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美星学園の図書室で航宙科パイロットコースの四人組が試験勉強に余念がなかった。
「これ覚えるの大変。グレイスみたいなインプラントとか外部記憶が欲しくなるわ」
シェリルはモールス信号の一覧表を前にため息をついた。
「大丈夫ですよ、音感やリズム感がすばらしいんですから覚えられますって」
ルカが励ました。
「これトンとツーだけでしょ。せめて音階があれば、もうちょっと馴染みやすいのだけど」
「音階はちょっと……でも単純な音の組み合わせだから、非常時には宇宙船の外殻を叩いて船内と外で通信できるんですよ」
「そうね」
「そんなシェリルさんのために、作ってきたんです」
ルカは愛用のノートパソコンを取り出した。自作のゲームを起動する。
「ルカ君はプログラムもできるの?」
シェリルは目を丸くした。
説明しながら、ルカは照れて鼻の頭をかいた。
「出てくる文章をモールスに置き換えたり、耳で信号を聞いて平文をタッチタイプしたりするんです。初心者向けヒント付きモードもありますから、最初はこっちを使ってください」
「わぁ、面白そうね」
シェリルの言葉はお世辞ではない。
ゲーム画面にはアルトやミシェル、ルカ、ランカ、ナナセのキャラクターが動き回って、応援のメッセージをふきだしの形で表示していた。
「携帯にもインストールできますから、空き時間にでも遊んでください。携帯端末貸してもらえます?」
「お願いするわ」
一方、アルトとミシェルは図書館に充満した異様な空気に気がついた。
「なぁミシェル、俺たち他のヤツから睨まれているんじゃないか?」
「ああ、そうだな。シェリルのファンから嫉妬と羨望の視線で睨まれてるな」
「そういうもんか? あっちの女の子たちはシェリルを睨んでいるようだが、あれもファンか?」
「ああ、あれはアンチ・シェリルだな。パイロットコースの学年一位と二位を侍らせているからだろ」
「有名人も大変だな」
「お前な、他人事みたいに言うなよ。当事者の癖に」
「俺は関係ないだろ」
ミシェルはため息をついた。
「あんだけ派手なことやらかして、関係ないなんてあり得ないだろ。まったく試験のヤマは当てるくせに、どうしてこーゆー方面は鈍いのかね、お姫さまは」
衆人環視の中、二度もシェリルを抱いて飛んでいるのに。ミシェルは首を横に振った。
シェリルが来る以前から、アルトは学園の中で目立つ存在だった。
ナナセからの情報によれば、文芸部の女子生徒たちがアルトを題材にエロパロを執筆して回し読みしたり、映像部の学生が隠し撮りしたアルトの着替えショットや、レスリングの授業でホールドされるアルトの苦悶の表情を捉えた写真が出回っているそうだ。
シェリルが学園にやってきてから、コアなアルト・ファンは、硬派なアルトを懐かしむ派閥と、シェリルとアルトの女王様・奴隷プレイを妄想する派閥に分かれて、激しい闘争を繰り広げているとの噂もある。
「姫とか言うな」
横目でミシェルを睨むアルト。
「さーて、そろそろ集中力も切れてきたし、気分転換に運動なんかどうだい?」
アルトを軽く無視すると、ミシェルは一同に向かって提案した。
「運動って、何するんですか?」
シェリルに携帯を返したルカが尋ねた。
「そうだな……“気をつけゲーム”なんか、どうだろう?」
美星学園航宙科棟にある極低重力室は、内壁・天井・床にクッションが張られていて、口の悪い学生からは拘禁室と呼ばれていた。
体育用のスーツに着替えた四人組が、0.005G以下という弱い重力の室内でフワフワと浮いている。
「じゃあ、まずアルトに手本を見せてもらおうか」
団体行動の時は、自然とミシェルが仕切るようになっている。
アルトはルカに合図を送った。
「よーし、いいぞ。ルカ、回せ」
壁に足を固定したルカが、空中で“気をつけ”をしているアルトの足をつかんで回した。次は手をつかんで別軸の回転を加える。アルトの体は、体操選手でもてこずりそうな三軸回転運動の状態になった。
「いくぞー、止まれ!」
ミシェルの合図で、アルトは体の捻りだけでピタリと静止してみせた。
「なるほど、無重力の宇宙空間では一度動き出すと、止まるのが難しいのね?」
「そういうこと」
ミシェルがうなずいた。
今度はアルトが足を壁に固定して、シェリルが回転する役になった。
「初めてなのよ、優しくてね」
「人に聞かれたら誤解を招くような台詞は止めろ。お前はオヤジか」
憮然としたアルトは、それでもシェリルの足をつかんで、ゆっくり単純な一軸回転の動きを与えた。
「3・2・1…止まれ」
ミシェルの合図で止まろうとするシェリル。しかし、慣性を打ち消しきれずに、わずかに回転が残る。
「アウト!」
ルカがダメ出しした。
「もう……もう一回よ!」
負けず嫌いのシェリルは、再度チャレンジする。
ルカは買ってきた紅茶の缶をシェリルに渡した。
「やっぱりシェリルさん、運動神経がいいんですね。初心者で二軸回転までクリアする人は居ませんよ」
軽く汗をかいてから、シャワーを使った四人組はロビーで飲み物をとっていた。
「次は、アルト並みの回転に挑戦するわ」
シェリルは頬が健康的に紅潮していた。
「素人には無理だって」
アルトは肩をすくめた。
「もう、どうしてそういう言い方するのよ」
アルトにつっこみながらも、シェリルはささやかな幸せを感じていた。
(私、今、すっごく普通の学生してる)
芸能界の仕事を選んだのは決して後悔していないが、そのために捨ててきたものへの感傷はある。思いがけない状況の変化からフロンティアにとどまる事になったが、ギャラクシーでは無理だった普通の生活を取り戻している。
「そろそろ時間だ」
ミシェルが携帯で時刻を確かめる。SMSに所属する三人は、それぞれカバンを肩にかけた。
「仕事なの?」
「ああ、航路哨戒だ。またな」
アルトはそっけなくシェリルに背を向けて、エントランスへ向かった。
ミシェルとルカは、手を振ってアルトに続く。
「気をつけて……アルト! この次は試験のヤマ、教えなさいよね!」
おどけてみたものの、三人の後姿に、シェリルは胸を締め付けられるような寂しさを感じていた。
しかし、すぐにあのいたずらっぽい笑みが唇に浮かぶ。
「でも、後でまた会えるんだけど」
SMSマクロス・クォーターの格納庫。
「ぶっ」
アルトは軍用通信回線の画像を見て噴いた。
「グラス大統領閣下に一日艦隊司令を命じられましたシェリル・ノームです」
画像のシェリルは新統合軍将官の制服を着用していた。階級章は准将。マクロスが所属する任務群の司令ということらしい。
「ここまでやるのか」
VF-25のコクピットでアルトは呆れて呟いた。
一方で、シェリルに感心してもいる。
ギャラクシー救援のために、軍の広報活動に協力しているのだろう。
任務群旗艦アグライアのCIC(戦闘指揮所)では、シェリルが全艦隊へスピーチを行っていた。
「先の救援艦隊の派遣に、ギャラクシー市民を代表してお礼申し上げます。皆様の活躍を間近で見る機会を与えられて感激しています。どうか気をつけて無事任務を達成なさってください」
最後にピシリと敬礼を決める。
CIC要員が拍手をする。
「素晴らしいスピーチありがとう、ノーム司令。どうぞこちらへ」
軍を代表して労ったのは本来の艦隊指令サンダバット准将だった。浅黒い肌の中年男性だ。司令官の席へシェリルを導く。
「どういたしまして」
シェリルは優雅に会釈すると、シートに座った。目の前には艦隊の状況や、周囲の宙域の情報が表示されている。
予定では、航路哨戒の様子を視察、艦載機チームによる展示飛行、その後フロンティアへ帰還という手はずになっていた。
「本艦は予定航路を進行中。現在のところ異常なし」
そう報告があった直後、警報が鳴った。
「ピケット艦パラスより入電。コードVictor。数は12!」
任務群の反応はすばやかった。直ちに戦闘態勢へ移行。母艦機能を持つ艦からは、艦載機が飛びたつ。
「いきなりこれか……シェリルさん、すぐに退艦の準備を」
サンダバット准将が連絡機の手配をしようとしたところ、シェリルは押しとどめた。
「准将、お願いがあります。一日艦隊司令の権限を少しだけ、少しだけ濫用させて下さい」
「なんですと?」
「私のために連絡機を出すより、艦載機を優先なさってください。フロンティアの人々を守るために」
「しかし……今のタイミングを逃しますと、連絡機は出せませんぞ」
「かまいません。私に人手を割くより、今は戦いを」
サンダバット准将は少しばかり沈黙した。おもむろに口を開く。
「よろしいでしょう。では、軍艦に乗っている以上、戦力になっていただきましょうか。副官、シェリルさんをスタジオへご案内しなさい」
任務群の通信系にサンダバット准将からのメッセージが流された。
「任務群司令より全艦に達す。一日艦隊司令シェリル・ノームさんは本艦から脱出する代わりに、艦載機の発艦を優先するように希望された。私はこれを承諾した。銀河の妖精は諸君とともにある」
そこで画面が切り替わった。
旗艦アグライアを外部から映している。艦首には巨大なシェリルの立体映像が投影されていた。
ミンメイ・アタック・システム。かつて第一次星間大戦で用いられた立派な兵装だ。
新統合軍は旧統合軍時代からの伝統に則り、艦隊指揮機能を持った軍艦にこのシステムを搭載していた。
これまで、はぐれゼントラーディとの遭遇戦で有効活用されている。
「シェリル・ノームです」
立体映像は艦内スタジオで撮影された姿だ。
「本当は、事前に色々とスピーチも用意してきたのですけど、今の警報で全部吹き飛んでしまいました」
口元が小さくほころんだ。
「あなたがどんな気持ちで戦場に居るのか、私には想像することしかできません。そんな、あなたに、どんな言葉をかけたらいいのか、思いつきもしません」
シェリルは顔を上げた。
「だから、私にできることをします。
次のライブの最初の曲は、あなたに捧げます。
必ず生還してください。
会場で聴いてください。
私のように故郷に戻れない人を作らないでください……以上です。
指揮官の権限をサンダバット准将にお返しします」
映像が消える一瞬、目元にキラリと輝くものが見えたかもしれない。
「こちら、サンダバット准将。権限の委譲をお受けする。全艦、いつもどおりの手はずだ。艦載機による迎撃で敵を漸減。統制砲撃で各個撃破を狙う。ただし、バジュラのフォールド航法は人類のものとは違う。思いがけない方位にデフォールドする可能性もあるので咄嗟(とっさ)砲雷戦の準備を怠るな」
「言われなくたって。試験のヤマを教えないといけないもんな……おちおち死んでもいられない」
アルトは操縦桿を握り直した。
所属するスカル小隊は、艦隊の最先鋒に位置する。
「いくぞ!」
オズマの合図とともに、高機動ミサイルの一斉発射。
空間に火球の花が咲く。
「これ覚えるの大変。グレイスみたいなインプラントとか外部記憶が欲しくなるわ」
シェリルはモールス信号の一覧表を前にため息をついた。
「大丈夫ですよ、音感やリズム感がすばらしいんですから覚えられますって」
ルカが励ました。
「これトンとツーだけでしょ。せめて音階があれば、もうちょっと馴染みやすいのだけど」
「音階はちょっと……でも単純な音の組み合わせだから、非常時には宇宙船の外殻を叩いて船内と外で通信できるんですよ」
「そうね」
「そんなシェリルさんのために、作ってきたんです」
ルカは愛用のノートパソコンを取り出した。自作のゲームを起動する。
「ルカ君はプログラムもできるの?」
シェリルは目を丸くした。
説明しながら、ルカは照れて鼻の頭をかいた。
「出てくる文章をモールスに置き換えたり、耳で信号を聞いて平文をタッチタイプしたりするんです。初心者向けヒント付きモードもありますから、最初はこっちを使ってください」
「わぁ、面白そうね」
シェリルの言葉はお世辞ではない。
ゲーム画面にはアルトやミシェル、ルカ、ランカ、ナナセのキャラクターが動き回って、応援のメッセージをふきだしの形で表示していた。
「携帯にもインストールできますから、空き時間にでも遊んでください。携帯端末貸してもらえます?」
「お願いするわ」
一方、アルトとミシェルは図書館に充満した異様な空気に気がついた。
「なぁミシェル、俺たち他のヤツから睨まれているんじゃないか?」
「ああ、そうだな。シェリルのファンから嫉妬と羨望の視線で睨まれてるな」
「そういうもんか? あっちの女の子たちはシェリルを睨んでいるようだが、あれもファンか?」
「ああ、あれはアンチ・シェリルだな。パイロットコースの学年一位と二位を侍らせているからだろ」
「有名人も大変だな」
「お前な、他人事みたいに言うなよ。当事者の癖に」
「俺は関係ないだろ」
ミシェルはため息をついた。
「あんだけ派手なことやらかして、関係ないなんてあり得ないだろ。まったく試験のヤマは当てるくせに、どうしてこーゆー方面は鈍いのかね、お姫さまは」
衆人環視の中、二度もシェリルを抱いて飛んでいるのに。ミシェルは首を横に振った。
シェリルが来る以前から、アルトは学園の中で目立つ存在だった。
ナナセからの情報によれば、文芸部の女子生徒たちがアルトを題材にエロパロを執筆して回し読みしたり、映像部の学生が隠し撮りしたアルトの着替えショットや、レスリングの授業でホールドされるアルトの苦悶の表情を捉えた写真が出回っているそうだ。
シェリルが学園にやってきてから、コアなアルト・ファンは、硬派なアルトを懐かしむ派閥と、シェリルとアルトの女王様・奴隷プレイを妄想する派閥に分かれて、激しい闘争を繰り広げているとの噂もある。
「姫とか言うな」
横目でミシェルを睨むアルト。
「さーて、そろそろ集中力も切れてきたし、気分転換に運動なんかどうだい?」
アルトを軽く無視すると、ミシェルは一同に向かって提案した。
「運動って、何するんですか?」
シェリルに携帯を返したルカが尋ねた。
「そうだな……“気をつけゲーム”なんか、どうだろう?」
美星学園航宙科棟にある極低重力室は、内壁・天井・床にクッションが張られていて、口の悪い学生からは拘禁室と呼ばれていた。
体育用のスーツに着替えた四人組が、0.005G以下という弱い重力の室内でフワフワと浮いている。
「じゃあ、まずアルトに手本を見せてもらおうか」
団体行動の時は、自然とミシェルが仕切るようになっている。
アルトはルカに合図を送った。
「よーし、いいぞ。ルカ、回せ」
壁に足を固定したルカが、空中で“気をつけ”をしているアルトの足をつかんで回した。次は手をつかんで別軸の回転を加える。アルトの体は、体操選手でもてこずりそうな三軸回転運動の状態になった。
「いくぞー、止まれ!」
ミシェルの合図で、アルトは体の捻りだけでピタリと静止してみせた。
「なるほど、無重力の宇宙空間では一度動き出すと、止まるのが難しいのね?」
「そういうこと」
ミシェルがうなずいた。
今度はアルトが足を壁に固定して、シェリルが回転する役になった。
「初めてなのよ、優しくてね」
「人に聞かれたら誤解を招くような台詞は止めろ。お前はオヤジか」
憮然としたアルトは、それでもシェリルの足をつかんで、ゆっくり単純な一軸回転の動きを与えた。
「3・2・1…止まれ」
ミシェルの合図で止まろうとするシェリル。しかし、慣性を打ち消しきれずに、わずかに回転が残る。
「アウト!」
ルカがダメ出しした。
「もう……もう一回よ!」
負けず嫌いのシェリルは、再度チャレンジする。
ルカは買ってきた紅茶の缶をシェリルに渡した。
「やっぱりシェリルさん、運動神経がいいんですね。初心者で二軸回転までクリアする人は居ませんよ」
軽く汗をかいてから、シャワーを使った四人組はロビーで飲み物をとっていた。
「次は、アルト並みの回転に挑戦するわ」
シェリルは頬が健康的に紅潮していた。
「素人には無理だって」
アルトは肩をすくめた。
「もう、どうしてそういう言い方するのよ」
アルトにつっこみながらも、シェリルはささやかな幸せを感じていた。
(私、今、すっごく普通の学生してる)
芸能界の仕事を選んだのは決して後悔していないが、そのために捨ててきたものへの感傷はある。思いがけない状況の変化からフロンティアにとどまる事になったが、ギャラクシーでは無理だった普通の生活を取り戻している。
「そろそろ時間だ」
ミシェルが携帯で時刻を確かめる。SMSに所属する三人は、それぞれカバンを肩にかけた。
「仕事なの?」
「ああ、航路哨戒だ。またな」
アルトはそっけなくシェリルに背を向けて、エントランスへ向かった。
ミシェルとルカは、手を振ってアルトに続く。
「気をつけて……アルト! この次は試験のヤマ、教えなさいよね!」
おどけてみたものの、三人の後姿に、シェリルは胸を締め付けられるような寂しさを感じていた。
しかし、すぐにあのいたずらっぽい笑みが唇に浮かぶ。
「でも、後でまた会えるんだけど」
SMSマクロス・クォーターの格納庫。
「ぶっ」
アルトは軍用通信回線の画像を見て噴いた。
「グラス大統領閣下に一日艦隊司令を命じられましたシェリル・ノームです」
画像のシェリルは新統合軍将官の制服を着用していた。階級章は准将。マクロスが所属する任務群の司令ということらしい。
「ここまでやるのか」
VF-25のコクピットでアルトは呆れて呟いた。
一方で、シェリルに感心してもいる。
ギャラクシー救援のために、軍の広報活動に協力しているのだろう。
任務群旗艦アグライアのCIC(戦闘指揮所)では、シェリルが全艦隊へスピーチを行っていた。
「先の救援艦隊の派遣に、ギャラクシー市民を代表してお礼申し上げます。皆様の活躍を間近で見る機会を与えられて感激しています。どうか気をつけて無事任務を達成なさってください」
最後にピシリと敬礼を決める。
CIC要員が拍手をする。
「素晴らしいスピーチありがとう、ノーム司令。どうぞこちらへ」
軍を代表して労ったのは本来の艦隊指令サンダバット准将だった。浅黒い肌の中年男性だ。司令官の席へシェリルを導く。
「どういたしまして」
シェリルは優雅に会釈すると、シートに座った。目の前には艦隊の状況や、周囲の宙域の情報が表示されている。
予定では、航路哨戒の様子を視察、艦載機チームによる展示飛行、その後フロンティアへ帰還という手はずになっていた。
「本艦は予定航路を進行中。現在のところ異常なし」
そう報告があった直後、警報が鳴った。
「ピケット艦パラスより入電。コードVictor。数は12!」
任務群の反応はすばやかった。直ちに戦闘態勢へ移行。母艦機能を持つ艦からは、艦載機が飛びたつ。
「いきなりこれか……シェリルさん、すぐに退艦の準備を」
サンダバット准将が連絡機の手配をしようとしたところ、シェリルは押しとどめた。
「准将、お願いがあります。一日艦隊司令の権限を少しだけ、少しだけ濫用させて下さい」
「なんですと?」
「私のために連絡機を出すより、艦載機を優先なさってください。フロンティアの人々を守るために」
「しかし……今のタイミングを逃しますと、連絡機は出せませんぞ」
「かまいません。私に人手を割くより、今は戦いを」
サンダバット准将は少しばかり沈黙した。おもむろに口を開く。
「よろしいでしょう。では、軍艦に乗っている以上、戦力になっていただきましょうか。副官、シェリルさんをスタジオへご案内しなさい」
任務群の通信系にサンダバット准将からのメッセージが流された。
「任務群司令より全艦に達す。一日艦隊司令シェリル・ノームさんは本艦から脱出する代わりに、艦載機の発艦を優先するように希望された。私はこれを承諾した。銀河の妖精は諸君とともにある」
そこで画面が切り替わった。
旗艦アグライアを外部から映している。艦首には巨大なシェリルの立体映像が投影されていた。
ミンメイ・アタック・システム。かつて第一次星間大戦で用いられた立派な兵装だ。
新統合軍は旧統合軍時代からの伝統に則り、艦隊指揮機能を持った軍艦にこのシステムを搭載していた。
これまで、はぐれゼントラーディとの遭遇戦で有効活用されている。
「シェリル・ノームです」
立体映像は艦内スタジオで撮影された姿だ。
