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LAI重工の第一工場はプライマリースクール6年次(11歳から12歳)の児童を迎えていた。
社会科の授業の一環として、フロンティアでも最先端の工場を見学させている。

開発部門担当役員のルカ・アンジェローニはホストとして子供たちを迎えていた。
既に一児の父親となったルカは、エグゼクティブの風格を漂わせるようになっていた。
スーツのポケットからリモコンを取り出すと、窓のシャッターを開ける。
「ここが、VF-25メサイアの量産ラインです」
見学室の窓からは、製造途中のVF-25が6機、見下ろせた。
それぞれに工作機械やロボットアームが囲んでいて、フレームに機器や配線を取り付けている。
20人程の子供達が窓ガラスに額を押し当てるようにしてのぞきこむ。
「このラインで1週間に1機が生産されています。他に同じ規模のラインが15あります。今は平和な時代なので、稼働ラインは二つだけですけど」
子供達はルカの説明を聞きながら、小声で話している。
「向こうの機体、他のとちょっと形が違うわ」
「あれ、機首が長いからT型だろ? 複座の練習機タイプ」
ルカは舌を巻いた。予想していた以上に詳しい。
VF-25と派生形はLAIのヒット商品だった。サイボーグやインプラント技術に依存しない在来型可変戦闘機として、移民船団の多くで採用されている。
また苛烈なバジュラ戦役を戦い抜いた機体でもある。フロンティアっ子にとっては誇りとも言える存在だ。
「さあ、次の部屋へ行きましょうか。きっと、皆さん、楽しみにしていたんじゃないかと思うんですけど」
ルカの案内で、児童と引率の教師はシミュレータールームへと向かった。

「これは、実際にパイロットが使用しているシミュレーターです」
大きな体育館ほどもあるスペースに、小型貨物コンテナぐらいの大きさのシミュレーションマシンが4基設置してあった。ハッチが開けてあり、中は本物のVF-25と同じコクピットが組み込まれている。
本来なら、重力や慣性の変化、被弾の衝撃も再現できるが、今回は初心者に体験させるだけなので、その辺の機能は制限してあった。
子供達からも歓声が上がった。
引率の教師が声をあげて、子供たちを4列に並べた。シミュレーターに乗り込む順番を指示する。
シミュレーターに乗り込むと、音声とヘッドアップディスプレイに操作の指示が出る。
仮想空間の中だが、VF-25を操縦するのだ。
子供達に与えられたミッションは、離陸シークエンスから空力限界高度(主翼が揚力を生み出せる限界の高度)まで上昇、基地へ帰還して着陸シークエンスを体験するというものだった。
管制コンソールで、子供達の様子を見守るルカと、引率の教師。
多くは、おぼつかない手つきだったが、中には慣れた手つきで操縦桿を操る子も居る。
学校の授業としてはジュニアハイスクールから教科に取り入れられているEXギアの練習を、少し早く始めているのだろう。EXギアとVF-25の操縦システムは民生用・軍用で共通だ。
「サンフラワー1、もっと思い切りスロットルを押し込んでも大丈夫ですよ」
ルカがコールサインで呼びかけてアドバイスすると、ふらふらと軌道が定まっていなかった子も重力を振り切って上昇する。
微笑ましく子供達の様子を見守っていた目が見開かれる。
「サジタリウス5?」
どこかで聞き覚えのあるコールサインが割り振られた生徒は、子供とは思えない機動を見せていた。
最短コースで一気に指定された高度まで飛び上がると、その高度で推力と重力をつりあわせて静止。
背面宙返りした後、姿勢を崩し錐揉み状にスピン。そこから鮮やかに機位を立て直した。
「ひゃっほーい」
男の子の声がコンソールを通して聞こえてくる。
「サジタリウス5、あんまり乱暴にしないでくださいね」
「サジタリウス5からコントロールへ、了解しましたっ」
シェリルからストロベリーブロンドとブルーアイを受け継いだ男の子・早乙女悟郎は、元気よく返事しながらバレルロールを決めて、滑走路へのアプローチに入る。
着陸すると、ちょうど割り当て時間ぴったり。
奔放な操縦をしながらも、次の子を待たせない配慮はしているようだ。
「悟郎君らしい……メロディちゃんの方は」
エラトー1のコールサインが与えられたメロディ・ノームは、教科書通りの操縦で無事に着陸していた。こちらは、平均的な所要時間を5分ほど短縮して終わっている。

シミュレーション室の次は、子供達を最新型の開発部署へと案内する。
「いいですか、ここから先はわが社の最高機密です。お家に帰っても、親御さんやご兄弟に話しちゃダメですよ」
ルカは軽く脅しをかけてから、ドアに暗証コードを入力した。
扉の向こうは見学ブースになっている。
窓越しに広大な風洞実験室が見下ろせた。
白い空間の真ん中を占める機体は、YF-24エボリューションというVF-25と共通の先祖を持ちながら、より攻撃的なラインを描く強武装・重装甲の機体だった。
「YF-272イブリースです。もうすぐYが取れて、VF-272になるでしょう」
最高機密の機体を目にしているという事実に、子供達の間からどよめきが起こる。
バジュラ戦役以後、ギャラクシー船団からフロンティア船団へと接収されたVF-27ルシファーを、フロンティアで生産できるように改修したモデルがVF-271ルシファープラス。
そこから、更にLAIが発展させたのがVF-272だった。
志願兵で構成されたサイボーグ部隊の専用機であり、オリジナルよりエンジン出力が向上し、装甲やピンポイントバリアも強化されている。
そうした機能は分からなくても、強固な装甲が描くラインが禍々しさを演出していた。

「LAI重工の施設を一通りご覧になっていただきました」
ルカはレセプションルームで子供達を前に説明をした。
子供達には飲み物とおやつが与えられ、リラックスしてルカの声に耳を傾けている。
リラックスはしていても、明日の授業で見学の内容をプレゼンテーションさせられるから、疎かにはできない。
「新統合政府は、統合政府から人類播種計画を受け継ぎ、現在も続行しています。何故でしょう?」
黒髪を長く伸ばした女の子が手を上げた。メロディだ。
「はい、どうぞ」
アルト譲りの美しい黒髪を揺らしてメロディは立ち上がった。はきはきと意見を述べる。
「外宇宙からの侵略や攻撃によって人類が絶滅しないためです」
「そうですね」
ルカは頷いた。
「人類は第一次星間大戦の結果、プロトカルチャーとゼントラーディの技術を吸収し、安価なエネルギーと生産施設を入手しました。しかし、この銀河系には新統合政府と敵対関係にあるゼントラーディ艦隊も存在しますし、バジュラのような存在が、他にも居るかも知れません。この様なリスクを弱めるために、地球から各方面へ移民をしています」
ルカは移民船団を構成している組織図を背後の壁に表示させた。
「移民船団は、主に新統合政府が企画します。そして民間から出資を募ります。一般の人々も小口の出資ができますし、企業も出資します。皆さんのお父さんやお母さん、お祖父さんお祖母さんも、そうやって船団に乗り組んだ人が多いでしょう」
移民船団が宇宙を探査し、居住可能惑星を探し出して定着する模式図が表示された。
「船団には、有力な企業が2グループ以上参加する決まりです。フロンティアでは、弊社LAIと、別の企業グループも参加しています。ご存知ですか?」
大人しそうな男の子が手を上げた。
「はい、どうぞ」
「新星インダストリー?」
「そうです」
ルカは、にこやかに画像を変更した。
VF-25量産第1号機の前で、新統合軍とLAI、新星インダストリー、SMSの関係者が集まって記念撮影をしている映像だ。
SMSのグループは、フロンティアの社会に大きな影響力を持ってはいるが、公式な場面には登場せず隠然たる勢力を保っている。オーナーである、リチャード・ビルラーの方針だ。
「移民船団に参加した企業にとって、開拓惑星で優先的に市場を確保できるメリットがあります。二つ以上の企業が参加するのは、企業間での価格競争を促すためです」

