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バジュラとの戦いも終りの局面に入りつつあると、誰もが感じていた。
どういう形で終わるにせよ、マクロス・フロンティア船団のエネルギー・物資はともに逼迫している。大きな作戦を発動させたら、遠からず使いきってしまうだろう。

バトルフロンティア・VF士官待機室。
事態の急変に備え、フロンティア艦隊ではVF2個中隊が常時即応体制にあった。
今は、早乙女アルト中尉や、ルカ・アンジェローニ主任が属する第4中隊が待機シフトに入っている。
ルカ、何を読んでいるんだ?」
ぼんやりとテレビを眺めていたアルトが、ルカに話しかけた。
「え、ああ。これですか? ヨブ記です」
ルカは携帯端末に表示された文面から顔を上げた。
「ヨブ……聖書?」
「ええ、旧約聖書の一つです」
「面白いか?」
ルカは困り顔になった。
「うーん、面白いかと聞かれたら……シリアスな話ですよ。司教様に薦められて読み返しているんですけど」
第1次星間大戦の地表爆撃をかろうじて生き延びたローマ・カソリック教会は、大規模な移民船団に司教座を置くように努力しているが、宗派を問わず宗教的な権威が衰退しつつあるこの時代、定員を満たすのは難しかった。
フロンティア船団に司教座が置かれているのは、代々敬虔な信者であるアンジェローニ家の貢献が作用していた。
アルトは視線をテレビに戻した。
「どんな話なんだ」
待機シフト中は、リラックスしていることを義務付けられているが、同時に弛緩しきっても駄目だ。すぐに戦闘態勢に心身を切り替え、カタパルトから射出された次の瞬間には全力戦闘ができなければならない。
古参の軍人が使う言い回しで“急いで待て”と表現される状態だ。
この時間をどうやって過ごすのか、未だにアルトは正解を見いだせずにいる。だから、ルカとの話で気を紛らわせようとした。
「理不尽な話です」
ルカはヨブ記の筋立てを教えてくれた。

ヨブは信心深く、裕福で、健康と子供にも恵まれた人だった。
ある時、サタンが神に問いかける。
「確かにヨブは敬虔ですが、それは財産・健康・子孫を神が彼にお与えになっているからではありませんか? 彼の敬虔さは、神よ、あなたに見返りを求めてのことではありませんか?」
神はサタンにヨブの信心を試す事を許した。
以後、ヨブは天災に遭い、財産を失くし、子供達を喪い、妻からも見捨てられる。さらには酷い皮膚病を患ってしまう。
ヨブの信仰は揺らぎ、神へ問いかける。何故、私はかくも苦しまなければならないのだ。何一つ信仰に背くことはしなかったのに。
神は沈黙を保った。
ヨブは答えを求めて地上をさまよった挙句に、ようやく神の言葉を得る。
神はヨブに向けて告げた。
「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは」
神は、自分には人間のあずかり知らぬ計画があり、それに対して異議を唱えるとは何事か、と返した。
天地の理を思いのままに操る神は、こうも述べた。
「すばるの鎖を引き締め、オリオンの綱を緩めることがお前にできるか? 時がくれば銀河を繰り出し、大熊を子熊と共に導き出すことができるか? 天の法則を知り、その支配を地上に及ぼす者はお前か?」
気象や、野生の生き物の定めを語り、神はヨブに問いかける。
「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか? 神を責めたてる者よ、答えるがよい」
ヨブは答えた。
「ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません」
ヨブは信仰を取り戻し、神もこれを祝福した。
ヨブは再び子供をもうけ、以前に倍する財産を取り戻し、老いて死んだ。