「本当は、事前に色々とスピーチも用意してきたのですけど、今の警報で全部吹き飛んでしまいました」
口元が小さくほころんだ。
「あなたがどんな気持ちで戦場に居るのか、私には想像することしかできません。そんな、あなたに、どんな言葉をかけたらいいのか、思いつきもしません」
シェリルは顔を上げた。
「だから、私にできることをします。
次のライブの最初の曲は、あなたに捧げます。
必ず生還してください。
会場で聴いてください。
私のように故郷に戻れない人を作らないでください……以上です。
指揮官の権限をサンダバット准将にお返しします」
映像が消える一瞬、目元にキラリと輝くものが見えたかもしれない。
「こちら、サンダバット准将。権限の委譲をお受けする。全艦、いつもどおりの手はずだ。艦載機による迎撃で敵を漸減。統制砲撃で各個撃破を狙う。ただし、バジュラのフォールド航法は人類のものとは違う。思いがけない方位にデフォールドする可能性もあるので咄嗟(とっさ)砲雷戦の準備を怠るな」
「言われなくたって。試験のヤマを教えないといけないもんな……おちおち死んでもいられない」
アルトは操縦桿を握り直した。
所属するスカル小隊は、艦隊の最先鋒に位置する。
「いくぞ!」
オズマの合図とともに、高機動ミサイルの一斉発射。
空間に火球の花が咲く。
2008.05.30 ▲
SMSのブリーフィングルーム。
「ふわぁあああ」
教師役のオズマ・リー少佐は大きな欠伸をした。
ただ一人の生徒は早乙女アルト准尉。
「一応、俺達パイロットは士官ってことになっている。そこで将校教育ってのが必要になる。中途採用のお前には詰め込みになるが、受けてもらわんとな」
アルトは型通りに挙手した。
「早乙女准尉、質問があります」
「質問を許可する」
「何で俺達は会社員なのに、軍の階級を持ってるんですか?」
「あー、そっから説明しないといかんのか」
オズマは頭をボリボリとかいた。
「いいか、俺達は平時は会社員だが、戦時は軍人として正規軍の隷下(れいか)に置かれる」
ブリーフィングルームの壁のうち一面を占める大きなディスプレイに、新統合軍フロンティア艦隊の戦闘序列が表示された。
SMSマクロス・クォーターは艦隊司令部直属の独立任務群扱いになっている。
「そうなるとだな、前線で誰が指揮権を握っているかが問題になる。正規の指揮官が指揮不能になった時に、俺達が指揮をしなければならない状況が生まれるかも知れん。だから俺たちにも階級が与えられている。判ったか?」
「どこでも縄張り争いか……」
アルトは憮然とした。
「階級章の星の数は単なる飾りじゃない。いざとなれば、上官はお前に死ねと命令できるんだ。そして軍隊とは、どれだけの犠牲が出ようとも目的を遂行する組織だ。指揮官が作戦中に死ぬなんざザラだからな」
オズマはディスプレイの画像を切り替えた。
映像で記録された古今東西の戦闘の様相を集めたイメージビデオが流れる。
「さて、本題に入ろうか。戦争の目的はなんだ?」
アルトは即答した。
「敵に勝つこと」
「敵に勝つ、とは、どういうことだ?」
「え……敵を倒すこと」
「それは違う。武力を以て、こちらの目標を達成することだ。敵を倒すのは過程に過ぎない。極端な話、バジュラにしても船団に近寄ってこないなら何匹居たって軍事上の問題にはならない」
オズマの授業は、体験談を交えながら進められた。
途中で、オズマに呼び出しが入った。
「すまん、艦長からコールだ。ええと、誰かに代わってもらおうか」
オズマは社内ネットワークで手すきの者を探した。内線越しに話しかける。
「ミシェル、アルトの将校教育1回目頼む」
スピーカーからミシェルの声が出てくる。どこかいつもとは違う響きだった。
「はい? 了解しました。引き継ぎます」
見慣れない格納庫らしき場所にいるミシェルがディスプレイに映った。
「ミハエル、お前どこにいるんだ?」
「マクロスのゼントラーディ区画」
「もしかして…」
アルトに向かってミシェルは頷いた。
「そうだ。今、俺はゼントラーディ・サイズだ」
声がいつもと違ったのは、巨大な声帯と体躯から生まれる響きが違うためだ。
「なんでまた?」
「クァドラン・シリーズの操縦系統評価試験」
完成されきったゼントラーディーの兵器体系は、何千年にわたって基本設計に変化はない。しかし、地球人類との交流によって、見直しの機運が出てきている。
「試験飛行までは、ちょっと時間があるからな。ここからの遠隔授業になるが、お前の教官役を引き受けてやるよ、姫」
「くっ」
「ええと、どこまで進んだんだっけ?」
ミシェルはオズマの残したチェックシートを見た。
「では、早乙女アルト准尉、軍事作戦が備えているべき要件は何だ?」
「明確な目標・明確な命令・柔軟な戦力の運用」
「よし、覚えたな。では、柔軟な戦力の運用の実例を見せよう」
ディスプレイの表示が地図に変わった。
赤と青の矢印がいくつも表示される。どうやら軍隊の布陣のようだ。赤の勢力より、青の方が多い。
「どっちが勝ったか判るか?」
ミシェルは、面白がっている顔つきだった。
「わざわざ問題にすると言うことは、少ない赤が勝ったんだろ」
「正解」
画面に動きが現れた。赤の矢印は、各所で青を分断し、包囲殲滅を繰り広げる。
「これは、歴史上有名なアウステルリッツの戦いだ。ナポレオン・ボナパルトが演出した最も華やかな勝利と言える」
ミシェルの解説が続く。
「いいか、赤のフランス側は連携して青のオーストリア・ロシア連合軍の弱点を突破・分断している。総数では青の方が勝っているのに、局地的に見れば常に赤の方が青より多い兵力を集中しているんだ。これはナポレオンの指揮と、高い練度の兵士が組み合わさって可能になった高度に柔軟な運用の結果だ」
アルトは頷いた。
「戦闘は原則として数が多い方が勝つから、常に敵より多くの味方を集める必要がある、ってことか」
「そうとも言えるな。奇襲・待ち伏せ・さまざまな陣形、これらは戦力集中のための道具だ。そこで、だ、アルト准尉。お前ひとりで突っ込むのは止めろ」
先のバジュラ母艦との遭遇戦に言及されて、アルトは言い返した。
「くっ……あの時はしょうがないだろ」
「結果的にルカが助かったし、バジュラ母艦の貴重な内部情報も得られた。お前は飛ぶのは上手い。しかし、すぐ頭に血が昇る。エキサイトした頭で複雑なことは考えられない。単純な行動は、戦力の硬直した運用に結びつく」
理詰めのミシェルに反論できないアルト。
「もっと俺達を信じろ。信じられないなら、せめて利用しろ。でないと…」
ミシェルは言葉にしなかったが、アルトには伝わった。
“死ぬぞ”
将校教育でアルトをやりこめたものの、ミシェルの気は晴れなかった。
クランクラン大尉のクァドラン・レアをテスト機として、決められたメニューをこなしながら飛行する。
さすがにゼントラーディの兵器だけあって、操作性は抜群だった。いくつかのディスプレイについては改良点が思いついたので、心の中に書きとめる。
順調に評価試験を続けながらも、心のどこかで、アルトの死、あるいはアルトに巻き込まれる形での自分の死を考えていた。
だから、気付かなかった。気づいたのは、マクロスへと帰還する直前だった。
左腕を差し込むアーム部分、その奥に何かが入っている。紙のように薄いシートだった。
「?」
ミシェルが取り出してみると、手書きの短いメッセージが記されたカードだった。
“評価試験後直ちに24番ゲートへ A.S.A.P.”
24番はゼントラーディ用のゲートだ。A.S.A.P.は能力の及ぶ限り早く、の略語。
評価試験終了後、ミシェルはマイクローンサイズに戻る暇なく、24番ゲートへ向かった。
そこで待っていたのは…。
「早かったな」
セクシーな装いのクランクラン。白のホルターネック・ノースリーブシャツは背中が大胆に見えているカット。黒のタイトスカートに、黒い光沢のあるヒール。胸元にはシンプルなデザインのネックレスが輝いている。
「……クラン」
ミシェルは絶句した。完全な奇襲だった。
いつもなら不可能な高さから見るクランクランは、ミシェルのハートを揺さぶった。
状況からクランクランが待っているのは充分に予想できたが、これほどに大人っぽく装っているとは。
(こんなの、反則だ!)
ルージュで彩られた唇が開いた。
「フォルモでな、ジャズライブのチケットが手に入ったんだ。ペアだから、無駄にしたくない。さあ、こい」
「え、あ? でも、俺、ゼントラーディサイズの服なんか持ってないぞ」
ミシェルの服装は、借り物のSMS制服ゼントラーディサイズだった。クランクランの服を見て、ドレスコードが気になった。
「かまわん、兵は拙速を尊ぶ」
クランクランはミシェルに腕を絡めると、連絡通路へと向かう。
BGM『Take the 'A' Train』
ゼントラーディ用のリニアでフォルモへ。
「な、なんだジロジロ見て」
クランクランは居心地悪そうに、身じろぎした。
「いや、いつもとイメージが違うなって」
ゼントラーディ・サイズのミシェルは目を細めた。
「それはそうだろう。戦場に相応しい武装を選ぶのはゼントラーディの嗜みだ」
クランクランらしい言い回しだが、受け取り方によっては裏があるようにも思える。
(女の武器を使うつもりか?)
ミシェルは顔には出さないもののドキっとさせられた。
いつものクランクランの私服は、ミシェルから見ると少女趣味過ぎるか、配色が賑やかでポップ過ぎる傾向があった。
「もしかして……ネネのコーディネイト?」
ミシェルは、クランクランの部下で、ドレッシーなファッションを好む女性を思い浮かべた。
「オマエのそういう所、キライだ」
ぷい、と顔を背けるクランクラン。図星だったようだ。
「だとしたら、武装の選択は的確だったな。ほら、あっちとあっち……クランが気になっているみたいだ」
同じ車両に乗り合わせたゼントラーディの男性が、クランクランに向かってさりげなく視線を送っている。
「そ、そうか……」
まんざらでも無さそうなクランクラン。顔はミシェルからそむけたままだが、声から察するに機嫌は悪くなさそうだ。
「今夜は戦果が期待できそうだ。よく似あっている」
「そ、そうか……」
ミシェルにしてみれば挨拶代わりのような褒め言葉だが、クランクランの声は少し上ずっていた。
相変わらず表情を見せてくれないが、地球人類と比べると外側に向けて尖っているゼントラーディ特有の耳朶が赤く染まっていた。
BGM『Saturday Night』
『プラスティック・ムーン』がジャズ・クラブの名前だった。
エントランスの上では店名に因んだのか、擬人化された月が三日月から満月に変化しながら浮遊している。
店に入る前に、ひと悶着持ち上がった。
「お客様、当店ではそのようなお召し物は…」
店員が慇懃ながらもキッパリとミシェルを拒んだ。やはりドレスコードがあるらしい。
「我々は軍務についているんだ。時間の関係で、着替える暇がなかったんだ」
クランクランが抗議しても、店員は難色を示した。
「せめてタイを…」
ミシェルは解決策を思いついた。
「クラン、借りるよ」
クランクランの青く長い髪をまとめているリボンのうちの一つをほどいて、それをネクタイのように結ぶ。
「これで、どうかな?」
「結構です」
店員は微笑んで店内へ通してくれた。
「限られた戦力の柔軟な運用、だな」
クランクランが呟いた。
「作戦の原則、さ」
ウィンクするミシェル。
BGM『Unforgettable』
店内は混雑していて音楽ファンの人気を集めているようだった。
「へぇ、これは……」
ミシェルは感心して店内を眺めた。
ゼントラーディのポップ・カルチャーは、基本的に地球人類の模倣の範囲を出ていない。文化というものに触れて、まだ歴史が浅いためだろう。
しかし、音楽に関しては独自の展開を見せている。地球人類の五倍という身体のスケールは、ゼントラーディの歌唱に独特の響きと迫力をもたらしているからだ。
マイクローンの固定客やファンもいるようで、『プラスティック・ムーン』の店内にもマイクローン用の桟敷席が設けられている。その席も着飾った男女で埋まっている。
「ゼントラーディ・ジャズ、か」
ミシェルはクランクランの持っていたチケットで指定された席に座った。差向いにクランクラン。
静かに近寄ってきたウェイターに飲み物をオーダーする。
「ちょっと意外だな。クランが、こういう所に誘ってくれるなんて」
「たまには、奇襲をかけないとな」
クランがステージの方を眺めながら言った。
「ああ、効果的な作戦だった」
ミシェルは調子を合せてあいづちを打つ。
「それに……音楽の趣味はジェシカの影響だ」
クランクランは言ってから、しまったと口元を覆った。ジェシカは、若くして自ら命を絶ったミシェルの姉。
二人とも同じ面影を脳裏に浮かべた。
「そうだったのか……そうだな、そう言えば」
ミシェルの脳裏にジェシカの部屋にあった本棚が思い浮かんだ。ジャズのタイトルがついた音楽ディスクが並んでいた。
ミシェルはウェイトレスを呼び止め、もう一つカクテルを頼んだ。
ほどなくして、三つのグラスが運ばれてくる。
ひとつはクランクランの前に。ひとつはミシェルの前に。最後の一つは空席に。
「乾杯」
二人は三つのグラスの縁を合わせた。
ミシェルにとっては心の傷を刺激する筈の名前だったが、今、クランクランとこうして思い出を共有しているのは嫌な気持ちでは無かった。
BGM『Stardust』
ショータイムが終わり店を出た二人。
銀河核恒星系に特有の濃密な星々が夜空に輝いている。
「クラン……」
ミシェルは口を閉じた。
「なんだ?」
クランの返事を聞いてから、おもむろに続けた。
「……ありがとう」
「どうした、お前らしくない」
「姉さんの名前を、こんな風に思い出せるなんて、考えてもみなかった」
星の光が作り出す、淡い影が二つ路面に並んでいた。
「礼を言われるようなことではない。お前が成長しただけだ」
「クランの支援のおかげでもある」
「フン」
鼻で笑いながら、クランクランはネックレスを指でつまんでいじった。
ミシェルに聞こえないように、口の中で呟く。
「戦果評価は……作戦は成功したが、戦術的には失敗、というところか」
「ふわぁあああ」
教師役のオズマ・リー少佐は大きな欠伸をした。
ただ一人の生徒は早乙女アルト准尉。
「一応、俺達パイロットは士官ってことになっている。そこで将校教育ってのが必要になる。中途採用のお前には詰め込みになるが、受けてもらわんとな」
アルトは型通りに挙手した。
「早乙女准尉、質問があります」
「質問を許可する」
「何で俺達は会社員なのに、軍の階級を持ってるんですか?」
「あー、そっから説明しないといかんのか」
オズマは頭をボリボリとかいた。
「いいか、俺達は平時は会社員だが、戦時は軍人として正規軍の隷下(れいか)に置かれる」
ブリーフィングルームの壁のうち一面を占める大きなディスプレイに、新統合軍フロンティア艦隊の戦闘序列が表示された。
SMSマクロス・クォーターは艦隊司令部直属の独立任務群扱いになっている。
「そうなるとだな、前線で誰が指揮権を握っているかが問題になる。正規の指揮官が指揮不能になった時に、俺達が指揮をしなければならない状況が生まれるかも知れん。だから俺たちにも階級が与えられている。判ったか?」
「どこでも縄張り争いか……」
アルトは憮然とした。
「階級章の星の数は単なる飾りじゃない。いざとなれば、上官はお前に死ねと命令できるんだ。そして軍隊とは、どれだけの犠牲が出ようとも目的を遂行する組織だ。指揮官が作戦中に死ぬなんざザラだからな」
オズマはディスプレイの画像を切り替えた。
映像で記録された古今東西の戦闘の様相を集めたイメージビデオが流れる。
「さて、本題に入ろうか。戦争の目的はなんだ?」
アルトは即答した。
「敵に勝つこと」
「敵に勝つ、とは、どういうことだ?」
「え……敵を倒すこと」
「それは違う。武力を以て、こちらの目標を達成することだ。敵を倒すのは過程に過ぎない。極端な話、バジュラにしても船団に近寄ってこないなら何匹居たって軍事上の問題にはならない」
オズマの授業は、体験談を交えながら進められた。
途中で、オズマに呼び出しが入った。
「すまん、艦長からコールだ。ええと、誰かに代わってもらおうか」
オズマは社内ネットワークで手すきの者を探した。内線越しに話しかける。
「ミシェル、アルトの将校教育1回目頼む」
スピーカーからミシェルの声が出てくる。どこかいつもとは違う響きだった。
「はい? 了解しました。引き継ぎます」
見慣れない格納庫らしき場所にいるミシェルがディスプレイに映った。
「ミハエル、お前どこにいるんだ?」
「マクロスのゼントラーディ区画」
「もしかして…」
アルトに向かってミシェルは頷いた。
「そうだ。今、俺はゼントラーディ・サイズだ」
声がいつもと違ったのは、巨大な声帯と体躯から生まれる響きが違うためだ。
「なんでまた?」
「クァドラン・シリーズの操縦系統評価試験」
完成されきったゼントラーディーの兵器体系は、何千年にわたって基本設計に変化はない。しかし、地球人類との交流によって、見直しの機運が出てきている。
「試験飛行までは、ちょっと時間があるからな。ここからの遠隔授業になるが、お前の教官役を引き受けてやるよ、姫」
「くっ」
「ええと、どこまで進んだんだっけ?」
ミシェルはオズマの残したチェックシートを見た。
「では、早乙女アルト准尉、軍事作戦が備えているべき要件は何だ?」
「明確な目標・明確な命令・柔軟な戦力の運用」
「よし、覚えたな。では、柔軟な戦力の運用の実例を見せよう」
ディスプレイの表示が地図に変わった。
赤と青の矢印がいくつも表示される。どうやら軍隊の布陣のようだ。赤の勢力より、青の方が多い。
「どっちが勝ったか判るか?」
ミシェルは、面白がっている顔つきだった。
「わざわざ問題にすると言うことは、少ない赤が勝ったんだろ」
「正解」
画面に動きが現れた。赤の矢印は、各所で青を分断し、包囲殲滅を繰り広げる。
「これは、歴史上有名なアウステルリッツの戦いだ。ナポレオン・ボナパルトが演出した最も華やかな勝利と言える」
ミシェルの解説が続く。
「いいか、赤のフランス側は連携して青のオーストリア・ロシア連合軍の弱点を突破・分断している。総数では青の方が勝っているのに、局地的に見れば常に赤の方が青より多い兵力を集中しているんだ。これはナポレオンの指揮と、高い練度の兵士が組み合わさって可能になった高度に柔軟な運用の結果だ」
アルトは頷いた。
「戦闘は原則として数が多い方が勝つから、常に敵より多くの味方を集める必要がある、ってことか」
「そうとも言えるな。奇襲・待ち伏せ・さまざまな陣形、これらは戦力集中のための道具だ。そこで、だ、アルト准尉。お前ひとりで突っ込むのは止めろ」
先のバジュラ母艦との遭遇戦に言及されて、アルトは言い返した。
「くっ……あの時はしょうがないだろ」
「結果的にルカが助かったし、バジュラ母艦の貴重な内部情報も得られた。お前は飛ぶのは上手い。しかし、すぐ頭に血が昇る。エキサイトした頭で複雑なことは考えられない。単純な行動は、戦力の硬直した運用に結びつく」
理詰めのミシェルに反論できないアルト。
「もっと俺達を信じろ。信じられないなら、せめて利用しろ。でないと…」
ミシェルは言葉にしなかったが、アルトには伝わった。
“死ぬぞ”
将校教育でアルトをやりこめたものの、ミシェルの気は晴れなかった。
クランクラン大尉のクァドラン・レアをテスト機として、決められたメニューをこなしながら飛行する。
さすがにゼントラーディの兵器だけあって、操作性は抜群だった。いくつかのディスプレイについては改良点が思いついたので、心の中に書きとめる。
順調に評価試験を続けながらも、心のどこかで、アルトの死、あるいはアルトに巻き込まれる形での自分の死を考えていた。
だから、気付かなかった。気づいたのは、マクロスへと帰還する直前だった。
左腕を差し込むアーム部分、その奥に何かが入っている。紙のように薄いシートだった。
「?」
ミシェルが取り出してみると、手書きの短いメッセージが記されたカードだった。
“評価試験後直ちに24番ゲートへ A.S.A.P.”
