、この髪に似合うはずだって」
シェリルは自分のストロベリーブロンドをひと房指に絡めた。
「お父さんらしい……すごく色彩のセンスが鋭いものね」
「そうね、それは認める。去年、メロディに贈った振袖……山吹色の色無地なんか、すごいって思ったもの。あんなにシンプルなのに、どこのパーティーでもメロディが一番目立って、綺麗だったわ」
嬉しそうに頷くメロディ。心の中で誓った。
(お父さんみたいなプレゼントを贈ってくれる恋人を見つけなきゃ)

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2008.08.29 
ネタバレと受け取れる部分もありますので、感想は追記に収めておきます。

バジュラの脳ミソ並みの絵心しかないのに、無謀にもお絵かきチャットを開設してみました。
8月29日24時ぐらいから2時間程度滞在する予定ですので、珍獣extramfの生態にご興味のある方は、遊びに来てください。
文字だけ参加者も歓迎です。
ただし、ネタバレ上等の方に限らせていただきます。
部屋はこちらです。

8/30補足。
チャットへの参加、ありがとうございました。
春陽遥夏さま、サリー様、KOU様、また遊んでください。
熱くアルシェリを語りましょう!

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2008.08.29 
早乙女悟郎は目覚めた。
天井を見上げて、夕べ泊まったホテルの部屋なのに気付いた。
「起きた?」
女の声。振り向くと、ルールーが下着を着けていた。
年上の女。ゼントラーディの血を引く彼女の紫色の髪と、菫色の瞳がとても好きだ。
「私、結婚するの」
悟郎は、その言葉の意味を理解できなかった。
「けっ…こん?」
「そう。ここを離れて、別の星に移住して、やり直すわ。だから今日でお別れ。楽しかったわ」
「まっ、待てよ」
悟郎はがばっと起き上った。
「何を言ってるんだ」
「だから……結婚するの」
「誰と?」
「お店のお客さん」
「なんでっ? 俺だって成人してるんだ。結婚だってできる」
「ダメよ。こんな二股かけている年増に、いつまでも関わってたら」
悟郎はベッドから飛び出して、ルールーを抱きしめた。
「愛してるって…」
「ありがとう、あなたの気持はとっても嬉しい。でも、私には遊びだったのよ」
ルールーは、悟郎の腕からスルリと抜け出した。スーツを身につける。
「明日、朝一の便で発つつもり……見送りは要らないわ」
投げキスを一つすると、ルールーは部屋を出た。
伸ばした手を遮るようにドアが閉まった。
悟郎は途方に暮れた。

「父さん」
「なんだ?」
早乙女家のリビングでギターを爪弾きながら、悟郎は言った。
「二股かけたことある?」
「うっ」
アルトは飲んでいるコーヒーを噴きかけた。
「あるんだ……意外」
悟郎から見れば、アルトとシェリルは万年新婚夫婦。口ではけっこう辛辣なやり取りもするが、心を結びつける強い絆が感じられる。ストレートにいえば、ベタ惚れというやつだ。
だから、アルトの恋愛は一途なものだと思っていた。
「その……なんだ。決して、意図的に二股になったというわけじゃなくてだな」
「結局、どうなった?」
「お前たちが生まれた」
悟郎は、また驚いた。あの、シェリル・ノームに恋敵がいた。
「じゃ……じゃあ、母さんを選んだんだ。その、もう一人は振ったってこと?」
アルトは口を閉ざした。目が、どこか遠くを見ている。
「振ったんだ」
悟郎の言葉に、アルトは微笑んだ。
「好きなヤツと愛せるヤツが同じじゃないのは、何故なんだろうな」
「よく、判らない」
アルトは目を細めて悟郎を見た。
「正直だな」
悟郎は爪弾く指を止めない。ぽろん、ぽろんと奏でる旋律は、いつの間にかOver the rainbowになっていった。ルールーが好きな歌だ。
(虹の向こうにある幸せに、いつかたどり着きたい……か)
「父さん、バルキリー借りていいかな?」
「推進剤使うなら、満タンにして返せよ」
「了解」

明け方。
悟郎は自家用のVF-25の準備をしていた。
航法コンピュータに複雑な軌道計算させる。
宇宙空間用のアクロバットスモークをパイロンに取り付けながら、ルールーの事を回想していた。
レコーディングの打ち上げで街に繰り出した時に出会った。
その夜にベッドイン。
でも一夜限りではなく、付き合いが続いた。
ルールーは自分の存在が、悟郎の周囲に知られないように気を使っていた。
自分の存在と経歴は、有名アーティストとして活動する悟郎にとって為にならない、と繰り返し言っていた。
そんな事はないと反論する悟郎に、世間知らずのお坊ちゃんとからかったルールー。
悟郎が不機嫌に黙り込むと、包むように抱きしめてくれたルールー。
子ども扱いされているが、その胸の柔らかさ、温かさに包まれているのは嫌な気持ちではなかった。
「よし!」
事前のチェックを完了させると、悟郎はコクピットに収まった。
起動スイッチを入れると、エンジンが小気味よいレスポンスを見せる。

ルールーが乗ったライナーは宙港から飛び立った。
順調に大気圏を離脱し、長距離客船の発着する外宙港へと加速する。
「こちら機長です。窓の外をご覧ください」
客室内にアナウンスが流れる。
窓際の席に座ったルールーは見て驚いた。
紫・藍・青・緑・黄・橙・赤、七色に輝くスモークが、ライナーの軌道をめぐる環になっていた。
機内に歓声が広がる。
「虹……Over the rainbow」
ルールーは呟いた。
機長のアナウンスが続く。
「誰の仕業か不明ですが……虹の向こうには幸せがあると言い伝えられています。乗客の皆様にとって、このご旅行が素晴らしいものになることを、乗員一同、祈っております」
ライナーは虹の輪を抜けた。
ルールーは窓に顔を押し付けるようにして、今しがた飛び立った惑星を見た。青い星が涙で滲んでいる。
「悟郎……」
呟きとともに、涙が一粒こぼれて、無重力の空間に漂った。

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2008.08.29 
美星学園航宙科では、パイロットコース、エンジニアコース、フォールドエンジニアコース、アテンダントコースの区別なく、全ての生徒が在学中に一度は実習艦マハーヤーナに乗ることになる。

今年の航宙実習はバジュラの襲来を警戒して、新統合軍の艦隊と行動を共にすることになった。
パッシブ・ステルス外装の濃紺や暗緑色の軍艦たちの中で、唯一白い外装に鮮やかな青のラインが入っているマハーヤーナはよく目立つ。艦齢は30年を超えるが、丁寧な保守点検で端正な容姿を保っていた。
付近を航過するVF-171の編隊から、発光信号が送られてきた。
“ハ・ヤ・ク・ト・ビ・タ・テ・ヒ・ナ・ド・リ・タ・チ”
艦橋で当直についていた生徒たちから歓声が上がる。
新統合軍パイロットの中に卒業生がいるのだろう。

艦橋でシェリル・ノームは当直を引き継ぐべく、次の当番に向かってマハーヤーナの状況を報告した。
「銀河標準時2059年6月○日0時。本艦の現在位置はブラボー・ブラボー・エンジェル。スピンワードに向けて第一戦速で加速中」
報告を受けた生徒は敬礼すると、内容を復唱する。
「銀河標準時2059年6月○日0時。本艦の現在位置はブラボー・ブラボー・エンジェル。スピンワードに向けて第一戦速で加速中」
これで引き継ぎが終わった。
シェリルと同じ班の面々は部屋に引き揚げていく。全員が揃いのツナギだ。
生徒たちが収容されているのは4人部屋。二段ベッドが二つある。
ベッドには寝袋が設置してあって、これに入って眠る。人工重力機関が故障した場合や、艦が急加速した場合に、体が寝台から転げださないようにするための設備だ。
ツアーでは高級ホテルに宿泊し、移動も客船の一等船室やファーストクラスのシートを利用するシェリルにとって初めての経験だ。窮屈ではあるが、冒険旅行みたいでワクワクする。
その思いは、この部屋を利用している他の女子生徒も同じようで、なかなか寝つけない。
小声で囁きを交わしているうちに、話しこんでいた。
実習のスケジュール。
先生の評判。
試験の傾向と対策。
恋の噂。
いつの間にか、話題は美星学園に伝わる不思議な話になっていった。

「校舎の屋上にあるバルキリー、あれに乗ってたパイロットが戦死していたって知ってた?」
「知ってる知ってる、夜に見るとコクピットに死んだパイロットが座っているとか、誰も動かしていないのに、フラップが動いているとか」
「そんなはずないわよ。だって、あの機体、一度も実戦で飛んだことないのよ。実技の教官が言ってたわ」
「えー、そうなんだ?」

「長距離操縦実習で使うヴィマーナ4って、出るんだって? ユーレーが」
「やだ、来週、実習なのよ。怖いこと言わないでよ」
「あの実習って、下級生8人と上級生2人で乗るでしょ? 長距離偵察仕様の機体だから、人工重力もないし、機内の明かりも最低限」
「やめてよ、乗れなくなっちゃうじゃない。もー」
「暗いところで、お互いの声だけ聞こえる感じなんだけど、たまに居るはずの無い11人目の声がするって」
「もう、ヤダ、止めて止めてっ」
「でも11人目の声って、アドバイスをくれるって言う話。実習でミスして単位を落としそうになった時に正しい座標を教えてくれたって、先輩の話聞いた」
「へぇ、案外いいヤツなのね、幽霊クン」

シェリルは黙って話に耳を傾けていたが、女子の一人が話を振ってきた。
シェリルさんは、そんな話聞いたことない? 不思議な話」
「そうね」
シェリルは少し考えた。
「学園の話は全然知らないけど、ギャラクシーの芸能界での話なら聞いたことはあるわ」
他の生徒たちが、聞きたいと声を揃えて返事した。
きらびやかな芸能界の裏話は、興味を持っている人が多い。
「私のビデオを撮影してくれたカメラマンの人が教えてくれたんだけど、その人の後輩がデビュー前のバンドのプロモーションビデオの制作に参加してたの。助監督っていう立場でね……」
シェリルが語ったのは、プロモーションビデオの撮影で、モブ(群衆)シーンに居るはずのない女性の姿が映っていた、という話だった。
女性はエキストラの間にまぎれて、画面中央で歌っているボーカルを恐ろしい目つきで睨んでいた。
「変なのは、そのビデオを映写するたびに、その女がボーカルに徐々に近づいてくるの」
「映像を加工したんじゃないの?」
質問した声は、少し怯えていた。
「直接目にしたわけじゃないから……でもカメラマンさんが言ってたのだと、素材になる映像はディスクに焼き付けていたから、加工できるはずがないって」
シェリルは部屋の中に、おどろおどろしい気配が広がるのを感じた。声音を低くして、話を続ける。
「9回目に映写した時に、その女の人の手がボーカルの首にかかってたそうよ」
「もしかして…」
「そう。ボーカルは車の交通事故で死んでしまったの。助手席に乗っていた、別の女性も一緒に亡くなったわ。ボーカルの首には絞めつけた指の痕が残っていた……」
一瞬、重い沈黙が室内に広がる。
「それ、本当?」
「どこまで本当か分らないけど、ボーカルが事故死して、デビューできなくなったバンドの話は、確かにあったわ。ギャラクシーで車の事故なんて、珍しいからニュースにもなったし」

シェリルの話が終わると、再び学園の怪談が話題になった。
「そ、そういえば女の子の幽霊って美星にも居たよね?」
「ああ、開かずのエアロック?」
「その話知らない」
「美星専用の桟橋があるでしょ? あれの一番奥が開かずのエアロック」
「もしかして、内緒でエアロックに隠れて逢引していたカップルが居たんだけど、女の子が待っている間に事故で減圧して死んじゃった、とか?」
「知ってるじゃない」
「知らなかったわよ。でも、良くあるじゃない、そんな話」
「まあ、ね。10年ぐらい前の事らしいよ。すごく美人だったって。彼女の幽霊が出るって噂が広まって、一時、男子が一目見たさに毎晩エアロック周辺に張り込んでたって聞いた」
「美人なら幽霊でもいいの?」
「バカよねぇ」
「ねー」
シェリルは天井を見上げながら、呟いた。
「開かずのエアロック……ね」

マハーヤーナが帰港してから、シェリルはアルトに聞いてみた。
「ね、アルト、開かずのエアロックって聞いたことある?」
「ああ。事故があったのは事実らしいな。どっかで記録を見た」
「美少女の幽霊も出るの?」
「それは知らんな。幽霊なんか興味があるのか?」
「そうね……見たことないし」
アルトは顔をしかめた。
「止めとけ。そういうモノは、好奇心でのぞくのはダメだ」
「どうして?」
「何か言いたいことがあるなら、向こうから出向いてくるだろ。出向いてこないなら、そっとしておいてやれよ」
「そうね」
シェリルは素直にうなずいた。
アルトは幽霊探しに引きずりまわされずにホッとした。
(いつもこれぐらい素直だと、可愛げがあるんだが)
シェリルは周囲を振り回すようなところがあるが、一方で、他者が大切にしているものや価値観を、むやみに傷つけない配慮ができる。本人の前では絶対に口にしないが、アルトが高く評価している理由の一つだ。
「この辺にあるのよね、開かずのエアロック」
二人が居るのは、アイランド1の側面から突き出した美星学園専用の桟橋。実習で使用する機材を取りに来ている。
「そうだな。機材はこっちだぞ」
桟橋の入り口近くに、EVA(宇宙服を着用した船外活動)実習に関連する機材を保管している倉庫があった。
アルトが教官から預かってきたキーで扉を開ける。
「うわぁ…」
シェリルが感嘆の声を上げた。
さまざまな規格のコンテナや、むき出しで積み上げられた機材の迷路が二人を出迎えた。
「整理されてない博物館みたいね」
アルトは、シェリルの形容を言いえて妙だと思った。
「えーとだな、探すのはLAIのFN040……フォールド航法装置だ」
アルトはコンテナに記されたプレートを頼りに装置を探す。
「じゃ、私はこっちを探すわ」
シェリルはアルトと分かれて探し始める。