同日、早乙女アルト家。
アルトシェリルから差し出されたハードコピーを手に取った。
「企画書? 映画か……って、これは」
「早乙女アルト物語、になるのかしら?」
シェリルは面白がっていた。
シェリル・ノームのフロンティア船団到着から、バジュラ戦役終結までを描く映画の企画だ。
「どう? 面白そうでしょ」
シェリルはソファに座っているアルトの膝に乗った。
「勘弁してくれよ……こんなの映画化されたら悶死しそうだ」
言いながらも、アルトはパラパラとページをめくった。
少年時代は、振り返って見れば恥ずかしいエピソードの塊みたいなものだ。正直なところ、二度と見たくない。
「楽曲の提供は、私。シェリル役の子はオーディションで新人を選ぶみたいよ。どんな子になるのかしら」
「で、俺の役は……決まってないか。ランカ役も、まだか」
「候補の俳優に声をかけているところじゃないかしら」
「早乙女アルト本人には、軍事アドバイザーか」
アルトは考え込んだ。
シェリルは、その頬を指でつつく。
「で、どうする? 早乙女アルトの名前を使う許可を出す?」
「一度、詳しい話を聞いてみないと」
アルトがうーんと唸ったところで、玄関で子供たちの声がした。
「ただいま!」
シェリルはアルトの膝から立ち上がると、迎えに出た。
「お帰り。どうだった? 社会科見学」
「すごかったよー、機密の新型機」
悟郎が鼻息も荒く、アルトに話しかけた。
「ああ、イブリースか。見たのか」
アルトの返事に悟郎が目を丸くする。
「ええっ、何で知ってるの?」
「お前の親父は誰だ?」
「早乙女アルト」
「予備役大尉。テストでYF-272を操縦したこともあるんだぞ」
「何で教えてくれなかったの?」
「機密だったからな」
「ちぇっ、なんだー」
メロディがシェリルに報告している。
「でね、悟郎ったら、シミュレーターでめちゃくちゃなアクロバットしているのよ」
「悟郎ったら……さあ、晩御飯にしましょう」
シェリルの言葉に、家族は食卓に集まった。

2008.12.11 
悟郎とメロディが11歳のクリスマスイブ。
二人は、父親・早乙女アルトの帰宅を心待ちにしていた。
ストロベリーブロンドと青い瞳をシェリル・ノームから受け継いだ悟郎は、玄関脇の窓に張り付いていた。
既に日は暮れていて、黄昏時の薄闇が辺りを覆っていた。
見覚えのあるヘッドライトの輝きを見つけて、悟郎は振り返った。
「来たよ!」
叫ぶとリビングから小走りにやってくる足音。
黒髪と琥珀色の瞳をアルトから受け継いだ女の子メロディがやってきた。
車が車庫に入ると、双子は待ち切れずに玄関のドアから駈け出した。
「おかえんなさい、父さん!」
「お帰りなさい」
アルトは笑って車のトランクを開けた。運転席から降りて車のリアに回る。
「ただいま。さあ、こっちおいで」
トランクの中から、自走コンテナを二つ取り出した。それぞれ、早乙女悟郎とメロディ・ノームのネームプレートがついている。
「わあ、開けていい?」
悟郎が目を輝かせる。
「もう暗いから、家の中で開けよう」
アルトは悟郎の肩にポンと手を置くと、メロディを振り返って玄関へと向かった。

広い居間で、双子はコンテナを開いた。
現れたのは子供用のEXギア。装具類や、消耗部品、メンテナンスキットがセットになって入っている。
「これ、ひょっとして新型?」
メロディの質問には悟郎が答えた。
「最新型だよ。今年の冬モデル」
一部の学校ではジュニアハイスクールぐらいの学年から、EXギアによる飛行実習が行われているが、悟郎とメロディは両親に少しでも早く触れたいとねだった。
二人とも、ほんの赤ん坊の時分から空を飛ぶ両親を見て育ってきたので、人一倍憧れが強い。
「ありがとう、お父さん!」
メロディがアルトの頬にキスする。
「明日は運動公園で練習しよう。基本動作のな」
「うん」
メロディが頷いた。
悟郎がさっそくヘッドギアを取り出してかぶってみている。
キッチンからシェリルの声がした。
アルトー、ちょっと手伝って。ケーキのデコーレション」
「おう」
アルトはメロディの頭を撫でて立ち上がった。
「お母さん、私も手伝う」
メロディも続いた。
「あ、僕も僕も」
悟郎がヘッドギアを脱いで、コンテナに仕舞った。

運動公園のEXギア用フィールドは、スケートリンクのような構造になっている。
平らなフィールドと、それを囲む胸ほどの高さのフェンス。
予約して借り切っているので、使用しているのは早乙女アルト一家だけだった。
EXギア装備のアルトが悟郎のEXギアをチェックしている。
「よし、ちゃんとロックしてるな。ロックを忘れない様に。普通はアンロック状態だと、EXギアは起動しないが、半端にロックされている状態で起動してしまうことがある」
そこでアルトは意味ありげな視線でシェリルを見た。
やはりEXギアを装備しているシェリルはメロディのEXギアを点検している。
「ええ、いいわ。ロックが外れると、EXギアから操縦者が放り出されたりするからね。気をつけて」
そこでアルトからの視線に気づく。唇だけを動かして“なによー”と言った。
アルトは軽く肩をすくめると、EXギアの足についているローラーによる走行と停止の動作を教えた。
「脳波コントロール併用しているから、考えるだけで基本動作はできる。EXギアの反応速度は早い。ほとんど日常の動作と同じスピードでできる。だが、倍力機構のおかげで力はアップしているから、全ての動きを注意深くしないと、他人を怪我させるぞ。さあ、走ってみせろ」
子供達は最初は恐々と、次第になめらかに滑走し始めた。
慣れてくると、三角コーンを置いてスラローム(ジグザグ)走行させて、素早い方向転換に慣れさせる。
「いいぞ、膝の方向を揃えろ。ガニ股になると、方向転換に手間取るからな」
アルトが予想していた以上に、子供達の上達は早い。
「上手いものね、あの子たち」
シェリルも感心していた。
「ああ。今日は基本動作だけにしようかと思ってたが、この分だと、あれをさせてもいいかな」
「あれ?」
シェリルが小首を傾げた。
「卵掴みさ」
「お昼休憩したら、買ってくるわ、生卵」

