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「おはようございます」
シェリル・ノームが撮影スタジオに入ると、それだけで場のテンションが上がるのが判った。
正直、大したものだと早乙女アルトは思う。
シェリルちゃん」
女性カメラマンがシェリルと握手した。それから、アルトの方をちらりと一瞥してから、何か小声でシェリルに言っている。
「ああ」
シェリルは、カメラマンの言葉に頷いて、アルトを見た。すぐに視線を戻す。
微妙な居心地の悪さを感じるアルト
「大丈夫、単なる見学者だから。お仕事に口を挟むようなことはないわ。素人というわけでもないし。わきまえているわ」
シェリルは説得しているようだ。
(話は通ってるって言ってたじゃないか)
アルトは視線を反らして、スタジオ内部を観察した。
そういえば、こんな場所に来たのは久しぶりだ。
歌舞伎役者をしていた頃には、何度か足を運んだものだ。観客へと配布されるパンフレットに使用されたものがほとんどだ。
撮影用にセッティングされているホリゾント(モデルの背景に立てるスクリーン)は緑色。
その周囲ではスタッフがライトを設置したり、露出を計測していた。
シェリルの髪を流すために、扇風機も設置されている。
(あ、女ばっかだ)
スタッフは全員女性で、アルトは改めて居心地の悪さを感じた。
(そりゃ、俺は男なんだし)
スタジオを隅々まで観察してから、シェリルを見ると、まだカメラマンと話している。
「なあ、シェリル…」
仕事の邪魔になるようならスタジオを出ようか、と言おうとしたところで、シェリルが顔を上げた。
今日のシェリルの装いは、ゆったりしたピンク色のワンピース。素足にサンダルを履いている。ヌード撮影なので肌に痕が残らないように、下着もあまり締め付けないタイプのものを選んでいた。
小走りに駆け寄ってきた。
「ごめんね、アルト。居心地悪かったでしょ?」
上目づかいで見上げるシェリル。
「それはかまわないんだが…マズかったら出ようか?」
「アルトには見てもらいたいから。現場で、どんな風にしているのか」
シェリル・ノームは自他共に認める仕事中毒だ。時としてアルトと過ごす事より仕事のスケジュールを優先する。
アルト自身、芸能の世界で育ってきたので、事情は何となく呑み込めていた。シェリルとは違う分野だが、舞台では何事も事前の予定通りに進まない、というのは骨身にしみている。
「知っておいて欲しいの」
シェリルは、ぐっと拳を握りしめた。
これはシェリル自身にとっても切実な問題だ。
仕事柄、マスメディアの上でヌードを披露することもある。アルトは、そうしたことに理解を示してくれてはいるが、心穏やかではいられない時もあるのは感づいていた。だから、できるだけ仕事内容をオープンにしておきたい。可能な限り、仕事の現場をアルトにも見て欲しい。
今までのシェリルの人生には、普通の人間が持ち合わせているプライベートな部分がスッポリ抜け落ちていた。幼くして家族を失い、歌手デビューを果たしてからは、シェリルのライフスタイルさえも彼女のスター性を高める素材としてマスメディアの上で流通してきた。
そうした欠落は、シェリルの浮世離れした雰囲気を醸し出す原因になってはいたが、アルトと付き合うようになって不安の源にもなっていた。
アルトやランカがフロンティア船団で過ごした子供時代の共通した話題で盛り上がっている時に、その話に入っていけない自分がいる。
過去を悔やんでも変えることはできない。だからシェリルは彼女らしい、正面突破の手段でアルトとの間の溝を埋めようとした。華やかな仕事の裏側をアルトに見せて、共有する体験を積み上げていこうとしている。
一方で、アルトも軍務があるので、スケジュール的に今日を外すと、次はかなり先の話になるだろう。
「でも……了解は取り付けたハズなんだけど、アルトの事が上手く伝わってなくて。条件を出して来たわ」
シェリルは唇を噛んだ。
「何だ?」
「…アルトも撮りたいって。女形というか、女装で」
「う」
アルトはカメラマンの方を見た。
カメラマンは三脚に据え付けたカメラのファインダーをのぞきこんでいる。視線を感じたのか顔を上げると、アルトを見てニッコリ笑った。
アルトの目には、その笑顔が挑戦的に見えた。
「どう? 無理にとは言わない。また次の機会もあるんだし…」
シェリルの声は平静だったが、少し落胆しているようだった。
「銀河の妖精に、そんな条件持ち出せるなんて、強気なカメラマンだな」
「まあね。腕は確かよ」
「判った。その条件、飲む」
シェリルは目を瞬いた。
「いいの?」
「あのカメラマンの目つきが気に入らない。できるものならやってみろって、言ってる」
「無理してない?」
シェリルは念を押した。
「散々修羅場をくぐってきたんだ。今更、女装の一つや二つ」
アルトは笑ってみせた。