24番はゼントラーディ用のゲートだ。A.S.A.P.は能力の及ぶ限り早く、の略語。
評価試験終了後、ミシェルはマイクローンサイズに戻る暇なく、24番ゲートへ向かった。
そこで待っていたのは…。
「早かったな」
セクシーな装いのクランクラン。白のホルターネック・ノースリーブシャツは背中が大胆に見えているカット。黒のタイトスカートに、黒い光沢のあるヒール。胸元にはシンプルなデザインのネックレスが輝いている。
「……クラン」
ミシェルは絶句した。完全な奇襲だった。
いつもなら不可能な高さから見るクランクランは、ミシェルのハートを揺さぶった。
状況からクランクランが待っているのは充分に予想できたが、これほどに大人っぽく装っているとは。
(こんなの、反則だ!)
ルージュで彩られた唇が開いた。
「フォルモでな、ジャズライブのチケットが手に入ったんだ。ペアだから、無駄にしたくない。さあ、こい」
「え、あ? でも、俺、ゼントラーディサイズの服なんか持ってないぞ」
ミシェルの服装は、借り物のSMS制服ゼントラーディサイズだった。クランクランの服を見て、ドレスコードが気になった。
「かまわん、兵は拙速を尊ぶ」
クランクランはミシェルに腕を絡めると、連絡通路へと向かう。
BGM『Take the 'A' Train』
ゼントラーディ用のリニアでフォルモへ。
「な、なんだジロジロ見て」
クランクランは居心地悪そうに、身じろぎした。
「いや、いつもとイメージが違うなって」
ゼントラーディ・サイズのミシェルは目を細めた。
「それはそうだろう。戦場に相応しい武装を選ぶのはゼントラーディの嗜みだ」
クランクランらしい言い回しだが、受け取り方によっては裏があるようにも思える。
(女の武器を使うつもりか?)
ミシェルは顔には出さないもののドキっとさせられた。
いつものクランクランの私服は、ミシェルから見ると少女趣味過ぎるか、配色が賑やかでポップ過ぎる傾向があった。
「もしかして……ネネのコーディネイト?」
ミシェルは、クランクランの部下で、ドレッシーなファッションを好む女性を思い浮かべた。
「オマエのそういう所、キライだ」
ぷい、と顔を背けるクランクラン。図星だったようだ。
「だとしたら、武装の選択は的確だったな。ほら、あっちとあっち……クランが気になっているみたいだ」
同じ車両に乗り合わせたゼントラーディの男性が、クランクランに向かってさりげなく視線を送っている。
「そ、そうか……」
まんざらでも無さそうなクランクラン。顔はミシェルからそむけたままだが、声から察するに機嫌は悪くなさそうだ。
「今夜は戦果が期待できそうだ。よく似あっている」
「そ、そうか……」
ミシェルにしてみれば挨拶代わりのような褒め言葉だが、クランクランの声は少し上ずっていた。
相変わらず表情を見せてくれないが、地球人類と比べると外側に向けて尖っているゼントラーディ特有の耳朶が赤く染まっていた。
BGM『Saturday Night』
『プラスティック・ムーン』がジャズ・クラブの名前だった。
エントランスの上では店名に因んだのか、擬人化された月が三日月から満月に変化しながら浮遊している。
店に入る前に、ひと悶着持ち上がった。
「お客様、当店ではそのようなお召し物は…」
店員が慇懃ながらもキッパリとミシェルを拒んだ。やはりドレスコードがあるらしい。
「我々は軍務についているんだ。時間の関係で、着替える暇がなかったんだ」
クランクランが抗議しても、店員は難色を示した。
「せめてタイを…」
ミシェルは解決策を思いついた。
「クラン、借りるよ」
クランクランの青く長い髪をまとめているリボンのうちの一つをほどいて、それをネクタイのように結ぶ。
「これで、どうかな?」
「結構です」
店員は微笑んで店内へ通してくれた。
「限られた戦力の柔軟な運用、だな」
クランクランが呟いた。
「作戦の原則、さ」
ウィンクするミシェル。
BGM『Unforgettable』
店内は混雑していて音楽ファンの人気を集めているようだった。
「へぇ、これは……」
ミシェルは感心して店内を眺めた。
ゼントラーディのポップ・カルチャーは、基本的に地球人類の模倣の範囲を出ていない。文化というものに触れて、まだ歴史が浅いためだろう。
しかし、音楽に関しては独自の展開を見せている。地球人類の五倍という身体のスケールは、ゼントラーディの歌唱に独特の響きと迫力をもたらしているからだ。
マイクローンの固定客やファンもいるようで、『プラスティック・ムーン』の店内にもマイクローン用の桟敷席が設けられている。その席も着飾った男女で埋まっている。
「ゼントラーディ・ジャズ、か」
ミシェルはクランクランの持っていたチケットで指定された席に座った。差向いにクランクラン。
静かに近寄ってきたウェイターに飲み物をオーダーする。
「ちょっと意外だな。クランが、こういう所に誘ってくれるなんて」
「たまには、奇襲をかけないとな」
クランがステージの方を眺めながら言った。
「ああ、効果的な作戦だった」
ミシェルは調子を合せてあいづちを打つ。
「それに……音楽の趣味はジェシカの影響だ」
クランクランは言ってから、しまったと口元を覆った。ジェシカは、若くして自ら命を絶ったミシェルの姉。
二人とも同じ面影を脳裏に浮かべた。
「そうだったのか……そうだな、そう言えば」
ミシェルの脳裏にジェシカの部屋にあった本棚が思い浮かんだ。ジャズのタイトルがついた音楽ディスクが並んでいた。
ミシェルはウェイトレスを呼び止め、もう一つカクテルを頼んだ。
ほどなくして、三つのグラスが運ばれてくる。
ひとつはクランクランの前に。ひとつはミシェルの前に。最後の一つは空席に。
「乾杯」
二人は三つのグラスの縁を合わせた。
ミシェルにとっては心の傷を刺激する筈の名前だったが、今、クランクランとこうして思い出を共有しているのは嫌な気持ちでは無かった。
BGM『Stardust』
ショータイムが終わり店を出た二人。
銀河核恒星系に特有の濃密な星々が夜空に輝いている。
「クラン……」
ミシェルは口を閉じた。
「なんだ?」
クランの返事を聞いてから、おもむろに続けた。
「……ありがとう」
「どうした、お前らしくない」
「姉さんの名前を、こんな風に思い出せるなんて、考えてもみなかった」
星の光が作り出す、淡い影が二つ路面に並んでいた。
「礼を言われるようなことではない。お前が成長しただけだ」
「クランの支援のおかげでもある」
「フン」
鼻で笑いながら、クランクランはネックレスを指でつまんでいじった。
ミシェルに聞こえないように、口の中で呟く。
「戦果評価は……作戦は成功したが、戦術的には失敗、というところか」
2008.05.29 ▲
放課後の屋上。
「シェリルさん、教えてください」
「なぁに? ランカちゃん」
ランカはありったけの勇気を振り絞って言った。
「アルト君のこと、どう思っているんですか?」
シェリルは一瞬だけ目を見開いた。その目が微笑みに変わる。
「そうね……無意味に偉そうで、ムカつく男。でも、期待している答えは、これじゃないわね?」
「友達なんですか? それとも……」
「好きよ」
シェリルはきっぱりと言い切った。
その勢いの良さに、にランカは姿勢を正した。
「ムカつくのに?」
「そう。いつもケンカばっかりしているけど……私って変かしら?」
「変じゃないです。ケンカするほど仲がいいって言いますから」
「そうね」
頷いたシェリルの目もとに、寂しげな色が漂った。
シェリルは自分の言葉で、シェリル自身がどれだけ孤独な場所にいるのかを気づかされた。
現在の場所に上り詰めてから、アルトの他にはケンカする相手さえ居ない。
そして、孤独の影を振り切るように、シェリルはランカの瞳をまっすぐに見た。
「あなたは私のライバル?」
言葉は質問の形だったが、意味は断定だった。
ランカは黙っていた。
「苦労するわよ、ものすごく鈍感だから」
「鈍感なんかじゃないです」
ランカは言い返した。
「知ってるわ」
シェリルは頷いた。
二人とも、アルトの心に隠された傷を知っている。
「勝てるものなんて何一つ持ってないけど、これだけは負けません」
ランカの言葉は宣戦布告。
「相手がランカで良かった」
シェリルはランカの横を通り過ぎながら言った。
「どんな結果になったとしても私たちには歌があるわ。歌がある限り、あなたと私の絆は切れない……自分でも上手く説明できないけど、それが嬉しい」
ランカはシェリルの背中を見送った。
「手加減なしで行くわ」
「負けません」
その夜、ランカは作戦を立てた。
(敵を知り、己を知れば百戦危うからず……だっけ?)
携帯君を手にとりアルトの番号を呼び出す。
どうやって話を切り出そうか、頭の中でシミュレーションする。
深呼吸一つするとコールボタンを押した。
「はい…」
アルトはすぐに電話に出た。
「こんばんは、アルト君。芸能科にいた時、演劇概論とってた?」
事前に想定したシナリオどおりの言葉を一気にしゃべった。
「ああ、あれは芸能科だと必修だろ?」
アルトは担当講師の名前と顔を思い出した。歌舞伎ファンで、何かというとアルトに話をふってきたので、うっとうしい授業だった。
「今日の授業で、ええとなんだっけ? ……チ、チカマトゥ?」
ここまで筋書きどおり話を進めてきたのに、度忘れした。ランカは焦った。
「近松門左衛門だろ? 曾根崎心中でも出たか」
「そ、そう。それそれ」
ランカはほっとした。アルトのおかげで、事前のシナリオに戻れた。
「あの話、いまいちピンとこないんだ。なんで二人は死ぬことを選んだの?」
「正直、俺にも判らない。逃げちまえばいいんだ」
「アルト君もそう思う?」
「ああ、心中モノって好きにはなれない。心中は自殺が二つじゃなくて、殺人が二つだ」
「あ、同じこと考えてた」
「芝居だと美しく演出しているけどな」
アルトの脳裏に曾根崎心中・天神森の段の一節が浮かんだ。
(この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそ哀れなれ……やっぱり歌舞伎は嫌いになれないな)
「ずーっと一緒に居たい気持ちはよく判るよ」
「まあな。でも、その気持ちをこえて、離れていても思いが通じる方が好きだな」
ランカは心の中でガッツポーズを作った。
(やったー! アルト君に恋バナさせるのに成功!)
名付けて『授業の話にかこつけて恋バナに引きずり込もう作戦』は佳境に入りつつあった。
シェリルは作戦を立てた。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからずって言うものね」
シェリルの部屋には、どこから運び込まれたのかホワイトボードが設置されていた。
「この私、シェリル・ノームに関しては知り尽くしているから、敵を調べないと」
ボードの上には、アルトに関連する報道やゴシップ、果てはネット内の匿名掲示板の書き込みまでが、ハードコピーの形で張り付けられている。
また、アルトに関係する人物の画像・情報も張り出され、本格的なソシオグラム(人物関係図)が完成していた。
もちろん、情報の大半はグレイスが検索能力を駆使して集めたものだった。
「ちょっと、おとな気無いんじゃありません?」
かたわらのグレイスが苦笑気味に言った。
ホワイトボードの周りは、昔の刑事ドラマに出てくる捜査本部のようだった。
「ライオンはウサギを狩るのにも全力を尽くすの」
グレイスの頭の中でウサギ姿のランカがネコ耳をつけたシェリルに追いまわされるマンガが思い浮かんだ。
「やっぱり、狙いはここね!」
シェリルの手入れが行き届いたネイルがびしっと指し示したのは十八世早乙女嵐蔵の写真だった。
「名付けて、アルトとお父さんを和解させてポイントを挙げよう作戦!」
そんな回りくどいことをしなくても……グレイスは軽いため息をついた。
「シェリルさん、教えてください」
「なぁに? ランカちゃん」
ランカはありったけの勇気を振り絞って言った。
「アルト君のこと、どう思っているんですか?」
シェリルは一瞬だけ目を見開いた。その目が微笑みに変わる。
「そうね……無意味に偉そうで、ムカつく男。でも、期待している答えは、これじゃないわね?」
「友達なんですか? それとも……」
「好きよ」
シェリルはきっぱりと言い切った。
その勢いの良さに、にランカは姿勢を正した。
「ムカつくのに?」
「そう。いつもケンカばっかりしているけど……私って変かしら?」
「変じゃないです。ケンカするほど仲がいいって言いますから」
「そうね」
頷いたシェリルの目もとに、寂しげな色が漂った。
シェリルは自分の言葉で、シェリル自身がどれだけ孤独な場所にいるのかを気づかされた。
現在の場所に上り詰めてから、アルトの他にはケンカする相手さえ居ない。
そして、孤独の影を振り切るように、シェリルはランカの瞳をまっすぐに見た。
「あなたは私のライバル?」
言葉は質問の形だったが、意味は断定だった。
ランカは黙っていた。
「苦労するわよ、ものすごく鈍感だから」
「鈍感なんかじゃないです」
ランカは言い返した。
「知ってるわ」
シェリルは頷いた。
二人とも、アルトの心に隠された傷を知っている。
「勝てるものなんて何一つ持ってないけど、これだけは負けません」
ランカの言葉は宣戦布告。
「相手がランカで良かった」
シェリルはランカの横を通り過ぎながら言った。
「どんな結果になったとしても私たちには歌があるわ。歌がある限り、あなたと私の絆は切れない……自分でも上手く説明できないけど、それが嬉しい」
ランカはシェリルの背中を見送った。
「手加減なしで行くわ」
「負けません」
その夜、ランカは作戦を立てた。
(敵を知り、己を知れば百戦危うからず……だっけ?)
携帯君を手にとりアルトの番号を呼び出す。
どうやって話を切り出そうか、頭の中でシミュレーションする。
深呼吸一つするとコールボタンを押した。
「はい…」
アルトはすぐに電話に出た。
「こんばんは、アルト君。芸能科にいた時、演劇概論とってた?」
事前に想定したシナリオどおりの言葉を一気にしゃべった。
「ああ、あれは芸能科だと必修だろ?」
アルトは担当講師の名前と顔を思い出した。歌舞伎ファンで、何かというとアルトに話をふってきたので、うっとうしい授業だった。
「今日の授業で、ええとなんだっけ? ……チ、チカマトゥ?」
ここまで筋書きどおり話を進めてきたのに、度忘れした。ランカは焦った。
「近松門左衛門だろ? 曾根崎心中でも出たか」
「そ、そう。それそれ」
ランカはほっとした。アルトのおかげで、事前のシナリオに戻れた。
「あの話、いまいちピンとこないんだ。なんで二人は死ぬことを選んだの?」
「正直、俺にも判らない。逃げちまえばいいんだ」
「アルト君もそう思う?」
「ああ、心中モノって好きにはなれない。心中は自殺が二つじゃなくて、殺人が二つだ」
「あ、同じこと考えてた」
「芝居だと美しく演出しているけどな」
アルトの脳裏に曾根崎心中・天神森の段の一節が浮かんだ。
(この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそ哀れなれ……やっぱり歌舞伎は嫌いになれないな)
「ずーっと一緒に居たい気持ちはよく判るよ」
「まあな。でも、その気持ちをこえて、離れていても思いが通じる方が好きだな」
ランカは心の中でガッツポーズを作った。
(やったー! アルト君に恋バナさせるのに成功!)
名付けて『授業の話にかこつけて恋バナに引きずり込もう作戦』は佳境に入りつつあった。
シェリルは作戦を立てた。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからずって言うものね」
シェリルの部屋には、どこから運び込まれたのかホワイトボードが設置されていた。
「この私、シェリル・ノームに関しては知り尽くしているから、敵を調べないと」
ボードの上には、アルトに関連する報道やゴシップ、果てはネット内の匿名掲示板の書き込みまでが、ハードコピーの形で張り付けられている。
また、アルトに関係する人物の画像・情報も張り出され、本格的なソシオグラム(人物関係図)が完成していた。
もちろん、情報の大半はグレイスが検索能力を駆使して集めたものだった。
「ちょっと、おとな気無いんじゃありません?」
かたわらのグレイスが苦笑気味に言った。
ホワイトボードの周りは、昔の刑事ドラマに出てくる捜査本部のようだった。
「ライオンはウサギを狩るのにも全力を尽くすの」
グレイスの頭の中でウサギ姿のランカがネコ耳をつけたシェリルに追いまわされるマンガが思い浮かんだ。
「やっぱり、狙いはここね!」
シェリルの手入れが行き届いたネイルがびしっと指し示したのは十八世早乙女嵐蔵の写真だった。
「名付けて、アルトとお父さんを和解させてポイントを挙げよう作戦!」
そんな回りくどいことをしなくても……グレイスは軽いため息をついた。
2008.05.28 ▲
携帯君が目を輝かせた。
着信相手を確かめずに電話に出る。
「もしもし……」
「アルト君、こんばんは」
ランカは嬉しかった。他の人がいる前ではそっけないアルトだが、電話ではじっくり話を聞いてくれる。
ベッドの上に寝転んで、枕の位置を調節した。長電話の態勢を整える。
「一般教養の文学、ノート取ってるか?」
「うん、データ送ろうか?」
「助かる。この前の出撃と重なったからな。あの授業、単位取り易いから、確実にしたい」
「判った、後で送るね」
ランカの胸の奥がチクンと痛んだ。アルトやオズマ、ミシェル、ルカ……親しい人たちが死の危険にさらされている。
「お仕事の方はどう?」
「今は少し余裕が出てきたかな。相変わらずミハエルにしごかれてる」
「へぇ、意外」
「ヤツは学年トップだし、SMSでは上官だからな」
アルトの声は少し自嘲の響きが入っていた。
「お前の方はどうなんだ? あ、そうそう、この前、ショッピングモールで見たぞ。声かけようかと思ったけど、ちょっと急いでいたもんでな」
ランカの髪が逆立った。
(アレを見られてた!?)