アルトお手製のコールドチキンサンドイッチ(ディナーの残り物)で昼食を済ませると、シェリルが近場のスーパーマーケットに走って生卵を買い占めてきた。
「お前、そんなにたくさん……」
アルトが絶句する量の生卵をカートに乗せてきたシェリル。
「二人分だと、これぐらいでしょ?」
シェリルは試しに卵を1ダース並べて置いた。
ワクワクしている双子に向って、お手本を見せる。
「いい? EXギアで卵を割らずに掴めるようになって一人前なのよ」
「舞台の上から落っこちた母さんをキャッチするのに重要なテクニックだよね?」
悟郎の質問にアルトは吹き出した。
子供達は、アルトとシェリルが出会ったフロンティア・ファーストライブの一部始終を記録映像で見せていた。
「そういうこと」
シェリルがウィンクしたところで、グチャっと湿った音がした。EXギアのマニピュレータで掴んだ卵の殻が砕けていた。
「あ、ちょ、ちょっと失敗ね。久し振りだから」
言い訳しながら、もう一個掴んでみせるシェリル。今度は成功して、なんとか面目を保った。
子供達も真似してみる。
「そうよ……卵に触れる3mm前で指を止めるぐらいのつもりでね。上手よ」
子供達の飲み込みは早かった。半ダースほどの卵を割ると、後は確実に掴めるようになった。
「だから多過ぎるって言っただろ?」
ニヤニヤするアルトに、シェリルは唇をへの字にした。
「こんだけ、どうしようかな、卵。卵油でも作るかな」
アルトは腕を組んで考え込んだ。
生卵は、まだカートの中に山盛りになっている。

帰りの車の中で、子供達は体に残ったEXギアの疾走感を何度も確かめていた。
「お父さん、空飛べるのはいつ?」
メロディが運転席のアルトに尋ねた。
「そうだな、毎週、こんな風にEXギアの練習して、1か月ぐらいしたらシミュレーターで飛行の訓練を始めよう。あとは進み具合にもよるが、3か月ほどしたら初飛行、かな」
アルトの頃は3か月で初飛行に漕ぎつけたら早い方だったが、今はEXギアの方も進歩している。
悟郎とメロディの覚えの早さなら、充分可能なスケジュールだ。
「家族で小隊組んで飛ぼう」
アルトの言葉にシェリルがニヤリと笑う。
「小隊長殿の命令には絶対服従。一人だけカッコつけて先走ると、大変なことになるわよ」
子供達もシェリルの言葉がファーストライブのことを指しているのが判った。
他の全員から見つめられたアルトは、咳払いをすると、アクセルを踏み込んで家路を急いだ。

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2008.11.17 
地球型惑星インティ7は、厳しい乾燥と極端な気温変動で植民には向かないとされているが、極めて純度の高い黄金の露頭鉱床があるため、資源採掘拠点として有望視されている。
現在この惑星には、ガリンペイロ社とフォーティナイナーズ社の2社が入り、採掘プラントの設置と試掘を行っていた。

フロンティア艦隊から派遣されてた治安維持任務群の旗艦サドガシマ艦上。
「公演は中止だ」
今回の艦隊派遣で予備役から呼集され、少佐に昇進の上、現役復帰した早乙女アルトは妻に告げた。
「冗談でしょ? 私はやるわ」
銀河系音楽チャートの最上位、ユニバーサルボードで不動の地位を築いているディーバ、シェリル・ノームは首を横に振った。
「連中、発破用の反応弾まで持ち出している」
インティ7の地上では、採掘会社に雇用されているゼントラーディの巨人たちが、待遇改善を求めて物騒な労働争議を繰り広げていた。
背後には、星系外から反政府勢力の工作があるとされるが、詳細は分かってない。
「やると決めたら、やるのよ」
シェリルは頑なだった。
インティ7行政府は、ゼントラーディ用の懐柔策として、トップアーティストによる公演をフロンティア行政府に依頼した。一方で、治安維持部隊の派遣も要請している。
フロンティアがゼントラーディと地球人類の共存に関して実績と経験があるための判断だった。
娯楽の乏しい辺境の鉱山惑星で、ゼントラーディを過半を占める住人たちの緊張を緩和するには、最も効果的なのがコンサートというわけだ。今回は、フロンティア在住のトップアーティストとして、シェリル・ノームに白羽の矢が立てられた。
「それだけは絶対に譲れない。バルキリー分捕ってでも降りていくわ」
柳眉を逆立てたシェリル、その眼差しは力に満ちて美しい。
「お前一人ならそれでいい。バルキリーは俺が操縦してやる……だが、悟郎やメロディも居るんだ」
30代後半になったアルトシェリルには、成人した息子・悟郎と娘・メロディが居る。
悟郎はギタリストとして、メロディはバルキリーのパイロットとして今回の作戦に参加していた。
シェリルが無茶をしたら、子供達も黙っては居ないだろう。
「絶対、お前を守るためにやってくる。そういう子達だ」
アルトは言葉に重みを込めて言った。
もし、命令を無視するなら確実に犯罪者になってしまう。特にメロディは新統合軍での昇進の道を閉ざされる。
シェリルは不機嫌に黙ると、ディスプレイを見た。
褐色の大地に僅かな青い海、更に僅かな白い雲。インティ7のリアルタイム映像だ。
今この瞬間、バルキリーに乗ったメロディが偵察に大気圏内へと降下している。
「ガリア4か」
アルトの言葉に、シェリルは振り返った。
「違うわよ……アーティストとしてのポリシー」
言い返したが、言葉に勢いが無い。
「まだ治安維持部隊がインティ7を離れると決定したわけじゃないんだ。チャンスはある」
アルトはシェリルの肩を抱きしめた。

