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惑星フロンティア首都、キャピタル・フロンティア。
シェリル!」
マネージャーを勤めるベテラン女性社員が、帰り支度を始めたシェリル・ノームに声をかけた。
そろそろ夕方にさしかかろうか、という時刻だが、フレックスタイム制をとっているベクター・プロモーションの社内なので、全員が退勤時刻というわけではない。それぞれが自分のペースで仕事をこなしている。
シェリルは新しいアルバム制作に向けての、企画会議に出席するために社に顔を出していた。
「何?」
バッグを肩にかけたシェリルは、マネージャーを振り返ってサングラスをはずした。少し、そわそわしている。
「再来週の件、忘れないで下さいね」
「再来週…何だっけ?」
マネージャーは大げさに呆れてみせた。
「映画監督の山森さんと対談ですよ。もう忘れちゃったんですか?」
「あ、ああ、そ、そうね。そうだった。忘れてないわよ。度忘れしただけ」
「何、そんなに急いでいるんです?」
「これから、家で『パイロット物語』を観るのよ。悪いけど、じゃ、また」
携帯端末で時刻をチラ見したシェリルは、ダッシュで社屋を出た。
「連ドラなんて、ダウンロードで見ればいいのに」
マネージャーは肩をすくめて、シェリルの背中を見送った。

車を飛ばして帰宅したシェリルは、簡単な食事の用意を済ませるとリビングへと運んだ。
ソファに座って、AVセットのスイッチを入れる。
予約済みだったので、チャンネルは自動的に合う。
聞き慣れたテーマソングとともに、『パイロット物語』のタイトルロゴが表示された。
月曜日の夜7時から始まる連続ドラマは、どちらかといえばティーンの視聴者をターゲットにしたものだ。
ストーリーは、新統合軍の新米バルキリーパイロットとなった18歳の少女が、精鋭部隊に配属され、鬼教官の下で鍛え上げられていくという、スポ根ノリの単純な筋立て。
ところが、ヒロインが密かに恋心を抱いている鬼教官が主婦層の人気を集めて、本来のターゲットとは異なる奥様方の間で盛り上がっていた。
シェリルは、いささかお行儀悪くラザニアにフォークを付きたてながら、画面に釘付けになっていた。
実機を使っての演習中、近くの恒星が突如バースト現象を起こした。
押し寄せる電磁波と放射線の嵐の中、普段は反目しあっている成績トップのライバル(男性)と協力しあってピンチを脱出。
鬼教官に「良く頑張った」と褒められて、ささやかな幸せに浸っているヒロイン。
その直後、ライバルから「俺と付き合わないか」と告白されてビックリ、というシーンでエンディングになった。
「どうなるのかしら、次回」
シェリルは手元に携帯端末を引き寄せると、匿名で書き込める掲示板に音声入力で感想を書き込んだ。他の奥様方も掲示板に次々と書き込む。
スポ根から、一転して恋愛模様がクローズアップされたため、ヒロインがライバルの告白を受けるのかどうかが、話題になっていた。
シェリルは、ヒロインに振られるんじゃないかと書き込むと、すぐに賛同や反対のレスポンスが書き込まれる。
「ただいま」
頬にキスされて、シェリルは驚いた。
「お、おかえり、アルト
「また、インスタントで晩飯……ドラマ見てたのか。お気に入りだな」
着流し姿のアルトは羽織から袖を抜いて、衣文掛けにかけた。
「ま、まあね」
「ダウンロードでいつでも見れるだろ?」
この時代のテレビ放送は、放映後でもネットに接続されたサーバーから、いつでもダウンロードして視聴できる。
「だって、ネットで皆と一緒に盛り上がりたいんだもん」
「ネット?」
アルトはシェリルの手元を覗き込んだ。
「匿名掲示板?」
「そう。私がシェリルって判ると、皆、遠慮しちゃって盛り上がらないし」
ヒロインのライバル役は、アルトとシェリルの息子である早乙女悟郎だ。歌舞伎役者とミュージシャンという二つの顔を持つ多才ぶりだが、今回、新境地として連続ドラマへ出演している。
早乙女アルト家では自家用機としてVF-25Fを使用しているため、悟郎が豊富なバルキリーの操縦経験を持っているのも、抜擢された理由のひとつだ。
「これ、お前の書き込みか……って、ヒドイな。こっぴどく振られればいいとか……息子が可愛くないのかよ」
「ドラマの中じゃ、いけ好かないヤツだもん」
シェリルは、刻々と増えていく掲示板の書き込みをチェックしながら言った。
「それがお役ってもんだが……へぇ、そのいけ好かないエリートにもファンは居るんだな」
「悟郎ファンもいるわよ。当然じゃない。時々、読んでみるけど面白いわよ」
「でも晩御飯は、ちゃんとダイニングで食べろよ。向こうでも見れるだろ?」
シェリルはソファの上で胡坐をかいた。
「こっちのが画質がいい」
アルトは苦笑してキッチンへ向かった。デザートに林檎を剥いて出してやろうと、掲示板に書き込んでいるシェリルに背中を向けた。