「ええと、FN040ね……これ、かしら?」
シェリルはパレットの上にむき出しで置かれた機械を見た。全体のフォルムは台座の付いた球形で、コンソールが台座に取り付けられている。
「FN040……TM。 ちょっと型番が違ってる?」
アルトを呼ぼうと息を吸い込んだところで、機械がハム音を立てた。球形の部分から薄紫の光が脈動しながら周囲を照らす。
「触ってないわよ?」
一瞬、視界が暗くなった。

「立ちくらみでも、したかしら?」
シェリルは、いつの間にか倉庫から出て桟橋の通路に立っていた。
何か、自分の体が揺らいでいるような感じがする。
「何、コレ?  さっきの機械が原因かしら?」
振り返って倉庫に戻ろうとしたところで、美星学園の制服を着た男子生徒を見た。胸のマークからすると総合技術科だ。
シェリルが会釈しようとすると、男子は大きく口を開けた。
「わああああ!」
悲鳴を上げて、一目散に桟橋の出口へと駆けてゆく。
「何よ、失礼ね。シェリル・ノームを見て逃げ出すなんて、審美眼が歪んでる……わ…」
シェリルは、何気なく自分の手を見て驚いた。
向こう側の景色が薄っすら透けてみている。
「え!」
自分を映すものが無いかと探して、制服のポケットからコンパクトを取り出した。鏡を見ると、やはり体が透けている。話に聞く幽霊のようだ。
これに近い状態は、シェリルの経験から考えるとフォールド航行中の状態に近い。しかし、今、アイランド1は通常航行体制だし、さっきの男子生徒も異常は無かった。
「アルト!」
シェリルが声を張り上げると、再び視界が暗転した。

「何よ、これ……」
踏みしめようにも足の裏が床面と接している気配がない。頼りない足元を気にしながらシェリルは周囲を見回した。
今度は、どこか公園にでも出たらしい。
木々の生い茂る緑豊かな空間。近くから水の流れる音が聞こえる。
「……アルト」
名前を呼ぶと、上から声が降ってきた。
「だれ?」
見上げると、頭上に大木の太い枝が張り出している。枝の付け根から男の子が顔をのぞかせていた。
東アジア系の整った顔立ち。澄んだ褐色の瞳。まっすぐの長い黒髪を頭の後ろでくくっている。年の頃は6~7歳だろうか。身に着けているのは和服と袴。着物に詳しくないシェリルにも、手入れが行き届いているのが判る。
「あ、アルト?」
子供の頃のアルトを彷彿とさせる姿に思わずつぶやいてしまってから、そんなはずは無いと理性が打ち消す。
しかし…
「どうして、ぼくの名前を知ってるの?」
少年は樹上から不思議そうな顔でシェリルを見下ろしていた。
「本当に……早乙女アルト?」
シェリルは躊躇いがちに尋ねた。
少年は黙って頷いた。
「今は、何年かしら?」
「えと…2049年」
タイムスリップ、その単語が頭の中に浮かんだ。
2059年現在でも、真面目に時間を旅行するタイムマシンの可能性を追求している物理学者たちがいるが、実験が成功したとのニュースは聞いていない。
「戻れるのかしら?」
不安が胸の中に広がる。
樹上のアルト少年が、おずおずと話しかけてきた。
「おねえさんは……天使さん?」
見上げると、少年の目は期待と不安で揺らめいていた。
シェリルの胸の中では、きゅんと締め付けられるような感覚が、不安を吹き飛ばした。
「どうして、そう思うの?」
「なんか、とうめいで、ふつうの人じゃないみたいだし……きれいだし」
シェリルはアルトを抱きしめたくなった。その思いに反応したのか、体がすっと上昇し、アルトと同じ高さに浮かぶ。
「素直な、いい子ね」
シェリルはアルト少年を抱き寄せた。腕は少年の体をすり抜けてしまうので、そっと包むようにする。
「こんな所で、かくれんぼ?」
シェリルの言葉にアルトは首を横に振った。
「かあさま、お体のちょうしが良くないんだ…」
「そう」
「ぼくが、いい子にしてたら治るって言ったのに……いい子じゃないのかな? わるい子なのかな?」
「大丈夫よ。きっと良くなるわ。だってアルトは、いい子だもの……でも、こんな所で隠れてないで、お母さんのところに行ってあげて。あなたの笑顔が、何より嬉しいのよ」
シェリルの額に口付けた。幻のように頼りないキスだったが、アルト少年は指先で唇の触れた所を撫でた。
「うん……ありがとう」
アルトは慣れた身のこなしで、木の枝から飛び降りると何度も振り返り、手を振りながら木々の間を駆けてゆく。
その後姿を見送って、シェリルはここが邸宅の庭だったことに気づいた。茂みの向こうには和風の建物が見える。
(ここは、早乙女家?)
時刻は午後遅くだろうか。数奇屋造りの離れ、その縁側にアルト少年が上がるのが見えた。
シェリルはふと、この時代の自分のことを考えた。
ギャラクシーのスラム街で、ビルの隙間に隠れて眠っている小さなシェリル。
(伝えてあげたい……あなたには未来があるってこと)
再び視野が暗転した。

「シェリル、見つけたぞ」
はっと振り返ると、アルトが台車の上にコンテナを積んで押していた。
「あ、ああ……アルト」
とっさのことで状況の変化についていけなかった。軽いめまいを感じる。
全てはいつも通りだった。
「ああ、それと間違ったか。無理ないけどな。元が同じ機械だから」
アルトの視線は、シェリルが見つけたFN040TMという型番の装置に向けられていた。
「アルト、これは何?」
「総合技術科のマッドな連中がいじっているタイムマシン」
アルトは型番の横に手書きで書き加えられたTMの文字を指差した。良く見ると大文字の間に、小さな文字が書いてあり、Time Machineと読める。
「本当にタイムマシン? 時間旅行ができるの?」
シェリルの言葉にアルトは笑った。
「んなわけねーだろ。何でも未来からの情報を受信する目的で作ったらしいから、通信しかできないはず……って言っても、何年か前に未来から来たらしいデータをキャッチしたのが1回きり。あとは、ウンともスンとも言わないんだそうだ」
「そうなの」
シェリルは装置の丸みを撫でた。
「フォールド航法は空間を折りたたんで距離を短縮、移動する航法だろ? それと同じ原理で時間を折りたたむって理屈だってさ。そろそろ、行かないと教官が待ってるぞ」
「ええ」
シェリルはアルトとならんで歩き出した。
再び、10年前のギャラクシーで暮らしていたシェリルの事を考える。
「未来の私が教えてあげなくても、十分たくましく生きてきたものね」
アルトが不思議そうな顔でシェリルを見た。
「お前、何言ってるんだ?」
シェリルは、子供のアルトはあんなに可愛かったのにね、と心の中で呟いた。
「アルト、木登り好きだった? 子供の頃」
「あ、ああ。紙飛行機を飛ばすのに良く登ったな」
「時々、木の上に隠れて泣いてた?」
「おま……誰かに何か教えられたのかよ?」
アルトは無表情になった。内心はかなり驚いているらしい。
「天使がいつも見守っているのよね」
「誰だ? ミシェルか……って、ヤツでも知らないな、そんなの」
「ふふっ、いい女には秘密があるのよ」
シェリルはウィンクした。

後日、美星学園の放課後。
「シェリル、面白いのをライブラリでみつけたぞ」
アルトが携帯端末を操作した。
「メディア部の連中が特集してた、開かずのエアロックと美少女幽霊。昔の記事だ」
画面に表示されたのは、手書きの人相書き。幽霊を目撃した男子生徒の談話を元に描かれた絵だった。
「え、見せて見せて」
シェリルは覗き込んで、絶句した。
ブロンドの長い髪、青い目、通った鼻筋、意思を感じさせる眉。そして制服の形。絵を描いた生徒はかなり上手に特徴を拾っていた。
「な、シェリルにそっくりだろ?」
「やだ、ホントに似てるわ」
笑顔のアルトにむかって、笑いながらシェリルは思った。
美星学園の美少女幽霊…その実態は銀河の妖精なんて、洒落にもならないわね。自分が怪談の主人公になるなんて)

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2008.08.27 
ミハエル・ブランの病室に、医師、看護師が集まっていた。
クランは固唾を飲んで医師の処置を見守った。
看護師がミシェルの目から包帯を取り去ると、医師が呼びかけた。
「ブランさん、見えますか? 指を何本立ててますか?」
「2本…」
「これは」
「5本です」
「結構です。今から、視力と色覚を測定する機械を目に当てます。眩しい光が出ますが、目を閉じないように、視線を動かさないようにお願いします」
医師は双眼鏡のような形の機械をミシェルの目に当てた。
「視力は左右1.0、色覚は弱いですね。今後、徐々に回復していくと思います。体力が戻ったら、精密検査をしますので、お大事に」
医師と看護師は器具を片づけて病室を出た。

アイランド1に侵入した第2形態バジュラ群との戦闘で、クランを守って重傷を負ったミシェルは、奇跡的に救助されていた。
しかし、バジュラとの戦闘による創傷、流血によるショック症状、バジュラの体液を浴びたことによる感染症、真空被曝、宇宙線被曝、いずれを取っても即死してもおかしくないほどのダメージを身体に与えている。
救助された時は四肢の先端が壊死し、視覚・聴覚・嗅覚・味覚を失っていた。
病院に収容された当初は、意思の疎通さえも不自由だったので、医療用インプラントを脳に埋め込んでコミュニケーションをとっていた。
長い時間をかけて器官の再生、移植を繰り返し、ようやく視力を取り戻すところにまで至った。

スイッチを操作してベッドの高さを調節し、上半身を起こしたミシェルはしわがれた声で言った。
「やあ、クラン
クランは、幼い息子の手を引いてベッドに駆け寄った。ミシェルの頬に手を当てる。
「見えるのか、見えるのかっ、ミシェル?」
「ああ、よく見える……クランが相変わらず美人なのもよく見える」
ミシェルは手をのばして、クランの顔に触れた。視覚を奪われていた間、触れることでクランを確かめていたように指を這わせ、触覚と視覚のギャップを埋めるように見つめている。
「こいつ、その調子でナースも口説いていたんだろう。懲りない奴だ」
クランは目に涙をためながらも、笑顔を見せた。
「いつも世話になっているから、お愛想ぐらい言ってもバチは当たらないだろ」
笑ってみせるミシェルの顔は、左頬から頭にかけて大きな放射線焼けのケロイドが残っている。いずれは手術で消す予定だが、まだ他に優先しなければならない重要な器官が残っている。
「ミシェル、この子の顔も見てやってくれ」
クランは4歳になる息子・ガンツァを抱き上げた。
ガンツァがミシェルを見る目には、怯えが含まれていた。目を開いた父親の顔を見るのは、今日が初めてだった。
「ガンツァか……髪は青か。目は……緑、か? でもクランの目の色に近いな」
驚かさないように、ゆっくりと息子の頬に指を触れさせた。柔らかい幼児の肌に目を細める。
「ほら、ミシェルに抱っこしてもらうんだ」
クランが息子をミシェルに抱かせる。ミシェルの腕の中で、ガンツァは一瞬体を硬くしたが、幼いなりに血のつながりを感じたのか、そっと体を預けた。
ためらいがちに話しかける。
「お、おとうさん?」
「ああ。お前のお父さんだよ」

ガンツァはゼントラーディ語で戦利品を意味する。
現在でもミシェルの体は正常な性交はできない。
クランの強い希望で、ためらうミシェルを説得し、体細胞から生殖細胞を作り、体外受精で授かった子供だった。
人工子宮での出産もできたが、受精卵はクランの胎内に納められ自然分娩で誕生した。
生存という激しい闘争の末に、ミシェルとクランがようやくの思いで勝ち取った宝だ。

「お前、色が判るのか?」
クランは少し驚いた。先ほどの診断では、色覚は回復していないと言われたのだ。視力も10を超えていたものが、1.0にまで落ちている。
「世の中はモノトーンだ……でも、お前の髪と瞳の色を忘れるわけはないだろ」
「ミシェル…」
クランはベッドにこしかけ、ガンツァの体を間にはさんで、強く抱き合った。

