2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- 
「随分、疲れているようだな」
早乙女アルトは妻の顔を見て声をかけた。
「他人の歌う自分の歌を聴くのが、こんなに疲れるなんてね」
シェリル・ノームはスタジオを兼ねた仕事部屋から出てくると、ソファの上で横になった。
「何人分を聴いているんだ?」
アルトはホットココアを入れると、シェリルにカップを渡した。
「ありがと……50人分ってとこ。ようやく半分聴いたわ」
一口飲むと、温かく甘い液体が体に染みわたるように感じられた。
早乙女アルトを主人公に、バジュラ戦役を描く映画『炎と真空の狭間』の製作が正式決定されていた。
シェリルが聴いているデモデータは、劇中でシェリルの歌を担当する新人歌手を選ぶオーディションの選考材料だ。シェリルの歌唱力を再現するために、演技する俳優とは別に、歌は吹き替えにすることになっていた。
「で、どうだ。有望そうなのは居たか?」
「まあ、5000人の応募のうちから選ばれているから、みんな水準以上なんだけど」
シェリルはポンポンとソファを叩いてアピールする。
アルトが自分用に緑茶をいれた湯呑を手に座ると、シェリルはアルトの膝を枕にして、横になった。
「射手座と妖精ばっかり聴いてて、頭がヘンになりそう」
課題曲は『射手座☆午後九時Don't be late』『妖精』に自由選択が1曲。
特に指定された二曲は曲調が大きく異なる為、両方を高いレベルで歌いこなしている応募者は今のところ居なかった。
「お疲れ」
アルトの指がシェリルの頭皮を軽くマッサージする。
シェリルは心地良さそうに目を閉じた。
「アルト役の子はどう? 決まったって聞いたけど」
「ああ、見せてもらった。いいんじゃないか」
早乙女アルトを演じるのは旧マクロス・ギャラクシー船団出身の若手俳優だった。
「アルト役にしてはちょっと華奢過ぎない?」
シェリルの言葉にアルトは少し考えた。
「んー、そうだな。まあ、主役はあんなもんだろ。それより、脇役の方が気になるな。ベテランや、演技力で定評のある人を揃えるらしいが」
「主役が大切じゃないの?」
「この手の映画の主役なら万人受けするハンサムがいいんじゃないか。主人公は出ずっぱりだから、周囲に合わせられるぐらいの演技力があればいい」
「そんなもの?」
シェリルは唇の端についたココアを指で拭った。
「と、俺は思ってる。監督は、別の考えがあるのかも知れないが。それより脇役」
「どうして?」
「話の性質上、登場人物が多くなるだろ? 短い出演時間で、そいつがどんな人物で、物語の中でどんな役割を負っているのか表現できなけりゃならない」
「ふーん、バイキャラクターの方が短くても密度の濃い演技が求められわけね」
「そんなもんだ」
「ふふ、やっぱり私には役者は無理ね。歌なら、私が居れば成り立つもの」
シェリルは両手を伸ばしてアルトの首を抱き寄せた。
アルトも唇を合わせる。
「ん……甘いキスでしょ?」
シェリルが囁いた。
「ココア味」
囁いてアルトはもう一度唇を重ねた。
「ん…んんっ……だめっ」
シェリルが唇を離した。頬が僅かに染まっている。
「テンションが切れちゃうわ。後でね」
「子供たちが寝てから?」
「ふふっ」

仕事部屋に戻ったシェリルは、デモデータを聴く作業に戻った。
休憩後、最初に聴いた歌は、『射手座』も『妖精』も応募者の中では普通のレベルか、少し下ぐらいだ。
「ふう」
軽くため息をつくシェリル。曲をスキップさせ、自由選択の曲を聴くことにした。
「あら?」
曲は『ダイアモンドクレバス』だった。珍しいのは、完全なアカペラだったこと。楽器の演奏は無く、歌声だけ。
歌は未熟な部分もあるが、シェリルにスキップボタンを押させないだけの力があった。
「これ……」
画面に表示されている応募者名を見る。
「皐月(さつき)・ウッド……18歳」
会ってみよう、とシェリルは思った。