スタジオ備え付けのオーディオセットから pink monsoon が流れ出す。
シェリルは深呼吸すると、羽織っていたガウンを脱ぎ落として、ホリゾントの前に立った。
強い照明の下、覆い隠すものの無い白い肌が眩しい。
撮影が始まった。
「リズムに乗って、目線はこちらに」
カメラマン、リサ・ブラウンは40代後半の黒人女性で、歯切れの良い口調がスタジオ全体に統一感を作り出している。
指示にあわせてシェリルがポーズを変え、アシスタントが補助照明や送風機の位置を合わせる。
「シェリル、最近、嬉しかったことって何?」
ファインダーをのぞきながら、リサが話しかける。
「そうね……レコーディングがスムーズに進んだ事。バルキリーの1種免許に合格したこと」
シェリルは目線を指示された方向から、ずらさずに答えた。
「わお、バルキリー? バサラやミレーヌみたいに、操縦しながら歌うの?」
「そういうパフォーマンスも良いかもね」
「見たいわ。そこでターンして、こちらに背中を見せて…いいわ。肩越しに振り返って」
背中がしなやかにうねる。風に乗って、シェリルのストロベリーブロンドがふわりと広がった。
アルトはカメラマンの斜め後ろから、シェリルの姿を見つめていた。
いつもの事ながら、仕事モードの時のシェリルは集中力が並外れている。
日常の空間で、生まれたままの素肌をさらしていたら、アルトは直視できないだろう。シェリルも、案外恥ずかしがりやな部分があるのを知っている。
しかし、ライトを浴びている彼女は堂々としていて、臆するところは無い。
だから、アルトもリラックスして撮影の様子を傍観することができた。
「この曲、何か思い出はある?」
リサは、スタジオに流れている pink monsoon についてたずねた。
「そうね……あまり好きじゃないわ」
シェリルは眉を寄せた。
「どうして?」
「まだアーティストとしてキャリアも無かったし、方向性も定まってなくて、周りに言われるままにR&Bにしたのね。納得できてないの、自分の中で」
腰に両手を当てて上体を屈めて、カメラのレンズを見上げるようにするシェリル。豊かな胸の膨らみが弾む。
「シェリル、彼氏の方を見て」
流れるようにターンして、アルトを見つめるシェリル。視線が重なって、そこで素に戻ってしまったらしい。
「…っ!」
小さく息を呑み、見る見る内に頬が染まる。
「誘うように、手招きしてごらんなさい」
リサの言葉に、右手を伸ばして人差し指を立てて招くように動かすが、ぎこちない。
「あはははっ…可愛いわよ、シェリル」
笑いながらもシャッターチャンスを逃さないリサ。
クルリとアルトに背中を向けるシェリル。カメラマンを睨んでいた。
「もうっ」