しばらくしてから、アルトシェリルが子供を連れて見舞いにきた。
「お前、老けたなぁ」
ミシェルの言葉にアルトは苦笑した。
「のっけからそれかよ」
シェリルは綺麗になった。昔い……いや、前と変わらず」
ミシェルは傍らのクランを意識して、言葉を濁す。
クランの眉毛がピクリと動いたが、この場では突っ込まないことにしたようだ。
「ふふっ、目が開いたら、以前と同じ調子なんだから。見えなかった間は、ナースをどうやって口説いていたの?」
シェリルの質問にミシェルはウィンクを一つした。
「主に声を誉めてたな。あとはシャンプーの香りとか。職業柄、香水は付けない人たちだか…ら……」
クランの眉がピクピクと反応している。
「ああ、口説いてたんじゃなくて、お愛想、お世辞だって」
クランに向かって弁解するミシェル。
アルトは、その様子をニヤニヤと見ながら5歳になった男女の双子・悟郎とメロディに言った。
「さあ、ミシェルおじさんに挨拶してこい」
“おじさん”の発音を、少しばかり強調した。
二人は声をそろえてミシェルに挨拶した。
「こんにちは、ミシェルおじさん。お加減はいかがですか?」
「こんにちは。今日は皆の顔が見れたおかげて、気分が良いよ。できれば、おじさんを外してくれると、もっと気分が良くなる」
ニッコリ笑ったミシェルは、アルトシェリルの方を向いた。
「悟郎がシェリル似で、メロディはアルト似なんだな。話は聞いていたけど」
「ええ、そうよ。性格はね、外見と反対かも」
シェリルとミシェルが話している横で、アルトはガンツァ、悟郎、メロディに折り紙を渡した。折り鶴の作り方を実演し、子供達も真似して折り始める。
「そうだ、ルカ君、地球から帰ってくるみたいよ。もう立派なエグゼクティブになっているわ」
シェリルの話す友人たちの消息に、ミシェルは流れた時間を実感した。
「それは見たいな。あのルカがね」
「ランカちゃんはゾラで公演。これから、みんなにミシェルの事を伝えようと思うんだけど、何か付け加えたいことある?」
「そうだな……最近、ようやく摂食機能が回復したから、土産で美味いもの持ってきてくれると嬉しい」
「判ったわ」
「早く回復しないとな、倅とキャッチボールもしたい」
子供たちは、でき上がった折り鶴を糸に通して、すでにベッドの横に吊るしてある千羽鶴に新しい仲間を付け加えた。

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2008.08.26 
オズマはランチア・デルタを運転して、マヤン島のベースキャンプに戻ってきた。
映画『Bird Human』とドキュメンタリー『銀河の妖精、故郷のために銃をとる』に協力しているSMSは、安全面から市街地と離れた場所に臨時の基地を設け、撮影に必要な機体を運用していた。
撮影の合間には、海洋リゾートを楽しむスタッフもいたが、オズマは愛車のステアリングを握って、海岸通りのドライブを楽しんでいた。
普段は駐車場に停めっぱなしになりがちな愛車だが、手入れが行き届いているのでエンジンのレスポンスは良い。
「着いたぜ、ミス・シェリル
助手席のシェリルに向かって話しかけた。
「ありがとう、オズマ少佐」
サマードレスとつば広の帽子のリゾートスタイルを、トップアイドルに相応しく着こなしたシェリルは、礼を言って降りた。オズマのドライブに便乗して、市街地へ買い物に行った帰りだ。
さて、これからどうしようか。もう少しドライブを楽しみたい気もする。
ギアをバックに入れて、車を切り返した。
オズマ!」
女の声にバックミラーを見た。キャシーが小走りに駆けよってくる。
ウィンドウを開けると、ローライズのジーンズにタンクトップ姿のキャシーは運転席を覗き込んだ。
「運転手お願いしてもいいかしら?」
「乗りな」
キャシーは助手席のドアを開けて、なめらかな動きで乗り込んだ。オズマが注意する必要もなく、カチリとシートベルトを着ける。
「どこに行くんだ?」
「街へ」
「そんなら、さっきシェリルを乗せた時に一緒に乗れば良かったな」
「ごめんなさい。オズマが出た後に気付いたの。日焼け止めが切れてて」
「そうか……じゃあ、ちょっとドライブに付き合え」
オズマは、今まで通ったことのないルートに車を乗り入れた。
「いいわ。急いでない…もの……?」
キャシーはシートに違和感を覚えた。手を尻の下に入れて探る。
「何、これ?」
キャシーが手にしたのは、クリップのような形をしたものだった。よく見ると、携帯音楽プレイヤーだ。
「それ、シェリルのだな。後で渡してやらないと」
オズマは横目で見た。そう言えば、シェリルが車に乗り込む時に耳にイヤホンを入れていた。
キャシーは手のひらの上でプレイヤーを転がした。
「どんな曲聴いているのかしら?」
「カーオーディオにつないでみろよ」
オズマがそそのかすと、キャシーはイヤホンを差し込むジャックにオーディオのケーブルを接続した。再生ボタンを押す。
最初に流れ出したのは、歌詞無しのポップミュージックだった。聞いたことのないメロディーなので、新作なのだろう。
「これ、次にレコーディングするのかしら?」
「かもな」
キャシーは選曲ボタンを数回押した。
歌詞の無い音楽以外にも、普通の曲も入っていた。ロック、ポップ、R&B、ジャズ、さまざまなジャンルが流れ出す。
「へぇ……あ?」
オズマが感心して耳を傾けていると、不意にシェリルの肉声が飛び出した。

 ランカちゃん、ランカちゃん
 緑の髪の女の子
 ボールみたいに弾んでる
 お日さまみたいに光ってる

「鼻歌?」
キャシーは首をかしげた。
曲は無く、録音状態も良くないが、声には艶があった。
調子っぱずれのメロディからは、楽しそうに歌っているのがありありと伝わってくる。

 ミシェル、ミハエル、マイケル、ミゲーレ
 どれで呼んだらいいのか判んない色男

オズマは思わずプッと噴き出した。

 フケ顔のオズマ少佐
 仕事は厳しいが妹には甘い
 あんなお兄ちゃんが欲しいかも

キャシーが何か言いたげにオズマを肘でつついた。
ステアリングを切りながら、咳払いするオズマ。

 キャシー、キャサリン、キャサリンさん
 融通が利かない真面目な軍人さん
 スタイル良くて美人なの
 だけど女の武器使わないのは
 かなりカッコいい

キャシーは頬を赤くした。考えてみれば、同性から、こんな風にストレートに褒められた経験は少ない。

 生意気で
 うるさくて
 すぐキレる
 イジりがいがあるのが
 早乙女アルト

これには二人とも爆笑してしまった。
あまりに笑ったので、オズマが路肩に車を寄せて停車した。
「ひー、なんだこれ。すげぇ。ははははははっ」
「周りの人のスケッチって感じね…うふふふ、あはははははっ」
笑いの発作が治まったところで、スピーカーから流れだす曲が変わったのに気づいた。
ミニー・リパートンのInside My Loveをシェリルがカヴァーしている。
しっとりとした甘い歌声が車内を満たした。
ほう、とキャシーがため息をつく。横目でオズマを見ると、視線がぶつかった。
歌声のうねりに合わせてドライバーシートとナビゲーターシートの間に緊張感が高まってくる。
それは決して不快なものではなかったが、二人の間に壁があった。
歌が終わった。
「出すぞ」
オズマはアクセルを踏み込み、ステアリングを切って車を車線に戻した。
キャシーは、シェリルの歌声が生み出した一瞬が失われていくのを惜しまずにはいられなかった。
サイドミラーに視線を移す。
「ここに来たのはSMSのお仕事だけど……なんだか夏休み、ね」
キャシーのつぶやきに、オズマは肩をすくめた。
アルト准尉の歌に続いて、Inside My Loveなのは、何か意味があるのかしら?)
キャシーは、ドアウィンドウを少し開いて潮風を車内に取り込んだ。乱れる髪を押えた。
オーディオからオズマお気に入りのFIRE BOMBERが流れ出す。

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2008.08.22 
シェリルは、今ひとたびグレイスと対峙していた。
シェリル
聞き慣れたグレイスの声は、気持ち悪いぐらいにいつもどおりだった。
「私たちには……フロンティア船団には、あなたが必要なの。もう一度、一緒に仕事をしましょう」
「私は死ぬんでしょう、グレイス。その日が一日、二日延びたところで何が変わるというの?」
ニヒリズムを装った切り口上は、相手の出方を見るために放った言葉のジャブ。シェリルは読みにくいグレイスの表情を読もうとした。
「あなたが、キチンと治療を受けてくれたら、治せる可能性はあるわ。望むなら、サイボーグ化手術も手配できるのよ」
「つまらない取引ね。予想していた答えのうち、一番つまらない選択肢だったわ」
グレイスは少し考えた。
「何をお望み?」
「何も。私は私の欲するものを自分で手に入れる。アンタの手なんか借りなくても十分」
「あら……また熱が出てきたんじゃない?」
グレイスの赤外線視覚には、シェリルの肌が微熱を放っているのを捉えていた。
シェリルは熱くなってきた掌を握りしめた。
「私の本質はアイドル……そう言ってたわね」
「そう。シェリル・ノーム、銀河の妖精の名声は私たちが作り上げたもの」
グレイスが口にした“私たち”には、シェリルが含まれないようだ。
シェリルは唇を笑みの形に歪めた。
「シェリル・ノームのプロデュースは巧くいったけど、ランカちゃんには手を焼いている」
「ええ、正直、困っているの。だから、シェリル……体を壊しているあなたに無理を言って申し訳ないけれど、協力して欲しいわ。ランカさん、シェリルと一緒に歌うと感情指数が安定してポジティブになるの」
「グレイス……アンタはマネージャーとして有能この上なかったわ。だけど、プロデューサーとしては無能もいいところね。ショウビズの大切な部分を理解していないわ」
「あら、何が分かってないのかしら?」
グレイスは困り顔を作って見せた。シェリルがわがままを言うと、いつもこんな顔をして、結局は願いを聞き入れてくれたものだ。
「ランカちゃんのアイモ……あの曲のアレンジを聞かせてもらったわ。何のためにいじったの?」
「それは…フロンティアの人々を勇気づけるための編曲よ」
そう言ったグレイスの顔は貼り付いたような微笑みを浮かべていた。一転して、シェリルの病について告知した時のような、嘲りの滲ませた笑顔に変わった。
「いいえ、言葉を飾るのはやめましょう。ランカさんの感情指数を安定させるためよ」
「あんな歌、バジュラは聴きたがっているの? ランカちゃんは歌いたがっているの?」
シェリルの問は、グレイスの意表をついたようだ。表情が漂白されたように一瞬で消えた。しかし、一瞬後には、貼り付いた笑顔が戻ってくる。
「あなたにバジュラの気持ちが判るのかしら?」
「判らないわ。しゃべったこと無いもの。でも、理解しようとすることはできる。グレイス、アンタがプロデューサーとして無能なのは、全てを数字でしか見ないからよ」
「……」
グレイスは沈黙した。
「この世界で大切なことは、数字で表せない。文字でも書き表せない。感じるしかない」
シェリルは片手で髪をかきあげた。髪の生え際がわずかに汗ばんでいるのが感じられる。熱が上がったのだろう。
「グレイスがシェリル・ノームのプロデュースに成功したのは、アンタが数字を操り、数字で分からない部分を私が感じ取っていたから。私を管理していたからって、私と同じ事がアンタにできるわけ無いのよ」
「道具がよく喋ること」
グレイスの悪態は、シェリルに勝利の感覚をもたらした。
「道具が無くちゃ、お仕事が上手くいかないんでしょう? どっかで探していらっしゃい」
グレイスは身構えた。
「力ずくで事を運ぶのは趣味じゃないんだけど……」
しなやかな肢体を構成する人工の骨格と筋肉が出力を上げる態勢に入った。
その途端、フリーズしたように固まる。
シェリルの背後に舞い降りたのは、ガウォーク形態のVF-25。翼下のパイロン(固定架)に小型指向性フォールド・ウェーブ・アンプを下げている。
「機械の体も大変ね、グレイス」
シェリルはグレイスの額を人差し指で突いた。
飛びかかろうとした姿勢で固まったため、マネキンのように倒れるグレイス。地面で硬質な音を立ててバウンドした。
アンプから放たれる大量のデータがグレイスのフォールド・リンケージの入力機器を飽和させている。
中枢システムは破壊されるのを防ぐため、全ての外部入力を一時的に完全遮断した。
破壊効果はないが、足を止めるには十分以上の戦果だった。
「お仕事頑張って。悪いけど、私には私の仕事があるの」
シェリルは、スカートの裾をVF-25が巻き起こす風になびかせながら背中を向けた。そして、機械腕の掌につかまりタンデム配置の後席に乗り込む。
「いくぞ!」
前席のアルトが叫んだ。
生き残りをかけた作戦が始動する。

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2008.08.22 
■8月19日13時頃に『美星学園の赤いバラ』へ拍手とメッセージをくださった方へ
パスワードをお知らせしたいのですが、メールアドレスが記入されていません。
拍手でもコメントでもかまいませんので、メアドお知らせ下さい。

■拍手600回と700回記念の方
こちらからのメールでお知らせしたのですが、お話のお題リクエスト承りますよ。
締切は設けていませんので、気が向いた時に送って下さい。
お待ちしています。