「確かに理不尽な話だな。なんで、そこで信仰を取り戻すんだ?」
アルトは眉を寄せた。
「神学者たちも色んな解釈してますよ。でも、どんなに敬虔に生きていても、不幸が避けられない時があるし、そうした場合への心構えかなって、僕は受け止めています。不幸のどん底だからって、何をしても良いってことにはならないでしょう?」
ミハエル・ブランが戦死し、松浦ナナセは重傷を負って意識が戻らない。シェリル・ノームはV型感染症が末期の状態に入っている。今のフロンティア船団では、理不尽な不幸に事欠かない。
「でも、ヨブは子供を失ったんだろ? たとえ子供の頭数が戻ったって、失った子供の事は忘れられない」
アルトは少し怒ったような口ぶりだった。
「ええ……そうですよね、それが親ですよね」
ルカは両親の顔を思い浮かべた。
「アルト先輩、案外、司教様と話が合うかもしれませんね。同じような事言ってらしたし」
「え、その神父さんが、読むように薦めたんだろ?」
「司教様です。でも、ちょっと型破りで面白い人なんですよ。地球にいた頃は、バチカンの天文学者だったそうです」
「へえ、天文台なんか持ってたんだ」
「そりゃ、教皇庁にとって暦を作るのは重要な仕事の一つですから。グレゴリオ暦なんか、教皇様のお名前に由来してます」
統合政府時代まで使用されていたグレゴリオ暦は、1582年にグレゴリウス13世が制定した暦だ。新統合政府発足以後、改良された暦法が用いられている。
「言われてみればそうだな」
「司教様が言うには、ゼントラーディに洗礼していいかどうか迷っているようじゃ、カソリックは宇宙時代に生き残れないって憤慨していました」
「そういう世界があるんだな、今でも」
「歌舞伎が宇宙で上演されるご時世ですからね」
ルカがまぜっかえす様に言うと、アルトは考え込んだ。
「そうだな……」
「どうかしましたか?」
「いや、子供の話で思い出したんだ。歌舞伎でも理不尽な話があったなって」
「何ですか?」
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいのかがみ)だ」

菅原伝授手習鑑は菅原道真と藤原時平の政争に取材した作品だ。
菅丞相(道真)の遺児・菅秀才を追う時平。
菅丞相の舎人である三兄弟が菅秀才を追手から逃そうとする。
兄弟の一人・松王丸は我が子を身代りに首を差し出して、菅秀才を逃す。
後に時平が破滅し、菅秀才が家を再興、大団円を迎える。


「この芝居、親が子に先立たれるというのが、繰り返し出てくるんだ。それも理不尽な形で」
アルトはテレビに視線を戻した。
「そうなんですか」
「松王丸だって我が子を犠牲にする前に、もっと色んな手が打てたんじゃないかって思ってた。大の大人が寄ってたかって子供を殺そうとしているようにも見えた」
ルカは黙って耳を傾けた。
「多分、脚本が書かれた時代、医療が発達する以前は子供に先立たれる親が多かったんだろうな。そういう情緒を反映してたかもしれない。理不尽な死にも、それなりに意義があったんだって考えたがった名残なのかもな」
「医療も科学も発達しましたけど、今は戦争で亡くなる人が多いですからね。人類は、時代が変わっても、形を変えて同じような事を繰り返しているだけなのかも知れません」
そんな事を話しこんでいる内にシフトが終わった。
室内に安堵感が広がった。