シェリルの撮影は滞りなく終わった。
撮影された写真は、アルバムジャケットに使用される予定だ。
楽曲配信の殆どがネットワーク上で配信される現在でも、楽曲のビジュアルイメージとして画像が添付される事が多い。この画像は、かつてのレコード包装に因んで、ジャケットと通称されている。
「じゃあ、今度はアルト君ね……まぁ!」
リサが、撮影用の衣装に着替えてきたアルトの様子に目を丸くした。
アルトは、軽くメイクを施し、目尻と唇に紅を刷いている。素肌の上に白く透ける布を肩から巻きつけるようにしている。スタジオに和服が無かったので、間に合わせの衣装だ。
アシスタントの一人がリサに説明した。
「メイクさんが遊んでたので、それにあわせて衣装も遊んでみました」
「アルト…」
ガウンに袖を通したシェリルが瞳をきらめかせた。
「綺麗よ。綺麗だわ」
「お前、ワクワクした顔してんじゃねーよ」
と言いながら、アルトもまんざらではなさそうな表情だった。
「じゃあ、どんな風にしましょうか?」
リサの質問に、アルトは即答した。
「俎板の上の鯉ですから、お好きにどうぞ」
リサは少し考えた。
「じゃあ、知っている動きでかまわないから、ダンスとか、そういうのできる?」
「それなら藤娘で」
「BGMは要る?」
「無くても平気です。頭の中に入っていますから」
言い切ったところで、アルトはずいぶん舞から遠ざかっていることに気づいた。一瞬、大丈夫かと自信が揺らいだが、ままよとカメラに正対する。
「いつでも始めてもらっても結構よ」
リサがファインダーを覗き込んだのを合図に、足を踏み出す。
藤娘の筋立ては、娘の姿をした藤の精が男心のままならさを嘆くというもの。

 若むらさきに とかえりの 花をあらわす 松の藤浪
 人目せき笠 塗笠しゃんと 振かかげたる 一枝は
 紫深き 水道の水に 染めて うれしきゆかりの色に
 いとしと書いて藤の花 エエ しょんがいな

いざ、動き出してみると体の方がしっかり覚えていた。
長く伸ばした黒髪をなびかせて振り返り、しなを作ると、スタジオに声にならないため息が満ちた。
無心に、手足の動きに導かれるように舞うアルト。記憶だけではなく、遺伝子にまで刷り込むように繰り返した舞の動きは数年のブランクを感じさせない滑らかなものだった。
最後の振りの後、残心をとる。
カメラに向かって深々と礼をすると拍手が沸き起こった。
「ほんの余興のつもりだったけど、素晴らしいものが撮れたわ」
リサが手を差し出してくる。
アルトは握手を交わした。
「お粗末さまでした」
「それは、日本人らしい謙遜? もっと誇っても良いのに」
リサも手を硬く握る。
「いえ、冷や汗をかきました。本当に久しぶりでしたから」
シェリルを振り返って、髪を縛る紐を解いた。
「これで上がりか?」
見蕩れていたシェリルは、返事が一瞬遅れた。
「え…ええ。アルト、お疲れ様」

後日。ベクタープロモーションの会議室。
「何、ニヤニヤしてるんでスか?」
社長のエルモ・クリダニクが会議机の上に表示させた画像から視線をはずしてシェリルを振り返った。
今日は、シェリルの新作アルバム用の宣伝素材の仕上がりをチェックするためにシェリルやスタッフが会議室に集まっていた。
「ジャケットを撮影した時の、オマケ」
シェリルは携帯の画面に表示させた画像をエルモに見せた。
逞しい男性の背中。長く伸ばした黒髪をまとめていた紐を解いた一瞬を捉えている。ハラリと散った髪がライトに透けている。
「これは、どなたデスか?」
シェリルは携帯をきゅっと胸に抱きしめた。
「秘密。私だけのものだから」


★あとがき★
『ユニバーサルバニー』のジャケットイラストを見て思いついたお話です。
時期的には、後日談で同棲期間です。

アルトが髪を解くのは、劇場版のプロモーションからいただきました。あのシーン、妙にドキドキしません?

2009.11.13 


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