2008.08.19 
歌舞伎役者・兼・シンガーの早乙女悟郎(17)は憂鬱だった。
憂鬱の原因は、人に話せば贅沢な悩みだ、と言われるかも知れない。
不世出の名優・十八世早乙女嵐蔵の孫にして、銀河の妖精と呼ばれたシェリル・ノームの息子。この世界で名を成そうとする人間が欲して止まない芸能界へのコネクションには事欠かない。
客観的に見ても音楽の才能は豊かで、最初に作曲したのが5歳。ユニバーサルボードのチャートに登場したのは9歳。
歌舞伎の方面でも、舞台での華やぎには定評がある。名前の由来となった曽我五郎を演じさせれば当代随一の呼び声も高い。
(この顔が良くないんだよな)
毎朝、洗面所で鏡を見るたびにため息をつく。
ルックスは母親の要素を多く受け継ぎ、ストロベリーブロンドの髪に碧い瞳。切れ長の目は父親のアルトから受け継いだもの。
友達連中からは、女ったらしの顔だと言われる。
実際の所、女の子は苦手だ。何を考えているか分からない。
異性で気楽に接することができるのは、母親と双子の片割れメロディぐらいなものだ。
もちろん、女の子からチヤホヤされるのは、決して悪い気分ではない。でも彼女(時として彼)が見ているのは、悟郎自身を通り越して、シェリル・ノームの息子とか、梨園の御曹司だとか、そんな肩書ばかりが評価されている。
かくして、処世の術として身につけたのは、ニヒルでクールな素振り。
だが、せいぜい冷たくしても向こうから寄ってくるのはどうしようもない。冷たいところが素敵なんて言われたら、もうお手上げだ。
(どいつもこいつも、俺自身とは関係ないところで盛り上がりやがって。俺は至って地味な性格なんだよ)
暇さえあればギターの技術を研鑽し、歌舞伎に精進したいのだ。

オフの日は、気分転換に街に出る。ニットキャップとサングラスで特徴を隠し、お気に入りのギターを肩に公園へ向かった。
(こんな天気のいい日は……)
悟郎は空を仰ぐとFIRE BOMBERのMY SOUL FOR YOUを奏でる。
本当なら歌もつけたいところだが、歌声で正体がばれるので、ストリートミュージシャンたちに交じって、のびのびと演奏だけを楽しむ。
サビの部分にかかると、別のギターが奏でる音色が聞こえてきた。悟郎の演奏に合わせている。
(お、なかなか……やるなぁ)
音のする方を一瞥した。
伸ばした黒髪を後ろへ撫でつけている髭面の男が小型のギターで演奏していた。くたびれたポンチョを着て、左右でレンズの色が違うサングラスをかけていたが、流行遅れのスタイルが却って決まっている。
気持ち良く即興の合奏を終えると、聞き耳を立てていた聴衆が拍手をした。
「どうも」
悟郎は手を上げて拍手に応えた。ついでに、見知らぬミュージシャンに向かっても手を振る。
髭面の男も軽く手を挙げた。
ふと、悟郎のイタズラ心が疼いた。
(よぉし、これについてこれるか?)
次に弾き始めたのは、大ヒット曲の『突撃ラブハート』。
髭面も心得たように、ベースのパートを奏でた。
ギターのソロパートで、悟郎は素早い指使いを要する即興のメロディを奏でた。
(さて、お手並み拝見)
髭面の男は、劣らないぐらいの素早い指使いを見せた。
(やるねぇ)
悟郎は嬉しくなった。今日は使うつもりの無かった奥の手を出す。
ソロパートで、ネックの部分を使って左手とピックなしの右手を合わせて演奏する。それぞれの手が別の旋律を奏でる。左の指が人並み外れて強いためにできるテクニックだ。
髭面の男は片方の眉をあげた。そして、弦の音色を歪ませた。うねる音は、楽器と言うより人の声、ボーカルのように聞こえる。
テクニカルなやりとりは、周囲からの注目を集めた。他のミュージシャンたちも手を止め、耳を傾けていた。
悟郎と髭面の男のギターが最後のワン・フレーズを奏で、余韻が消えてゆくと盛大な拍手が送られた。
男がサムアップサインを送ってきた。

「やるなぁ、プロかい?」
髭面の男は感心したようだ。
「ええ、実は……気分転換でストリートミュージシャンの真似をしているんです。ショバ荒らしになったらマズいから、たまに、ですけど。あなたもプロフェッショナルとお見受けしました」
自販機で買ったビールで乾杯しながら悟郎は言った。相手の年齢と積み上げたキャリアを感じ取り、目上への言葉づかいになる。
ビールの泡を髭に付けたまま男は肩をすくめた。
「昔は、な。今は単なる風来坊」
風来坊とは古めかしいが、男の雰囲気にぴったりだった。
「さっきのギグ、楽しかったぜ。記念にギターを交換しないか?」
「え? はい、喜んで」
悟郎はギターを差し出した。
男も自分のギターを渡す。
「俺は早乙女悟郎です。お名前、うかがってもいいですか?」
サングラスを外した悟郎は、名乗った上で相手の名前を尋ねた。
「礼儀正しい坊やだな。言ったろ? 俺は風来坊だ」
男はニヤリと笑った。
その顔どこかで見たな、と悟郎は思った。

男と別れ、家に戻ると、シェリルが悟郎のギターに目を止めた。
「どうしたの、それ?」
「これは……」
悟郎は事の顛末を語って聞かせた。
「ふぅん、風来坊ねぇ」
面白がっているシェリルを前に、悟郎はギターを手にして、つま弾いた。
「本人がそう言ってた」
「アナクロと言うか、時代遅れというか。ギター見せて……熱気バサラ・モデルだわ、これ」
使い込んだギターを調べるシェリル。動揺した声で、アルトに呼びかけた。
「こ、これレプリカじゃないわ。アルト、ここ見て」
アルトはギターを受け取った。
「俺は楽器は専門外……って、これは」
ギターに組み込まれていたのは、新統合軍規格の無線アクセスシステムだった。アルトにとっては見慣れたものだが、組み合わせが意外だった。
「ギターにこんなものを取り付けるなんて……軍艦やバルキリーに乗って演奏するつもりか」
「やっぱり、これ……オリジナルよ。熱気バサラ・モデル・オリジナル」
「ええっ」
悟郎は驚いた。言われてみれば、あの髭面、髭を剃ってしまえば、この時代のミュージシャンなら誰でも知っている熱気バサラの顔だ。
「こうしちゃいられないわ…探さないと」
シェリルが立ち上がった。
「探してどうする?」
アルトが尋ねた。
「もちろん、サインもらうのよ!」
シェリルは悟郎を引きずるようにして家を飛び出した。

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2008.08.19 
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2008.08.18 
シェリルが言った。
ランカちゃんとお幸せにね、アルト
「なっ…」
アルトは絶句した。
シェリルは微笑みと共に続けた
「私ね、二人の事……ずっと、心配だったのよ…?」
「いきなり…何を言ってるんだ、シェリル?」
あまりに驚いたアルトは、そう言うのが精いっぱいだった。
「だって、アルトランカちゃん好きでしょう?」
「え…まあ、嫌いではないが」
アルトはガリア4の永遠に続く黄昏の空を思い出した。ハッピーバースデイの一言を言うための戦場の真ん中に丸腰で降り立ったランカ
あの空、ランカはいつまでも飛んでいたいと言っていた。
シェリルなら、同じ空を見て何て言っただろうか? 果たせなかった思いがアルトを今、この瞬間に引き戻した。
「だけど…」
シェリルはアルトの言葉を遮った。
「嫌いじゃないんでしょう。だったら好きってことだわ」
「そんな単純なことじゃない」
「難しく考えすぎよ」
シェリルはくるりと背中を向けた。
「ギャラクシーに戻れる目途もついたし」
「マジかよ?」
「ガリア4にいたギャラクシーの生き残りパイロットから新しい情報が得られたの。それで特別便が出るわ。……ランカちゃんと仲良くするのよ」
「俺は……」
シェリルは振り向いた。華やかな笑顔を見せる。
「振り回してごめんなさい。自由の身に戻してあげるわ、ドレイ君」
そしてシェリルはアルトたちの前から姿を消した。

アルトは携帯端末でランカの番号を呼び出して通話ボタンを押した。
「もしもしっ?」
スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、勢いのあるランカの声だった。
「あ、ああ、ランカか」
アルトは少し驚いた。今のランカは忙しい。政府と軍のプロジェクトの中心人物だ。留守電のメッセージが出てくるのを期待していたら、本人が出てきた。
「アルト君、なんか久し振りだね」
「そうだな。忙しそうだな」
「うん、目が回りそう、って言うか息がつまりそう。今、ちょうど休憩時間に入ったところだったんだ」
「聞きたいことがあるんだ」
「うん、いいよ」
「その、ギャラクシーの所在って分かったのか?」
「え……うーん、ブレラさんやグレイスさんからは聞いてないよ。そんな大ニュース」
「そうか、そうだよな」
アルトは確信した。シェリルは嘘をついている。
SMS経由で入手できる軍の一般情報でも、ギャラクシーの消息に関係する話は無いし、フロンティアに寄港した民間の宇宙船は港に係留されたままだ。
「なんで、そんなこと聞くの?」
ランカに聞かれて、アルトは適当な理由をでっちあげた。この回線が盗聴されている可能性もある。
「いや、その……噂で聞いてな。そうだな、そんなはずないな」
「うん。あ、そうだ、お兄ちゃんのお見舞い来てくれたんだって? 聞いたよ。ありがとう。あたしも、もっと行きたいんだけど……」
「今は、情勢が情勢だしな。……あ、そうだ。キャシー中尉が隊長のところに通っているみたいだぜ」
「え、キャシーさん? 焼けぼっくり、かな?」
「それを言うなら、焼けぼっくいだろ」
「そうだっけ? そうそう、シェリルさんの具合は? グレイスさんから退院したって聞いたんだけど」
アルトは声の調子を変えないように努力を傾けた。
「そ、そうだな。学校には、まだ来てないけど、元気っぽい」
「良かった」

美星学園の放課後。
部活の後、他に誰もいなくなった部室でアルトはミシェルを呼び止めた。
「この前、電話くれたよな。一生後悔するって……何を知ってる?」
ミシェルの顔から表情が消えた。
「言えない。シェリルと約束した」
「言えよ……頼む、教えてくれ」
「お前…」
ミシェルは驚いた。アルトの口から、こんなに真剣な口調で“頼む”なんて言葉が出てくるのは、初めてかもしれない。
「ダメだ。こればっかりは」
「だけど……シェリルは……あのバカ、ギャラクシーに帰ると言って、どっか行っちまったんだ。船なんて出てないのに」
「ええっ」
(意地っ張りも筋金入りだな、女王様)
ミシェルは、ため息をついた。アルトにシェリルの体のことを教えてやるべきか、一瞬考えがぐらついた。
アルトがたたみかけた。
「教えてくれよ」
「ダメだ」
「……言ってもらうぞ」
アルトはミシェルの前に回りこんで、行く手を遮った。
「へぇ、どうやって? 腕ずくで言わせるつもりか。できるのかよ?」
皮肉な口調で挑発したとたん、ミシェルの視界に火花が散った。
アルトがものも言わずにミシェルの胸倉をつかみ、強烈な頭突きをした。
「うおっ」
ミシェルも何発か殴り返したが、アルトの勢いを押し返せなかった。床に転がされて、パンチの雨に襲われた。
「わかった、わかった。降参だ。降参する」
ミシェルは両手を上げた。
「言えよ」
「ああ」
ミシェルは頬の腫れ具合を指先で確かめながら言った。
「シェリルは……V型感染症を発症している」
「なっ…」
アルトは絶句した。
V型感染症は、バジュラとかかわるようになってから耳にするようになった言葉だった。感染症対策のために、戦闘後のメディカルチェックは厳重で、その度にうんざりしていた。
「でも、治療法は……治療法はあるんだろ?」
ミシェルは首を横に振った。
「今のところ対症療法しかない。症状が進行すれば、対症療法も……」
「なんで、アイツが? アイツはバジュラと接触してなんかいない」
「おそらく、ギャラクシーで。クランが見つけたV型感染症の症例論文にシェリルの…子供の頃のシェリルの写真が掲載されていた」
「……くそっ。あのバカ」
「どうするんだ、アルト」
「探す。探すさ。あいつは、フロンティアで知り合いは少ない。可能な行動は限られてるはずだ」
「そうだな」
アルトは部室から走って出て行った。
「んとに……手がかかるガキだ」
ミシェルは疲れ切ったように、椅子に座りこんだ。
「ミシェル?」
マイクローン・サイズのクランが部室を覗きこんだ。
「ああ、悪い。待たせてしまったな」
ミシェルが立ち上がると、クランが駆け寄った。
「大丈夫かっ? 頬が腫れてるぞっ」
「アルトにぶん殴られた」
「アルトっ?」
クランは手近なところにあったタオルを水道の水に浸して絞ると、背伸びしてミシェルの頬に当てた。
「なんで、お前たちが喧嘩なんか?」
「ありがとう」
ミシェルは礼を言って、クランから濡れタオルを受け取った。
「シェリルのこと、腕ずくで白状させられたのさ」
「そ、そうか……それでアルト、あんな必死な顔で」
「まったく、役者上がりの癖に頭突きなんかカマしやがって」
今まで、殴り合いでも、アルトは無意識のうちに顔をかばっていた。歌舞伎役者としての躾から来ている行動だろう。
「なりふり構ってないってことか。なら、アルトにも、まだ見所があるってことだな」
「大丈夫か? 他に痛むところはないか?」
クランは心配そうに、ミシェルの体を素早く調べた。
「全く、殴り合いなぞせずとも、話し合いで済ませられんのか、お前たちは……」
ミシェルは苦笑しようとして、腫れた頬の痛みに顔をしかめた。
「アザのひとつふたつ作っておかないと、シェリルに言い訳できないだろ」

シェリルが隠れ家として選んだのは、郊外にある家だった。
スペイン風のパティオ(中庭)のある白い家は、ホームオートメーションと家事をサポートしてくれるドロイドが装備されていた。
何より気に入ったのは、中庭に植えられた四季咲性のバラ。目覚めると、窓を開け放ってバラの香りを楽しむのが新しい習慣になっていた。
インターフォンが鳴って、シェリルはカウチから、けだるげに体を起こした。
(食料品の配達って今日だったかしら?)
インターフォンのモニターを見て、シェリルは息を止めた。
(アルト)
「シェリル、いるか? いるんだろう?」
スピーカーから、夢に見るほど聞きたくて、同時に一番聞きたくない声が流れ出す。
シェリルは、大きく深呼吸をするとマイクに向かって話しかけた。
「開けるわ。入ってきて」