メロディ・ノーム少尉は、インティ7の政府機能が集中しているマイダス・シティの上空をVF-31に乗って偵察飛行をしていた。
主翼にぶら下げたセンサーポッドが情報を収集している。
「ここからでも見えるな。ドンパチやってるの……なんてこった」
タンデム配置の後席に座っているのは早乙女悟郎。流される血を思って吐き捨てた。
ゼントラーディサイズを前提に作られた巨人街のあちこちで、銃火や、火災の黒い煙、発炎筒の白い煙が見られる。
行政府の警察部隊が鎮圧に出ているが、作業用のパワードスーツ(クァドラン・ローやヌーデジャル・ガーの民生型)まで持ち出している暴徒に対して、旗色が悪そうだ。
「暴徒は対空火器を持ってないと思うけど、油断しないでよ」
センサーポッドから流れ込んでくる情報をモニターしながら、メロディが言った。
本来は民間人がこのような事態で軍用機に便乗できる筈は無かったが、今回の作戦ではシェリルと並ぶVIPという立場を利用して、悟郎はメロディ機に同乗した。
「何か打つ手はある?」
必要な偵察飛行を終えると、メロディは機を上昇させた。
軌道上で待つサドガシマを目指す。
「戦場が広過ぎる……たとえばVF-31にスピーカーを積み込んで鳴らしても、戦場全域に曲を響かせるなんて難しいな」
悟郎は野外ライブの経験から考えた。広過ぎる会場では音を隅々まで行き渡らせるのは難しい。
「ねえ」
メロディが言った。
「何だ?」
「お母さん、様子が変じゃなかった?」
「ヘン?」
悟郎は重力を振り切って加速するVF-31のパワーを感じながら答えた。
「上手く言えないけど……ものすごく力が入っているみたい」
メロディは自動巡航モードに切り替えて、操縦桿を握っている手を緩めた。
「多分、ガリア4のこと、思い出しているんじゃないか?」
悟郎はアーティストとして、シェリル・ノームのディスコグラフィを調べていた。
「ガリア4?」
「シェリル・ノームが唯一、体調不良で公演を取りやめた星だよ。それで、自治派のゼントラーディ兵が反乱起こしたって言う」
「あ」
メロディの中で記憶が繋がった。
2059年、メロディたちが生まれる前の事件だ。
反乱部隊はシェリルとスタッフ(アルトを含む)を人質にして新統合政府に自分たちの宇宙船を要求したと言う。
「ランカさんの……」
反乱はランカ・リーの歌声で鎮圧された。あまりに劇的な展開は、超時空シンデレラ・ランカの名声を、この上なく高めた。
「きっと、すげー悔しかったんじゃないか。ランカちゃん、プライベートじゃ母さんの友達だし、今でも仲良いし……でもな。知ってるだろ?」
悟郎は惑星からの光を浴びて浮かび上がるサドガシマや他の艦艇の姿を眺めた。
メロディは無言だったが、悟郎の意見には賛成している。
歌うために行ったのに歌えなかった。
反乱を鎮めたのは他人の歌だった。
「誇りを取り戻すため……?」
歌手としての自分に強烈な自負心を抱いているシェリルを幼い頃から見てきたメロディは、母親に憧れと反発を同時に感じていた。
「絶対、歌わずにはいられないだろうな。賭けたっていい」
悟郎は覚悟を決めていた。
「親子公演は、大荒れになりそうだ」
シェリルと同じ舞台に立つのは、9歳でデビューしたての頃以来だ。

任務群の司令官は早乙女家の面々や、主要メンバーを集め、急変する状況に合わせて作戦の変更を検討した。
副官の中佐は、惑星全体図と、最も大きな騒乱が起きているマイダス・シティの地図を表示させた。
「現在、マイダス市域で10万人規模の暴動が発生しています。問題なのは、デモのような形で団体行動するのではなく、散発的に各地で小競り合いが間断なく起きています。この為、地元の警察部隊も勢力を分散させなければなりません」
司令官が顎に手をやった。
「どうも、事前にかなり準備をしたようだな……反統合勢力による組織的な関与があるのではないか?」
「はい。これに関しては行政府の情報部門も認めています」
副官は当初の作戦案をディスプレイに表示した。
「シェリル・ノームさんのライブを開き、沈静化したところで、我々の海兵部隊で武装解除、兵力の引き離しをする予定でした。しかし、この状態ではライブを開いても、耳を傾ける者は少ないでしょうし、アーティスト、スタッフの安全も保障できません」
「私の安全に関しては、考慮していただなくてけっこうです」
シェリルが断言した。
隣に座っているアルトは苦笑気味に唇をゆがめたが、会議卓の下でシェリルの手を握って励ました。
シェリルも握り返す。
ブリーフィングルームにどよめきが広がった。
「お気持ちは、ありがたくお受けします。しかし、命をかけるのは軍人の職分。民間人の協力者を危険に晒すのは、軍人としてのモラルに反します」
司令官が敬礼した。
「この状況では、暴徒をどこかへ誘導するか、都市全体に同時に効果を発揮する手段を用いなければなりません。現状では、高濃度の沈静化ガスの使用も検討されていますが、事故や後遺症を考えると望ましくありません」
副官は状況を総括した。
「発言してもよろしいですか?」
手を上げたのは悟郎だった。
「どうぞ」
副官が促す。
「ええと……これは、野外コンサート用の機材として持ってきたサウンドボールです」
立ち上がった悟郎は、サッカーボールよりやや大きめの白い球体を手に持っていた。
母親似のストロベリーブロンドと青い瞳の青年は、そこにいるだけで注目を集める。
「球形のスピーカーで空中に浮かべて使います」
手を離すと、サウンドボールはテーブルの上で浮遊した。ボール全体が小刻みに振動してロックのビートが流れ出す。
「ゼントラ用の野外コンサートということで、かなりの数を持ってきてるんです。これを市内に飛行機から投下してはどうですか?」
本来の用途は、広い会場の野外コンサートでメインのスピーカーを補助する機材だった。音速の性質で、会場の端と端で聞こえる音に時差が生じるような会場では、普通に使用されている。
「悟郎……」
シェリルは息子の横顔を見上げた。
「曲は、こんな感じで流します」
悟郎は携帯音楽プレイヤーを操作し、サウンドボール経由で別の曲を鳴らしてみた。
バスドラの重低音が響き渡る。
そこにベースの響きが重なり、甲高いギターの音色がかぶさる。
聞く者に期待感を抱かせる音。
「サウンドボールの表面に文字もディスプレイできます」

無政府状態に陥って3日目の夜。
暴徒となったゼントラーディ達は、低空を降下するVF-31の編隊飛行を目撃した。
VF-31が航過すると、空から白いボールが降ってくる。サッカーボールからアドバルーン並みの大きなものまで、さまざまなサイズのサウンドボールから音楽が流れ出す。
バスドラとベースの重低音に重なって、ギターの高音が雄弁に語りだす。
サウンドボールには矢印が表示され、一部の市民がそれに釣られてマイダス・シティ中央に広がるセントラル・パークへと誘導された。
サウンドボールが赤く輝いて、ここから立ち入り禁止の文字を表示する。
天空から轟音。
何事かと空を見上げる者。
うずくまる者。
遮蔽物を探す者。
舞い降りてきたのは、頑丈を形にしたかのような機体VB-6ケーニッヒモンスター。
公園の中央に着陸すると、ケーニッヒモンスターの広い背面の上に立つ人影が現れた。
早乙女悟郎が超絶のテクニックでギターをかき鳴らす。
曲は『突撃ラブハート』。
上空からVF-31が翼下に下げたスポットライトで照らす。
光条が交差する箇所にシェリル・ノームが登場した。