「…ん、どうした?」
ランカの返事が遅れているのに、アルトが心配したようだ。
「あ、あはは……すごかったでしょ、かっこうが」
プリン型のかぶり物を思い出して、今度はランカの声が自嘲気味になった。
「ああ、すごかった。子供がじーっと見てたぞ」
ランカの髪がしょんぼりと垂れ下がる。
「あたしもお子様だから……見てくれるの子供ばっかりだよ」
「お前、子供をなめてるだろ?」
アルトの声の響きが変わった。
「別に、そんなわけじゃないけど……」
「子供の観客は怖いんだぞ。関心がないと、すぐに集中力が切れるから、どっかに行っちまう。あれだけ注意をひきつけられてたんなら、大したもんだと感心してたんだ」
「ええっ」
意外なところから来た褒め言葉に驚き、次の瞬間には頬が緩んできた。
「これでも芸歴はお前より長いからな、信用しろ」
「うん、信じる。信じるよ!」
「調子が出てきたな。その方がランカらしい」
「どういう意味、それ?」
「そのまんまさ。じゃあな、お休み」
「おやすみなさい」
通話が切れる。
ランカは、そっと携帯君にキスした。
今夜は良い夢が見れそうだ。
「明日から、またガンバるぞー!」
着信相手を確かめずに電話に出る。
「もしもし……」
「アルト君、こんばんは」
ランカは嬉しかった。他の人がいる前ではそっけないアルトだが、電話ではじっくり話を聞いてくれる。
ベッドの上に寝転んで、枕の位置を調節した。長電話の態勢を整える。
「一般教養の文学、ノート取ってるか?」
「うん、データ送ろうか?」
「助かる。この前の出撃と重なったからな。あの授業、単位取り易いから、確実にしたい」
「判った、後で送るね」
ランカの胸の奥がチクンと痛んだ。アルトやオズマ、ミシェル、ルカ……親しい人たちが死の危険にさらされている。
「お仕事の方はどう?」
「今は少し余裕が出てきたかな。相変わらずミハエルにしごかれてる」
「へぇ、意外」
「ヤツは学年トップだし、SMSでは上官だからな」
アルトの声は少し自嘲の響きが入っていた。
「お前の方はどうなんだ? あ、そうそう、この前、ショッピングモールで見たぞ。声かけようかと思ったけど、ちょっと急いでいたもんでな」
ランカの髪が逆立った。
(アレを見られてた!?)
「…ん、どうした?」
ランカの返事が遅れているのに、アルトが心配したようだ。
「あ、あはは……すごかったでしょ、かっこうが」
プリン型のかぶり物を思い出して、今度はランカの声が自嘲気味になった。
「ああ、すごかった。子供がじーっと見てたぞ」
ランカの髪がしょんぼりと垂れ下がる。
「あたしもお子様だから……見てくれるの子供ばっかりだよ」
「お前、子供をなめてるだろ?」
アルトの声の響きが変わった。
「別に、そんなわけじゃないけど……」
「子供の観客は怖いんだぞ。関心がないと、すぐに集中力が切れるから、どっかに行っちまう。あれだけ注意をひきつけられてたんなら、大したもんだと感心してたんだ」
「ええっ」
意外なところから来た褒め言葉に驚き、次の瞬間には頬が緩んできた。
「これでも芸歴はお前より長いからな、信用しろ」
「うん、信じる。信じるよ!」
「調子が出てきたな。その方がランカらしい」
「どういう意味、それ?」
「そのまんまさ。じゃあな、お休み」
「おやすみなさい」
通話が切れる。
ランカは、そっと携帯君にキスした。
今夜は良い夢が見れそうだ。
「明日から、またガンバるぞー!」
2008.05.26 ▲
美星学園芸能科の講師陣が出した課題は好きな曲のプロモーションビデオを制作せよ、というものだった。
使用曲は既存のものでも良いし、自作曲でもかまわない。
「いくわよ、アルト!」
「何でお前が張り切ってるんだ。航宙科なのに」
EXギアのトランクと撮影機材の入った自走コンテナを引きずりながらアルトがボヤいた。
先頭を行くシェリルが振り返った。
「一度、撮られる側から撮る側に回ってみたかったの。それに友達の課題を手伝うのも素敵じゃない」
シェリルの傍らでランカが表情を明るくした。
「シェリルさん…ありがとうございます!」
「いいのよ。学校じゃ、お友達」
場所はフロンティア船団の農業リゾート艦・イーハトーヴ。
緑深い森の中の道を行く三人組。
課題を出されているのは芸能科所属のランカ。
プロモーションビデオの監督兼カメラマンのシェリル。
アルトは荷物持ち兼空撮担当。
「なんで俺まで引っ張り出すんだ。シェリルもEXギア手に入れたんだろ?」
「ご、ゴメンね、アルト君」
ランカが謝った。
「ランカが悪いんじゃない。友達だからな、頼まれたら課題を手伝うぐらいはいいんだ」
「友達……」
ランカは繰り返した。素直に嬉しくもあり、ちょっぴり寂しくもある言葉。
「問題は、俺もお前もいつの間にかあいつに振り回されていることだ」
シェリルは澄ました顔で返事した。
「今日の私は監督だから、女優と連携がとりやすいように地上にいる必要があるの」
シェリルとアルトは美星学園の制服、本日の主演たるランカは白いサマードレスに麦わら帽子、編み上げのサンダルという組み合わせ。
夜の内に降った人工降雨のおかげで、午前中の光の中、空気は澄み渡り、木々や草花はみずみずしさを増していた。
絶好の撮影コンディションと言えるだろう。
「この道の先に草原と丘、湖があるはずよ」
シェリルは携帯端末の画面に地図を表示させた。
その時、強い風が吹いた。ざぁっと葉擦れの音がして、大粒の水滴が大量に降ってきた。時間こそ短いが、スコールのようだ。
「きゃぁ!」
「ヤダ!」
ランカとシェリルが同時に悲鳴をあげた。
頭上を覆う大木の葉に昨夜の雨が残っていたようだ。
びしょ濡れになってしまう。
「大丈夫か?」
二人に遅れていたアルトは濡れずに済んだ。
「もう、油断できないわねっ」
シェリルは額に張り付いた髪をかきあげてアルトを見た。服が乾いているのを見てとると、アルトに向かって手のひらを上にして手を差し出した。
「なっ?……ああ、そうかよ」
アルトは諦め顔で制服のシャツを脱ぐ。
「覗いたらどうなるか判っているわね?」
シェリルが凄みきかせて言ってから、濡れた服を茂みの向うから投げてよこした。
「心配すんな」
上半身裸のアルトは服を受け止めると、手ごろな枝にそれをかけた。EXギアのパワーパックから炎を噴き出させ温風で乾かす。
「ゴメンね、アルト君」
ランカも服を投げてよこした。
「俺のパワーパックは乾燥機かよ」
ランカと初めて会った時のことを思い出した。
茂みの向うでは男子制服のシャツを下着の上に直接まとっているシェリルに、アルトが下着代わりに着ていたタンクトップを着ているランカがいた。
二人とも素足が大胆に見えている。
「シェリルさん、すごく……」
ランカがシェリルの姿を見て、頬を染めた。
「なあに、すごく…何なのかしら?」
シェリルは太い木の根に座って足をぶらぶらさせている。
「その……すっごくセクシーです」
女性としては長身のシェリルがアルトのシャツを着ると、男性にとってある種の夢を具現化したようなものだ。
「ああ、そうね、この格好。こういうのも面白いかも」
シェリルは立ち上がって、くるりと回って見せた。
「私、ずーっと歌のお仕事ばっかりだったから、グラビア撮影みたいなのも興味は、あったのよね」
こうかしら、と言いながら胸のボタンを一つ二つ外して、ランカに向けて前屈みになって見せた。
「わぁ……」
ランカはオズマが持っている雑誌のグラビアページを思い出した。シャツの合わせ目から胸の谷間がのぞく。
「ランカちゃんも、ポーズとってみて」
「ええっ……えーと、こう、ですか?」
木の幹に寄り掛かり、右足の足裏を木につけて、膝を上げる。タンクトップの裾がずり上がる。
「素敵だわ、男のハート揺らしまくりよ!」
「何やってんだ」
茂みの向こうが賑やかなのが、気になるアルト。
使用曲は既存のものでも良いし、自作曲でもかまわない。
「いくわよ、アルト!」
「何でお前が張り切ってるんだ。航宙科なのに」
EXギアのトランクと撮影機材の入った自走コンテナを引きずりながらアルトがボヤいた。
先頭を行くシェリルが振り返った。
「一度、撮られる側から撮る側に回ってみたかったの。それに友達の課題を手伝うのも素敵じゃない」
シェリルの傍らでランカが表情を明るくした。
「シェリルさん…ありがとうございます!」
「いいのよ。学校じゃ、お友達」
場所はフロンティア船団の農業リゾート艦・イーハトーヴ。
緑深い森の中の道を行く三人組。
課題を出されているのは芸能科所属のランカ。
プロモーションビデオの監督兼カメラマンのシェリル。
アルトは荷物持ち兼空撮担当。
「なんで俺まで引っ張り出すんだ。シェリルもEXギア手に入れたんだろ?」
「ご、ゴメンね、アルト君」
ランカが謝った。
「ランカが悪いんじゃない。友達だからな、頼まれたら課題を手伝うぐらいはいいんだ」
「友達……」
ランカは繰り返した。素直に嬉しくもあり、ちょっぴり寂しくもある言葉。
「問題は、俺もお前もいつの間にかあいつに振り回されていることだ」
シェリルは澄ました顔で返事した。
「今日の私は監督だから、女優と連携がとりやすいように地上にいる必要があるの」
シェリルとアルトは美星学園の制服、本日の主演たるランカは白いサマードレスに麦わら帽子、編み上げのサンダルという組み合わせ。
夜の内に降った人工降雨のおかげで、午前中の光の中、空気は澄み渡り、木々や草花はみずみずしさを増していた。
絶好の撮影コンディションと言えるだろう。
「この道の先に草原と丘、湖があるはずよ」
シェリルは携帯端末の画面に地図を表示させた。
その時、強い風が吹いた。ざぁっと葉擦れの音がして、大粒の水滴が大量に降ってきた。時間こそ短いが、スコールのようだ。
「きゃぁ!」
「ヤダ!」
ランカとシェリルが同時に悲鳴をあげた。
頭上を覆う大木の葉に昨夜の雨が残っていたようだ。
びしょ濡れになってしまう。
「大丈夫か?」
二人に遅れていたアルトは濡れずに済んだ。
「もう、油断できないわねっ」
シェリルは額に張り付いた髪をかきあげてアルトを見た。服が乾いているのを見てとると、アルトに向かって手のひらを上にして手を差し出した。
「なっ?……ああ、そうかよ」
アルトは諦め顔で制服のシャツを脱ぐ。
「覗いたらどうなるか判っているわね?」
シェリルが凄みきかせて言ってから、濡れた服を茂みの向うから投げてよこした。
「心配すんな」
上半身裸のアルトは服を受け止めると、手ごろな枝にそれをかけた。EXギアのパワーパックから炎を噴き出させ温風で乾かす。
「ゴメンね、アルト君」
ランカも服を投げてよこした。
「俺のパワーパックは乾燥機かよ」
ランカと初めて会った時のことを思い出した。
茂みの向うでは男子制服のシャツを下着の上に直接まとっているシェリルに、アルトが下着代わりに着ていたタンクトップを着ているランカがいた。
二人とも素足が大胆に見えている。
「シェリルさん、すごく……」
ランカがシェリルの姿を見て、頬を染めた。
「なあに、すごく…何なのかしら?」
シェリルは太い木の根に座って足をぶらぶらさせている。
「その……すっごくセクシーです」
女性としては長身のシェリルがアルトのシャツを着ると、男性にとってある種の夢を具現化したようなものだ。
「ああ、そうね、この格好。こういうのも面白いかも」
シェリルは立ち上がって、くるりと回って見せた。
「私、ずーっと歌のお仕事ばっかりだったから、グラビア撮影みたいなのも興味は、あったのよね」
こうかしら、と言いながら胸のボタンを一つ二つ外して、ランカに向けて前屈みになって見せた。
「わぁ……」
ランカはオズマが持っている雑誌のグラビアページを思い出した。シャツの合わせ目から胸の谷間がのぞく。
「ランカちゃんも、ポーズとってみて」
「ええっ……えーと、こう、ですか?」
木の幹に寄り掛かり、右足の足裏を木につけて、膝を上げる。タンクトップの裾がずり上がる。
「素敵だわ、男のハート揺らしまくりよ!」
「何やってんだ」
茂みの向こうが賑やかなのが、気になるアルト。
2008.05.24 ▲
「さあ、アルト、たーくさん用意しておいたわ」
「こ、これは……」
シェリルが示した撮影用の衣裳、その種類の多さにアルトは絶句した。楽屋のなかには、10や20ではきかなさそうな数の衣裳類が所狭しと並べられている。
「今度のアルバム・ジャケットは、日本の伝統文化をフィーチャーするの。そこで、アルトの出番ってわけ」
「それにしたって、この量はなんだよ」
抗議する口調で言ってはみたものの、心のどこかで浮き立つような気分を味わっていた。
役者の家系で育った身としては、きらびやかな衣装を見ると血が騒ぐ。
「今日はカメラテスト用ね。いくつかアルトに着てもらって、会議にかけるの。まずは、それからお願いしようかしら?」
シェリルが指定したのは十二単だった。
背後に控えていた着付けのスタッフやメイクアップアーティストがよってたかってアルトを平安時代の姫君に仕立て上げた。
「その衣装はさっきよりシンプルだけど、神秘的な感じがするわ」
次の衣裳に着替えてホリゾントの前に立つアルトに、シェリルが声をかけた。
「これ、巫女の装束じゃないか……なんで女物ばっかりなんだよ」
「あら、そうだったの? アルトに似合いそうなのを片っ端からピックアップしただけなのよ」
「それは男の人の衣裳でしょ?」
次の衣裳に着替えて出てきたアルトは、シェリルの言葉を聞いてがっくりした。
「いや、白拍子だから女の装束だ。狙ってやってるんじゃないだろうな?」
「えーっ、だってカタナをつけてるじゃない」
「確かに太刀を佩(は)いているけどな、女が男装して舞うのが白拍子なんだよ」
「ややこしいのね」
「どうしてチャイナドレスが混じってるんだよ?」
赤い絹の生地に鳳凰の刺繍が入ったチャイナドレスをまとったアルトがスタジオに登場した。
撮影スタッフの間からどよめきが漏れる。
きわどいところまで切れ込んだスリットから、すらりとした脚線美をのぞかせる。
胸や尻はパッドとコルセットで補正しているため、見事な曲線を描いていた。
「素敵、予想以上だわ」
シェリルも目を輝かせた。
「お前な、俺を着せ替え人形にして遊んでいるだろ?」
「そうよ。でも、アルトにとってはお仕事なんだから気を抜かないの」
あっさり肯定されて、アルトは拍子抜けした。
「これで最後にしましょう」
振袖姿のアルトを撮影して、シェリルが宣言した。
「ふぅ、着せ替え人形も楽じゃないな」
アルトがボヤいた時、ハプニングが起こった。
「誰か、そいつを捕まえて!」
女性スタッフの叫び声。
控え室の方から、何かを抱えた男がこちらへ走ってくる。
アルトの脇を通り抜けようとした瞬間、アルトは袖を握って男の顔の辺りに袂を叩きつけた。
ガツンという硬質な音がして男の足が止まる。
そこへ男性スタッフやら警備員が飛びかかって取り押さえた。
後に判ったことだが、男はシェリルの熱狂的なファンで、控え室からシェリルの私物を盗み出そうとしていた。
「アルト大丈夫?!」
顔色を変えてシェリルが駆け付ける。
「大丈夫、問題ない。それにしてもアイツ、運がなかったな。振袖姿の俺の前にくるなんて」
「どういうこと?」
アルトは袂をシェリルの手に持たせた。袂の一番下の部分に何か固い物が入ってる。
「なにこれ?」
「袂落としって言って、袖の形を整える重し。とっさの時は今みたいに護身具として使える」
「アルトは意外性のカタマリね」
軽口を叩いてはいるが、シェリルはホッとした様子だった。
「時間外労働の手当が欲しいぜ、まったく。
撮影に来て荒事がついてくるとは思わなかった」
「そうね…ご褒美あってもいいかも。アルトは何が欲しい?」
「そうだな」
何が欲しいと言われると、アルトは困った。思いつかない。
「一日だけ、私が奴隷になってあげましょうか?」
シェリルが、あの悪戯っぽい微笑みとともに囁いた。
ホテルのスウィート。
「ねえ、ちょっとグレイス聞いてよ!」
シェリルの口調からグレイスは次に続く話題が予測できた。
「パイロット君のことかしら?」
二人分のハーブティーを淹れるとティーカップに注いで、ひとつはシェリルに、ひとつは自分用にとテーブルの上に置いた。
「あのカボチャ頭ったら、私の誘いを断ったのよ。ほっといてくれ、だって。信じらんない。この、シェリル・ノームの誘いを、よ」
「カボチャ……あんなにハンサムなのに、カボチャはないんじゃないかしら?」
「カボチャで十分よ」
シェリルは自分の携帯端末を取り出すと、アルトのグラフィカル・シンボルを似顔絵からカボチャに変更している。
「でも、そういう所、気に入っているんでしょう? シェリル」
「それはそうだけど……にしたって限度があるわ。鈍すぎよ」
ハーブティーを飲みながら、グレイスの頭脳は素早く計算を続けていた。
芸能界で異性関係が破滅的なスキャンダルに発展した例は、有史以来数限りない。
アルトとの関係も、少しひやひやしながら見守っているのが正直なところだ。
しかし…
(故郷に戻れない歌姫と、彼女の為に戦場を駆けるパイロット……絵になる構図だわ)
ルックスも素晴らしいし、経歴も華やか。シェリルの相手として不足はない。
今のところは、シェリルとの関係に付け込んでシェリルの行動に介入してこようとはしていない。
この関係を、どんな形でメディアに公開したら、シェリル・ノームにとってプラスになるか。
笑顔の下で冷徹な計算を働かせるグレイス。
「あー、何かまた悪だくみしてるでしょ?」
シェリルの指摘を、笑顔で受け流す。
「次のオフはどうします?」
「そうね……」
返事をしようとしたところで、シェリルの端末に着信のサインが出た。
カボチャのアイコンが明滅している。
シェリルは携帯端末を取り上げた。
「もしもし…」
アルトの声が聞こえてくる。なんとなく気分が沈んでいるようだ。
「ハイ、何の用?」
「ええと、だな……新統合軍からの依頼なんだが。その、シェリルに軍のためのキャンペーンソングを作ってもらえないかっていう話があって」
いつものアルトらしからぬ歯切れの悪さ。いかにも気が進まない、という口調だ。
「ああ、その話。私のところに直接オファーが来たけど、断ったの。戦争みたいな状態だから、協力は惜しまないけど、政治とかからは距離を置きたいから。なんでアルトから、そんな話が出てくるの?」
「いろいろ、しがらみってヤツさ。いいんだ。お前に一応、話すだけは話してみるってことで、説得は俺の仕事じゃない。お前のスタイルに合わないなら、断るってことだな。じゃ」
そこで通話が切れた。
シェリルはカボチャのアイコンが消えていく様子を見つめていたが、顔を上げてグレイスを見た。
心得顔のグレイスはインプラントされたインターフェイスを使って、フロンティア内部のネットワークにアクセス。高速で検索を終了した。
「早乙女アルトと新統合軍で検索したら、ヒットしました。アルト君、軍用機の無許可・無免許使用で軍に告訴されかかっているわね」
「なにそれ?」
「フロンティアでのファースト・ライブ直後の事件だわ。バジュラが船内に侵入したことがあったでしょう? その時に戦闘機に乗って派手に活躍したみたい。バジュラに襲われたという状況から見て、止むを得ない緊急避難だと思うのだけど……法的措置に乗り出すようよ。シェリルの歌と引き換えに、一種の司法取引みたいなものかしらね?」
「馬鹿、意地っ張り」
シェリルは唇を引き結んだ。なぜ、その事情を先に言わない。
答は判っている。
(私に無理強いしないため)
シェリルは立ち上がり、部屋の中をイライラと歩き回った。
ふいに立ち止まると、にっこり笑ってグレイスを振り返った。
「ねえ、グレイス。軍は私を利用したいみたいだけど、私も軍を利用させてもらってもいいわよね?」
「悪だくみを思いつきましたね?」
グレイスのメガネがキラリと光った。
SMSマクロス・クォーターの居住区画。
「そーゆーわけで、シェリルの答えはNoだ、キャサリン・グラス中尉殿」
「しかたありません、早乙女アルト准尉。軍は法的措置を講じます。後悔しても遅いのよ?」
アルトは携帯端末をポケットに突っ込んだ。
「軍もなりふりかまってないな。俺みたいなガキを脅すなんて」
キャシーは深いため息をついた。
「どうしてSMSの連中は……ま、いいわ。終わったことです」
アルトにも心積もりがあった。
今は戦時下。人口の限られた都市宇宙船では人手は貴重だ。何らかの刑事罰が下るにしても、執行を猶予されるか、状況が落ち着いてからのことだろう。
その時、アルトの端末が振動した。
手に取ると、相手はシェリルだった。
「はい……え、いいのかよ? 無理しなくって……えっ……あ、ああ。交渉してみる」
アルトは通話を切ると、なんとも釈然としない面持ちでキャシーに報告した。
「シェリルはキャンペーンソングを引き受けるとのことです」
「まあ、どういう風の吹き回しかしら? でも、ありがとうアルト准尉」
「別に俺が説得したわけじゃ……ついてはシェリルの方からの依頼があります」
依頼を耳にしたキャシーは難色を示したが、結局、新統合軍はシェリルの要求を呑むことになった。
複座型VF-171のコクピット。
タンデム配列の前席にはシェリルが、後席にアルトが乗り込んでいる。
二人ともきちんとパイロットスーツを身に着けた姿だった。
VF-171は巨大な機械腕によって飛行甲板へと搬出されつつある。
「軍にここまでさせるなんて、どんな手を使ったんだよ?」
アルトは機内だけで通じる回線で話しかけた。
「銀河の妖精は魔法が使えるのよ」
澄まして答えたシェリル。しかし表情は好奇心できらめいていた。初めて見る母艦の内部やキャノピーを隔てて見る宇宙空間に目を見張る。
シェリルは軍のキャンペーンソングを制作する代わりに、取材としてバルキリーへの搭乗を願い出た。
新統合軍は訓練用の機体を貸し出してくれた。
シェリルの表情が素材になるかも知れないということで、コクピット内部を写すカメラも設置されている。
パイロットはアルトを指名していた。
「答えになってないって。でもな……ありがとう。正直、軍の依頼を受けてくれて助かった」
「ふふっ」
素直なアルトの感謝が耳に心地よい。
「こちら管制、シルフィード1、発進位置に着いた」
管制がコールサインでアルトを呼び出した。
「こちらシルフィード1、発進位置を確認した」
「シルフィード1、発進許可が出た……銀河の妖精とデートとは羨ましいねぇ。帰ってきたら袋叩きに遭うぞ」
「管制、忠告感謝する。発進」
スロットルを押し込むと反応炉が出力を上げた。
機械腕が機体を解放する。
リニア・カタパルトの与える加速が体をシートに押し付けた。
蹴りだされるようにVF-171は虚空に躍り出る。
現在、フロンティア船団が停泊しているのは、ガスジャイアント型惑星の近傍宙域だった。ここで補給物資を収集している。
「さあ、訓練風景を見ていこうか」
新統合軍が射爆訓練を実施している宙域へと向かう。
途中でシェリルが声を上げた。
「あ、光った。あそこで訓練しているの?」
惑星から宇宙空間に向けて光が閃いた。
「あれは違う。自然現象……フラックス・チューブ(大電流束)だ。ガスジャイアントの周りには強力な磁界があって、その中を衛星が通る度に宇宙サイズの電撃が出る。遠いから細く見えるが、地球がまる焦げになるぐらいのサイズはあるぞ」
「すごーい。大きな電子レンジみたいなものね」
「そう……とも言えるな」
「でも、音が聞こえないと迫力ないわ」
「聞こえるぜ」
「ほんと?」
アルトは通信機のノイズ・キャンセリング機能を止めた。
ガガガガガ…ガガガガガガガガガガ…ッ!!!