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2010.02.12 
(承前)

惑星フロンティアの芸能界で最も目立つカップルであるアルトシェリルは、常に人の輪の中心に居たが、次第に人の輪がばらけてきた。
シェリルアルトの腕に腕を絡めてたずねた。
「どう、正直なところ、映画の出来は?」
「ん?」
アルトは手を止めてシェリルを振り返った。
「あ、酔っ払ってるわね、アルト
シェリルアルトの手から折りかけの折鶴を取り上げて、テーブルに置いた。
「そうでもないぞ」
反駁するアルトの鼻を、シェリルの人差し指がつついた。
「アルコールが回ってくると、そこらじゅうの紙で折るんだから」
アルトの近くにある椅子の上に、さまざまなサイズの折鶴が5羽並んでいた。素材はナプキンやら、箸袋などだ。
「で、どうだった映画?」
「いい出来じゃないか? あれだけの話を2時間に詰め込んで……まあ、現実に比べたら話が綺麗に整理され過ぎだけど」
アルトの視線は、ミハエル・ブラン役の俳優トルイ・ジークの横顔に向けられていた。
金髪に緑の瞳、優れた体格。ただし耳朶の形は先端が尖ったゼントラーディ・タイプだった。撮影中は特殊メイクで付け耳をし、ミシェルがゾラ人の血を引くことを示していた。
もっとも、プライベートでは内気で知られていて、ミシェルのように気軽に女性に話しかけられる性格ではなかった。
「現実の散文的な所まで詰め込むわけにはいかないものね……ライブの疾走感、素晴らしかったわ。視点が自在に切り替わる映画ならでは、の演出もあったけど」
シェリルは、シェリル・ノーム役とランカ・リー役の俳優たちを横目で見て続けた。
「現実の、私のライブも負けないようにしないと」
シェリル・ノームを演じたのは、ダナ・ポペスク。モデル出身で映画は今回が初挑戦となった。シェリルのバイタリティを表現するために、トレーニングを積んだそうだ。撮影中はシェリルに似せたストロベリーブロンドを、本来のストレートのブロンドに戻している。
シェリルの歌声を担当したのは、皐月・メイ。オーディションで見出された18歳の少女だ。当初は、声質の違いが疑問視されていたがシェリル本人の推薦と、皐月自身の歌唱力で周囲を納得させた。
一方でランカ・リー役のイツミ・藤は、CMソングの分野でキャリアを積んだ歌手だった。20を過ぎているのに、高校生に見える童顔で、聖マリアの制服姿に全く違和感がなかった。
ランカ本人は、長期の辺境惑星ツアーに出ていたので、映画へは楽曲提供のみの参加となった。
「シェリルさーん!」
皐月が大きく手を振って招いている。
「行ってくるわね、アルト」
シェリルはアルトの頬にキスして、彼女達の方へ向かった。
音楽が流れる。
「お、この曲は…」
シェリル本人曰く、頭の中を空っぽにして歌う歌『ギラギラサマー(^ω^)ノ』だ。
歌姫役のダナ、皐月、イツミの三人に、シェリルが加わって振り付きで歌い始める。
ギラギラサマーの歌詞で大きく右手を上げる振りは、会場に居合わせた多くの人も揃って右手を振り上げた。