 LET'S GO つきぬけようぜ
 夢でみた夜明けへ
 まだまだ遠いけど
 MAYBEどーにかなるのさ
 愛があればいつだって

可変爆撃機の上を即席の舞台にして、ディーバの歌声が響き渡る。
立体映像の投影システムが、拡大したシェリルと悟郎の姿を乾いた夜空に映し出した。

 夜空を駆けるラブハート
 燃える想いをのせて
 悲しみと憎しみを
 撃ち落としてゆけ
 お前の胸にもラブハート
 まっすぐ受け止めてデスティニー
 何億光年の彼方へも
 突撃ラブハート

サビは二人のコーラスだ。
背中合わせで歌う姿に、戸惑っていたゼントラーディ達も拳を振り、足を踏み鳴らして曲に乗る。
「メロディ、スモーク・オン」
“ラジャー”
コンサート会場上空をアルトとメロディの操る機体が、背中合わせでコークスクリュー回転を繰り広げる。
蛍光を発するスモークが夜空に描くラインに、歓声がひときわ大きくなった。
VF-31が航過すると、轟音の後に沈黙が訪れる。
夜気を震わせてギターがコードを奏でる。

 耳をすませば
 かすかに聞こえるだろ
 ほら あの声
 言葉なんかじゃ
 伝えられない何か
 いつも感じる
 あれは天使の声

静寂に響き渡るスローナンバー。
熱気バサラのヒット曲を知っている者も多く、声を合わせて歌う者も増えてきた。
ゼントラーディの巨体から生み出される声の響きが街に広がってゆく。

 耳をすませば
 いつも聞こえるだろう?
 ほら あの声
 あれは天使の声

最後のフレーズの余韻が消えると、シェリルが大きく手を振った。
「ようこそ、シェリル・ノームのライブへ!」
トップスはビキニの上に、フライトジャケット。ボトムはデニムのホットパンツで衰えを知らない脚線美を惜しげもなくさらす。スポットライトの中でジャケットに縫い込まれた発光素子がキラキラと輝いた。
「今夜は、リスペクトしている熱気バサラのカバーから……聞こえたかしら、あなたの天使からの声?」
マイクをオーディエンスに向ける。
歓声が応えた。
「OK、じゃあ、次の曲は……判ってるわよね? うちのギター馬鹿クン」
黒のジャケットにジーンズ姿の悟郎は苦笑すると、ギターを鳴らし、高音を強く歪ませた。
「私の歌を聴けぇ!」
『射手座☆午後九時Don't be late』が始まる。

“暴徒が所持していた反応弾、無力化に成功しました”
“扇動者を摘発”
この機に乗じて、地元警察部隊が暴動をコントロールしていた組織を制圧にかかった。

 持ってけ 流星散らしてデイト
 ココで希有なファイト
 エクスタシー焦がしてよ
 飛んでけ 君の胸にsweet
 おまかせしなさい
 もっとよくしてあげる アゲル
 射手座☆午後九時Don't be late

アルトは、マイダス・シティの一画から急上昇するVF-19Cを発見。
「メロディ、不審な機体を発見。押さえるぞ」
2機のVF-31は挟撃するべく急行した。
特徴的な前進翼を持つVF-19Cは、気圏内で高い機動性能を誇る。
アルトからの警告にも関わらず、強引に飛び続けた。
パイロットはよほど技量に自信があるのか、それとも破れかぶれになっているのか。
“行きます!”
メロディが叫ぶ。父親譲りの琥珀色の瞳に輝きを宿す。
VF-31の大推力にものを言わせ、VF-19Cの頭を塞ぐように遷移。
回避しようとしたVF-19Cの行く手をアルト機が抑えた。
演習モードに設定して出力を落としたレーザー機銃が、VF-19Cの機体を撃つ。
慌てて逃れようとしても、メロディからのレーザー機銃が照準されて、逃げようが無い。
2機のVF-31に挟まれて、VF-19Cはマイダス宙港へと誘導されていく。
後に判明したことだが、パイロットはガリンペイロ社やフォーティナイナー社とはライバル関係にある企業が派遣した工作員だった。

夜明け前。
アルトはVF-31の後席にシェリルを乗せて惑星インティ7の高緯度地帯を飛行していた。
「どこへ向かってるの」
ライブの余韻に頬を火照らせながらシェリルが言った。
「観光スポット……ここの行政府の人に教えてもらった」
座標を確認しながらアルトが言った。
「3時方向……右を見てろよ」
地平線からキラリと曙光が見える。
その光が地上で反射した。
「何、これ?」
シェリルの青い瞳を黄金の輝きが染めた。
「この星で、最大の金露頭鉱床」
直径10kmを超えるクレーターの底に、鏡のような黄金の平原が広がっている。
そこに主恒星の光が反射して、滅多に見られない光の競演が現れる。
さすがのシェリルも言葉を失った。
「よくやったな、シェリル」
アルトは黄金の平原がよく見えるようにと、機体を傾けた。
「でっかい金メダルみたいだ」
アルトが言うと、シェリルはくすっと笑った。
「首に下げるには大きすぎるわ」
「ああ」
アルトもひとしきり笑った。
笑い合ったあと、シェリルがポツリと呟くように言った。
「……一人前になったのね」
悟郎のことを言っているのだろう。
シェリルが行き詰まった時に、解決策を出してくれた。
「ああ」
アルトもメロディの働きを思い返してうなずいた。
「ちょっと寂しいわ」
子供達が手を離れたのを実感するシェリル。
「いいさ、また二人きりになったって思えば……それとも、もう一人ぐらい作るか?」
「それもいいわね」
シェリルはこちらを肩越しに見つめているアルトに投げキスを送った。
「その前に、もっとデートするわよ。素敵なコース考えなさい」
「了解」
VF-31は翼を翻し、軌道上の母艦へとコースを変更した。

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2008.10.29 
悟郎とメロディが9歳になった夏。
アルト一家は、夏休みを山中のコテージで過ごすことにした。
楽しいはずの家族旅行は微妙な雰囲気になっていた。