巨大な何かを引っかくような音がスピーカーから飛び出した。フラックス・チューブに伴って発生する電波が、音に変換されたのだ。すぐに人間の耳に害のないレベルまで音量が下がる。
「どうだった、天上の音楽は?」
アルトの質問にシェリルは頭を振った。
「あまりに刺激的」
木星タイプ・ガスジャイアント型惑星の周囲には、環が5つ、衛星が10個ほど確認されていた。
複雑な空間構成で見所が多い。
ところどころで少し寄り道してゆきながら訓練宙域に到達する。
「こんな世界を、いつも見ているのね」
シェリルの声が寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか?
「そろそろ見えてくるはずだ…」
キャノピーにいくつかの記号が表示された。友軍機のシンボルだ。
「こちらシルフィード1、グリフィン・リーダー応答願います」
すぐに返事がきた。
「こちらグリフィン・リーダー、シルフィード1歓迎する。特等席へご招待だ」
座標を指定してくるので、誘導に従って飛ぶ。
今日の訓練は母艦のような巨大な目標への攻撃訓練だった。
電子的に作り出された実物大ダミーめがけて、小隊単位での攻撃をしかけている。
砲火をかいくぐり、やはりダミーの対艦ミサイルが射出され、命中とともに巨大な火球が生まれる。
「グリフィン4、貴様は撃墜された。離脱せよ」
グリフィン・リーダーの判定に、翼を翻すグリフィン4。
新統合軍は高性能の無人戦闘機に頼りすぎていた。
強力なジャミング能力を持つバジュラに対抗するため、人間のパイロットが再び重視されてきてはいるが、練度不足は否めない。
「ね、アルト、参加してみたくならない?」
シェリルが声をかけてきた。
「ちょっと待て、子供の遊びじゃないんだぞ。事前の計画に沿ってやらないと…」
アルトが嗜めるのも聞かず、シェリルはグリフィン・リーダーに呼びかけた。
「こちらシェリル・ノーム。グリフィン・リーダー聞こえますか?」
「感度良好。まさか軍用の回線でシェリルさんの声が聴けるとは思ってませんでしたよ」
「飛び入り参加させてもらってもいいかしら?」
しばらくの沈黙があって、グリフィン・リーダーが返答した。
「いいでしょう。その代わり、怪我をしても知りませんぞ」
「ありがとう、グリフィン・リーダー」
キャノピーに表示されたグリフィン・リーダーの映像に向かって投げキスを飛ばすと、シェリルはアルトをけしかけた。
「許可が出たわよ」
「お前なぁ……舌を噛まないように歯を食いしばってろ」
使い慣れない新統合軍のVF-171だ。頭の中でスペックの違いをチェックしながら、攻撃位置に遷移した。
機載コンピュータに訓練の設定、使用するダミー武装のデータが入力される。
「行け、シルフィード1」
グリフィン・リーダーの合図とともに、標的艦へと加速する。
個艦防御システムの砲火をひらりひらりと回避し、バトロイドに変形して砲塔を潰し、再びファイター形態にシフトして、実体の無いダミー弾を射出する。
「おお……」
通信回線にグリフィン小隊一同の声が響いた。判定は敵艦の撃沈。
アルトにしてみれば、バジュラの母艦と相対した時のことを思えば、たいしたことはない。
「さすがだ、シルフィード1」
グリフィン・リーダーの賞賛とともに、小隊各機がバンク(小さく翼を振る)して同意を示した。
「飛び入り許可、感謝する……大丈夫か?」
礼を述べると、前席のシェリルに声をかけた。
「め…目が回ったけど……だ…だいじょぶ……でも、疲れたわ」
「OK、帰投しよう」
アルトは機首をアイランド1へと向けた。
(続く)
「こ、これは……」
シェリルが示した撮影用の衣裳、その種類の多さにアルトは絶句した。楽屋のなかには、10や20ではきかなさそうな数の衣裳類が所狭しと並べられている。
「今度のアルバム・ジャケットは、日本の伝統文化をフィーチャーするの。そこで、アルトの出番ってわけ」
「それにしたって、この量はなんだよ」
抗議する口調で言ってはみたものの、心のどこかで浮き立つような気分を味わっていた。
役者の家系で育った身としては、きらびやかな衣装を見ると血が騒ぐ。
「今日はカメラテスト用ね。いくつかアルトに着てもらって、会議にかけるの。まずは、それからお願いしようかしら?」
シェリルが指定したのは十二単だった。
背後に控えていた着付けのスタッフやメイクアップアーティストがよってたかってアルトを平安時代の姫君に仕立て上げた。
「その衣装はさっきよりシンプルだけど、神秘的な感じがするわ」
次の衣裳に着替えてホリゾントの前に立つアルトに、シェリルが声をかけた。
「これ、巫女の装束じゃないか……なんで女物ばっかりなんだよ」
「あら、そうだったの? アルトに似合いそうなのを片っ端からピックアップしただけなのよ」
「それは男の人の衣裳でしょ?」
次の衣裳に着替えて出てきたアルトは、シェリルの言葉を聞いてがっくりした。
「いや、白拍子だから女の装束だ。狙ってやってるんじゃないだろうな?」
「えーっ、だってカタナをつけてるじゃない」
「確かに太刀を佩(は)いているけどな、女が男装して舞うのが白拍子なんだよ」
「ややこしいのね」
「どうしてチャイナドレスが混じってるんだよ?」
赤い絹の生地に鳳凰の刺繍が入ったチャイナドレスをまとったアルトがスタジオに登場した。
撮影スタッフの間からどよめきが漏れる。
きわどいところまで切れ込んだスリットから、すらりとした脚線美をのぞかせる。
胸や尻はパッドとコルセットで補正しているため、見事な曲線を描いていた。
「素敵、予想以上だわ」
シェリルも目を輝かせた。
「お前な、俺を着せ替え人形にして遊んでいるだろ?」
「そうよ。でも、アルトにとってはお仕事なんだから気を抜かないの」
あっさり肯定されて、アルトは拍子抜けした。
「これで最後にしましょう」
振袖姿のアルトを撮影して、シェリルが宣言した。
「ふぅ、着せ替え人形も楽じゃないな」
アルトがボヤいた時、ハプニングが起こった。
「誰か、そいつを捕まえて!」
女性スタッフの叫び声。
控え室の方から、何かを抱えた男がこちらへ走ってくる。
アルトの脇を通り抜けようとした瞬間、アルトは袖を握って男の顔の辺りに袂を叩きつけた。
ガツンという硬質な音がして男の足が止まる。
そこへ男性スタッフやら警備員が飛びかかって取り押さえた。
後に判ったことだが、男はシェリルの熱狂的なファンで、控え室からシェリルの私物を盗み出そうとしていた。
「アルト大丈夫?!」
顔色を変えてシェリルが駆け付ける。
「大丈夫、問題ない。それにしてもアイツ、運がなかったな。振袖姿の俺の前にくるなんて」
「どういうこと?」
アルトは袂をシェリルの手に持たせた。袂の一番下の部分に何か固い物が入ってる。
「なにこれ?」
「袂落としって言って、袖の形を整える重し。とっさの時は今みたいに護身具として使える」
「アルトは意外性のカタマリね」
軽口を叩いてはいるが、シェリルはホッとした様子だった。
「時間外労働の手当が欲しいぜ、まったく。
撮影に来て荒事がついてくるとは思わなかった」
「そうね…ご褒美あってもいいかも。アルトは何が欲しい?」
「そうだな」
何が欲しいと言われると、アルトは困った。思いつかない。
「一日だけ、私が奴隷になってあげましょうか?」
シェリルが、あの悪戯っぽい微笑みとともに囁いた。
ホテルのスウィート。
「ねえ、ちょっとグレイス聞いてよ!」
シェリルの口調からグレイスは次に続く話題が予測できた。
「パイロット君のことかしら?」
二人分のハーブティーを淹れるとティーカップに注いで、ひとつはシェリルに、ひとつは自分用にとテーブルの上に置いた。
「あのカボチャ頭ったら、私の誘いを断ったのよ。ほっといてくれ、だって。信じらんない。この、シェリル・ノームの誘いを、よ」
「カボチャ……あんなにハンサムなのに、カボチャはないんじゃないかしら?」
「カボチャで十分よ」
シェリルは自分の携帯端末を取り出すと、アルトのグラフィカル・シンボルを似顔絵からカボチャに変更している。
「でも、そういう所、気に入っているんでしょう? シェリル」
「それはそうだけど……にしたって限度があるわ。鈍すぎよ」
ハーブティーを飲みながら、グレイスの頭脳は素早く計算を続けていた。
芸能界で異性関係が破滅的なスキャンダルに発展した例は、有史以来数限りない。
アルトとの関係も、少しひやひやしながら見守っているのが正直なところだ。
しかし…
(故郷に戻れない歌姫と、彼女の為に戦場を駆けるパイロット……絵になる構図だわ)
ルックスも素晴らしいし、経歴も華やか。シェリルの相手として不足はない。
今のところは、シェリルとの関係に付け込んでシェリルの行動に介入してこようとはしていない。
この関係を、どんな形でメディアに公開したら、シェリル・ノームにとってプラスになるか。
笑顔の下で冷徹な計算を働かせるグレイス。
「あー、何かまた悪だくみしてるでしょ?」
シェリルの指摘を、笑顔で受け流す。
「次のオフはどうします?」
「そうね……」
返事をしようとしたところで、シェリルの端末に着信のサインが出た。
カボチャのアイコンが明滅している。
シェリルは携帯端末を取り上げた。
「もしもし…」
アルトの声が聞こえてくる。なんとなく気分が沈んでいるようだ。
「ハイ、何の用?」
「ええと、だな……新統合軍からの依頼なんだが。その、シェリルに軍のためのキャンペーンソングを作ってもらえないかっていう話があって」
いつものアルトらしからぬ歯切れの悪さ。いかにも気が進まない、という口調だ。
「ああ、その話。私のところに直接オファーが来たけど、断ったの。戦争みたいな状態だから、協力は惜しまないけど、政治とかからは距離を置きたいから。なんでアルトから、そんな話が出てくるの?」
「いろいろ、しがらみってヤツさ。いいんだ。お前に一応、話すだけは話してみるってことで、説得は俺の仕事じゃない。お前のスタイルに合わないなら、断るってことだな。じゃ」
そこで通話が切れた。
シェリルはカボチャのアイコンが消えていく様子を見つめていたが、顔を上げてグレイスを見た。
心得顔のグレイスはインプラントされたインターフェイスを使って、フロンティア内部のネットワークにアクセス。高速で検索を終了した。
「早乙女アルトと新統合軍で検索したら、ヒットしました。アルト君、軍用機の無許可・無免許使用で軍に告訴されかかっているわね」
「なにそれ?」
「フロンティアでのファースト・ライブ直後の事件だわ。バジュラが船内に侵入したことがあったでしょう? その時に戦闘機に乗って派手に活躍したみたい。バジュラに襲われたという状況から見て、止むを得ない緊急避難だと思うのだけど……法的措置に乗り出すようよ。シェリルの歌と引き換えに、一種の司法取引みたいなものかしらね?」
「馬鹿、意地っ張り」
シェリルは唇を引き結んだ。なぜ、その事情を先に言わない。
答は判っている。
(私に無理強いしないため)
シェリルは立ち上がり、部屋の中をイライラと歩き回った。
ふいに立ち止まると、にっこり笑ってグレイスを振り返った。
「ねえ、グレイス。軍は私を利用したいみたいだけど、私も軍を利用させてもらってもいいわよね?」
「悪だくみを思いつきましたね?」
グレイスのメガネがキラリと光った。
SMSマクロス・クォーターの居住区画。
「そーゆーわけで、シェリルの答えはNoだ、キャサリン・グラス中尉殿」
「しかたありません、早乙女アルト准尉。軍は法的措置を講じます。後悔しても遅いのよ?」
アルトは携帯端末をポケットに突っ込んだ。
「軍もなりふりかまってないな。俺みたいなガキを脅すなんて」
キャシーは深いため息をついた。
「どうしてSMSの連中は……ま、いいわ。終わったことです」
アルトにも心積もりがあった。
今は戦時下。人口の限られた都市宇宙船では人手は貴重だ。何らかの刑事罰が下るにしても、執行を猶予されるか、状況が落ち着いてからのことだろう。
その時、アルトの端末が振動した。
手に取ると、相手はシェリルだった。
「はい……え、いいのかよ? 無理しなくって……えっ……あ、ああ。交渉してみる」
アルトは通話を切ると、なんとも釈然としない面持ちでキャシーに報告した。
「シェリルはキャンペーンソングを引き受けるとのことです」
「まあ、どういう風の吹き回しかしら? でも、ありがとうアルト准尉」
「別に俺が説得したわけじゃ……ついてはシェリルの方からの依頼があります」
依頼を耳にしたキャシーは難色を示したが、結局、新統合軍はシェリルの要求を呑むことになった。
複座型VF-171のコクピット。
タンデム配列の前席にはシェリルが、後席にアルトが乗り込んでいる。
二人ともきちんとパイロットスーツを身に着けた姿だった。
VF-171は巨大な機械腕によって飛行甲板へと搬出されつつある。
「軍にここまでさせるなんて、どんな手を使ったんだよ?」
アルトは機内だけで通じる回線で話しかけた。
「銀河の妖精は魔法が使えるのよ」
澄まして答えたシェリル。しかし表情は好奇心できらめいていた。初めて見る母艦の内部やキャノピーを隔てて見る宇宙空間に目を見張る。
シェリルは軍のキャンペーンソングを制作する代わりに、取材としてバルキリーへの搭乗を願い出た。
新統合軍は訓練用の機体を貸し出してくれた。
シェリルの表情が素材になるかも知れないということで、コクピット内部を写すカメラも設置されている。
パイロットはアルトを指名していた。
「答えになってないって。でもな……ありがとう。正直、軍の依頼を受けてくれて助かった」
「ふふっ」
素直なアルトの感謝が耳に心地よい。
「こちら管制、シルフィード1、発進位置に着いた」
管制がコールサインでアルトを呼び出した。
「こちらシルフィード1、発進位置を確認した」
「シルフィード1、発進許可が出た……銀河の妖精とデートとは羨ましいねぇ。帰ってきたら袋叩きに遭うぞ」
「管制、忠告感謝する。発進」
スロットルを押し込むと反応炉が出力を上げた。
機械腕が機体を解放する。
リニア・カタパルトの与える加速が体をシートに押し付けた。
蹴りだされるようにVF-171は虚空に躍り出る。
現在、フロンティア船団が停泊しているのは、ガスジャイアント型惑星の近傍宙域だった。ここで補給物資を収集している。
「さあ、訓練風景を見ていこうか」
新統合軍が射爆訓練を実施している宙域へと向かう。
途中でシェリルが声を上げた。
「あ、光った。あそこで訓練しているの?」
惑星から宇宙空間に向けて光が閃いた。
「あれは違う。自然現象……フラックス・チューブ(大電流束)だ。ガスジャイアントの周りには強力な磁界があって、その中を衛星が通る度に宇宙サイズの電撃が出る。遠いから細く見えるが、地球がまる焦げになるぐらいのサイズはあるぞ」
「すごーい。大きな電子レンジみたいなものね」
「そう……とも言えるな」
「でも、音が聞こえないと迫力ないわ」
「聞こえるぜ」
「ほんと?」
アルトは通信機のノイズ・キャンセリング機能を止めた。
ガガガガガ…ガガガガガガガガガガ…ッ!!!