「けっこう歌、上手いじゃない。こっちの方に進む気はない?」
余興の歌が終わった後で、シェリルはダナの手を握った。
「え…そ、そうですか。本気にしちゃいますよ」
白い頬を染めたダナは、ギュッとシェリルの手を握り返した。
「デビューする気があったら、いつでも言ってちょうだい」
そこでシェリルはイツミを振り返った。
「素晴らしいプロフェッショナル振りだったわ。あなたほどの経験のある歌い手が、初心者の声を出し方であれほど歌うなんて、感心したわ」
イツミはにっこり微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、こんなにしんどい仕事は、これで最後にしたいですね」
イツミは、劇中でランカの成長をなぞるために、歌い方を細かく変えていた。プロになってから矯正された癖をあえて再現するのは、かなり疲れたらしい。
「次回作は、少しキャリアを積んだランカちゃんだから、楽になるわよ」
シェリルはイツミを軽くハグした。
「シェリルさん!」
皐月がシェリルの肩をぎゅっと抱きしめた。
「素晴らしかったわ。皐月は、一人の歌手として、実力でこの座をもぎ取ったんですからね」
シェリルも抱きしめ返した。頬にキスして耳元で囁く。
「周りが色々うるさかったけど、決してミスキャストじゃないって皆に伝わったわ。自信を持って、公開を楽しみにしてなさい。シェリル・ノーム本人が言うんですもの。信じなさい」
「はい…」
そこから先は皐月は言葉をつなぐことができなかった。瞼の間からこぼれる熱い涙とともに、頷くしかなかった。
「ほうら、泣かないの。まだまだレコーディングは続くんですからね」
シェリルは皐月の背中を掌で撫でながら、かつてグレイスにこうして抱き締めてもらった自分を腕の中の少女に重ねていた。

2009.12.08 
『炎と真空の狭間』――早乙女アルトを主人公にバジュラ戦役を描く大作映画の初号試写。
試写は試写会とは異なり、関係者のみを集めて映写される完成版のお披露目だ。
大画面に映し出された高解像度の画像。
アイランド1を舞台に繰り広げられる歌姫たちのライブと、バジュラたちとの高速戦闘。
かろうじてバジュラの群を撃退した後、アイランド1の中に時ならぬ雪が降る。
激しい戦闘で空気が漏出し、空調設備もダメージを受け、大気循環が滞った副作用だったが、ステージの上にいるアルトシェリル、ランカたちには、とても美しいもののように思われた。
やがて、カメラは舞台を俯瞰し、そのまま引いて、静かに雪が降り続くアイランド1を天蓋の外から眺めるアングルになる。
画面が暗転して、エンディングテーマ『そうだよ』が流れ、スタッフロールが映しだされた。

試写室に照明が灯された。
居合わせた人々の間から拍手が起こる。
ジョージ山森監督がスクリーンの前に立って挨拶する。
「この試写で制作サイドの作業は終了しました。後は、配給の方に頑張っていただきます」
山森は太い眉毛の下から、配給会社の担当者へ目くばせすると、試写室に笑いが満ちた。
「惑星フロンティアが第1級植民惑星指定されて10周年を記念した大作映画ですから、失敗は許されません。監督として今までにないプレッシャーを感じました。しかし、役者さんたち、スタッフの才能と努力で、ついに完成しました。ありがとうございます」
1級植民惑星とは、経済的に自立した社会が構築されたと新統合政府が認めた惑星に付与される資格だ。星星を超えて広がる人類社会の主要なメンバーになったと言える。
惑星フロンティアが、これほどまでに目覚しい勢いで経済成長を遂げた理由は、バジュラ達が生み出すフォールドクォーツと、フォールドクォーツを応用したスーパーフォールド機関が寄与するところが大きい。従来のフォールド機関より、10倍以上の距離を一瞬で跳躍できるため、銀河系人類社会の輸送・通信網に一大イノベーションが巻き起こっていた。
「完成したからには、もう私から語る事はありません。試写を見ていただいた皆さんが抱いた感想が私から伝えたいことです。全てのスタッフに感謝を。でも、まだ終わりではありません。続編がありますからね。よろしくお願いします」
山森監督の挨拶に、再び笑い声。少し苦笑が混じっている。
「では、別室にパーティーの用意がしてあります。立食スタイルです。気楽に、どうぞご歓談ください」