待機シフトから外れると、アルトは携帯端末でメールを送った。
すぐに着信。
「もしもし」
“アルト、予定通りよ。迎えに来てくれる?”
相手はシェリルだった。
「了解」
軍で借りた電気自動車のハンドルを握ってアイランド1の街へ出る。
あちこちで交通網が瓦礫や亀裂で寸断されていて、遠まわりになったが、路面電車やリニアが不定期運転になっている今、車か自転車が最も早い交通手段だ。
戦時統制モード下において、個人で車を使用できるのは、最前線で戦う軍人に許された数少ない特権だ。
片側通行止めになっている幹線道路を進み、地下ブロックへ車を乗り入れる。
母艦級バジュラによる砲撃で荒らされた地上街区より、地下の方が幾分ダメージが少ないように見える。交通網も比較的保たれている。
目的地には、ほぼ予定通りの時間に到着した。
コンサートホールを含む、複合文化施設ビルの駐車スペースに車を止め、ハンドルに顎を乗せて待っていると、程なくシェリルが出てきた。最近お気に入りのフード付きのパーカーを着ている。
一緒に出てきたエルモ・クリダニクに手を振ってから、助手席に乗り込む。
「お疲れ」
「出迎え御苦労」
ちょっと尊大な感じでシェリルが言った。頬が上気してピンク色に染まっている。シートに収まって、シートベルトを締めた。少し背もたれをリクライニングさせて、深く座る。
頬がピンクに染まっているのは、舞台の興奮だけではなくて、熱も出ているのだろう。
「出すぞ」
アルトは慎重にアクセルを踏んで、出来るだけ静かに車を発進させた。
大統領府が用意したシェリルのアパートに向けて走る。
「コンサートどうだった?」
信号待ちで、アルトはシェリルを振り返った。
軍用トレーラーの車列が交差点を過ぎていく。
「…ん、盛況よ」
シェリルは額に掌を当てていた。
エルモさんも、頑張ってくれて……こんな時だけど、いいコンサートになったわ」
掌の下から、青い瞳がアルトを見た。微笑んでいる。
「聞きたかったな」
アルトは前を向いた。
信号が青になっている。
アクセルを踏んだ。
「……わがまま言わないの」
シェリルの声は笑みを含んでいた。
「後でアルトの前で歌ってあげるわ……でも、今は休ませて。疲れたわ」
「ああ、ゆっくりしてろ」

アパートに帰りつくと、シェリルは寝室で横になった。
シェリルが休んでいる間に、アルトは掃除・洗濯を片づけ、食料品のチェックをした。
食事の用意をしている間に、シェリルが起きた。
「ありがとう、アルト」
「無理して起きなくてもいいぞ」
アルトは二人分の食事をテーブルの上に並べた。食事といっても、軍用と同じ規格のレーション(携行保存食)で、開封したら自動的に温まったり、冷えたりする仕掛けになっている。シチューや飲料などの液状のメニューにはチューブがついていて、無重力状態でも食べやすいが、蓋を開ければ普通の食事と同じように食べられる。
「大丈夫よ。今日のはおいしそうな匂いがしてるわ」
シェリルはトマトソースの香りに鼻をひくつかせた。
「メニューはイタリア風だな。メインがトルテリーニ(パスタの一種に詰め物をした料理)のトマトソースがけ、ソーセージ、クラッカー、コーヒー、デザートはフルーツの缶詰だ」
「この錠剤は、何?」
シェリルは椅子に座って、レーションに同封されていたタブレットをつまみあげた。
「何だろう……えーと、クルスカ・タブレット? 食物繊維を固めたもんだそうだ。整腸作用があるってさ」
アルトは説明書を読み上げた。
「そうなんだ。いただきます」
「いただきます。お、見た目以上に美味い、これ」
アルトは旺盛な食欲を見せた。
「やっぱり軍用レーションでもイタリア料理ってことなのかしら?」
言いながら、シェリルは取扱説明書を見た。
「あ、LAI製だわ。ルカ君のお家の味なのかも」
「こんなところでも商売してるのか。さすがだな。そう言えば、前、グラス中尉が言ってたけど、軍で銀河のあちこちの部隊が合同訓練に集まった時、レーションの食べ比べ大会みたいなのがあったんだそうだ」
「ふぅん。どこのが評判良かったの? フロンティア?」
「ああ。バリエーションがたくさんあるって言うのが評判が良かったらしい。他は、地球とかエデンとか、惑星に常駐している部隊の食事が良かったって。やっぱり食材が豊富だから」
「じゃあ、評判が良くなかったのは?」
「どこだっけな。聞いたんだけど忘れた」
他愛のない話をしながら、慎ましい食事を済ませた。