クリダニク・レコーディングスタジオ。
スタジオのひとつで、シェリルは皐月・ウッドと面接することにした。
「失礼します。皐月・ウッドです」
入り口で緊張した声が聞こえた。
「どうぞ、かけて」
今日のシェリルは、ビジネスウーマンっぽい黒のスーツ。ボトムはタイトミニ。
入ってきた少女は、人種的には東アジア系の特徴が多く出ていた。明るい褐色の髪を背中に流し、丸い目と、団子鼻が可愛らしい。
タイトなTシャツとジーンズ、ラフなジャケットを着ていた。
「初めまして」
皐月は背筋を伸ばして礼をした。
「初めまして、シェリル・ノームよ。リラックスしてちょうだい。飲み物、何がいい?」
「あ、はい。ミネラルウォーターをお願いします」
インターフォンでミネラルウォーターとグラスを二つ頼むと、シェリルも座った。
すぐに飲み物が届けられ、面接が始まった。
「デモを聴かせてもらいました。アカペラのダイヤモンドクレバス、良かったわ」
シェリルの言葉に皐月は顔を輝かせた。
「ありがとうございますっ」
「プロフィールも拝見しました。一度デビューしているのね?」
「はい」
メイ・リンという芸名でデビューを果たしていた。当時16歳。
「でも、泣かず飛ばずで。この度、再デビューしました」
皐月は苦笑気味に言った。
「いい声しているのに、惜しいわ……なんでダイヤモンドクレバスをアカペラにしようと思ったの?」
シェリルは、何となく自分の口調がグレイスの喋り方に似てきたな、と思った。
皐月は一瞬、視線を下に向けてから言った。
「それは……私が歌の力に触れた原点だから、です」
「原点?」
皐月の言葉は溢れ出るかのような勢いがあった。
「私も、同じシェルターに居たんです。アイモ記念日に」
シェリルは息を呑んだ。
「シェリルさんが立ち上がって、歌い始めて……皆、聴いていて……不安がどこかに飛んじゃって……だから、だからっ、あんな風に歌えるようになりたいって、この道を選びました」
「でも、上手くいかなかった?」
「ええ」
声のトーンが低くなった。
「辞めようとは思わなかった?」
「迷いました……諦められなくて、ちょうど、このオーディションのお話をいただいて、ありったけのものをぶつけてみたんです」
「正直ね」
皐月は笑った。何の衒いもない表情に好感が持てた。
「お話いただいて、シェリルさんのこと、調べ直しました。元からファンだったんで、普通の人よりは絶対、詳しい自信はあるんですけど、公開されている情報、できるだけ調べまくって、戦争の話も調べて……シェリルさんが歌えなくなった時期があったって知りました。あの日がきっかけで、病気を抱えながら再起して……ちょうど、私の気持ちと重なるって思って。そんな、色んなものを込めたんです」
「そうだったの……正直、あなたと私では、声の質がかなり違う。でも、あなたの歌には力が宿っているようね」
シェリルは微笑んで続けた。
「オーディションは合格よ」
「本当ですかっ」
「ええ。後で所属事務所の方に正式にお報せが行きます」
「ありがとうございますっ」
皐月はバネ仕掛けのように立ち上がるとシェリルの手を握ってブンブンと力を込めた握手をした。
その掌の温かさに、シェリルの心も温かくなった。


★あとがき★
あの日の足跡』に向けて辻音楽士さまからいただいたコメントに触発されたのが、この話です。
新人歌手の皐月・ウッドでは、名前などでちょっと遊んでみました。

思えば、昨年の春。
将来に不安を持ち始めたときがありました。
歌うことが大好きなのに。音楽が大好きなのに。
歌う機会が一気に減ったあの時、今思えばすごく辛かった。
けど、そのときは悲しいとか辛いというよりも冷静に受け止めてる自分がいました。
絶対新しいチャンスが来るんだなって。


シェリルさんの旧ブログからの引用なんですが、きっとこういう気持ちを経てきたから、劇中のシェリルの歌は私たちのハートを射抜いたんでしょうね。
すばらしいシェリルを生み出してくれた歌い手さんへのリスペクトをこめて書いてみました。

アイモ記念日、シェルターに避難したシェリルをエルモ社長の視点から見た『真空を震わせて』も読んでみてください。

2008.12.26 


Secret

  1. 無料アクセス解析