パーティー会場は映写室の隣にある会議室だった。記者会見などにも使用されるので、総勢30名程度の立食パーティーには十分なキャパシティがある。
早乙女アルトは30代になっていた。映画には、軍事アドバイザーとしてスタッフに名前を連ねている。今日の装いは、網代柄を織り出した紬の着流しに羽織。
アルト先生」
早乙女アルト役の少年マハロ・フセイニ、17歳。一見、日系人のように見える顔立ちだが、アラブ系とハワイ先住民の血を引くという複雑な出自だ。また、旧マクロス・ギャラクシー市民の家庭で育ったという履歴も、端正な横顔に微妙な影を与えている。
「ご指導、ありがとうございました」
丁重に礼をするマハロは、日本式のお辞儀が身についていた。
アルトが初めてマハロと引き合わされたのは撮影前の準備期間だったが、その頃から比べるとずいぶん肩の辺りが逞しくなり、胸板が厚くなった。
「ロードショウが楽しみだ」
「今から舞台挨拶の事を考えるだけで、心臓が飛び跳ねています」
マハロは自分の胸を掌で押さえた。
「大丈夫さ。いつもどおりの度胸があれば」
アルトは、いざ本番となると落ち着きを見せるマハロを傍で見てきた。EXギアを着用したアクションもスタント俳優無しでこなしている。
「先生、もし、よろしければ歌舞伎の稽古場、見せていただけませんか? しばらく映画関連の仕事で忙しいので、それが終わってからお願いしたいのですが」
アルトは微笑んだ。映画の中でアルトを演じることを通して、マハロは歌舞伎に興味を抱いてくれたようだ。
「ああ。いつでもおいで。新春の舞台が近いから、興行にも招待してあげよう」
「ありがとうございます」
マハロは、もう一度頭を下げた。
「素敵だったわよ、マハロ。本人より、すごいエースパイロットに見えるわよ」
話に割り込んできたのは、シェリル・ノームだ。今回の映画では、楽曲提供と歌唱指導を担当している。黒のパンツドレスで装っていた。
「俺だって、アレぐらい飛べるさ」
「そう? そうかも。でも、映画の中のアルトはヒコーキ壊してないわよ。本物のアルトは、何機、全損にしちゃった?」
「…3機」
「やっぱり、マハロの演じるアルトの方が優秀よ」
アルトをからかって遊んでいるシェリルに、マハロがとりなすように言った。
「だって、それは、本当の戦争だったし、ギリギリの状況だったから……ニルス・カタヤイネンみたいな例もあります」
マハロが持ち出したのは第二次世界大戦中のフィンランド空軍に所属するエースパイロットだ。本人が原因ではない機体の故障に付きまとわれ、搭乗した戦闘機を何機も壊していた。あまりにも壊し続けたため、一時期、爆撃機部隊へと転属させられたという逸話がある。ついたあだ名が『ついてないカタヤイネン』。
「まー、すっかりアルトの影響でヒコーキ馬鹿がうつっちゃったわね」
シェリルがおどけて目を丸くした。

(続く)