アルトが通されたリビングは天井が高く、古めかしい扇風機がゆっくり回転して涼しい風を送っていた。
「どうやって……ここが?」
ソファに座ったシェリルはアルトを見上げた。
「お前、自分の髪がどれだけ目立つか忘れてただろ? 庭に出ている時に、EXギアで上空を飛んでた後輩が見つけた」
アルトは低いテーブルを挟んで差向いに座った。
「そうだったの」
シェリルはクスリと笑った。EXギアの飛行音が懐かしくて、思わず空を見上げたことがあった。その時に発見されたのだろう。
アルトは、いきなり本題を切り出した。
「V型感染症だって?」
シェリルは黙って頷いた。視線をテーブルの上に彷徨わせる。
「なぜ?」
アルトの問に、シェリルは皮肉な巡り合わせを感じた。
シェリル自身がグレイスにぶつけた言葉だからだ。
(なぜ、私をベッドに縛りつけようとするの?……か)
そして、グレイスはシェリルがV型感染症で余命が僅か、という事実を突きつけた。
「私が考えていること、分からない?」
アルトはため息をついた。
「予想はつく……でも、こんなことするぐらいなら、きちんと治療を受けろよ。根治できなくても、病気と付き合って生きていく人だっている」
「いやよ」
シェリルはポツリと言った。
「そんな生きているだけ、みたいな状態。歌えなくなって……V型感染症の症状って知ってる?」
「調べた。皮膚の細胞にカルシウム沈着が始まって、硬くなり、ひび割れて……」
その結果、全身の皮膚呼吸が阻害され、代謝活動が滞り、多臓器不全を起こして死亡に至る。
アルトは母を看取った時を思い出した。病状が悪化してくると、寝たきりになり、見舞いするたびに母の体に接続されているチューブやコードが増えていった。まるで命という名前の組紐が、解け、ばらけていっているかのように見えたものだ。
「そんな私、見せたくない……それぐらい、かなえさせてよ」
語尾が震えていた。シェリルはソファの肘掛を強い力で握っている。
「諦めるのが早過ぎる」
アルトが諭すと、シェリルは首を横に振った。
「知っているんでしょう? そこまで調べたのなら……この病気は体液感染なのよ。抱き合うことも、子供を産むことも……私が居た証さえ残せない。それで生きているって言えるの?」
美星学園の図書館でクランとミシェルが検索した論文の概要を見て、シェリルを底知れない無力感が襲った。
次に思ったのはアルトのことだった。映画『Bird Human』のロケ地で、アルトとキスした。この時に感染させてしまったかと思うと、絶望で床にくずおれた。
幸いV型感染症は感染力が弱く、キス程度ではうつらないと分かった時は、該当する記述を見つけ出したクランに、どれだけ感謝しても足りないと思った。
「かっこいいところだけ見せようとしてるんじゃねぇよ」
アルトは立ち上がって、シェリルの足もとにしゃがんだ。
「俺はパイロットだ。次の出撃で死ぬかもしれない」
「…うん」
「アイランド1に帰還したら、必ずここに来る」
「待っていろって言うの?」
アルトは手をのばしてシェリルの頬を撫でた。そしてゆっくり唇を合わせた。
シェリルは一瞬、目を見開き、顔をそむけようとしたが、瞼を閉じてアルトを抱き寄せた。
「待つ方が辛い場合があるのも知っている」
アルトはシェリルの耳に唇を寄せて囁いた。
「俺のみっともないわがままだ……お前が待っていてくれるなら、生きて帰れる可能性が高くなる」
「アルトを待っている人はたくさんいるわ、きっと」
「シェリルに待っていて欲しいんだ」
「イヤよ……待ってるだけなんて。一緒に飛びたい」
アルトは微笑んだ。いつものシェリルが、ほんの少し戻ってきた。
「髪をひと房くれないか」
シェリルはうなずいた。
アルトはハサミで、長く伸びたストロベリーブロンドの先を切った。それを胸から下げたお守り袋にしまいこむ。
「これで、一緒だ」
シェリルの頬に涙が一筋、こぼれた。
アルトはもう一度、シェリルにキスした。

その夜、アルトはシェリルの家に泊まった。
広いベッドで、二人、手をつないで横になる。それ以上は、触れ合わないという暗黙の了解が二人の間にはあった。
「アルト……起きてる?」
「ああ」
照明を落した部屋で囁きが交わされる。
「顎のところ、アザ? どうしたの?」
「ああ……ミシェルに殴られた。奥歯が一本ぐらついてる」
「どうして?」
「俺が締め上げたから。シェリルのことで、何を知ってるんだって。ヤツは、約束だから話せないって言ってた」
「それで殴りあったの?」
「ああ」
シェリルが寝返りを打って、アルトの方を向いた。
「野蛮だわ」
「シェリルを失わずに済むなら、できることは何だってする」
「同情? それはイヤよ」
「いや、独占欲」
シェリルは闇の中で自分の頬が染まっていくのを感じた。
「アルト、そっちへ行っていい?」
アルトは黙ってシェリルを引き寄せた。
シェリルはアルトの胸に頬をつけた。心臓の音、呼吸の音が響いてくる。
これから、何回、こんな夜を過ごせるだろう。

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2008.08.17 
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2008.08.15 
この時代のパイロットたちは、民間の所属であっても新統合軍予備役将校の階級を与えられている。
所属する国家・組織が戦時体制に移行すれば軍役に服するのが義務だ。
それは美星学園のパイロット候補生達も同様だった。
パイロットコース必修の教科にはバルキリーを操縦するシミュレーション戦闘が含まれていて、男子生徒たちの間で人気の教程だ。

アルト
ミシェルに廊下で呼び止められてアルトは振り返った。
「なんだ?」
「事前に警告しておこうと思ってな。シェリルたちのクラス、そろそろシミュレーション戦闘に入る……」
アルトー!」
ステージで鍛えた良く通る声がした。
「遅かった、な」
つぶやいてアルトは肩をすくめた。
振り返るとシェリルが近づいてくる。
「今度、バルキリーの模擬戦闘するのよ。予習したいんだけど」
「分かった、分かった」
アルトシェリルを伴って、シミュレーション室へと向かった。
後姿を見送るミシェル
「女王様には逆らえないよな」

「でね、バルキリーの機首のところにマーク入れたいのよ」
「パーソナルマーキングか?」
「そうそう、それ。何か、素敵な図柄は無い?」
「形から入るのか」
アルトはコンソールに向かって、パーソナルマーキングの雛形を呼び出した。かつて地球上に存在した様々な航空部隊のエンブレムや、統合軍・新統合軍になってからのマークを並べる。
「どれがいい?」
アルトが振り向くと、シェリルは一つ一つ拡大して確かめていた。
「うーん、ピンとくるのが無いわ。アルトのマークってどんなの?」
「俺のはこれ」
美星学園のシミュレーションで使用する機体は、一世代前のVF-11サンダーボルトだった。実機ではなく、データの中の機体のため、絵心のある生徒たちは独創的な塗装を競っている。
アルトの機体はオーソドックスな白の機体だった。コクピットの下に“虎徹”の文字と交差するように日本刀のマークが描かれている。
「へぇ、カッコいいじゃない。どういう意味?」
「虎徹(こてつ)は名刀の名前で、第二次世界大戦中、日本海軍きっての撃墜王のあだ名」
「なんか、そういうストーリーがあるのが良いわね」
「それじゃ、これなんかどうだ?」
アルトは白バラのマークを呼び出して、コクピットの下に配置した。
「バラね。悪くないけど、何か由来があるの」
「スターリングラードの白バラと呼ばれた女性エースパイロットが付けてたんだ。ソ連陸軍のリディア・リトヴァク」
「ふぅん……いいわね。でも、バラは真紅のがいいわ。それで、もっと大きくして」
アルトはグラフィックツールを操作した。紅バラを機体背面に大きく配置する。
「いいわね。美星学園の赤いバラ、誕生ね」

「結局、俺も付き合わされるんだな」
ミシェルはシミュレーターのコクピットでぼやいた。しかし、表情は面白がっている。
使用するのは深い青の塗装に、機首に黒いチューリップのマークを入れた機体。
「じゃあ、ルールを確認しますね。設定は地球上。気象の擾乱(じょうらん)、対空砲火は無し。アルト先輩はシェリルさんと分隊を組む。ミシェル先輩はAI(人工知能)機と。ハンデで、アルト先輩・シェリルさんの反航優位戦でスタート」
審判役のルカが確認を入れた。
反航優位戦とは、互いに演習空域の反対方向から進入。アルトとシェリルのチームの方が、高い高度からスタートする条件を示す。
「いいか、ミシェル機を発見したら、高空から一撃離脱。とにかく俺について来い」
「了解」
アルトの指示を聞きながら、シェリルは操縦桿とスロットルを握りなおした。
「状況開始!」
ルカの合図で対戦が始まった。
開始早々、ミシェルの分隊を発見。
「行くぞ。まずはAI機から」
アルトは機体を急降下させた。シェリルも何とかついてくる。
目の良いミシェルも、アルト機の存在に気づいて増速。
AI機は状況の変化に弱い。ロックオンされて、マイクロミサイルの斉射を浴びる。これを回避したところで、コースを読んでいたアルトの射撃を浴びて爆散。
アルトは反転しながら、ミシェル機を追尾した。
「ちょっとアルト!」
シェリル機が降下を続ける。
「馬鹿、スロットル戻せ!」
アルトはミシェル機と空戦機動を繰り広げながら叫んだ。
ミシェル機はインメルマンターンでアルト機の上をおさえようとする。
バルキリーの可変機能により、縦横に空を駆け巡るアルトとミシェル。
「ほっとかないでよ!」
シェリルが文句を付けるが、学年首席のミシェルと次席のアルトの戦いに余人が介入する隙はない。
「もうっ!」
シェリルはとりあえず上空に出た。
アルトは楽しんでいた。ミシェルとの対戦成績は30勝31敗29引き分け。ここでタイに持ち込みたい。
わざと隙を作って、後ろ上空にミシェルを遷移させる。機体背面に装備されたレーザー機銃で牽制しながら奇襲のチャンスをうかがう。
そして……。
「とったあああああ!」
通信回線に響き渡ったのは、シェリルの勝どきだった。
ミシェル機の更に後方上空から、教本通りの一撃離脱戦法。ガンポッドの射撃が降ってくる。
「ええっ!」
アルトとの戦いに集中していて、全くノーマークだったシェリルからの攻撃に、ミシェル機は回避を試みるものの、あえなく撃墜。
「シェリル、お前……って! トリガー放せよっ!」
続く射撃でアルト機も諸共に撃墜される。

「ふふっ、学年一位二位を同時に撃墜ねっ」
Vサインでシミュレーターから出てきたシェリル。
「おい、味方撃ってどーするんだよ」
アルトの突っ込みに、シェリルは知らぬ顔。
「勝てば良いのよ、勝てば」
「確かにルールでは、俺の負けだ」
ミシェルが苦笑する。
美星学園の赤いバラ、その伝説が今始まったのよ」
シェリルは、その称号がいたくお気に召したようだ。