巨大な何かを引っかくような音がスピーカーから飛び出した。フラックス・チューブに伴って発生する電波が、音に変換されたのだ。すぐに人間の耳に害のないレベルまで音量が下がる。
「どうだった、天上の音楽は?」
アルトの質問にシェリルは頭を振った。
「あまりに刺激的」
木星タイプ・ガスジャイアント型惑星の周囲には、環が5つ、衛星が10個ほど確認されていた。
複雑な空間構成で見所が多い。
ところどころで少し寄り道してゆきながら訓練宙域に到達する。
「こんな世界を、いつも見ているのね」
シェリルの声が寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか?
「そろそろ見えてくるはずだ…」
キャノピーにいくつかの記号が表示された。友軍機のシンボルだ。
「こちらシルフィード1、グリフィン・リーダー応答願います」
すぐに返事がきた。
「こちらグリフィン・リーダー、シルフィード1歓迎する。特等席へご招待だ」
座標を指定してくるので、誘導に従って飛ぶ。
今日の訓練は母艦のような巨大な目標への攻撃訓練だった。
電子的に作り出された実物大ダミーめがけて、小隊単位での攻撃をしかけている。
砲火をかいくぐり、やはりダミーの対艦ミサイルが射出され、命中とともに巨大な火球が生まれる。
「グリフィン4、貴様は撃墜された。離脱せよ」
グリフィン・リーダーの判定に、翼を翻すグリフィン4。
新統合軍は高性能の無人戦闘機に頼りすぎていた。
強力なジャミング能力を持つバジュラに対抗するため、人間のパイロットが再び重視されてきてはいるが、練度不足は否めない。
「ね、アルト、参加してみたくならない?」
シェリルが声をかけてきた。
「ちょっと待て、子供の遊びじゃないんだぞ。事前の計画に沿ってやらないと…」
アルトが嗜めるのも聞かず、シェリルはグリフィン・リーダーに呼びかけた。
「こちらシェリル・ノーム。グリフィン・リーダー聞こえますか?」
「感度良好。まさか軍用の回線でシェリルさんの声が聴けるとは思ってませんでしたよ」
「飛び入り参加させてもらってもいいかしら?」
しばらくの沈黙があって、グリフィン・リーダーが返答した。
「いいでしょう。その代わり、怪我をしても知りませんぞ」
「ありがとう、グリフィン・リーダー」
キャノピーに表示されたグリフィン・リーダーの映像に向かって投げキスを飛ばすと、シェリルはアルトをけしかけた。
「許可が出たわよ」
「お前なぁ……舌を噛まないように歯を食いしばってろ」
使い慣れない新統合軍のVF-171だ。頭の中でスペックの違いをチェックしながら、攻撃位置に遷移した。
機載コンピュータに訓練の設定、使用するダミー武装のデータが入力される。
「行け、シルフィード1」
グリフィン・リーダーの合図とともに、標的艦へと加速する。
個艦防御システムの砲火をひらりひらりと回避し、バトロイドに変形して砲塔を潰し、再びファイター形態にシフトして、実体の無いダミー弾を射出する。
「おお……」
通信回線にグリフィン小隊一同の声が響いた。判定は敵艦の撃沈。
アルトにしてみれば、バジュラの母艦と相対した時のことを思えば、たいしたことはない。
「さすがだ、シルフィード1」
グリフィン・リーダーの賞賛とともに、小隊各機がバンク(小さく翼を振る)して同意を示した。
「飛び入り許可、感謝する……大丈夫か?」
礼を述べると、前席のシェリルに声をかけた。
「め…目が回ったけど……だ…だいじょぶ……でも、疲れたわ」
「OK、帰投しよう」
アルトは機首をアイランド1へと向けた。
(続く)
2008.05.19 ▲
SMSマクロス・クォーターの格納庫では、パイロットたちがそれぞれの愛機をチェックしていた。
チェックリストをクリアした者から、居住区画へと引き上げてゆく。
ルカは、愛機に随伴する無人機をチェックする都合上、いつも格納庫から引き揚げるのが最後だった。
チェックシートから顔を上げると、クランクランもクアドラン・レアの整備を終えたところだった。
ちょうどいい機会だ。ルカは、いつも心のどこかに抱いている疑問を尋ねてみた。
「クランクラン大尉、教えてください。ミシェル先輩って、どんなお子さんだったんですか? 幼馴染って聞いたんですが」
巨人サイズのクランクランは即答した。
「うん? 苦手だったな」
「苦手?」
「ワタシから見てミシェルは苦手な子供だった」
クランクランは幼いミシェルのことを回想した。
クランクランは、決してミシェルが嫌いなわけではなかった。
ブロンド・緑の瞳・白い肌。外見は、まるで童話の絵本から抜け出したような愛らしい子供だった。
しかし、時折ミシェルの子守をしなければいけない時は、大いに神経をすり減らされた。
マイクローンの子供は動きが鈍く、肉体は脆い。うっかりすると傷つけそうで、触れるのが怖い。
かといって、寂しがり屋だったミシェルは放っておかれると、ぐずり、泣き出す。そうなると、御機嫌を取るのに難儀する。
その癖、ミシェルは自分が主導権を握れないとすねた。
結局、いつもミシェルが一番気に入っている遊びの相手を務めることになる。
「ねー、クラン、とざんゴッコしよ」
「うむ、登山ゴッコだな。まずはレベル1だ」
ゼントラーディ・タウンにあるクランクランの部屋。カーペットの上でクランクランはうつ伏せに寝転んだ。両肘をついて、首を起こす。
「ミシェルたいちょう、これより、やまにのぼります!」
床の上から、幼いミシェルがクランクランの脇腹あたりをよじ登り始めた。
クランクランが身につけているTシャツをつかんで、背中に上がる。
背筋をたどって首のところまで来ると、青い髪をつかんで頭の上まで登る。
クランクランにしてみれば、こそばゆかったり、少しばかり痛かったりするが、じっと我慢する。
「とうちょうにせいこうしましたー」
頭の上でミシェルが立ち上がり、自慢げに宣言する。
「よーし、登頂できたら次はレベル2だ」
クランクランは頭の上からミシェルとそっと床に下ろす。
そして、姿勢を変えてヨガのポーズのように胡坐をかいた。
「つぎ、いきまーす」
ミシェルは、クランクランの太ももによじ登ると、シャツをつかんで登り始めた。
ミシェルは手を伸ばした。シャツだけではなく、その下の素肌も一緒につかむ。
「んっ」
思わず声が出るクランクラン。
「だいじょぶ?」
ミシェルが気遣って顔を見上げた。
「な、何でもないぞ。早く登ってこい」
「りようかい」
ミシェルは、ようやく肩の上に乗った。
「ふぅ、ひとやすみ」
登山ゴッコの良いところは、クランクランに触れていられるおかげでミシェルが寂しがることもないし、両手でミシェルの体を受け止められるので、怪我をさせる危険も少ないところだった。
それに、懐いてくるミシェルは、この上なく可愛らしい。
「きゅうけいおわり」
ミシェルは立ち上がったが、バランスを崩した。
「おっと」
襟ぐりに足を滑らせ、Tシャツの下に潜り込んでしまう。
「はぅ」
思わず声が出るクランクラン。ミシェルの体をつかんで肩に乗せた。
「そこはまずいぞ、さすがに」
「ごめん。もっぺんちょうせんするね」
今度は髪をつかみ、耳だぶを手掛かりにして登頂に成功したミシェル。
「やったぁ」
「へぇ、そんな遊びをしてたんですか」
ルカが目を丸くした。
いつも持っている携帯端末でメモをつける。
"ミシェル先輩は小さい頃から女体探検が得意だった"
チェックリストをクリアした者から、居住区画へと引き上げてゆく。
ルカは、愛機に随伴する無人機をチェックする都合上、いつも格納庫から引き揚げるのが最後だった。
チェックシートから顔を上げると、クランクランもクアドラン・レアの整備を終えたところだった。
ちょうどいい機会だ。ルカは、いつも心のどこかに抱いている疑問を尋ねてみた。
「クランクラン大尉、教えてください。ミシェル先輩って、どんなお子さんだったんですか? 幼馴染って聞いたんですが」
巨人サイズのクランクランは即答した。
「うん? 苦手だったな」
「苦手?」
「ワタシから見てミシェルは苦手な子供だった」
クランクランは幼いミシェルのことを回想した。
クランクランは、決してミシェルが嫌いなわけではなかった。
ブロンド・緑の瞳・白い肌。外見は、まるで童話の絵本から抜け出したような愛らしい子供だった。
しかし、時折ミシェルの子守をしなければいけない時は、大いに神経をすり減らされた。
マイクローンの子供は動きが鈍く、肉体は脆い。うっかりすると傷つけそうで、触れるのが怖い。
かといって、寂しがり屋だったミシェルは放っておかれると、ぐずり、泣き出す。そうなると、御機嫌を取るのに難儀する。
その癖、ミシェルは自分が主導権を握れないとすねた。
結局、いつもミシェルが一番気に入っている遊びの相手を務めることになる。
「ねー、クラン、とざんゴッコしよ」
「うむ、登山ゴッコだな。まずはレベル1だ」
ゼントラーディ・タウンにあるクランクランの部屋。カーペットの上でクランクランはうつ伏せに寝転んだ。両肘をついて、首を起こす。
「ミシェルたいちょう、これより、やまにのぼります!」
床の上から、幼いミシェルがクランクランの脇腹あたりをよじ登り始めた。
クランクランが身につけているTシャツをつかんで、背中に上がる。
背筋をたどって首のところまで来ると、青い髪をつかんで頭の上まで登る。
クランクランにしてみれば、こそばゆかったり、少しばかり痛かったりするが、じっと我慢する。
「とうちょうにせいこうしましたー」
頭の上でミシェルが立ち上がり、自慢げに宣言する。
「よーし、登頂できたら次はレベル2だ」
クランクランは頭の上からミシェルとそっと床に下ろす。
そして、姿勢を変えてヨガのポーズのように胡坐をかいた。
「つぎ、いきまーす」
ミシェルは、クランクランの太ももによじ登ると、シャツをつかんで登り始めた。
ミシェルは手を伸ばした。シャツだけではなく、その下の素肌も一緒につかむ。
「んっ」
思わず声が出るクランクラン。
「だいじょぶ?」
ミシェルが気遣って顔を見上げた。
「な、何でもないぞ。早く登ってこい」
「りようかい」
ミシェルは、ようやく肩の上に乗った。
「ふぅ、ひとやすみ」
登山ゴッコの良いところは、クランクランに触れていられるおかげでミシェルが寂しがることもないし、両手でミシェルの体を受け止められるので、怪我をさせる危険も少ないところだった。
それに、懐いてくるミシェルは、この上なく可愛らしい。
「きゅうけいおわり」
ミシェルは立ち上がったが、バランスを崩した。
「おっと」
襟ぐりに足を滑らせ、Tシャツの下に潜り込んでしまう。
「はぅ」
思わず声が出るクランクラン。ミシェルの体をつかんで肩に乗せた。
「そこはまずいぞ、さすがに」
「ごめん。もっぺんちょうせんするね」
今度は髪をつかみ、耳だぶを手掛かりにして登頂に成功したミシェル。
「やったぁ」
「へぇ、そんな遊びをしてたんですか」
ルカが目を丸くした。
いつも持っている携帯端末でメモをつける。
"ミシェル先輩は小さい頃から女体探検が得意だった"
2008.05.18 ▲
初めてのスタジオ録音。
大勢の観客の前で歌うわけではないから大丈夫だと思っていたが、自覚している以上に緊張しているらしい。
ランカは泣きそうな気分だった。
ガラス窓の向こうではディレクターとして紹介された男性がスタジオエンジニアに指示を飛ばしていた。
今度もOKが出なかったようだ。
「休憩を入れようか。1時間ほど」
スピーカー越しの声が降ってきた。
弱小プロダクションにとってはスタジオの使用料も馬鹿にならない出費だ。
ランカは深いため息をついた。
「ちょっと外の空気吸って来まーす」
スタジオを出て、ロビーの自販機のところに行く。
「はぁ…」
また溜息が出る。
(アルト君…)
アルトの飛ばす白い紙飛行機のイメージを心に描くが、沈んだ気持ちは浮き立たない。
とりあえず、オレンジジュースを買った。
出てきた缶を手に取ったところで、背後から威勢の良い声が聞こえてきた。
「ダメよ。納得できないもの。何度でも録りなおしするわ」
聞き覚えのある女性の声にランカは振り向いた。
スタジオエンジニアやミュージシャンに囲まれているのは、どこにいても目立つブロンドの妖精。
「シェリルさん…」
同じスタジオを借りていたのかと驚いた。
そして、もっと驚いたのは、シェリルがこちらを見たことだ。
「ランカちゃん」
小さく呟いただけなのに聞こえたようだ。
「こ、こんにちはっ」
ぺこっと頭を下げる。
シェリルはエンジニアに何事か告げると、ランカのところにやってきた。
「こんにちは。あなたは……レコーディング?」
「はいっ」
「偶然ね、私もそうなの。でも行き詰まっちゃって…聞こえたかしら?」
ランカはうなずいた。
「わ、わたしもそうなんです。シェリルさんとレベルが違うんですけど……」
「ふぅん。どうしたの?」
「なかなかOKのトラックが出なくって」
「ああ、あるわ、そういう時。今がちょうどそんな時なんだけど」
「でも…」
ランカはチラリと自分のスタジオを振り返った。
「わたしはディレクターさんにOKもらえないんです。
シェリルさんみたいに、自分の理想をおいかけているんじゃなくて」
「ははぁん」
シェリルは何事か思いついたようだ。
「いいわ。先輩のシェリル・ノームが相談に乗ってあげましょう。来なさい」
シェリルはランカの手を取って、今までシェリル自身がレコーディングに使用していたスタジオへ向かった。
そのスタジオは、ランカが使用しているものとは比べ物にならないほど規模で、オーケストラの録音にも使えそうな広さだった。実際、オーケストラが入っていたようで椅子が並んでいる。ただし、今は休憩時間なのかスタジオ内に人はいない。
「えーと、あれはどこだったかしら?」
ランカがスタジオ設備に見とれている間に、シェリルはコンソールを操作して、目当ての曲データを探し出していた。
「ランカちゃん…」
「ランカでいいです」
シェリルは慣れない手つきながらも、コンソールのディスプレイに楽譜を表示させた。
「じゃあ、私もシェリルでいいわ。このスコアを見て。このコーラスのパートを歌って欲しいの。私はメインのパートを歌うから」
「ええっ」
ランカは目を丸くした。
「ちょっとしたお遊びよ。気軽にね」
シェリルはヘッドセットをランカに渡した。
「オケ(曲のみ)を一度聴いて、それから歌ってみましょ」
ランカはヘッドセットをつけて流れ出るメロディーに耳を澄ませた。
その曲のイントロはメロウなピアノのコードから始まっていた。初めて耳にする曲だ。
「聴いてもらったわね。じゃ、いくわよ」
ランカがオケを聴いたのを確認して、シェリルはマイクを前にした。
あのイントロが再び聞こえる。
「It's only love……」
シェリルの歌声を耳にして、ランカもコーラスのパートを歌い始める。あまりに急なことで、余計なことは考えられず、無我夢中になって楽譜を追う。
歌い終わると、シェリルから次の曲の楽譜を与えられ、また二人で歌う。今度はデュオで。
曲は、電子楽器のサウンドをメインにしたテンポの良い曲だった。
「どうだった、ランカ?」
歌い終わってシェリルが尋ねた。
「あのっ、すごい難しい曲で……ついていくのが必死」
ランカが額に手を当てると、うっすらと汗をかいていた。
「ふふっ。どんな風に難しかったの?」
シェリルは再びコンソールを操作して、今、録音した歌を画面上に呼び出していた。
「ええと、最初の曲はメロディが変則的で、コーラスも何かすごい変。音がオクターブずれてたり、変なんだけど、耳には綺麗に聞こえるんです」
「そうね。普通のハーモニーじゃないわ、確かに。次の曲は?」
「次のは、やっぱり難しかったんですけど……ええと、何かな。テンポかな?」
「そうよ。メロディーが4拍子なのに、ボーカルが5拍子なの。よくついてこれたわね。
ランカは色々考え込むと、上手くいかないタイプなのかしら? 初見の曲でこれだけ歌えるのに」
「ええっ」
歌手として憧れ続けたシェリルからの言葉は、ランカを驚かせた。
「才能があるってことよ」
「えっ…えっ……そんな…さいのうなんて…」
ランカは頬を赤らめ、言葉はつっかえている。
「あら…」
そんなランカの様子を微笑んで見つめるシェリル。
「才能だけで渡っていけるわけじゃないけれど、大きな武器なのは違いないわ」
夢見心地のランカはシェリルの言葉が耳に入っていないようだ。
「もう、舞い上がりすぎよ……えいっ、ショック療法」
シェリルはランカの唇にキスした。
「ひゃっ」
ランカの緑の髪がピクンと反応した。
「さあ、あなたのスタジオに行きなさい。銀河の妖精がかけてあげた魔法が解けないうちに」
シェリルはランカの背中をポンと軽く押し出した。
「は、はいっ、いきますっ」
ランカはぺこんと頭を下げて、スタジオを出た。右手と右足が同時に前に出ている。
シェリルはニッコリ笑って手を振った。
魔法のおかげか、ランカの歌は休憩後の録音で一発OKが出た。
大勢の観客の前で歌うわけではないから大丈夫だと思っていたが、自覚している以上に緊張しているらしい。
ランカは泣きそうな気分だった。
ガラス窓の向こうではディレクターとして紹介された男性がスタジオエンジニアに指示を飛ばしていた。
今度もOKが出なかったようだ。
「休憩を入れようか。1時間ほど」
スピーカー越しの声が降ってきた。
弱小プロダクションにとってはスタジオの使用料も馬鹿にならない出費だ。
ランカは深いため息をついた。
「ちょっと外の空気吸って来まーす」
スタジオを出て、ロビーの自販機のところに行く。
「はぁ…」
また溜息が出る。
(アルト君…)
アルトの飛ばす白い紙飛行機のイメージを心に描くが、沈んだ気持ちは浮き立たない。
とりあえず、オレンジジュースを買った。
出てきた缶を手に取ったところで、背後から威勢の良い声が聞こえてきた。
「ダメよ。納得できないもの。何度でも録りなおしするわ」
聞き覚えのある女性の声にランカは振り向いた。
スタジオエンジニアやミュージシャンに囲まれているのは、どこにいても目立つブロンドの妖精。
「シェリルさん…」
同じスタジオを借りていたのかと驚いた。
そして、もっと驚いたのは、シェリルがこちらを見たことだ。
「ランカちゃん」
小さく呟いただけなのに聞こえたようだ。
「こ、こんにちはっ」
ぺこっと頭を下げる。
シェリルはエンジニアに何事か告げると、ランカのところにやってきた。
「こんにちは。あなたは……レコーディング?」
「はいっ」
「偶然ね、私もそうなの。でも行き詰まっちゃって…聞こえたかしら?」
ランカはうなずいた。
「わ、わたしもそうなんです。シェリルさんとレベルが違うんですけど……」
「ふぅん。どうしたの?」
「なかなかOKのトラックが出なくって」
「ああ、あるわ、そういう時。今がちょうどそんな時なんだけど」
「でも…」
ランカはチラリと自分のスタジオを振り返った。
「わたしはディレクターさんにOKもらえないんです。