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2009.12.05 
「おはようございます」
シェリル・ノームが撮影スタジオに入ると、それだけで場のテンションが上がるのが判った。
正直、大したものだと早乙女アルトは思う。
シェリルちゃん」
女性カメラマンがシェリルと握手した。それから、アルトの方をちらりと一瞥してから、何か小声でシェリルに言っている。
「ああ」
シェリルは、カメラマンの言葉に頷いて、アルトを見た。すぐに視線を戻す。
微妙な居心地の悪さを感じるアルト
「大丈夫、単なる見学者だから。お仕事に口を挟むようなことはないわ。素人というわけでもないし。わきまえているわ」
シェリルは説得しているようだ。
(話は通ってるって言ってたじゃないか)
アルトは視線を反らして、スタジオ内部を観察した。
そういえば、こんな場所に来たのは久しぶりだ。
歌舞伎役者をしていた頃には、何度か足を運んだものだ。観客へと配布されるパンフレットに使用されたものがほとんどだ。
撮影用にセッティングされているホリゾント(モデルの背景に立てるスクリーン)は緑色。
その周囲ではスタッフがライトを設置したり、露出を計測していた。
シェリルの髪を流すために、扇風機も設置されている。
(あ、女ばっかだ)
スタッフは全員女性で、アルトは改めて居心地の悪さを感じた。
(そりゃ、俺は男なんだし)
スタジオを隅々まで観察してから、シェリルを見ると、まだカメラマンと話している。
「なあ、シェリル…」
仕事の邪魔になるようならスタジオを出ようか、と言おうとしたところで、シェリルが顔を上げた。
今日のシェリルの装いは、ゆったりしたピンク色のワンピース。素足にサンダルを履いている。ヌード撮影なので肌に痕が残らないように、下着もあまり締め付けないタイプのものを選んでいた。
小走りに駆け寄ってきた。
「ごめんね、アルト。居心地悪かったでしょ?」
上目づかいで見上げるシェリル。
「それはかまわないんだが…マズかったら出ようか?」
「アルトには見てもらいたいから。現場で、どんな風にしているのか」
シェリル・ノームは自他共に認める仕事中毒だ。時としてアルトと過ごす事より仕事のスケジュールを優先する。
アルト自身、芸能の世界で育ってきたので、事情は何となく呑み込めていた。シェリルとは違う分野だが、舞台では何事も事前の予定通りに進まない、というのは骨身にしみている。
「知っておいて欲しいの」
シェリルは、ぐっと拳を握りしめた。
これはシェリル自身にとっても切実な問題だ。
仕事柄、マスメディアの上でヌードを披露することもある。アルトは、そうしたことに理解を示してくれてはいるが、心穏やかではいられない時もあるのは感づいていた。だから、できるだけ仕事内容をオープンにしておきたい。可能な限り、仕事の現場をアルトにも見て欲しい。
今までのシェリルの人生には、普通の人間が持ち合わせているプライベートな部分がスッポリ抜け落ちていた。幼くして家族を失い、歌手デビューを果たしてからは、シェリルのライフスタイルさえも彼女のスター性を高める素材としてマスメディアの上で流通してきた。
そうした欠落は、シェリルの浮世離れした雰囲気を醸し出す原因になってはいたが、アルトと付き合うようになって不安の源にもなっていた。
アルトやランカがフロンティア船団で過ごした子供時代の共通した話題で盛り上がっている時に、その話に入っていけない自分がいる。
過去を悔やんでも変えることはできない。だからシェリルは彼女らしい、正面突破の手段でアルトとの間の溝を埋めようとした。華やかな仕事の裏側をアルトに見せて、共有する体験を積み上げていこうとしている。
一方で、アルトも軍務があるので、スケジュール的に今日を外すと、次はかなり先の話になるだろう。
「でも……了解は取り付けたハズなんだけど、アルトの事が上手く伝わってなくて。条件を出して来たわ」
シェリルは唇を噛んだ。
「何だ?」
「…アルトも撮りたいって。女形というか、女装で」
「う」
アルトはカメラマンの方を見た。
カメラマンは三脚に据え付けたカメラのファインダーをのぞきこんでいる。視線を感じたのか顔を上げると、アルトを見てニッコリ笑った。
アルトの目には、その笑顔が挑戦的に見えた。
「どう? 無理にとは言わない。また次の機会もあるんだし…」
シェリルの声は平静だったが、少し落胆しているようだった。
「銀河の妖精に、そんな条件持ち出せるなんて、強気なカメラマンだな」
「まあね。腕は確かよ」
「判った。その条件、飲む」
シェリルは目を瞬いた。
「いいの?」
「あのカメラマンの目つきが気に入らない。できるものならやってみろって、言ってる」
「無理してない?」
シェリルは念を押した。
「散々修羅場をくぐってきたんだ。今更、女装の一つや二つ」
アルトは笑ってみせた。