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2008.08.13 
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2008.08.12 
芸能界の関係者が集まるパーティーは虚飾と蠱惑(こわく)に満ちている。
洗練された衣装と立ち居振る舞いのスターたちに交じって、得体の知れない男女がチャンスを狙ってホールを泳ぎ渡っている。チャンスはビジネス関係かもしれないし、ラブアフェアを仕掛ける隙かもしれない。あるいはその両方。
映画プロデューサーの長話から解放されたアルトは、バニーガールの差し出したトレイからシャンパングラスを受け取ると、喉を潤した。
スタントとして出演した映画『Bird Human』のジョージ山森監督は、映画界でそれなりに影響力を持っているらしく、アルトは映画関係者から関心を持たれていた。
(こういう場は苦手だ)
歌舞伎の世界でも後援者はいるので宴席に付き合わされることもあるが、やはりアルトにとっては心地よい空間ではなかった。
会場の隅で、携帯端末を取り出すと、先日から検討していた軌道を再計算する。
(ブースターを積んで高加速。フォールド安全圏まで……いける)
携帯端末にメールが着信した。文面は、問題無し、の一言。
アルトは唇の端で笑った。
すぐに携帯の通話機能でフォールド・ブースターのレンタルを手配する。幸い在庫が確保できた。
(よし)
端末を折りたたみ、会場を見渡した。
どこに居ても目立つシェリルの姿はホールの中央あたりにあった。
青い瞳のまなざしがこちらを向く。
軽く手を振ると、シェリルは取り囲む人々に挨拶して、こちらに来た。
今日の衣装はプリーツ加工で見る角度によって表情を変える白いドレス。ドレスに負けないほど白い肌が、今はアルコールでほんのりとピンクに染まっている。
「そろそろ…」
タキシード姿のアルトが肘を差し出すと、シェリルは腕を絡めてうなずいた。
「ええ」
パーティー会場を辞すと、主催者の手配した車で自宅へと戻る。
車の後部座席で、シェリルはピルケースから酔い覚ましの薬を取り出すと、水なしで飲み下した。同じものをアルトにも渡す。
アルトもそれを飲みながら時間を確かめた。23時を過ぎたところだ。
「どうだった?」
「まぁまぁ。何人か話をしたかった人にも紹介してもらったし……アルトも映画の方の人から声をかけられてたじゃない」
シェリルはヒールを脱ぐと、素足になって足を延ばした。
「ああ……これからの予定は?」
シェリルは携帯端末でスケジューラーを呼び出した。
「夜中過ぎに、家に事務所から迎えが来るわ。それから、宙港で星系内便に乗って短距離フォールド。外宙港で長距離客船に乗り換え、ね」
「ハードなシンデレラだな」
「そうね。迎えに来るのはカボチャの馬車じゃないけど。でも、どうしてもこのスケジュールじゃないと間に合わなくって」
不治と言われた病から復活を遂げたシェリルは、以前にも増して自分の歌声を人々に届けるのに力を入れていた。それもキャパシティの大きな会場で収益を見込めるような船団や星系だけではなく、辺境といわれる場所や、前進基地しか設置されてないような星々を巡るツアーだった。
「2か月近く離れ離れだけど……浮気しちゃダメよ。するんなら、私にバレないようにね」
冗談めかしてシェリルが言った。
「余計な心配するなって。それより、だな……」
アルトが続けようとしたところで、車が家の前についた。
運転手に礼を述べると、二人は家に入った。
玄関でシェリルがアルトを振り返る。
「さっき、何を言おうとしたの?」
「軌道計算してみたんだが、明け方、ここからバルキリーで出て、直接、外宙港に間に合う。フォールドブースターも手配してある」
「いつの間に……アルト、仕事は?」
「調整をつけたぜ。ギリギリになって悪かった」
寝室でシェリルは、アルトの首に腕をまわした。
「事務所からのお迎えは断ったらいい?」
アルトは軽く触れるだけのキスをした。
シェリルは微笑んだ。
「判ったわ。スタッフには直接、宙港に向かってもらうわね」
携帯端末を取り出すとシェリルはスタッフにコールした。
「もしもし。これからのことなんだけど…」
アルトはシェリルの背後に回って、ドレスのホックを外した。肩のないデザインなので、スルリと滑り落ちた。胸元を飾るネックレスを外し、うなじにキスした。
シェリルはまぶたを閉じて首筋をふるわせたが、携帯で話している声を変えなかった。
「急な変更で悪いんだけど、こっちに迎えに来なくても大丈夫。アルトが外宙港まで送ってくれるから……ええ」
うなじから耳の後ろに唇を滑らせる。両の掌で乳房を包み、愛撫すると乳首が固く立ち上がった。
「あっ」
小さく叫ぶとシェリルは横目でアルトを睨んだ。
「な、なんでもないわ。じゃ、外宙港で」
携帯を切ると、シェリルはアルトの肩に手を回してベッドに引きずり込んだ。

ひとしきり熱を高めあった後で、シェリルは唇が触れるほどの距離で囁いた。
「美星に通っていた時の…覚えている?」
「何を?」
「二人だけで下校したこと」
「覚えている」
当時、アルトはSMSに所属していたし、シェリルは仕事の関係で送迎に車を利用していたので、二人揃って下校したのは2~3回ほどだ。
「あっちこっち寄り道したわね」
「付き合わされたな」
アルトの人差し指がシェリルの肌の上に地図を描くように滑った。
ゲーセンではシェリルがフライトシミュレーターでハイスコアを出すまで付き合った。
クレープの屋台では、いろんな味を試したがったシェリルのために幾つもクレープを持たされた。一口ずつしか食べてないので、残りはアルトが処理するはめになった。その夜は夕食を食べる気にならなかったことを覚えている。
ブティックでは果てしない試着で待たされ、アンティークなボタンを探してユーズドファッションの店を幾つも巡った。
「少しでも長く一緒にいたかったの……」
シェリルはアルトの頬に頬をすりよせた。
「今夜はアルトが引きとめてくれたわね」
「ああ」
シェリルはアルトの唇にキスした。
「遠回りし過ぎたかしら」
「あれはあれで楽しかった」
「違うわ」
シェリルの爪が胸板の上にハートマークを描いた。
「あの頃に、もっと早くに、はっきり愛しているって伝えた方が良かったかしら、ってこと」
「さあ……それは今だから言えることかもしれない」
「そうね、あの頃の鈍感なアルトは、ね」
「お前だって素直じゃなかったろ」
「ふふっ」
「ボロボロになってから正直になりやがって」
辛い経験も、微笑みと共に回想できるようになった。
「私は一度死んで生まれ変わったの…今の私に」
アルトがぼそりと言った。
「歌、な」
「うん」
「お前の歌、好きだ」
「歌は私そのものよ」
「知ってる」
「もっと好きになって、もっと愛して」
アルトはシェリルに覆いかぶさった。

ベッドの上で互いの温もりを交換しているうちに、夜明けが近づいてきた。
あわただしくシャワーを浴びて、身支度を整えるシェリル。
アルトは格納庫でVF-25民生用モデルの準備を整えた。メイン反応炉をアイドリング状態にして待機する。
パイロットスーツ姿のシェリルがあらわれた。
ガウォーク形態のVF-25は機械腕を下ろして掌にシェリルを乗せ、持ち上げた。
前席のアルトは、シェリルが後席に乗り込んだのを確認して、キャノピーを閉じた。
「反応炉出力上昇。テイク・オフ」
VF-25は垂直上昇を開始。
高度300メートルを超えたところで、ファイター形態にシフト。
1000メートルを超えたところで、音速を超えた印のマッハコーン(航空機の後方に発生する円錐形の雲)を作り出す。極超音速で成層圏を超え、熱圏を駆け抜ける。
亜宇宙高度で、衛星軌道を周回しているフォールドブースターの信号を受信。
自動ランデブーでブースターと合体すると、VF-25は10Gを超える加速でフォールド安全圏へと到達した。
短距離フォールドで外宙港へ一気に跳躍。
そこでようやく一息ついた。
折りたたまれた空間特有の、自己の存在がブレるような感覚を受け止めながら、シェリルが言った。
「久しぶりね、こんな加速」
「わがまま言って悪かったな」
「いいの……なんだか不思議」
「何が?」
「ほとんど寝てないのに、お化粧のノリがいいの」
「どうしてだ?」
「さあ……アルトのおかげ、かしら?」
「……」
「照れてる?」
「バカ」
VF-25の航法コンピューターがフォールド空間から脱出するタイミングをカウントダウンし始めた。

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2008.08.09 
18話見終わって、ちょっとずつ情報が出そろってきました。
今の時点で思いついたことをメモ。

■V型感染症の正体
実はバジュラはプロトカルチャーを担った異星人が姿を変えたものである。
自ら作り出したゼントラーディ軍と監察軍という軍事勢力の狭間で、滅びつつあったプロトカルチャー人が、新しい適応の形として、人間に近い形態と知性を捨てて、蟻や蜂のような群体になったもの。
群体レベルでは、人間とは別種の知性を備えている。
形態変化を生み出すのがV型感染症。
バジュラはフォールド通信波に引き寄せられて、フォールド航法を実用化した知性体を攻撃する。攻撃で殲滅できなければ、V型感染症で同化する。特にプロトカルチャーの影響で生み出された人類やゼントラーディには有効。
バジュラの体表面にある渦巻き模様は、プロトカルチャー由来の文様(マクロス・ゼロで登場)なのも、この仮説を補強する。

■ランシェ・メイ
ランカの実母(?)。
現在はV型感染症による形態変化を経て、バジュラに同化している。
そのため、ランカがフォールド通信波=歌でバジュラとのリレーションシップを確立すると、ランシェ・メイのイメージで語りかけてくる。

■Q-1 ランカ・リー
リトル・クィーンとは、V型感染症に罹患しつつ、人間の形態と知性を失わなかった存在。

■フェアリー9 シェリル・ノーム
Q-1を人工的に作り出そうとした存在。V型感染症に感染しつつ、人間の形体と知性を失わず、バジュラとのリレーションシップを確立できる存在を目指していた。
その為にV型感染症の進行をコントロールするための薬剤・639 WITCH CRAFTも開発された。
ノーム姓なのは、ギャラクシーの市民登録する際にマオ・ノームの養女として申請したため。

■オペレーション・カニバルの目的
バジュラの適応能力、フォールド・クォーツの能力を手にいれつつ、新たな人類進化の道を探る……か?

なんてことを思いついたりして。
ちょっと安直でしょうか。

2008.08.09 
最近、すっかり病院の中に詳しくなったと思う。
戦闘後のメディカルチェックやら、負傷者の見舞いで何度も訪れたせいだ。
アルトシェリルの病室を訪ねた。ベッドは空だった。
(たぶん、この時間なら…)
時計は16時を回っていた。
庭だろうと見当をつけた。

はたして、シェリルはお気に入りの木陰に設置してあるベンチに座っていた。
ひじかけにもたれかかってウトウトしているようだ。
アルトは心持、足音を忍ばせて歩くと、その隣に座った。
シェリルの横顔は穏やかで、頬も白い。
とは言え、こんな場所で警戒心の欠片もなくウトウトしているということは、体力が低下しているのかも知れない。
アルトシェリルの前髪をかきあげ、自分の額を合わせた。熱はないようだ。
「ん……」
瞼が開いた。間近でみる青い瞳は美しい。
「何すんのよっ」
最初の平手打ちはかわせなかったが、続くストレートパンチは何とか受け止めた。
「……ってアルト
「いきなり殴りかかるのは止めろ」
「び、びっくりするじゃない」
「お前こそ、こんな所で寝るぐらいなら、ベッドで寝ろよ」
「目を開けたら、アルトのどアップは心臓に悪いのよ」
シェリルの頬が赤らんだ。
「人の顔をホラー映画みたいに言うなよ。顔、赤いぞ。熱出たのか?」
「バカ」
SMSの宿舎で同じようなことをしたわ、と思いながらシェリルはそっぽを向いた。
「そういえば、この前の女の子どうした? 車イスに乗ってた」
シェリルはそっぽを向いたまま話した。
「サミーラ? 退院したわよ。義足をつけてたわ。足が再生できたら、再手術するって」
「そうか。ひとまず良かったな」
それから、二人は取り留めのない話をした。美星学園とクラスメイトたちのこと。SMSのこと。ランカのこと。
「そう、ランカちゃん、ギャラクシーのパイロットに護衛されているの」
グレイスを助けたパイロットと同一人物なのだろうか。シェリルは思いついた疑問と、寂しさを心の片隅にしまいこんだ。
「その護衛が、いけすかないサイボーグ野郎で……ブレラ・スターン少佐って言うんだが、知ってるか?」
感情むき出しの声に、シェリルはようやくアルトを振り向いた。
「いいえ、知らないわ」
「そうか。そうだよな。ギャラクシーだって一千万単位の人口がいるもんな」
アルトは時計を確かめた。
「そろそろ夕食の時間だろ。立てるか?」
「そうね……あっ」
ベンチから立ち上がろうとして、シェリルはふらついた。すかさずアルトが支える。
「座ってろ」
「そ、そうね」
シェリルはめまいに襲われて瞼を閉じた。
アルトはその様子を気づかわしげに見ながら、シェリルを安心させるように言った。
「長いことベンチに座ってたから、足が痺れたんだろ。待ってろ、車イスを借りてくる」
「うん」
アルトはナースステーションで車イスを借りてきた。
ベンチの所まで運んでくると、シェリルを抱き上げた。慣れてないので多少もたつきながらも、車イスに座らせる。
「ねえ、アルト」
シェリルは車イスのハンドルを握ったアルトを振り返った。
「なんだ?」
「少し、遠回りして。少しだけでいいから」
「ああ……売店でも寄っていくか? 暇つぶし用にクロスワードパズルの雑誌でも買うか」
「だめ、ああいうのは性に合わないの」
「そうか。実は俺も、あんなこちょこちょしたのは苦手だ」
アルトはできるだけ、ゆっくりと車イスを押していった。

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2008.08.08 
「今週も『ランカ・リーのSound Diary』の時間がきました。パーソナリティは私、ランカ・リー。このラジオ番組はフォールド通信波MF25チャンネル、音声とデータのみで銀河系全域にリアルタイム放送しています」

「この番組も1周年、リスナーの皆さんのおかげで続いてきました」

「最初にラジオって放送の形としては歴史あるものだったんですね。この番組を担当させていただくことになって調べたら、びっくりしました」

「今、私は惑星ゾラに向かう客船の中から放送しています。フォールド通信波は銀河のどこからでもタイムラグなしで放送できるのが便利ですよね。この放送を聴いているあなたは、今、どこで何をしていますか? あなたが素敵な時間を過ごすお手伝いができたらいいなぁ」

「今日、お送りする最初のナンバーは『Video Killed The Radio Star』」


「声だけのやり取りって、なんかいいですよね。スピーカーから聞こえる声で、向こうにいる人の表情を思い浮かべたり……映像つきの端末でお話しするよりドキドキしませんか?」

「次に、お送りするのは『Radio Ga Ga』」


「リスナーさんから、メールいただいています。惑星エデンにお住まいのラジオネーム“フィオナ”さん、17歳。読みます」

“こんにちは、ランカ。いつもラジオ聴いています。できるだけリアルタイムで聴くようにしています。たまに録音を聞いていますけど”

「ありがとう、今、聞いてくれているのかな?」

“私は苦しい恋をしています。初恋です。好きな人がいるのですが、その人には素敵な彼女がいます。彼女は、私が尊敬している人で、悲しませるような事はしたくありません。でも、毎日毎日、大きくなっていく彼への気持ちで、どうしたらいいのか分からなくなります。ランカ、こんな私にアドバイスを下さい”