コテージの子供部屋で荷物をほどきながら、ストロベリーブロンドにブルーアイの男の子・悟郎は双子の片割れであるメロディに尋ねた。
「お父さんとお母さん、なんかヘンな感じじゃなかった?」
長く伸ばした黒髪と琥珀色の瞳の女の子・メロディは訳知り顔で言った。
「夫婦ゲンカの真っ最中」
悟郎はトランクから衣服をクローゼットに移す手を止めた。
「なんで?」
「お母さんが、ほら、なんとかって言うダンサーとウワサたてられてたじゃない。雑誌に載ってたわ」
「ああ、アレか。アレぐらいで何で?」
悟郎は不思議そうな顔をした。
その程度のスキャンダルっぽい記事なら、シェリルにとって頻繁ではないが、珍しい話ではない。
家族の間でも深刻な話題ではなかった。
「ちょっとね、言葉の行き違いがあったのよ」
メロディは荷物を片づけて、ベッドの上にポンと飛び乗った。スプリングでほっそりした体が跳ねる。
「夕べ、夜中に目が覚めて、水を飲もうってキッチンに行ったら、ダイニングでお父さんとお母さんが言い合ってたの」
「ふぅん」
「盗み聞きしてたわけじゃないから、そんなハッキリとはわからないけど……お父さんが、こんなニュース子供らが見たら傷つくだろうって言ってて、お母さんが、それぐらいでビビるような教育してないって」
「まあね。ボクなんかしょっちゅうだ」
悟郎の言葉にメロディは肩をすくめた。
「そうね。アイラとトリシアとベラとケイコとウェイとウワサたてられたもんね」
悟郎は唇を尖らせた。手は荷物の整理を再開している。
「バースディプレゼントもらったから、お返ししただけなのになぁ……ったく」
「ハデな花束もいっしょに贈るから、誤解されるのよ」
「だって、ミアにプレゼントしたら喜ばれたからさー」
「ミアは大人なのよ」
メロディはヤレヤレと首を横に振って、窓から外を眺めた。
コテージは尾根伝いに作られた道路の脇にあるので、眺めが良かった。緑豊かな森を見下ろせる。
悟郎は既に歌手として芸能活動を始めていた。
ミアは、最初に発表したミニアルバムを担当してくれた女性プロデューサーだ。
早くからショウビズの世界に入って大人に囲まれていたため、悟郎は子供同士の付き合い方が判っていないところがある。

アルトは買い出ししてきた食品類を倉庫や冷蔵庫にしまった。
「今夜、何が食べたい?」
「……」
夫婦の寝室に荷物を運びこんでいたシェリルは黙々と作業を続けていた。
冷戦続行中だ。
「ビーフシチューにでもするか」
シェリルが好きそうなメニューを口にしながら、リビングの家具にかけられていたホコリ除けのカバーを外していく。
「……ローリエ入れるの忘れないでよ」
ようやくシェリルが口を開いた。少しは機嫌がなおったらしい。
2階から子供たちの足音がした。
「このらへん、探検してきていい?」
悟郎がアルトに尋ねた。
「ああ。でも、携帯は持っておけよ。それと、水辺には近寄らないこと」
アルトはコテージに備え付けの発電機や住宅設備、通信機器の調子をチェックしながら返事した。
通信端末の画面に人工衛星からの監視映像も表示させた。不審な車両などは見当たらない。
有名人の子供ともなると、誘拐などのリスクも警戒しなければならない。
(バジュラたちに突っ込まれるんだよな……同じ種なのに、何故かくも行動規範が違うのかって)
アルトは一人、苦笑しながら、衛星の映像を悟郎の携帯端末に追尾させた。
「メロディも一緒に行くの?」
寝室から聞こえてくるシェリルの声に、メロディが返事した。
「はい、お母さん」
「晩ご飯までには帰るのよ」
「いってきまーす」
双子たちは声を揃えて言った。

尾根伝いに作られた道は、夏の日差しで暑かったが、時折、吹く風が涼しかった。
悟郎とメロディはパワーアシスト付きの自転車でサイクリングを楽しんでいた。
「ねえ、どこまで行くの?」
メロディの質問に悟郎は一言。
「エンジェル・フォール」
この近くにある観光名所の滝だ。
「えー、お父さんから水辺はダメって言われたじゃない」
「でもさ、あそこなら展望台とか通路とか整備されてるから大丈夫だろ? 自然のままの川岸ならヤバいけど」
「そっか。そうね」
ポツンポツンと別荘が間隔をおいて並んでいる道は、車も人通りも少ない。
道路標識に従ってエンジェル・フォールへ向かう道に入った。
少し急な坂を駆け下り、駐車場に自転車を止めて展望台へと向かう。
しばらくすると、遠雷のような轟きが聞こえてきた。
「わあ!」
展望台で悟郎が歓声を上げた。
「凄い……」
メロディも絶句する。
落差1kmを超える断崖から瀑布が流れ落ちている。
太く白濁した水の流れは、あまりの落差に下部では細かい霧のような水しぶきになっていて、滝壺が無い。
「あの下まで行ってみない?」
メロディが悟郎の手を引いた。
「うん」
悟郎も頷いた。
展望台からキャットウォークのような手すり付きの通路が崖に取り付けられている。
進んでいくうちに周囲は霧に包まれていく。この霧は瀑布のなれの果てだ。
衣服が重く湿ってくる。
次第に5m先も見えない程の濃霧に包まれる。手すりに付けられている黄色い明かりを頼りに歩いていった。
エンジェル・フォールの真下は、頭上から降り注ぐ轟音と柔らかく重い霧に満たされた幻想的な世界だった。
周囲の岩を緑の苔が毛足の長い絨毯のように分厚く覆っていた。
「白い闇、ねっ!」
メロディが悟郎の耳元で叫んだ。そうしないと聞こえない。
「うん!」
悟郎は、この眺めを撮影しようと携帯端末を取り出した。
「あっ!」
濡れた手が滑って携帯を取り落とす。携帯は手すりを超え、霧にまぎれて見えなくなった。
遥か下を流れる川に落ちたらしい。

シェリルは荷物をほどき終わって、リビングで寛いでいた。
ピピッ!
通信端末から警報音が鳴る。シェリルは立ち上がって画面をチェックした。
子供たちに持たせた携帯端末に異変が生じたようだ。
川に沿って、かなりの高速で端末が移動している。
「まさか、水に落ちた? アルト!」
キッチンで夕食の下ごしらえを始めていたアルトが出てきた。
「これ見て」
シェリルの指さした画面をアルトものぞきこんだ。
「……流されてる? 体温は……感知してない。携帯だけ落したのか、それとも…」
アルトはエプロンを投げ捨てて、外へ出た。
「俺はバルキリーで探す」
アルトが叫ぶと、シェリルが頷いた。
「判った。こっちは車で」
シェリルもコテージを飛び出て、車に乗り込んだ。アクセルを踏みこむと、背後から自家用に使っているVF-25が飛び立つ噴射音が鳴り響く。
シェリルは悟郎の携帯の現在位置をカーナビに表示させた。
やはり流されているようだ。山間なので、場所によっては電波を拾えずに信号が途切れる。
車のハンドルを握りながら、片手で自分の携帯端末を操って、メロディに連絡を取ろうとする。
呼び出し音がするが、つながらない。
カーナビのディスプレイにメロディの携帯端末の位置を表示させた。コテージの位置で輝点が明滅している。
「忘れて行ったのね」
シェリルは携帯を切って運転に集中した。