スタジオ備え付けのオーディオセットから pink monsoon が流れ出す。
シェリルは深呼吸すると、羽織っていたガウンを脱ぎ落として、ホリゾントの前に立った。
強い照明の下、覆い隠すものの無い白い肌が眩しい。
撮影が始まった。
「リズムに乗って、目線はこちらに」
カメラマン、リサ・ブラウンは40代後半の黒人女性で、歯切れの良い口調がスタジオ全体に統一感を作り出している。
指示にあわせてシェリルがポーズを変え、アシスタントが補助照明や送風機の位置を合わせる。
「シェリル、最近、嬉しかったことって何?」
ファインダーをのぞきながら、リサが話しかける。
「そうね……レコーディングがスムーズに進んだ事。バルキリーの1種免許に合格したこと」
シェリルは目線を指示された方向から、ずらさずに答えた。
「わお、バルキリー? バサラやミレーヌみたいに、操縦しながら歌うの?」
「そういうパフォーマンスも良いかもね」
「見たいわ。そこでターンして、こちらに背中を見せて…いいわ。肩越しに振り返って」
背中がしなやかにうねる。風に乗って、シェリルのストロベリーブロンドがふわりと広がった。
アルトはカメラマンの斜め後ろから、シェリルの姿を見つめていた。
いつもの事ながら、仕事モードの時のシェリルは集中力が並外れている。
日常の空間で、生まれたままの素肌をさらしていたら、アルトは直視できないだろう。シェリルも、案外恥ずかしがりやな部分があるのを知っている。
しかし、ライトを浴びている彼女は堂々としていて、臆するところは無い。
だから、アルトもリラックスして撮影の様子を傍観することができた。
「この曲、何か思い出はある?」
リサは、スタジオに流れている pink monsoon についてたずねた。
「そうね……あまり好きじゃないわ」
シェリルは眉を寄せた。
「どうして?」
「まだアーティストとしてキャリアも無かったし、方向性も定まってなくて、周りに言われるままにR&Bにしたのね。納得できてないの、自分の中で」
腰に両手を当てて上体を屈めて、カメラのレンズを見上げるようにするシェリル。豊かな胸の膨らみが弾む。
「シェリル、彼氏の方を見て」
流れるようにターンして、アルトを見つめるシェリル。視線が重なって、そこで素に戻ってしまったらしい。
「…っ!」
小さく息を呑み、見る見る内に頬が染まる。
「誘うように、手招きしてごらんなさい」
リサの言葉に、右手を伸ばして人差し指を立てて招くように動かすが、ぎこちない。
「あはははっ…可愛いわよ、シェリル」
笑いながらもシャッターチャンスを逃さないリサ。
クルリとアルトに背中を向けるシェリル。カメラマンを睨んでいた。
「もうっ」

シェリルの撮影は滞りなく終わった。
撮影された写真は、アルバムジャケットに使用される予定だ。
楽曲配信の殆どがネットワーク上で配信される現在でも、楽曲のビジュアルイメージとして画像が添付される事が多い。この画像は、かつてのレコード包装に因んで、ジャケットと通称されている。
「じゃあ、今度はアルト君ね……まぁ!」
リサが、撮影用の衣装に着替えてきたアルトの様子に目を丸くした。
アルトは、軽くメイクを施し、目尻と唇に紅を刷いている。素肌の上に白く透ける布を肩から巻きつけるようにしている。スタジオに和服が無かったので、間に合わせの衣装だ。
アシスタントの一人がリサに説明した。
「メイクさんが遊んでたので、それにあわせて衣装も遊んでみました」
「アルト…」
ガウンに袖を通したシェリルが瞳をきらめかせた。
「綺麗よ。綺麗だわ」
「お前、ワクワクした顔してんじゃねーよ」
と言いながら、アルトもまんざらではなさそうな表情だった。
「じゃあ、どんな風にしましょうか?」
リサの質問に、アルトは即答した。
「俎板の上の鯉ですから、お好きにどうぞ」
リサは少し考えた。
「じゃあ、知っている動きでかまわないから、ダンスとか、そういうのできる?」
「それなら藤娘で」
「BGMは要る?」
「無くても平気です。頭の中に入っていますから」
言い切ったところで、アルトはずいぶん舞から遠ざかっていることに気づいた。一瞬、大丈夫かと自信が揺らいだが、ままよとカメラに正対する。
「いつでも始めてもらっても結構よ」
リサがファインダーを覗き込んだのを合図に、足を踏み出す。
藤娘の筋立ては、娘の姿をした藤の精が男心のままならさを嘆くというもの。

 若むらさきに とかえりの 花をあらわす 松の藤浪
 人目せき笠 塗笠しゃんと 振かかげたる 一枝は
 紫深き 水道の水に 染めて うれしきゆかりの色に
 いとしと書いて藤の花 エエ しょんがいな