「苦しい恋……私にも大切な思い出があります」

「私が好きになった人……すっごく意地悪で突き放したところがありました。でも、冷たいんじゃないんです。何て言うのかな……安易に慰めとか、優しい言葉を使わない、って言ったらいいのかな。その人の話をちゃんと聞いていると、いつも最後で励ましてくれているんです。その励ましに背中を押されて、私は歌の世界へ、最初の一歩を踏み出しました」

「でも、私が好きになるぐらいの人には、やっぱりお似合いの彼女がいて、フィオナと同じ立場だったかも。その時の気持ちは私の大切な宝物です。今は誰にも触れられない心の奥底にひっそりとしまっています」

「フィオナの初恋がどんな風になるのか、予想できない。でも、きっと、あなたにとって素敵な宝物になると思います。今は、一生懸命に自分の気持ちに向き合って下さい。自分の恋にドキドキしながらも、他の人の事を考えられるあなたは、素敵な女の子。……全然、アドバイスになってないけど」

「フィオナさんに贈るナンバーは『ミュージック・アワー』。この曲が、元気を分けてくれるよ」

 

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2008.08.06 
ドキュメンタリー『銀河の妖精、故郷のために銃をとる』の撮影チームはマヤン島を訪れた。

「これが海の匂い?」
見晴らしの良い高台に設置されたベースキャンプから青い海を眺めていたシェリルは胸一杯に深呼吸した。旅行用ドレスの裾を翻して振り向く。
「複雑な匂いね」
SMSのユニフォームを着たアルトは、海面からの照り返しに目を細めた。
「お前は大丈夫なのか? グレイスなんか顔をしかめていたぜ」
「ええ。香水みたいに良い香りじゃないけど平気よ。グレイスは嗅覚をシャットアウトしてるみたいだけど」
「便利な体だな」
「時々うらやましいわ。でも、みんなサイボーグになると均質化されて面白くないじゃない」
「それもそうか。……そろそろ仕事だな」
アルトは左腕にはめているパイロット用の時計を見た。
アルトの仕事って?」
「機材の設置と、着陸地点の整備。こういう時、バトロイドは便利なんだよな」
「ね、アルト、私にやらせて」
シェリルが目を輝かせた。
「大丈夫か?」
内心面倒なことになったと思いながらも、アルトはどうやったら回りに迷惑かけなくて済むのか、段取りを考えた。
「バトロイドモード、この前ガッコの授業で、やったばっかりよ」

今、マヤン島には、ランカが出演する映画『Bird Human』のロケも行われている。シェリルのドキュメンタリーとともにSMSが全面協力をしていて、撮影のために2個小隊8機のVF-25Tを運用している。
そのため、着陸地点と整備スペース、臨時の管制所・通称『マヤン・コントロール』を設置する必要がある。
アルトは与えられたVF-25Tを人型に近いバトロイドモードに変形させた。
「最新鋭のバルキリーを使ってるけど、やっていることはアナログね」
タンデム配置の前席でシェリルはゼントラーディサイズの草刈り機を慎重に振り回した。学校の授業で教えられた通りに、きっちりとパイロットスーツを着込んでいる。
まずは、バルキリーが離着陸できるスペースの確保だ。
「人型作業機械は汎用性があるんだ……っとぉ」
シェリルの操作が大振りになって、上半身がバランスを失って泳いだ。すかさず後席のアルトが下半身のコントロールを奪って踏みとどまる。
「あ、ありがと」
さすがにヒヤッとしたのか、シェリルは額の汗をぬぐった。
「一応、訓練用とは言え、軍用機だからな。学校の機体と同じ調子で扱ってると、コケるぞ」
民生用の機体は、安定性を高めるために安全機構が充実している。
しかし、軍用機では高度な機動や、格闘戦を行うために、可動範囲を広くとっている。そのため、安定性が犠牲になっていた。出力も桁違いに多い。
草刈りが終わると、ローラー車が出てきて整地を始めた。

事前の計画通り機材の設置が終わると、監督がスタッフを招集して今後の予定を説明。
それで、この日の主な仕事は終わり。
撮影スタッフや、航空機運用スタッフが、明日使用する予定の機材の点検に散った。

「チェックシートE-3まで終了」
機載コンピュータと外部のコンピュータでクロスチェックしながら、機体を点検する。
ガウォーク形態で着陸したVF-25Tの右掌に乗って、外装の目視点検。
「アルト、アールートー!」
下から聞きなれた声がした。
「ちょっと待ってろ。もうすぐ終わるから」
チェックシートから目を離さずに、最後に残った項目を消化する。
「降ろしてくれ」
VF-25Tは音声コマンドを認識すると、ゆっくり手を下げた。
地面についたところで、アルトは腰に付けた安全帯を外す。
視線を上げるとシェリルがいた。大きめのサングラスをかけ、丈の短いライダージャケットは下に着けているビキニのトップスが見えるように胸元を開けていた。ボトムはデニムのホットパンツで、へそが見えている。
「お前、マメに着替えるな」
「なぁに、どこ見てるの?」
ぐいっと胸の谷間をアピールするかのように、アルトに向かって押し出す。
アルトは思わず視線が吸い寄せられそうになって、あわてて目をそらした。
「で、なんだ」
「ロケハンに行きましょ」
ロケーションハンティングは撮影に向いている場所を探すことだ。
「そんなの、撮影班とか監督が、とっくにやってるだろ?」
「だめよ、なんでも他人任せにしちゃ。もちろん、プロのスタッフがやっていることだから信頼はしてるけど、アルトのパイロットとしての視点が欲しいわ。プロなんでしょ、飛ぶことにかけては」
「でも、バルキリーは動かせないぜ。お役所に出したフライトプランの関係で、明日9時以降でないと」
「そうなの。じゃあ、今日のところは地上からね」

アルトは借りたモーターサイクルのハンドルを握っていた。後ろにシェリルが乗っている。
(なんか、また上手く乗せられたような気がする)
空に映し出された太陽は傾き始めていた。
「アルト、あの岬なんかどう? 岬の先端に立ってる私を空撮でアップにする、とか」
シェリルが指す方を見た。海蝕地形を再現したらしい、尖った形の岬が海に突き出している。
「ああ、今ぐらいの時間なら、太陽の角度がちょうど良いんじゃないか」
「あっちの谷も撮影に使うの?」
「ああ、低空で航過するから、迫力出るぞ」
「いいわね…」
そこで、昔風のヘリコプターが立てるローターの音が聞こえてきた。
海の方から、旧統合軍仕様の低視認性青灰色に塗装されたヘリコプターが降下してきた。地球で起きた統合戦争を背景とした映画『Bird Human』の撮影が始まっているのだろうか。
アルトの背中に、シェリルの体が押し付けられた。
「ちょっと浜辺に降りてみない?」
「了解」
モーターサイクルを路肩に停めると、道路から砂浜へと下っている階段を、二人連れだって降りた。
ショートブーツを脱いで、素足になるシェリル。
「ひゃっ……なに、コレ」
白い砂が足の裏にはくすぐったく感じるようで、シェリルは恐る恐る砂浜に足跡を残す。
「おい、もしかして……素足で地面に触れるのって」
「そう、初めてなの!」
シェリルは、くるりと振り向いた。いつものプロ意識の塊のようなシンガーはいなかった。どこにでもいる17歳の少女がはしゃいでいる。
「歌詞によく出てくるけど、砂浜ってこんなのなのね」
アルトは微笑みながら、シェリルを見守った。
ヒールのついたブーツを手に持って、波打ち際までゆくシェリル。濡れた砂を踏みしめ、足に波がかかると飛び上った。
(なんて言うか、猫みたいだな)
アルトは、ふと思いついて波打ち際でしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
シェリルが声をかけた。
「あった。これ……」
アルトはシェリルの掌に小さな貝殻を落とした。
「なに?」
「桜貝。綺麗な爪を例える時に、桜貝みたいな、って言うんだ」
「ふぅん。大きさも爪みたいね」
シェリルは貝殻をつまんで、透かして見た。それから、アルトに向かって手の甲を上にして差し出す。
「私の爪は、桜貝みたいかしら?」
アルトはシェリルの手をとった。入念に手入れされた爪は、確かに美しかった。
「ああ」
「って、アルトの爪も綺麗ね。何か手入れしてるの?」
「いや、特には」
「もぅ、なんかムカつくわね。髪もお肌も爪も、何もしてないのに」
「そんなところでムカつかれても」

砂浜に沿って歩いていると、行く手がにぎやかになってきた。
映画のセットだ。
今も、続々と小型船から機材が運び込まれ、スタッフが車や船、ヘリコプターで集まりつつある。
「挨拶して来るわ」
シェリルもイメージソングという形で映画に楽曲を提供している。シェリルは、ひときわ大きなテントに向かって歩きだした。
「ああ、そうだな」
テントの下では、監督・助監督・音楽監修が額を寄せ合っていた。
風に乗って聞こえてくる内容は、劇中で使用される挿入歌について議論しているらしい。
助監督が、音楽監修が押し付けてきたシェリルの歌を使うという点では妥協するが、挿入歌については譲れないと主張していた。
シェリルがふっと唇をゆがめる。その顔は、プロ意識で武装したトップシンガーになった。
「聞き捨てならないわね。妥協であたしの歌が使われるの?」
助監督が驚いて振り向いた。
「あ、ミス・シェリル。妥協だなんて、滅相もない!」
シェリルは表情を和らげた。
「冗談よ。この映画のために書き下ろした曲じゃないから、はまらないのは当然よね。監督さん、なんだったらそのサラの曲私が書きますけど?」
寡黙な監督は助監督に向かって何事かを囁く。助監督が監督の言葉を代弁した。
「少し考えさせてくださいとのことです」
「必要だったらいつでも言ってください。いい作品を作りましょ」
アルトは寸劇を見ているような気分になった。
(役者が上、か)
いつ言われても、期待されたクォリティの曲を提供できる自信があるのだろう。シェリルの放つオーラが見えるような気がした。
「シェリルさん!」
そこに、ミス・マクロスに選ばれた主演女優が話しかけてくる。さっきから、シェリルにアピールしたがっていたのを、アルトは視界の隅で見ていた。
「あら?」
シェリルが横を向いた。
「あの、私、主演のミ……」
続けようとする主演女優をスルーして、シェリルはランカに声をかけた。
「ちゃんと登ってきてるのね」
ランカが元気よく返事する。
「はい!」
無視された格好の主演女優はしばらく固まっていたが、踵を返して主演俳優の方へ行った。
「ほらアルト。あんたも何か言ってあげなさいよ」
いきなりシェリルから話をふられて、アルトも固まった。
「え……よぉ」
「どうして?」
ランカが質問してくれたので、アルトは固まっている状態から脱した。
「命令さ。例のコイツのドキュメンタリーも、SMSが全面協力とかで……」

「よ、アルト。どうした、なんかげっそりした顔になってるぞ」
映画撮影に協力しているミシェルが声をかけてきた。
「ああ、さっそく振り回されている」
アルトは主語を省いて話したが、ミシェルには十分通じていた。
「女はわがままって相場が決まってるのさ」
「まったくだ。お前が言うと、説得力が有り過ぎるほど有るな」
アルトの皮肉は柳に風と受け流して、ミシェルは続けた。
「最初は、だな。ちょっとした我ままから始まるんだ。今日は、あれしたいとか、どこに行きたいとか」
アルトは心の中でうなずいた。バトロイドの操縦に付き合わされたし、ロケハンと称して連れまわされている。
「その内エスカレートしてくるんだ。最後は、仕事とワタシ、どっちが大事なのってね。比べようが無いものを比較させられる。覚悟しとけよ、アルト」
そこまで言われると、何故かムカっとした。
「それは無いな」
「どうして判る?」
「なんとなく。でも、それだけは絶対に言わない、あいつは」
「おーやおや、なんか分かり合っているみたいですよアルト先生。でも、男と女ってのは誤解と錯覚の連続なんだぜ」
「そうかもな」
ミシェルの軽口に合わせたものの、アルトは確信していた。

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2008.08.05 
入院生活は単調で、検査と投薬の繰り返し。
しかし、この体調不良の原因は一向につかめない。
普段は普通に動けるのに、体調に波があって、下り調子になると発熱とめまいが襲ってくる。
周期は不定で、いつ体調が悪化するのかはっきりしない。
見舞いの花ばかりが増えていく病室で、シェリルは焦燥感に駆られていた。

今日も起床時間が来た。
看護師がモニターをチェックし、問診してまわる。
洗顔を済ませた頃に、朝食が運ばれてきた。シェリルの好みからすれば、やや薄味だが、バイオプラントを採用しているフロンティアらしく食材の種類は豊富だった。
食事を済ませると、最近の日課になっている散歩に出た。