「水辺は……って言ったのに」
アルトはガウォーク形態のVF-25を繊細に操った。
現在位置は航法支援システムの画面に表示させた悟郎の携帯の位置とぴったり重なっている。
流れがやや緩やかになったところで、川の中に着陸した。
水蒸気と水しぶきを跳ね飛ばしながら流れの中央に降り立つと、上流から流れてくる携帯を待ち受けた。
機械腕を伸ばし、掌を広げる。
この手の細かい操作は昔から得意だった。
キャノピーに投影されるヘッドアップディスプレイの表示を頼りにすくいあげる。
機械の掌に小さな携帯端末をキャッチ。
しかし見回しても、悟郎の姿はない。
アルトはシェリルの携帯端末を呼び出した。
「こちらアルト……携帯は回収したが、悟郎の姿は無い」
“了解。メロディの携帯にもかけてみたけど、あの子、コテージに忘れてるわ”
「そうか。シェリル、頼む」
アルトの意図するところは、シェリルにも通じていた。
“ええ、歌ってみる”

両親に心配をかけないように早く家に帰ろうと展望台に戻った悟郎とメロディは体の奥底から響いてくる歌声を感じた。
メロディが呟いた。
「お母さん」
“ソ・ド・ラ・ファ・ミ・ド・レ”
一番最初にシェリルから教わった旋律がフォールド波に乗って、双子の心を共鳴させた。
“ドミミ・ミソソ・レファファ・ラシシ”
シェリルの歌声に合わせて、悟郎も歌う。
ハーモニーに乗って、お互いの状況が伝わった。

V細菌と共生関係にあるシェリルから生まれた双子は同じ体質を受け継いでいた。
バジュラ戦役後に生まれた子供たちの中には、同じようにV細菌と共生関係を作り上げている者が多い。
バジュラと人類の仲立ちとなることを期待されている世代と言える。
ただし人体を用いたフォールド波通信は言語情報の伝達効率が良くないので、日常的な要件は通常の携帯端末を通じた音声通話で済ませている。

結局、シェリルが車に双子と自転車を乗せてコテージに帰ってきた。
先に待っていたアルトは、びしょ濡れのまま降りてきた双子をぎゅっと抱きしめた。
「ハラハラさせるんじゃないぞ」
「ごめん、お父さん」
「ごめんなさい」
「ほら、シャワー浴びてこい」
双子の背中を押して、家に入る。

夕食後、子供たちを寝かしつけたシェリルが居間に戻ってきた。
「初日から大騒ぎしたわね」
「ああ」
ソファに座っているアルトは、冷えたビールの喉越しを楽しんでいた。
「お前もどうだ?」
グラスを掲げて見せると、シェリルはキッチンからスパークリングワインのボトルを持ってきた。
「じゃあ、私はこっちでお付き合い」
二人はグラスの縁を触れ合せた。
「お前の歌声に乾杯」
アルトが言うと、シェリルが和した。
「我が家のエースパイロットの働きに、乾杯」
しばらく黙ってグラスを傾けていたが、アルトがポツリと言った。
「悪かったな」
「何が?」
シェリルは質問したが、アルトが何を言いたがっているのかは予想がついた。
「雑誌の記事、子供がどうかってより……その、なんだ…気に入らなかった」
「ふふ。今までも、あんな記事あったのに、どうして?」
シェリルはアルトの肩に頭を乗せた。
「いや、その……相手がハンサムだったから……」
「それだけ?」
シェリルはアルトの瞳をのぞきこんだ。
アルトは目をそらせる。
「まあ、いいわ。私も不注意だったし……これで仲直り」
噂の相手となったダンサーの容姿が、ちょっとだけミハエル・ブランに似ていたのも、アルトが態度を硬化させた原因の一つかも知れない。
アルトの好敵手で、学生時代一度も勝てなかったミハエル。
「アルトほどイイ男は銀河中探しても居ないわよ」
アルトはグラスをテーブルに置いて、シェリルを抱き寄せ、キスする。

シェリルの手がアルトの肩に回ったのを、双子は物影からのぞいていた。
足音を忍ばせて、子供部屋に戻る。
「なんだかんだ言って、やっぱり仲が良いよね」
ベッドに入った悟郎が囁いた。
「そうね」
メロディの声にはうっとりとした響きがあった。
まだ、恋愛というものを明確に意識する年齢ではなかったが、メロディにとって両親は理想の将来像だった。
今夜は良い夢を見れそうだ。
「お休みなさい」
メロディは部屋の明かりを消した。

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2008.10.05 
オフで家にいたシェリルは、メロディに声をかけた。
「ねえ」
よく通る声でメロディは応えた。
「はい」
アルトとシェリルの間に生まれた娘・メロディはハイスクールに通う年ごろになっていた。
「前々から聞きたかったのだけど、あなた、自覚はあるの?」
「自覚って…」
きょとんとしたメロディにシェリルがつめよる。
「あなた美人なのよ。スタイルいいのよ。なのに、何よ、その隙のないファッション」
今日のメロディは、カチっとしたラインのドレスシャツにスリムジーンズ。シャツのボタンをひとつはずしている。
「もっと、谷間とか、クビレとか、脚とか、ババーンと!」
対するシェリルはニットのワンピースで、胸元が大きく開いていた。
「お、お母さん」
メロディはたじたじとなった。
「もったいないわ。せっかくアルトに似て、こんなに美人に生まれついたのに」
「そ、そんな」
「買い物に連れてったげる」

ショッピングモールでメロディを連れ回すシェリル
「こ、こんな、私にはセクシーすぎるかなって……お母さんなら似合うと思うけど」
試着室から出てきたメロディは戸惑いがちに姿見に向かった。
黒のビスチェに、丈の短いレザージャケット。ボトムは黒レザーのマイクロミニにロングブーツ。
「これぐらいでいいのよ。もっとアピールしなきゃ、世の中の損失」
「アピールって誰に…」
「世の中全体に」
「お母さんみたいに芸能人じゃないのよ、私」
「芸能人の娘なのよ。マスメディアに露出する機会も多いわ」
「でも…」
ジャケットの前を閉じようとするメロディの手をシェリルが止めて、胸の谷間が見えるぐらいに広げた。
「理想の男は、銀河の反対側にいるかも知れないの。だったら、機会を逃すことはないわ。黙って待ってたら、いつか王子様が白馬に乗ってやって来るなんて幻想は第1次星間大戦で滅びたのよ。これからは、自分から“狩り”に出ないと!」
「か、狩り……」
「次、行くわよ!」