いざ、動き出してみると体の方がしっかり覚えていた。
長く伸ばした黒髪をなびかせて振り返り、しなを作ると、スタジオに声にならないため息が満ちた。
無心に、手足の動きに導かれるように舞うアルト。記憶だけではなく、遺伝子にまで刷り込むように繰り返した舞の動きは数年のブランクを感じさせない滑らかなものだった。
最後の振りの後、残心をとる。
カメラに向かって深々と礼をすると拍手が沸き起こった。
「ほんの余興のつもりだったけど、素晴らしいものが撮れたわ」
リサが手を差し出してくる。
アルトは握手を交わした。
「お粗末さまでした」
「それは、日本人らしい謙遜? もっと誇っても良いのに」
リサも手を硬く握る。
「いえ、冷や汗をかきました。本当に久しぶりでしたから」
シェリルを振り返って、髪を縛る紐を解いた。
「これで上がりか?」
見蕩れていたシェリルは、返事が一瞬遅れた。
「え…ええ。アルト、お疲れ様」

後日。ベクタープロモーションの会議室。
「何、ニヤニヤしてるんでスか?」
社長のエルモ・クリダニクが会議机の上に表示させた画像から視線をはずしてシェリルを振り返った。
今日は、シェリルの新作アルバム用の宣伝素材の仕上がりをチェックするためにシェリルやスタッフが会議室に集まっていた。
「ジャケットを撮影した時の、オマケ」
シェリルは携帯の画面に表示させた画像をエルモに見せた。
逞しい男性の背中。長く伸ばした黒髪をまとめていた紐を解いた一瞬を捉えている。ハラリと散った髪がライトに透けている。
「これは、どなたデスか?」
シェリルは携帯をきゅっと胸に抱きしめた。
「秘密。私だけのものだから」