午前中、この時間の屋上は人気がない。
シェリルは彼方に見える海に向かって、声を出した。
基本的な発声練習を繰り返し、喉を目覚めさせる。
「何を歌おうかしら?」
今日の気分は……空を見上げる。バジュラの攻撃が残した爪痕が天蓋に見える。
「きゅーんきゅーん、きゅーんきゅーん、私の彼はパイロット……」
能天気なメロディーを思い浮かべながら、手で飛行機の形を作って宙返りの軌道を描く。
ワンコーラス歌い終えたところで、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
「あら?」
振り返ると、車イスに乗った女の子が一生懸命拍手してくれていた。
シェリルはそちらに向かって深々と礼をした。
「おねーちゃん、お歌上手ね」
くりくりとした目の愛らしい、黒い肌の少女。年の頃はプライマリースクールに上がった頃だろうか? パジャマを着ていて、そのズボンの右足が風にそよいでいる。
(足が…)
シェリルは痛ましい気持ちになった。バジュラの攻撃で負傷したのだろうか。
かがんで、少女の視線に合わせる。
「ありがとう。あなた、いい耳を持っているわね」
「いつも歌っているよね?」
「ええ。調子が良い時はね。お名前、聴いてもいいかしら?」
「サミーラ。お姉ちゃんは?」
シェリルよ。シェリル・ノーム」
サミーラはシェリルの名前に聞き覚えがあるらしく首を傾げた。
「サミーラは、入院して長いの?」
「ううん」
シェリルが予想したとおり、バジュラの攻撃によって崩壊した建物の下敷きになって右足が切断されたのだそうだ。
「新しい足ができるまで入院してないといけないんだって。お姉ちゃんはどうして?」
「私は……どうしてかしらね? 原因が良くわからないの」
「ふーん。大変だね。あ、そろそろ戻らなくちゃ」
サミーラは左手に巻いた腕時計を見た。
「後で病室に行ってもいいかしら?」
「うん。わたしも遊びに行っていい?」
「もちろん、待ってるわ」
こうしてシェリルに友達ができた。

午後、さっそく教えてもらったサミーラの病室に向かった。
小児病棟の空気はプライマリースクールを思わせた。壁に子供たちの書いた絵が貼り出してあったり、ロビーに絵本や積み木、クレヨンが備えてある。
シェリルには、その年齢の頃に学校に通った経験はないが、ドラマで見たスクールはこんな感じだった。
番号を確かめながら目的の部屋を見つけた。
部屋からは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
(お見舞いが来ているのかしら?)
一瞬、出直そうかと考えたところでサミーラが車イスに乗って部屋から出てきた。何かをこらえている顔だった。
「あっ」
シェリルを見つけて、顔がぱぁっと明るくなった。
「こんにちは。遊びに来たわよ」
「お庭に、いこ」
シェリルは車イスのハンドルを握って、エレベーターホールへ向かった。
「お部屋、賑やかだったわね」
シェリルが言うと、サミーラはこくんと頷いた。
「隣のベッドのね、ホセ君、いっつも誰かお見舞いに来てるの。家族がいっぱい居るんだって」
「そう。サミーラのご家族は?」
「……パパもママも、今、すっごく忙しいの」
両親は技術者でフロンティアの復旧工事に忙殺されているのだと言う。
庭に出ると、涼しげな木陰を作っている木の下で車イスを止めると、シェリルはベンチに座った。
「立派なご両親ね」
シェリルが言うと、サミーラは誇らしげに頷いた。
「うん。人の役に立つお仕事なんだって」
「そうよ。サミーラも良い子ね。おとなしく病院で待っているんでしょう?」
「うん」
大きくうなずく。
「良い子にしているサミーラの為に、何か歌ってあげましょうか」
「ほんと?」
「何がいい? リクエストある?」
「んーとね……」
サミーラは少し考えた。
「『私のお気に入り』ってわかる?」
シェリルは記憶を探った。
「ええと、こんな出だしかしら……Raindrops on roses and whiskers on kittens」
「そうそう、それそれ」
シェリルは呼吸を整えて歌い始めた。

 薔薇の上の雨の滴
 仔猫のヒゲ
 ピカピカの銅のヤカン
 暖かいミトン
 紐で縛られた茶色の紙の小包
 それらは私のお気に入り

サミーラも声を合わせて歌う。歌っているうちに、声が湿ってきた。涙がポロポロとこぼれる。
シェリルは歌いながらサミーラを抱きしめた。リズムに合わせて背中を撫でる。
細い腕がシェリルの首に巻きついた。抱き寄せる力の強さに、少しだけ母親の気分を味わう。
サミーラは小さな声で、ママとつぶやいた。
「良い子ね。サミーラは、とっても良い子」
シェリルの上に影がかぶさった。
見上げると、アルトが居た。穏やかな表情でシェリルに頷いて見せる。

サミーラが泣き止んでから、アルトが車イスを押して、シェリルと一緒に小児病棟まで送った。
「何か言いたい事あるんじゃないの? 安静にしてろ、とか」
シェリルはアルトの前に立って病室へ戻ろうと、廊下を歩く。
「いや。小さい子のために歌ってやるヤツに小言を言う料簡は持ち合わせてないぜ」
アルトの癖に、偉そうだわ」
「お前がマクロス・クォーターのブリッジに入り込んだおかげで、パワー切ったEXギアで格納庫20周させられたんだ。少しぐらい偉そうにしてもいいだろ」
「……ごめんなさい」
シェリルはベッドに入ると、シーツを引き上げて顔を隠した。目だけ出して、アルトの様子をうかがう。
「気が済んだか?」
「ええ」
シェリルの中で決心が固まりつつあった。
グレイスは、シェリルに隠していることがある。シェリルのライブ、バジュラの襲撃、第33海兵部隊の叛乱、ランカの歌を使った実験。何もかもがタイミングよく起こり過ぎる。
(だとすれば……)

それからほどなくして、サミーラが退院する日が来た。
「シェリル、早く元気になって、歌をいっぱい聞かせてね」
サミーラの右足にはギャラクシー製の義足が取り付けられていた。
「ええ。サミーラも元気でね。私もすぐに退院するから」
「そだ、髪の長いお兄ちゃんって、シェリルの彼氏?」
サミーラの質問にシェリルは微笑んだ。
「そう見えるわよね。でも、ちょっと鈍感なの、あいつ」
「どんかん?」
「女心が判ってないのよね」
「大変ね。でも、シェリルの歌を聞かせたら、いいと思うわ」
「そう?」
「だって、いっぱい元気もらったもの」
「判ったわ。試してみる」
サミーラは明るい笑顔を見せると、待っている両親たちの方へ足早に駆けて行った。
「今までも、歌を聞かせてきたんだけど……」
シェリルは苦笑しながら、小さな背中を見送った。
ランカと『What 'bout my star?』を歌った時を思い出した。
目を白黒させているアルトの表情を思い浮かべて、苦笑が微笑みに変わる。
「ちょっとは通じてるのかしら」

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2008.08.04 
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2008.08.03 
「ね、これと、これ、どっちが良い?」
シェリルはワードローブの中身を盛大に広げている。その内、真紅のマーメイドラインのドレスと、黒のワンショルダーのドレスを手にとって、アルトを振り返った。
「それともこっちかしら?」
淡いクリーム色のシフォンを多用したドレスを肩にかけて見せる。
「あ、ああ」
生返事にアルトの方を向くと、紙飛行機を折っている。
「早乙女アルト
フルネームを呼ばれて、ようやくアルトは顔を上げた。
シェリルの視線が冷ややかだ。
アルト、私が今、何を質問したのか判ってる?」
「わ、判ってるさ。今度のパーティーに着ていくドレスがどれがいいか、だろ?」
「判ってるなら、こっち見なさい」
シェリルが両手でアルトの頬を挟んだ。
「どうせ、何出しても気に入らずに、新しいのオーダーするんだろ」
アルトの指摘は図星だったようで、シェリルはぐっと言葉に詰まった。
「あのね、そうだとしても、こっちを見るのが礼儀ってものでしょ」
シェリルはアルトの頬をつねった。
「判った判った……ええと、今のところ、そのパープルのドレスにするつもりなんだろう。髪留めは、蝶の形のやつで。明日には、考えを変える…のが、いつものパターンだな」
アルトの予想はことごとく的中していた。ドレスの並べ方に一定の傾向がある。一般に右にあるものほど評価が高い。
「ふん」
シェリルはドレスを散らかしたまま、憤然と居間を出ていった。
「俺が片付けるのもいつものパターンだな」
アルトは小さなため息をもらすと、立ち上がった。

翌日。
ショッピングモールの高級品を扱う店が並んでいる一角に、早乙女家が懇意にしている悉皆屋(しっかいや)があった。
悉皆屋とは、和服の洗い張り、染め直し、仕立て直しなど、手入れに関することを引き受けてくれる業者だ。
「こちらがご依頼いただいていた反物です」
アルトは受け取った反物を広げてみた。鮮やかな花紺に染めあがっている。
歌舞伎の衣装は通常、専門の係がいるが、今回の衣裳に限ってはアルト自身が染めを細かく指定している。
舞台の照明でどのように色が映えるのかをイメージしながら、角度を変えて見た。
「けっこうです」
アルトは反物を巻き取った。これを仕立てたら、どんな衣装になるだろう。心が浮きたつ。
「それから…こちらが仕立て直しでお預かりしたものです。丈を出しておきました。背の高い方ですね」
差し出された夏物と反物をまとめて風呂敷に包むと、アルトはあいまいな笑顔でうなずいた。
「ああ、まあ」

悉皆屋を出てショウウィンドウを眺めていると、ガラスに見覚えのある顔が映った。
アルトがあいさつしようかと振り向いて、思わず動きを止めた。
「シェリル?」
連れの女性はつばの広い帽子と大きなサングラスで目元を隠しているが、アルトには判った。
二人は笑いながらオーダーメイドのドレスを扱う店に入った。
ショウウィンドウ越しに店内の様子をうかがう。
シェリルとミシェルはパンフレットを見ながらマネキンドロイドがホログラフで表示しているドレスを次々に切り替えて、ああでもない、こうでもないと論評をしているようだ。
話し声は聞こえないが、いつ果てるともなく続くマネキンの着替えに、ミシェルは一言ずつ評価を口にしていた。
シェリルも笑顔で、時々真剣な表情になってミシェルの言葉に耳を傾けている。
アルトの胸が騒いだ。二人の様子を隠れて眺めている自分が、ひどくカッコ悪く思えた。
(知るか!)
心の中で吐き捨てると、その場から離れた。

それでもショッピングモールを出なかったのは、ミシェルとシェリルが気になっているからだろう。
アルトはため息をついた。
(グズグズしているぐらいなら、さっき直接本人に聞けばよかったじゃないか)
アクセサリーが並んでいる区画で、宝石や貴金属のきらめきをうつろに眺めながら、なぜ自分はここに来たのかと自問した。
(ああ、この先で着物に合う小物を見繕うつもりだった)
顔を上げたところで、またミシェルとシェリルを見つけた。今度は指輪をめぐって話している。シェリルの意見にミシェルが耳を傾けている。
一瞬、二人を避けようかと思ったが、ばかばかしくなったので大またで歩いていった。
「よ、アルト」
ミシェルがこちらに気づいて手を軽く上げた。
「あら」
シェリルもこちらを見た。
「アルト、こっち、これ見て」
その様子は屈託がない。
「何やってるんだ、二人して」
アルトはシェリルの指が示した先を見た。
婚約指輪が並んでいる。
「決心がついた」
ミシェルの言葉はシリアスだった。
「お祝いしなくちゃね、アルト」
シェリルの言葉で、アルトもようやく理解できた。
クランにプロポーズしたのか?」
「これからだ。指輪を選んでいるんだけど、クランのやつ、俺が選んだのなら何でもいいとか言いそうなんで、シェリルにアドバイスしてもらったんだ」
「そうか……そうだったんだ。遊び相手なら、そつなくプレゼントを選ぶ癖に、本気の相手だと、とことん気弱になってやがるな」
アルトの指摘に、ミシェルが苦笑した。
「珍しく、アルト先生が鋭いところを突いてくれるね」
「どっかの誰かにも、その気弱さを見習って欲しいわ」
シェリルは含み笑いした。

その後、アルトとシェリルはミシェルと別れて、部屋に戻った。
荷物を解いてから、アルトは携帯端末の振動に気づいた。ミシェルからのメールが入っている。
“忠告:女性の相談は結論や解決策が欲しいのではない。共感が欲しいのだ”
「女たらしめ、余計なことを……」
シェリルと話していて、ミシェルは何か感づいたのだろう。口に出した言葉とは裏腹に、勘の良さに感心する。
(いきなり結論を言い当てるんじゃなくて、同調してやったら良かったってことか)
居間の壁に衣文掛けをぶらさげて、持ち帰った紗の訪問着の袖を通す。涼しげな淡い緑に、花籠の柄。白の袋帯も出しておく。
「お芝居の衣装?」
部屋着に着替えたシェリルが声をかけた。
「いや、お前の」
「え?」
「母さんのものだけど、仕立て直してもらった。嫌じゃなければ、着てみるか? 和服は手入れが良ければ100年だって使える」
「そんな……いいの? 大切なもの」
「訪問着だからフォーマルな場にだって着て行けるぜ。柄もオーソドックスだから、流行に左右されない」
シェリルの部屋着の上から、ふわりと訪問着をかける。
姿見の前に立たせて、シェリルのストロベリーブロンドと色が調和するかどうかを確かめる。
「良かった、この髪に合ってる」
「本当。素敵なプレゼント、ありがとう」
上質な生地の肌触りを指先で確かめながらシェリルが言った。
「あの時の、フォルモに行った時、着てた服と同系の色味だから、いけると思った」
「そんな事、まだ覚えてたの?」
「衣装にはこだわりがある。だから、ドレスだって予想できた」
「もう」
昨日の口げんかを思い出して、シェリルは唇を引き結んだ。しかし、すぐに蕾がほころびるように笑みに変わる。
「目がいいのね、アルト。褒めてつかわす」
「恐悦至極」
シェリルはアルトの頬を両手で挟むと、少し背伸びして瞼にキスした。

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2008.08.01 
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