シェリルさんみたいに、自分の理想をおいかけているんじゃなくて」
「ははぁん」
シェリルは何事か思いついたようだ。
「いいわ。先輩のシェリル・ノームが相談に乗ってあげましょう。来なさい」
シェリルはランカの手を取って、今までシェリル自身がレコーディングに使用していたスタジオへ向かった。
そのスタジオは、ランカが使用しているものとは比べ物にならないほど規模で、オーケストラの録音にも使えそうな広さだった。実際、オーケストラが入っていたようで椅子が並んでいる。ただし、今は休憩時間なのかスタジオ内に人はいない。
「えーと、あれはどこだったかしら?」
ランカがスタジオ設備に見とれている間に、シェリルはコンソールを操作して、目当ての曲データを探し出していた。
「ランカちゃん…」
「ランカでいいです」
シェリルは慣れない手つきながらも、コンソールのディスプレイに楽譜を表示させた。
「じゃあ、私もシェリルでいいわ。このスコアを見て。このコーラスのパートを歌って欲しいの。私はメインのパートを歌うから」
「ええっ」
ランカは目を丸くした。
「ちょっとしたお遊びよ。気軽にね」
シェリルはヘッドセットをランカに渡した。
「オケ(曲のみ)を一度聴いて、それから歌ってみましょ」
ランカはヘッドセットをつけて流れ出るメロディーに耳を澄ませた。
その曲のイントロはメロウなピアノのコードから始まっていた。初めて耳にする曲だ。
「聴いてもらったわね。じゃ、いくわよ」
ランカがオケを聴いたのを確認して、シェリルはマイクを前にした。
あのイントロが再び聞こえる。
「It's only love……」
シェリルの歌声を耳にして、ランカもコーラスのパートを歌い始める。あまりに急なことで、余計なことは考えられず、無我夢中になって楽譜を追う。
歌い終わると、シェリルから次の曲の楽譜を与えられ、また二人で歌う。今度はデュオで。
曲は、電子楽器のサウンドをメインにしたテンポの良い曲だった。
「どうだった、ランカ?」
歌い終わってシェリルが尋ねた。
「あのっ、すごい難しい曲で……ついていくのが必死」
ランカが額に手を当てると、うっすらと汗をかいていた。
「ふふっ。どんな風に難しかったの?」
シェリルは再びコンソールを操作して、今、録音した歌を画面上に呼び出していた。
「ええと、最初の曲はメロディが変則的で、コーラスも何かすごい変。音がオクターブずれてたり、変なんだけど、耳には綺麗に聞こえるんです」
「そうね。普通のハーモニーじゃないわ、確かに。次の曲は?」
「次のは、やっぱり難しかったんですけど……ええと、何かな。テンポかな?」
「そうよ。メロディーが4拍子なのに、ボーカルが5拍子なの。よくついてこれたわね。
ランカは色々考え込むと、上手くいかないタイプなのかしら? 初見の曲でこれだけ歌えるのに」
「ええっ」
歌手として憧れ続けたシェリルからの言葉は、ランカを驚かせた。
「才能があるってことよ」
「えっ…えっ……そんな…さいのうなんて…」
ランカは頬を赤らめ、言葉はつっかえている。
「あら…」
そんなランカの様子を微笑んで見つめるシェリル。
「才能だけで渡っていけるわけじゃないけれど、大きな武器なのは違いないわ」
夢見心地のランカはシェリルの言葉が耳に入っていないようだ。
「もう、舞い上がりすぎよ……えいっ、ショック療法」
シェリルはランカの唇にキスした。
「ひゃっ」
ランカの緑の髪がピクンと反応した。
「さあ、あなたのスタジオに行きなさい。銀河の妖精がかけてあげた魔法が解けないうちに」
シェリルはランカの背中をポンと軽く押し出した。
「は、はいっ、いきますっ」
ランカはぺこんと頭を下げて、スタジオを出た。右手と右足が同時に前に出ている。
シェリルはニッコリ笑って手を振った。
魔法のおかげか、ランカの歌は休憩後の録音で一発OKが出た。
2008.05.17 ▲
本日、最終授業の終業ベルが鳴った。
「さて、これからどーすっかなー」
アルトは椅子に座ったまま、背伸びをした。
今日は珍しくSMSの訓練シフトから外れているので、放課後の予定はフリーだ。
背後から忍び寄る気配がした。
耳元で甘く囁く声。
「アルト、私、今夜……」
銀河の妖精は、まるでバラードのように掠れた声で囁いた。
「お寿司が食べたいわ」
振り返ると悪戯っぽい笑みを浮かべたシェリルがいる。
「な…なんで俺が……悪いな、今日はシフトが入っているから、付き合ってやれない」
「ふふん、嘘はいけないわよ早乙女アルト君。これからヒマなのはルカ君に教えてもらったもの」
「くっ……守秘義務違反だぞルカ」
「やっぱりヒマだったのね」
シェリルは、勝ち誇った。
アルトもカマをかけられたのに気づいて、がっくりする。
「本当はね、さっきアルトが"どーすっかなー"って言うのを聴いてたのよ」
「耳が良いんだな」
かなわないと両手をあげて降参の仕草。
「いきなり寿司だなんて、どうしたんだ?」
「フロンティアって言えば、本格的な和食が食べられるって、有名なのよ」
「そうだな」
大規模なバイオプラントで、擬似的な生態系を構築しているマクロス・フロンティアは食材の豊かさで移民船団の中でもトップレベルを誇る。
「アルトなら地元の人しか知らないようなお店を知っているんじゃないかって思ったの。せっかくだから合成物じゃなくて天然物で」
「そんなのネットで検索するとかして、勝手に行けよ」
シェリルは左手でブロンドをかきあげた。形良い耳たぶが現れる。
「イヤリング」
「くっ」
「返すって約束したでしょ。約束を破ったアルトは、奴隷なんだから」
イヤリングを失ったアルトは、シェリルに対して大きな負い目を感じていた。
「わーったよ、心当たりはある」
頭の片隅で口座の残高を気にしつつ、アルトは携帯端末を取り出して予約のコールをした。
その店は、繁華街の裏通りに『築地』という看板を出していた。
和風の引き戸を開けると、ドアベルの代わりにぶら下げられた火箸が涼やかな音を立てる。
「いらっしゃい、おやアルト坊ちゃん久し振り。彼女とデートかい?」
まだ客のいない店内、カウンターの向こうから老人の域にさしかかった大将が声をかける。
「坊ちゃんはやめてくれよ」
とは言ったものの、アルトは大将の様子が変わってないのが何となく嬉しかった。
若い衆の案内で、カウンターの端、奥まった席へと通される。
物珍しそうに店内を眺めていたシェリルが、アルトに小声で囁いた。
「このお店、メニューは無いの?」
「ああ、こういうところだと大将にどんなネタが入っているかを聞いて、その中から選ぶんだ。でも、今夜のところは」
アルトは大将に"おまかせ"でオーダーした。
「あいよっ」
威勢の良い返事とともに、白身の握りから出てきた。
シェリルはアルトのしぐさを見よう見まねで、ぎこちないながらも寿司を醤油に付けて一口たべる。目が丸くなった。
「あ、大丈夫か?」
アルトは口に合わなかったかと焦った。
シェリルは嚥下して満面の笑顔になった。
「おーいしぃ」
「お前が味のわかるやつで良かった」
アルトがほっとしたところで、タイミング良く次の握りが出てきた。
「ギャラクシーでもね、食べられはするけど、合成物なの。合成だからまずいって言うんじゃないけれど、やっぱり違うわ。握っててもロボットだし」
「そうなのか。でも、そのロボット、もしかしたら大将の弟子かもしれないな」
「弟子?」
「そう。大将が若い頃に握りの動作をサンプリングさせたロボットが銀河中に出回ってるって言ってた。そうだろ?」
話を振られた大将は、にっこり笑ってマグロを差し出した。
「サンプリング・モデルに選ばれるってことは……すごい人なのね、大将さん。なんで高校生のクセに、こんなお店知ってるのよ?」
「まあ、な」
アルトが言葉を濁すと、シェリルが笑って続けた。
「お父さんに連れられてきた、ってところかしら?」
「そんなところだ」
コースが終わり、緑茶で喉を潤す頃には、店内はそれなりに混んできた。
「いらっしゃい」
また新しい客が入ってきたようだ、そちらをチラリと見たアルトは固まった。よりによって、今日かち合うとは。
「嵐蔵さん、ご無沙汰で」
大将がにこやかに挨拶している相手は父だった。いつもの指定席にしている座席に案内されている。
今、アルトたちが座っている席は、嵐蔵からは死角になっていた。
(そうか大将、気を使ってくれたんだな)
アルトは心の中で大将に頭を下げた。
嵐蔵はタニマチ(後援者)らしい紳士と二人連れだった。
今の嵐蔵は舞台の真っ最中で、興行中はこの店に来ないことをアルトは知っていた。
だが、タニマチに誘われたのなら付き合わないわけには行かないだろう。
「どうしたの?」
突然動きが固まったアルトを怪訝な様子で見ていたシェリルは、アルトの視線の先を見て理由が判ったらしい。
「ふふ…」
悪戯っぽい笑顔になると、シェリルは席から立ち上がった。
「おい?」
アルトがあっけにとられていると、シェリルは混んでいる店内をするりと通り抜けて、嵐蔵のところまで行った。
「失礼ですが、早乙女嵐蔵さんでいらっしゃいますか? 私、シェリル・ノームです。ご挨拶にまいりました」
「おお、これはご丁寧に。さあ、どうぞ……お座りなさい」
嵐蔵は隣の椅子をシェリルに薦めた。
「おいおい…」
意外な成り行きにアルトはなす術も無かった。
シェリルと嵐蔵、そしてタニマチとは和やかに会話が弾んでいる。途中で嵐蔵が片手をあげて、大将に呼びかけた。
「すまんが、筆と色紙はあるか? 墨も」
その声に大将は愛想よく答え、店に用意してあった毛筆を嵐蔵に渡した。
嵐蔵は達者な手つきで色紙に何事か書くと、シェリルに渡した。
シェリルも別の色紙にサインをかきいれて、タニマチに渡していた。それをきっかけに、他の客や寿司屋の若い衆もシェリルにサインをねだって、ちょっとしたサイン会の様相を呈した。
「ありがとうございます。大切にします」
丁重に挨拶すると、シェリルは色紙を抱えてアルトのところに戻ってきた。
「さあ、出ましょう」
「あ、ああ……」
呆然としたアルトは、シェリルに手を引かれて店を出た。
近くの公園で散歩する二人。
「ね、アルト、これは何て書いてあるの?」
シェリルが差し出した色紙を見ると、見慣れた父親の筆跡で墨痕鮮やかに漢字が散らし書きされていた。
「序破急」
「どういう意味?」
「親父は教えてくれなかったのか?」
「ええ、連れに聞いてみなさいって、おっしゃってたわ」
やっぱり気付かれていたか。アルトは苦虫をかみつぶした。
「日本の伝統的な芸能の分野で使われる言葉だ。いろんな解釈があるけど、序は物事の始め、師匠の動きを徹底的に真似る段階」
アルトは公園の噴水を取り囲む縁の上に飛び乗って、両手を拡げてバランスをとった。
「破は、師匠の真似を破り、自分の形を追求する段階。急は完成の段階だ。芸の道は、序破急を永遠に繰り返すこと……だってさ」
「素敵な言葉だわ」
シェリルは噴水の縁に座って、靴を脱いだ。素足を水面に付けて、冷たさに小さく悲鳴を上げる。
「芸能界の先達として、若輩の私に相応しい言葉を下さいって、お願いしたの」
「そうだな。成長していかないと」
「きっとお寿司屋さんの大将さんもそうね。動きを真似しただけのロボットじゃ、あんな風にできない。ずっと成長し続けている」
「へぇ、気づいたのか」
「お客さんの食べるペースに合わせてネタを用意してたわ。まるでオーケストラの指揮者みたいに」
「すごいな」
もちろん、アルトはその事を知っていたが、それは父親から教えられたものだった。
シェリルへの尊敬の念が湧いてくる。
「……でもな、俺に対する、ものすごく遠まわしな嫌味のような気もする」
「家出したから?」
「知ってたか……ゴシップの記事にちょこっと載ってたからな」
アルトはシェリルの真似をして、靴を脱いで噴水に足を踏み入れた。
「厳しそうな方だけど、素敵なお父さんじゃない」
「実態を知らないからそんなことが言えるんだ」
ちょっと強い口調で言ってから、アルトはしまったと口を閉じた。シェリルの生い立ちを思えば、肉親を罵るのははばかられた。
シェリルの隣に座って、並んで空を見上げた。
夜空にはリニアの軌道が見え、その向こうに星々がきらめいている。
「アルトはぜいたくなのよ」
シェリルがアルトの後ろ髪を手にとって、弄ぶ。
「歌舞伎って何百年も伝統があるんでしょう? 伝統なんてお金出しても買えないわ」
分が悪いと思ったアルトは、話題を逸らした。
「……何を話してたんだ? 話が弾んでたみたいだった」
「あのお店、ネットに情報公開してないんですって。だから、どうやって見つけたのか聞かれたわ。フロンティア現地採用スタッフが教えてくれたって言っておいたけど」
シェリルはアルトの長い髪を三つ編みにしたり、ほどいたりしながら答えた。
「現地採用かよ」
「あら、嘘はついてないわ。奴隷に比べたら、スタッフの方がずいぶん出世していると思わない? ところでアルト、シャンプーは何を使ってるの?」
「え、何って普通の」
「市販品でこんなにつやつや、まっすぐなの? もう、やっぱりぜいたくだわ、アルト。恵まれ過ぎよ。女の子でも羨ましがるわ」
「女みたいって言うなよ」
「言うわよ。実際、誰が見ても美人だもの。でも…」
シェリルはアルトの髪をぐいっと引っ張って、顔を寄せた。
「アルトが男らしいことも知っているわ」
アルトは噛みつくように唇を合わせた。
「さて、これからどーすっかなー」
アルトは椅子に座ったまま、背伸びをした。
今日は珍しくSMSの訓練シフトから外れているので、放課後の予定はフリーだ。
背後から忍び寄る気配がした。
耳元で甘く囁く声。
「アルト、私、今夜……」
銀河の妖精は、まるでバラードのように掠れた声で囁いた。
「お寿司が食べたいわ」
振り返ると悪戯っぽい笑みを浮かべたシェリルがいる。
「な…なんで俺が……悪いな、今日はシフトが入っているから、付き合ってやれない」
「ふふん、嘘はいけないわよ早乙女アルト君。これからヒマなのはルカ君に教えてもらったもの」
「くっ……守秘義務違反だぞルカ」
「やっぱりヒマだったのね」
シェリルは、勝ち誇った。
アルトもカマをかけられたのに気づいて、がっくりする。
「本当はね、さっきアルトが"どーすっかなー"って言うのを聴いてたのよ」
「耳が良いんだな」
かなわないと両手をあげて降参の仕草。
「いきなり寿司だなんて、どうしたんだ?」
「フロンティアって言えば、本格的な和食が食べられるって、有名なのよ」
「そうだな」
大規模なバイオプラントで、擬似的な生態系を構築しているマクロス・フロンティアは食材の豊かさで移民船団の中でもトップレベルを誇る。
「アルトなら地元の人しか知らないようなお店を知っているんじゃないかって思ったの。せっかくだから合成物じゃなくて天然物で」
「そんなのネットで検索するとかして、勝手に行けよ」
シェリルは左手でブロンドをかきあげた。形良い耳たぶが現れる。
「イヤリング」
「くっ」
「返すって約束したでしょ。約束を破ったアルトは、奴隷なんだから」
イヤリングを失ったアルトは、シェリルに対して大きな負い目を感じていた。
「わーったよ、心当たりはある」
頭の片隅で口座の残高を気にしつつ、アルトは携帯端末を取り出して予約のコールをした。
その店は、繁華街の裏通りに『築地』という看板を出していた。
和風の引き戸を開けると、ドアベルの代わりにぶら下げられた火箸が涼やかな音を立てる。
「いらっしゃい、おやアルト坊ちゃん久し振り。彼女とデートかい?」
まだ客のいない店内、カウンターの向こうから老人の域にさしかかった大将が声をかける。
「坊ちゃんはやめてくれよ」
とは言ったものの、アルトは大将の様子が変わってないのが何となく嬉しかった。
若い衆の案内で、カウンターの端、奥まった席へと通される。
物珍しそうに店内を眺めていたシェリルが、アルトに小声で囁いた。
「このお店、メニューは無いの?」
「ああ、こういうところだと大将にどんなネタが入っているかを聞いて、その中から選ぶんだ。でも、今夜のところは」
アルトは大将に"おまかせ"でオーダーした。
「あいよっ」
威勢の良い返事とともに、白身の握りから出てきた。
シェリルはアルトのしぐさを見よう見まねで、ぎこちないながらも寿司を醤油に付けて一口たべる。目が丸くなった。
「あ、大丈夫か?」
アルトは口に合わなかったかと焦った。
シェリルは嚥下して満面の笑顔になった。
「おーいしぃ」
「お前が味のわかるやつで良かった」
アルトがほっとしたところで、タイミング良く次の握りが出てきた。
「ギャラクシーでもね、食べられはするけど、合成物なの。合成だからまずいって言うんじゃないけれど、やっぱり違うわ。握っててもロボットだし」
「そうなのか。でも、そのロボット、もしかしたら大将の弟子かもしれないな」
「弟子?」
「そう。大将が若い頃に握りの動作をサンプリングさせたロボットが銀河中に出回ってるって言ってた。そうだろ?」
話を振られた大将は、にっこり笑ってマグロを差し出した。
「サンプリング・モデルに選ばれるってことは……すごい人なのね、大将さん。なんで高校生のクセに、こんなお店知ってるのよ?」
「まあ、な」
アルトが言葉を濁すと、シェリルが笑って続けた。
「お父さんに連れられてきた、ってところかしら?」
「そんなところだ」
コースが終わり、緑茶で喉を潤す頃には、店内はそれなりに混んできた。
「いらっしゃい」
また新しい客が入ってきたようだ、そちらをチラリと見たアルトは固まった。よりによって、今日かち合うとは。
「嵐蔵さん、ご無沙汰で」
大将がにこやかに挨拶している相手は父だった。いつもの指定席にしている座席に案内されている。
今、アルトたちが座っている席は、嵐蔵からは死角になっていた。
(そうか大将、気を使ってくれたんだな)
アルトは心の中で大将に頭を下げた。
嵐蔵はタニマチ(後援者)らしい紳士と二人連れだった。
今の嵐蔵は舞台の真っ最中で、興行中はこの店に来ないことをアルトは知っていた。
だが、タニマチに誘われたのなら付き合わないわけには行かないだろう。
「どうしたの?」
突然動きが固まったアルトを怪訝な様子で見ていたシェリルは、アルトの視線の先を見て理由が判ったらしい。
「ふふ…」
悪戯っぽい笑顔になると、シェリルは席から立ち上がった。
「おい?」
アルトがあっけにとられていると、シェリルは混んでいる店内をするりと通り抜けて、嵐蔵のところまで行った。
「失礼ですが、早乙女嵐蔵さんでいらっしゃいますか? 私、シェリル・ノームです。ご挨拶にまいりました」
「おお、これはご丁寧に。さあ、どうぞ……お座りなさい」
嵐蔵は隣の椅子をシェリルに薦めた。
「おいおい…」
意外な成り行きにアルトはなす術も無かった。
シェリルと嵐蔵、そしてタニマチとは和やかに会話が弾んでいる。途中で嵐蔵が片手をあげて、大将に呼びかけた。
「すまんが、筆と色紙はあるか? 墨も」
その声に大将は愛想よく答え、店に用意してあった毛筆を嵐蔵に渡した。
嵐蔵は達者な手つきで色紙に何事か書くと、シェリルに渡した。