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2009.11.13 
美星学園の昼休み。ランチタイムのラッシュが過ぎたカフェテリア。
航宙科パイロットコースで一番目立つ4人組が雑談を楽しんでいた。
「死にそう、と思った経験ですか」
ルカ・アンジェローニは少し考えた。
「子供の頃に、ゴダードのロケットを再現しようとして、地面で破裂しちゃった時、ですかね」
アンジェローニ家の広い庭で、化学燃料を使った原始的なロケットを作っていたのだそうだ。
ルカらしいな。他にも機械いじりしてて、感電したりしたんじゃないか?」
ミハエル・ブランは紙コップのコーヒーを手にして言った。
あてずっぽうのつもりだったが、ルカが苦笑して頷いた。
ミシェルは、あれだ。二股か三股かけて修羅場の刃傷沙汰で死にそうになるクチだろ?」
弁当箱をすすいで来た早乙女アルトが、つまらなそうに言った。昼食は、たいてい自作の弁当だ。
「まあ、そんなトコ。姫は無いのか、そういう経験。死ぬかって思ったようなの」
「ある」
「ほう。どんなのだい?」
ミシェルルカも、興味深そうに耳を傾けた。
「荒事……歌舞伎の立ち回りで、緊張感を出せって、親父に真剣を突きつけられた」
「うわー、噂に違わない厳しさですね」
ルカが首をすくめた。
「それから、出演者全員、本物の日本刀を持たされて立ち回りの練習。一歩間違ったら怪我するし、死人が出るかもしれないから、異様な緊張感になった。練習では本番の如く、本番では練習の如くあれ、っていう心構えの実践だとさ」
「へぇ、歌舞伎でもそんな事言うんだ」
ミシェルは感心した。スナイパーは特に精神集中が要求される孤独な任務だ。かつて教官に同じような事を教え込まれた。
「じゃあ、シェリルは?」
ミシェルが水を向けると、シェリル・ノームは胸をそらした。
「あるわよ。私ぐらいの有名人になると、宿命みたいなものよ」
「宿命ってことは、熱狂的なファンってとこか」
アルトの分析に、シェリルは目をパチクリとしばたたいた。
「珍しく鋭いわね、アルト
「珍しく、は余計だ」
話が脱線しそうな気配を悟って、ルカが軌道修正を試みる。
「それで、シェリルさんの経験ってどんなのなんですか?」
「よくある話よ。熱狂的なファンが、シェリル・ノームを独占したくって、他人の前で歌うな、コンサート会場に爆弾仕掛けたって。俺のためだけに歌えって、脅迫状に繰り返し書いてあったわ」
「うわぁ。それはキっついですね」
「まあ、変なファンレターならしょっちゅうだけどね。その時は、本当に爆弾仕掛けてたのよ。ステージの奈落に」
奈落というのは舞台下に作られた空間で、エレベーターが設置されて舞台下から登場するなどの演出に使われる。
「映画みたいだね。それで?」
ミシェルが先を促した。
「資源採掘惑星のドーム都市でのコンサートの時だったの。脅迫状が来てたから、警察がステージ周りを捜査したんだけど見つからなくって、実際には爆弾なんか仕掛けてないんじゃないかってことで、コンサートは開催されたわ」
「無茶しやがる」
アルトが突っ込むとシェリルは言い返した。少しムキになっているようだ。
「だって、その頃、似たような狂言事件が銀河のあちこちで、いくつもあったのよ。愉快犯の模倣犯じゃないかって、みんな思ってたわ。スタッフも、警察も」
「で、銀河の妖精はどうしたんだ?」
アルトも先が気になるらしい。
「聞きたい?」
シェリルが焦らすと、アルトは視線をそらした。
「好きにしろよ」
「あ、僕は聞きたいです、シェリルさん」
ルカがとりなす。
シェリルはアルトの反応が不本意そうだったが、ルカとミシェルに向かって続けた。
「まあ、いいわ。私は、イヤーな予感がしたのね。でも、警察もスタッフも大丈夫って言っているし、ファンに中止なんて言えなかった。だから、セットリストを急遽変更したの」
「その時点で犯人は?」
ミシェルが疑問を口にする。
「捕まってなかった。コンサートの観客として来てたわ。でね、私は今日のコンサートで自分が死ぬかもしれない。この歌が最後になるかもしれないって、自己暗示をかけてバラード中心のナンバーで固めたの」
シェリルはMCで切々と聴衆に語りかけた。
“この銀河では、いつ、どんなことがあるか判らない。私が明日にだって歌えなくなるかもしれない。だから、一期一会のつもりで、最高の歌を聞かせるわ。目と耳に私を刻み込んで。お願い”
次の曲はダイアモンドクレバス。
サビを歌っている最中に、犯人が号泣して爆弾を仕掛けた場所を自白した。
「どこに仕掛けてたと思う? 奈落のエレベーターのボルトを、全部爆発ボルトに取り替えてたのよね。それも、ツアーの計画が発表された1年前に。構造に組み込まれてたから、警察も気づかなかったってワケ」
犯人は、舞台装置の製作とメンテナンスを請け負う会社の技師だった。
「犯人は、シェリルさんの生の歌に感動したんですね。それで犯行を思いとどまった…」
ルカがまとめる。
「銀河の妖精としては、これぐらい朝飯前なんだけれど、奈落に仕掛けてあったって聞いた時は、さすがにビックリしたわね。あのダイアモンドクレバスを歌い終わったら奈落から舞台下へ消えていく演出になってたんだもの。一歩間違えば、死んでたわ」
「そんな状況で歌えるなんて、お前、心臓に毛が生えてるんじゃねえか?」
アルトが呆れて言った。

放課後、シェリルが仮住まいにしているホテルのスウィートルーム。
グレイス、調べて!」
学校から帰るなり、シェリルは、マネージャーのグレイス・オコナーに言った。
「何でしょう?」
敏腕マネージャーは、シェリルのスケジュールを義体の情報処理能力の大半を裂いて調整している最中だった。
「心臓に毛が生える病気ってあるのっ?」
「心臓? 毛細血管の病気ですか?」
「そうじゃなくて、毛が生えるって!」
「そんな症例あったかしら? 毛って本当に毛髪みたいなものですか?」
シェリルは言われて考えた。
「わかんない」
「病気じゃなくて、慣用句なら検索にヒットしましたけど」
「え?」
「心臓に毛が生えている……日本語に由来する言い回しですね。度胸があるとか、図々しいとか、そういう意味です」
「図々しいって……アイツ!」
シェリルは拳を握り締めた。
「まさか、本当に病気だと思っていたんですか? シェリル」
グレイスは口元をほころばせて言った。
グレイスまでからかわないでよ。もう、なんか仕返ししなくっちゃ」
憤然と、ウォークインクローゼットに向かうシェリル。

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2009.09.16 
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