アルトは時計を見上げた。
そろそろ軍の宿舎に戻らなくてはならない。
「じゃ、戻る」
去りがたい思いでリビングのソファから腰を上げると、シェリルがためらいがちに切り出した。
「あ……あのね、アルト」
「ん?」
「お願いしたいことがあるの。シャツのボタンがとれちゃって…」
「見せてみろよ」
シェリルは立ち上がって、寝室へ取りに行った。
白いブラウスの胸元にあるボタンが一つ取れている。
「これならすぐにできる。ボタン、拾ってあるか?」
「ええ」
アルトは携帯しているソーイングセットから白い糸を取り出して針に通した。ボタンを受け取って手早く縫い付ける。
「それ、お気に入りなの。助かるわ。ほんと、アルトって家事の達人ね」
「女形教育の一環だったからな」
糸を切り離してから、アルトはブラウスをシェリルに渡した。
「他に、ボタンが取れたり、ほつれたりしたの、無いか?」
「ちょっと待ってて」
シェリルは、どことなく嬉しそうに寝室へと戻った。
その後姿を、微笑ましい気持ちで見送ったアルト。
「ゴホッ…ゴホゴホッ……」
ひどい咳が聞こえてきた。
アルトは寝室に駆けつける。
クローゼットの前でうずくまるシェリル。
ベッドサイドのテーブルから吸入器を取り上げると、シェリルに渡して背中を擦った。
シェリルは吸入器を口に当てて、薬剤を吸い込む。
激しい咳は、V型感染症の症状を緩和する薬の副作用だ。このところ、副作用を抑制する薬も種類が増えている。
(理不尽…)
なぜ、シェリルがこんな目に遭わなくてはならないのか。
アルトは奥歯を噛みしめた。
気がつけば繰り返して理不尽について考えてしまう。
歌舞伎も、空も、アルトが本気で立ち向かえば、それなりの結果を残してきた。
なのに、シェリルの病には何一つ役に立たない。
シェリルの呼吸が緩やかなものに戻ってきた。
「大丈夫だから、帰って、アルト」
そう言って見上げたシェリルの目。長いブロンドの睫に涙の滴が震えている。
「病人は自分のことだけを心配してろって」
アルトは、シェリルを抱き上げてベッドに横たえた。
携帯端末で、軍に宿舎に戻るのが遅れる旨を報告する。
「寝てろよ。もうちょっと居るから」
「嫌よ」
シェリルがきっぱりと言った。
「目が覚めたらアルトが居なくなってるなんて嫌。だから、今のうちに帰って。おとなしくしてるから」
「判った」
アルトはかがみこんで、シェリルにキスした。
「良い子にしてろよ。次に来るときには、早乙女家に伝わる秘薬を持ってきてやるから」
「何それ?」
「花梨の蜂蜜漬け。咳とか、喉に効く。チャリティーコンサート続けるんだろ?」
「うん」
こっくりと顎を引いたシェリルはひどく幼く見えた。
シーツを引き上げて、シェリルの肩を覆うとアルトは立ち上がった。
「またな」
「うん」

シェリルのアパートから帰る途中、理不尽という言葉が心のどこかに常に付きまとっていた。
(寄り添うのも、戦いなんだな)
大切な人の苦しみに寄り添い続ける覚悟、それは戦場に赴くよりも自分にとって辛い試練なのかも知れない。
そこで、ふと、曽根崎心中の一節が心に浮かんだ。

 この世の名残
 夜も名残
 死にに往く身をたとふれば
 あだしが原の道の霜
 ひと足づつに消えてゆく
 夢の夢こそ哀れなれ


(寄り添う辛さに耐えきれずに互いを思いやって心中を選ぶ……そういう心境もあるんだ)
今になって、お初徳兵衛の心情が、ようやく実感できたような気がする。
(だけど…)
まだ状況は動いている。
シェリルも歌い続けている。
アルトも戦い続ける。
諦めないと言い切ったシェリルの瞳の輝き。
戦う意思が欠片でも残っている限り戦うと言ったオズマ。
シェリルに会うために、次も必ず生還しよう。
アルトは心に誓った。


★あとがき★
テレビ版だと22~23話ぐらいにかけてのお話です。
文中のヨブ記や菅原伝授手習鑑、曽根崎心中の解釈はextramfの考えですので、どっかで思い違いしているかもしれません。
主にアルトの立場から書いてみましたが、シェリル側からだとどうなるでしょう?

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2009.01.27 


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