シェリルも別の色紙にサインをかきいれて、タニマチに渡していた。それをきっかけに、他の客や寿司屋の若い衆もシェリルにサインをねだって、ちょっとしたサイン会の様相を呈した。
「ありがとうございます。大切にします」
丁重に挨拶すると、シェリルは色紙を抱えてアルトのところに戻ってきた。
「さあ、出ましょう」
「あ、ああ……」
呆然としたアルトは、シェリルに手を引かれて店を出た。
近くの公園で散歩する二人。
「ね、アルト、これは何て書いてあるの?」
シェリルが差し出した色紙を見ると、見慣れた父親の筆跡で墨痕鮮やかに漢字が散らし書きされていた。
「序破急」
「どういう意味?」
「親父は教えてくれなかったのか?」
「ええ、連れに聞いてみなさいって、おっしゃってたわ」
やっぱり気付かれていたか。アルトは苦虫をかみつぶした。
「日本の伝統的な芸能の分野で使われる言葉だ。いろんな解釈があるけど、序は物事の始め、師匠の動きを徹底的に真似る段階」
アルトは公園の噴水を取り囲む縁の上に飛び乗って、両手を拡げてバランスをとった。
「破は、師匠の真似を破り、自分の形を追求する段階。急は完成の段階だ。芸の道は、序破急を永遠に繰り返すこと……だってさ」
「素敵な言葉だわ」
シェリルは噴水の縁に座って、靴を脱いだ。素足を水面に付けて、冷たさに小さく悲鳴を上げる。
「芸能界の先達として、若輩の私に相応しい言葉を下さいって、お願いしたの」
「そうだな。成長していかないと」
「きっとお寿司屋さんの大将さんもそうね。動きを真似しただけのロボットじゃ、あんな風にできない。ずっと成長し続けている」
「へぇ、気づいたのか」
「お客さんの食べるペースに合わせてネタを用意してたわ。まるでオーケストラの指揮者みたいに」
「すごいな」
もちろん、アルトはその事を知っていたが、それは父親から教えられたものだった。
シェリルへの尊敬の念が湧いてくる。
「……でもな、俺に対する、ものすごく遠まわしな嫌味のような気もする」
「家出したから?」
「知ってたか……ゴシップの記事にちょこっと載ってたからな」
アルトはシェリルの真似をして、靴を脱いで噴水に足を踏み入れた。
「厳しそうな方だけど、素敵なお父さんじゃない」
「実態を知らないからそんなことが言えるんだ」
ちょっと強い口調で言ってから、アルトはしまったと口を閉じた。シェリルの生い立ちを思えば、肉親を罵るのははばかられた。
シェリルの隣に座って、並んで空を見上げた。
夜空にはリニアの軌道が見え、その向こうに星々がきらめいている。
「アルトはぜいたくなのよ」
シェリルがアルトの後ろ髪を手にとって、弄ぶ。
「歌舞伎って何百年も伝統があるんでしょう? 伝統なんてお金出しても買えないわ」
分が悪いと思ったアルトは、話題を逸らした。
「……何を話してたんだ? 話が弾んでたみたいだった」
「あのお店、ネットに情報公開してないんですって。だから、どうやって見つけたのか聞かれたわ。フロンティア現地採用スタッフが教えてくれたって言っておいたけど」
シェリルはアルトの長い髪を三つ編みにしたり、ほどいたりしながら答えた。
「現地採用かよ」
「あら、嘘はついてないわ。奴隷に比べたら、スタッフの方がずいぶん出世していると思わない? ところでアルト、シャンプーは何を使ってるの?」
「え、何って普通の」
「市販品でこんなにつやつや、まっすぐなの? もう、やっぱりぜいたくだわ、アルト。恵まれ過ぎよ。女の子でも羨ましがるわ」
「女みたいって言うなよ」
「言うわよ。実際、誰が見ても美人だもの。でも…」
シェリルはアルトの髪をぐいっと引っ張って、顔を寄せた。
「アルトが男らしいことも知っているわ」
アルトは噛みつくように唇を合わせた。
2008.05.16 ▲
艶麗な女形姿で京鹿子娘道成寺を舞うアルト。
感嘆するシェリル。
「なかなかやるじゃない。アルトは意外性のカタマリね」
舞台を降りたアルトが艶姿のまま肩を怒らせて、腰に手をあてた。
「なんだよ、その言い方。悪いかよ」
「誉めてるのよ」
シェリルは目を細めた。
「舞台の上では体つきまで違うみたい。本当の女の人みたいだったわ」
「ああ、これは"体を殺して"いるんだ」
「…殺す?」
アルトはシェリルに体の正面を向けた。
「肩を、こうして」
ストンと両肩を後ろに落とす。
「撫で肩に見せるんだ。それから」
シェリルに向かって半身に構える。
「こうして、肩幅を狭く見せて女のシルエットを作る」
「すごーい。伝統のテクニックなのね」
きらびやかな衣装をまとったアルトの周りを一周するシェリル。
最後に伸びあがって、アルトの顔を息がかかるほどの近さで見つめる。
好奇心にきらめくシェリルの瞳に吸い込まれるように見つめ返すアルト。
「メイクもエキゾチックで素敵だわ」
「試してみるか?」
「え?」
「化粧」
「できるの?」
「歌舞伎の役者は自分でするんだ。楽屋に来いよ」
「ホントに意外だわ、ふふっ」
楽屋で鏡の前に座るシェリル。ヘアバンドで髪をまとめ、額を出している。
慣れた手つきで、シェリルのメイクを落とすアルト。
かぶり物は外して、袖をたくしあげているが、女形姿のままだ。
「こんなサービス滅多にしないからな、感謝しろよ」
「はいはい、ありがとうアルト」
「感謝の心がこもってない」
軽口を叩きながらも、シェリルの顔に白粉をのばしてゆく。
きめ細かな肌は、化粧ののりが良い。
「顔が重いわ」
「舞台照明がロウソクしか無かった時代のメイクだからな。…ちょっとだけ黙ってろ。目、閉じて」
筆で瞼や鼻筋にピンク色を乗せる。アルトの指が、眼尻や唇に紅を刷いた。
「これで完成」
シェリルはゆっくり瞼を開いた。
「わぁ」
正面から自分の顔を見つめ、続いて、左右に顔を傾けたり、首を振ってアングルを変える。
白人系の要素が強いシェリルの顔が、東洋の美女に変化している。
「いいわね……ジャケットに使えるかも」
「仕事熱心だな」
シェリルの横顔を見つめるアルト。
「もし、本当に撮影するんなら、メイクアップアーティストとして呼んでもらおうか」
「ギャラは弾んであげる」
振り返るシェリル。アルトが指についた紅を拭き取っているのを見て、ふと唇を意識した。
「……」
ここにアルトの指が触れた。
自分の指で唇をなぞってみる。指先に紅がついてしまった。
「ね、アルト。口紅がとれてしまったわ。直して」
「もうとれたのかよ」
アルトは人差し指で紅をすくいとり、シェリルの口紅を引きなおす。
鏡の中の光景は、臈長(ろうた)けた美女が少女に化粧の手ほどきをしているかのよう。
シェリルはうっすらと瞼を開いて、その様子を盗み見た。
感嘆するシェリル。
「なかなかやるじゃない。アルトは意外性のカタマリね」
舞台を降りたアルトが艶姿のまま肩を怒らせて、腰に手をあてた。
「なんだよ、その言い方。悪いかよ」
「誉めてるのよ」
シェリルは目を細めた。
「舞台の上では体つきまで違うみたい。本当の女の人みたいだったわ」
「ああ、これは"体を殺して"いるんだ」
「…殺す?」
アルトはシェリルに体の正面を向けた。
「肩を、こうして」
ストンと両肩を後ろに落とす。
「撫で肩に見せるんだ。それから」
シェリルに向かって半身に構える。
「こうして、肩幅を狭く見せて女のシルエットを作る」
「すごーい。伝統のテクニックなのね」
きらびやかな衣装をまとったアルトの周りを一周するシェリル。
最後に伸びあがって、アルトの顔を息がかかるほどの近さで見つめる。
好奇心にきらめくシェリルの瞳に吸い込まれるように見つめ返すアルト。
「メイクもエキゾチックで素敵だわ」
「試してみるか?」
「え?」
「化粧」
「できるの?」
「歌舞伎の役者は自分でするんだ。楽屋に来いよ」
「ホントに意外だわ、ふふっ」
楽屋で鏡の前に座るシェリル。ヘアバンドで髪をまとめ、額を出している。
慣れた手つきで、シェリルのメイクを落とすアルト。
かぶり物は外して、袖をたくしあげているが、女形姿のままだ。
「こんなサービス滅多にしないからな、感謝しろよ」
「はいはい、ありがとうアルト」
「感謝の心がこもってない」
軽口を叩きながらも、シェリルの顔に白粉をのばしてゆく。
きめ細かな肌は、化粧ののりが良い。
「顔が重いわ」
「舞台照明がロウソクしか無かった時代のメイクだからな。…ちょっとだけ黙ってろ。目、閉じて」
筆で瞼や鼻筋にピンク色を乗せる。アルトの指が、眼尻や唇に紅を刷いた。
「これで完成」
シェリルはゆっくり瞼を開いた。
「わぁ」
正面から自分の顔を見つめ、続いて、左右に顔を傾けたり、首を振ってアングルを変える。
白人系の要素が強いシェリルの顔が、東洋の美女に変化している。
「いいわね……ジャケットに使えるかも」
「仕事熱心だな」
シェリルの横顔を見つめるアルト。
「もし、本当に撮影するんなら、メイクアップアーティストとして呼んでもらおうか」
「ギャラは弾んであげる」
振り返るシェリル。アルトが指についた紅を拭き取っているのを見て、ふと唇を意識した。
「……」
ここにアルトの指が触れた。
自分の指で唇をなぞってみる。指先に紅がついてしまった。
「ね、アルト。口紅がとれてしまったわ。直して」
「もうとれたのかよ」
アルトは人差し指で紅をすくいとり、シェリルの口紅を引きなおす。
鏡の中の光景は、臈長(ろうた)けた美女が少女に化粧の手ほどきをしているかのよう。
シェリルはうっすらと瞼を開いて、その様子を盗み見た。
2008.05.15 ▲
アルトは一人静かに、脚本を読み込んでいた。
「ハイ、アルト」
声に視線を上げると、シェリルの姿。
「何を読んでいるの?」
黙って、脚本の表紙を見せる。
「映画のホン?」
「スタントを引き受けたんだ」
「学生だったり、軍人だったり、忙しいのね。見せて」
シェリルは有無を言わせずアルトから脚本を取り上げて、ページを開いた。
「ふーん、付箋がついているのがアルトの出番ね」
軽やかな動作でアルトの隣に座る。
「なにこれ、キスシーンがあるじゃない」
「えっ」
そこまで脚本を読み進めていなかったアルトは、少し驚いてシェリルの手元を見た。
「相手の女優は誰?」
「ランカ……そうか、それで顔を赤くしてたんだ」
「かわいい」
シェリルはくすっと笑って、顔を赤らめているランカを思い浮かべた。
そして、じろりとアルトの横顔を見る。
「ちゃんと、できるの?」
からかうようなシェリルの声に憮然と答えるアルト。
「できるさ、キスぐらい」
「だめね、判ってないわ」
処置無しとばかりに首を横に振るシェリル。
「何が?」
「心配なのはランカちゃんよ。
アルトは舞台経験もあるし、無神経だから心配してないけど。
ランカちゃんにしてみたら仕事だけど、仮にもアルトとのキスよ。きっとガチガチになるわ」
「俺とランカはなんでもない」
アルトが言い返すと、間髪入れずにシェリルに頬をつねられた。
「アルトの気持ちを聞いてるんじゃなくて、ランカちゃんの気持ちが問題なのよ。
もう、運動神経いいし、顔もいいけど、絶望的なまでに無神経なんだから」
「無神経無神経って連呼するな」
「じゃあ、鈍感って言ってあげるわ。キスって、いろいろあるでしょ?
子供同士の無邪気なキスとか、家族同士のキスとか、初恋の相手とぎこちないキス、大人同士の求め合うキス。
相手の気持ちをわかった上で、引っ込み思案のランカちゃんをリードしてあげないといけないのよ。ただ、唇をくっつければいい、って言う訳にはいかないわ」
「くっ…」
アルトは唸った。
(そう言えば、親父に怒鳴られたことがあったな。舞台は自分一人で成り立ってるんじゃない。もっと相方の動きを見ろって…)
「ようやく分かってきたみたいね」
シェリルは微笑んでアルトの顔を見た。指導教官のように、重々しく言い渡す。
「練習しなさい」
「練習って……」
「ここに練習相手がいるわよ、銀河で最高の」
「!……お前、マジかよ?」
「お仕事の話は、いつだって真面目よ。ほら」
シェリルが顔をアルトに向け、瞼を閉じた。
アルトは、手の込んだやり方でからかわれているんじゃないかと一瞬いぶかったが、つややかな唇に引き寄せられるように目を閉じて口づけた。
「…ん」
吐息が妖精の唇から漏れる。
しっとりとした柔らかい肌。
甘い香り。
アルトは、ためらいがちに唇を離した。
「今のキスは、どんなキス?」
うっすらと瞼を開いたシェリルの声は、いつも以上に体の深い場所に響く。
「ファーストキス、かな」
「ふふっ、いいわ、合格にしてあげる。じゃ、次は家族同士の挨拶のキス」
指示されると、かつて舞台の上で味わった緊張感を思い出した。
想像力をかき立て、今までの経験の中からふさわしいシーンを頭に思い描く。
朝のダイニング。朝食を食べて、行ってきますのキス。
アルトは心持ち上体を離した。首だけをのばして、唇を合わせ、すぐに離す。
「……さすがに役に入り込むのが早いわ」
批評するシェリルの頬が上気している。
「次はどんなシチュエーションにしようかしら?」
「大人のキス」
短くつぶやいて、アルトは手を延ばしシェリルの細い腰を抱き寄せた。
「…っ」
驚きの声を上げようとする唇を唇で塞ぐ。
シェリルの手のひらがアルトの胸に当てられ、反射的に突き放そうとする。
その力に逆らって、唇を合わせながら顔の角度を変えて、濃厚な口づけを求める。
「あ…」
くぐもった声を漏らしたシェリルの唇。その隙間に舌を滑り込ませる。
舌先がシェリルの舌に触れると、一瞬シェリルの体が固くなる。
固くなった体がほどけたと思ったら、シェリルは腕をアルトの首にまわして引き寄せた。
「……んんぅっ」
積極的に舌を絡め始めるシェリル。
胸を合わせ、ため息と温もりを交換する。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
どちらからともなく唇を離して、見つめ合う。
「今日は…ここまで……よ」
息をわずかに弾ませてシェリルが告げた。
「合格か?」
アルトの言葉に、シェリルは立ち上がってから少しだけ振り返った。
「ナイショ」
そしてその場を後にした。。
アルトから見えなくなったところで、そっと指で唇に触れる。
微笑みの形になっていた。
「お先に、ランカちゃん」
「ハイ、アルト」
声に視線を上げると、シェリルの姿。
「何を読んでいるの?」
黙って、脚本の表紙を見せる。
「映画のホン?」
「スタントを引き受けたんだ」
「学生だったり、軍人だったり、忙しいのね。見せて」
シェリルは有無を言わせずアルトから脚本を取り上げて、ページを開いた。
「ふーん、付箋がついているのがアルトの出番ね」
軽やかな動作でアルトの隣に座る。
「なにこれ、キスシーンがあるじゃない」
「えっ」
そこまで脚本を読み進めていなかったアルトは、少し驚いてシェリルの手元を見た。
「相手の女優は誰?」
「ランカ……そうか、それで顔を赤くしてたんだ」
「かわいい」
シェリルはくすっと笑って、顔を赤らめているランカを思い浮かべた。
そして、じろりとアルトの横顔を見る。
「ちゃんと、できるの?」
からかうようなシェリルの声に憮然と答えるアルト。
「できるさ、キスぐらい」
「だめね、判ってないわ」
処置無しとばかりに首を横に振るシェリル。
「何が?」
「心配なのはランカちゃんよ。
アルトは舞台経験もあるし、無神経だから心配してないけど。
ランカちゃんにしてみたら仕事だけど、仮にもアルトとのキスよ。きっとガチガチになるわ」
「俺とランカはなんでもない」
アルトが言い返すと、間髪入れずにシェリルに頬をつねられた。
「アルトの気持ちを聞いてるんじゃなくて、ランカちゃんの気持ちが問題なのよ。
もう、運動神経いいし、顔もいいけど、絶望的なまでに無神経なんだから」
「無神経無神経って連呼するな」
「じゃあ、鈍感って言ってあげるわ。キスって、いろいろあるでしょ?
子供同士の無邪気なキスとか、家族同士のキスとか、初恋の相手とぎこちないキス、大人同士の求め合うキス。
相手の気持ちをわかった上で、引っ込み思案のランカちゃんをリードしてあげないといけないのよ。ただ、唇をくっつければいい、って言う訳にはいかないわ」
「くっ…」
アルトは唸った。
(そう言えば、親父に怒鳴られたことがあったな。舞台は自分一人で成り立ってるんじゃない。もっと相方の動きを見ろって…)
「ようやく分かってきたみたいね」
シェリルは微笑んでアルトの顔を見た。指導教官のように、重々しく言い渡す。
「練習しなさい」
「練習って……」
「ここに練習相手がいるわよ、銀河で最高の」
「!……お前、マジかよ?」
「お仕事の話は、いつだって真面目よ。ほら」
シェリルが顔をアルトに向け、瞼を閉じた。
アルトは、手の込んだやり方でからかわれているんじゃないかと一瞬いぶかったが、つややかな唇に引き寄せられるように目を閉じて口づけた。
「…ん」
吐息が妖精の唇から漏れる。
しっとりとした柔らかい肌。
甘い香り。
アルトは、ためらいがちに唇を離した。
「今のキスは、どんなキス?」
うっすらと瞼を開いたシェリルの声は、いつも以上に体の深い場所に響く。
「ファーストキス、かな」
「ふふっ、いいわ、合格にしてあげる。じゃ、次は家族同士の挨拶のキス」
指示されると、かつて舞台の上で味わった緊張感を思い出した。
想像力をかき立て、今までの経験の中からふさわしいシーンを頭に思い描く。
朝のダイニング。朝食を食べて、行ってきますのキス。
アルトは心持ち上体を離した。首だけをのばして、唇を合わせ、すぐに離す。
「……さすがに役に入り込むのが早いわ」
批評するシェリルの頬が上気している。
「次はどんなシチュエーションにしようかしら?」
「大人のキス」
短くつぶやいて、アルトは手を延ばしシェリルの細い腰を抱き寄せた。
「…っ」
驚きの声を上げようとする唇を唇で塞ぐ。
シェリルの手のひらがアルトの胸に当てられ、反射的に突き放そうとする。
その力に逆らって、唇を合わせながら顔の角度を変えて、濃厚な口づけを求める。
「あ…」
くぐもった声を漏らしたシェリルの唇。その隙間に舌を滑り込ませる。
舌先がシェリルの舌に触れると、一瞬シェリルの体が固くなる。
固くなった体がほどけたと思ったら、シェリルは腕をアルトの首にまわして引き寄せた。
「……んんぅっ」
積極的に舌を絡め始めるシェリル。
胸を合わせ、ため息と温もりを交換する。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
どちらからともなく唇を離して、見つめ合う。
「今日は…ここまで……よ」
息をわずかに弾ませてシェリルが告げた。
「合格か?」
アルトの言葉に、シェリルは立ち上がってから少しだけ振り返った。
「ナイショ」
そしてその場を後にした。。
アルトから見えなくなったところで、そっと指で唇に触れる。
微笑みの形になっていた。
「お先に、ランカちゃん」
2008.05.13 ▲
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