その場でお買い上げのタイトなレザーの上下を身につけたメロディの手をつかんで、モールを闊歩するシェリル。
「ええと、和服、要らないわよね」
和服のコーナーを横眼で見ながら、素通りする。
「で、でも…」
メロディは未練あり気に今シーズンの新柄を見る。
「アルトと嵐蔵さんが、いっぱい買ってくれてるじゃない。それより、こっち」

「フェミニンなのも、もっとバリエーションが欲しいわね。嵐蔵さん受けする膝丈のワンピばっかりじゃね」
シェリルの指摘にメロディははっとした。
嵐蔵を訪ねる時には和服か、丈の長いフレアスカートが多くなる。畳の上で正座するためだ。
「どう? ミニの巻きスカートなんかも可愛いんじゃない? あ、このショートブーツ、また流行しているのかしら」
シェリルはマネキンのコーディネイトを見て、足元をチェックした。
「ブーツ素敵ね。昔、流行ってたの?」
メロディが頷くと、シェリルは微笑んだ。
「これね、私が流行らせたのよ。アルトと出会う、ちょっと前にね」

シェリルはメロディを姿見の前に連れてきた。
「マニッシュでも、こんなのはどうかしら?」
ジーンズに黒のジャケット。インナーに丈の短いピタTでボディラインを強調する。ウエストは肌を見せていた。
メロディの長い黒髪を結って、ジャケットの色に合わせたソフト帽をかぶせる。
姿見の前でくるりと回るメロディ。
「ねえ、メロディ」
シェリルがメロディの袖を引いた。
「お母さん、こっちのはどうかしら?」
別の帽子をかぶってみせるメロディ。
「ちょっと、あれ…」
シェリルが指さす方を見ると、見覚えのあるストロベリーブロンドの少年がいた。肩にギターのケースをかけている。
褐色の髪をボブカットにした女性と連れ立っている。遠目から見ても、少年より年上なのが判る。モノトーンでまとめた服装は動きやすそうで、地味ながらもセンスを感じさせた。
「悟郎」
「デートかしら?」
シェリルが目をキラキラさせる。
無駄だと思いつつメロディは一応、諭してみた。
「聞いてないけど……ねえ、そっとしといてあげましょう、お母さん」
「こんな、面白そうなものほっておく手はないわ」
こうなったら、シェリルを止められない。
メロディの服を買うと、距離をおいて悟郎と女性を尾行する。
他の買い物客も多いため、紛れて行動するのにはちょうど良い。
「お母さん、あれ、お仕事じゃないかしら? 連れの方は、スタイリストさんみたい」
メロディの指摘通り、あちこちのショップに立ち寄って試着を繰り返しては携帯端末で撮影している。
「うーん、そうねぇ」
シェリルは外出時の必需品である大きなサングラスで目元を隠しているが、つまらなさそうに唇を尖らせている。
メロディの双子の片割れ、悟郎は既に音楽の世界でプロデビューも果たしている。歌舞伎役者として早乙女一門に名を連ねているので、発表したアルバムの数は多くないが、既に固定ファンをつかんでいる。
雑誌のインタビューか、アルバムジャケット用の撮影で使うのだろう。
「でも、もうちょっとつけてみましょ」
シェリルは諦めきれないようだ。
「お母さん」
メロディはため息をついた。
「あのスタイリスト、どーもアヤシイのよね。必要以上にベタベタしてない?」
シェリルはサングラスを少しだけずらして様子をうかがった。
指摘されてメロディは、二人の様子を観察した。
「そう……かも」
女性の手は悟郎の肩や背中に触れていることが多いような気がする。
「あ、駐車場の方へ行くみたいよ……メロディ、先に車に戻ってて。すぐ出せるようにしておいて」
言い置いて、シェリルは二人の後をつけた。
駐車場に足を踏み入れる。
一瞬、見失いかけたが、並んでいる乗用車の陰に隠れ、ウィンドウ越しに見つめる。
女性が乗りこんだのは、オープンの2シーター。助手席に悟郎が座ったのも確認した。
シェリルは小走りに、メロディが乗りこんでいる自分の車に戻った。
「オープンの車よ。つけて」
メロディは、シェリルがシートベルトを着けたのを確認すると、アクセルを踏んだ。
「家に向かっているんじゃない?」
ハンドルを握ったメロディが言った。
車は、ターゲットであるオープンカーとは、間に二台ほど他の車を挟んだ位置にいる。
「つまんない……ホテルにでも向かったら面白いのに」
シェリルが呟いた。
「お母さん、何を期待しているの?」
「悟郎をイジるネタ」
メロディは悟郎に同情した。
銀河系の芸能界で確固たる地位を築いたシェリルの影響から脱しようと、悟郎が地道な努力をしているのを知っているだけに、ちょっとため息が出た。
悟郎にとって歌舞伎とロックは車の両輪みたいなものだ。
伝統を継承し、その中で自分の芸を磨く歌舞伎。
オリジナリティを追及する音楽の世界では、悟郎の歌声は男女の差はあるもののシェリルの声質を受け継いでいる。だから、歌だけではなくギター・プレイのテクニックを追及していた。
シェリルの絶大な存在感にもめげずに前向きに自分の道を歩んでいる悟郎だが、たまには行き詰まって後ろ向きになることもある。
メロディは他人に決して見せない弱気になった悟郎の表情を知っていた。
「ほどほどにしてあげてね、お母さん」
「あ、停まったわ」
オープンカーは早乙女家から1ブロック離れた所に停車した。
悟郎が降りてギターケースを背負う。
ドライバーの女性が手を伸ばして悟郎の頭を引き寄せ、唇を合わせようとした。
悟郎はメロディの車に気づいたようだ。横目でちらりと車の方を見ると、そっと女性の腕を外した。
ドライバーは肩をすくめて、車を出した。

「で、誰? 彼女」
帰宅するとシェリルは嬉々として悟郎を問い詰めた。
「スタイリストのミズ・リュー」
「付き合ってるの?」
「そうじゃない」
悟郎の口調はぶっきらぼうだったが、旗色は悪い。シェリルに突っ込まれまくっている。
「でも、キスしようとしてたじゃない」
「キスなんて大したことないだろ。挨拶みたいなもんだ」
シェリルは目を細めた。言い方が、同じ年ごろのアルトにそっくりだった。
しかし、悟郎をイジるのは止めない。
「オープンカーで路上キスなんて、芸能人として脇が甘いわよ。衛星軌道からだってパパラッチは狙っているんですからね。自覚を持ちなさい」
首をすくめる悟郎を前に、シェリルは小一時間お説教を楽しんだ。

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2008.09.25 
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