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シェリル・ノームが早乙女邸の離れから、大統領府が用意したアパートに居を移した頃。
軍のメディカルセンターで定期検診を受けたシェリルは、新顔の医師を紹介された。
「カサンドラ・アレクシーウ、軍医大尉です。よろしく」
ギリシャ系の顔立ちの女性。年齢は30代前半というところだろうか。
差し出された手と握手すると、柔らかい肌だった。爪もマニキュアの類は付けていないが、整えられていた。
(私生活も充実しているようね)
シェリルは、そんなことを考えながら、勧められた椅子に座った。
「私の専門はドーピング」
「ドーピング?」
スポーツ医学が専門なのだろうか。
「ええ。軍用のドラッグ。集中力の向上や、不安の除去、緊張から来る指の震えを抑えるスナイパー用の薬、そうした用途のドラッグデザインを専門にしています」
「覚醒剤?」
シェリルは眉をひそめた。
「それに類するものも使います。もちろん、かつての粗悪品のように、依存症や習慣性はありません。今回は、本作戦に於ける最重要人物、シェリル・ノームの体調を維持する薬のデザインを命じられています」
新統合軍フロンティア艦隊司令部は、バジュラ本星を制圧する作戦を立案。フロンティア船団に残された全ての物資・エネルギーを費やすという、まさに乾坤一擲の軍事行動だ。
その中で、シェリルは歌でバジュラの連携を妨害する役目を負っている。
「データを見せてもらったけど、こうして立って歩いていられるのが不思議なほど」
カサンドラは手元のハードコピーをチェックして言った。
確かにそうだろう。シェリルは無意識で喉に触れた。今『射手座☆午後9時 Don't be late』を歌おうとしたら、キーを落とさなければならない。確実に体力が削ぎ取られている。
「意志が強いのね……ルカ・アンジェローニ主任とも話していたのだけど、3時間、あなたの体力を全盛期と同じにできます」
「それで十分よ」
3時間あれば、ライブ1回分は歌える。
作戦も決着がついているだろう。
「ご存じでしょうが、こういうタイプの強壮剤は効果時間が終わると、反動が襲ってきます。今のあなたの体では、どうなるか保障できません。医療班も最善を尽くしますが、死ぬ可能性も考えられます」
カサンドラが言った。
シェリルは死神が持つ大鎌の切っ先が首筋に突きつけられたような気分になった。それでも、キッパリと言い切る。
「3時間、フルで歌えるのならかまわない」
カサンドラは目を瞬かせた。
「ひとつ聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「どうして……なぜ、そこまでして? 人類のためにという使命感? ギャラクシー船団の復讐? それとも歌手としてのプライド?」
かつて、早乙女邸の離れでアルトに言った言葉をもう一度口にした。
「私には歌しかないの。それを覚えていて欲しいから」
「ファンに?」
「違う……一人でいい。覚えていて欲しい」
シェリルは頬の上を、ほろりと涙の滴がこぼれおちたのを感じる。
ハンカチを取り出して目頭を押さえた。
カサンドラは空いているシェリルの手を両手で握り締めた。
「私の予想は外れるって評判なの」
「予想? それじゃ、あなたは藪医者?」
「ひどいわね」
カサンドラは苦笑した。
「藪なら、大尉の階級はいただけないわ。外れるのは予想よ。予測じゃないわ」
「どう違うの?」
「データに基づいて、検証済みのメソッドから導き出されるのが予測。私が用意するドラッグで、あなたが3時間、フルパワーで歌えるのは予測。間違いない」
「ええ」
「でも、その後、どうなるか判らない。死の可能性については私の予想」
カサンドラは、インターンだった頃の話をした。

長期入院患者が多い病棟で勤務していた時、ある患者が危篤状態に陥った。
ヴァイタルサインなどを見て、今夜が峠になるかも知れないと思ったところ、同室の予言者とあだ名される患者が言い切った。
「ありゃ大丈夫。明日には持ち直す」
事実、その患者の言う通りになった。
別の人が危篤になった時も、予言者は翌日までに回復するかどうかを的中させた。

「それは……どういうことなの?」
「医師は、患者さんの病状が悪くなった瞬間に立ち会う事が多い。でも、予言者さんはずーっと一日中、継続して他の患者さんを観察していたのね。意識的ではないにしても。そうやって兆候をつかんでいたんだと思う」
カサンドラの掌がシェリルの手の甲を撫でた。
「医師でも人間の体について知っている事はごく一部。いつだって可能性は残されている」
シェリルは思った。どうして、皆、優しくしてくれるのだろう。もう、誰にも縋りたくないのに。

作戦当日、T-60(作戦開始60分前)。
シェリルの為に用意された控え室で、衣装を整え、メイクアップアーティストが化粧を施す。
最後にカサンドラが無痛注射器でシェリルの腕に注射した。
「これには三種類の薬がブレンドされています。15分後に、最初の薬が、あなたに力を与えるわ。その次は1時間後に効き始める。最後はナノマシンが、2時間後から効果を発揮する」
注射痕を脱脂綿でぬぐってから、カサンドラはシェリルの肩を抱きしめた。
「思い切り歌ってきなさい。ステージの後ろで私達も待機している」
「ありがとう。お願いするわ……一人にしてくれる」
「ええ」
カサンドラが頷くと、他のスタッフも下がった。
ガウンを羽織って、鏡台の前で自分を見つめるシェリル。
どれくらいそうしていただろう。
背後でドアの開く気配。
「俺だ」
振り向かなくても判る。アルトだ。
「もう作戦開始のはずよ。何しに来たの?」
「シェリル、俺は帰ってくる。この戦いを生き抜いて、必ず帰ってくる。それだけ言いにきた」
鏡の中のシェリルは泣きそうな顔になっていた。アルトが帰ってきても、そこに私は居ないかも知れない。
「……アルト
「人は、一人じゃ飛べない、飛んじゃいけない。それが分かったから」
アルトの言葉に、こみあげそうになるものを必死で抑えるシェリル。表情を作り、努めて冷静に言う。
「やっと気づいたの? ホントに鈍いんだから」
立ち上がってアルトを振り向いた。
「ふっ。返す言葉もないよ」
アルトの返事は、ガリア4でシェリルが言った言葉の裏返し。
また、こみあげそうになるものを飲み下して、シェリルは演技を続けた。くるりと背中を向ける。
「じゃあ、もういいわね。恋人ゴッコはここまでにしましょ」
アルトはシェリルの肩をつかむ。
「待てよシェリル。俺は…っ」
とっさに言い募ろうとするアルトの唇をキスでふさいだ。
「言わないで。今、言われたら、それがどんな言葉でも、きっと私は歌えなくなる」
その言葉は演技ではなかった。アルトの胸に飛び込んで崩れ落ちそうになる自分を、必死でこらえる銀河の妖精。
右耳に残ったイヤリングを外し、アルトの左耳につける。最後に残った幸運のお守りが、またアルトを守ってくれますように。
「だから、何も言わないで。全部終わったら続きを聞くわ……だから、だからアルト、ランカちゃんを助けさない。それができたら続きを聞いてあげる。必ず帰ってくるのよ。いいわね、アルト」
「シェリル」
「覚えておきなさい。こんないい女、滅多にいないんだからね」
「あぁ」
アルトが頷いた。耳元で輝くフォールドクォーツ。
(これでいい)
シェリルは思った。
(これでいいわ。アルトが帰ってきても、傍には、きっとランカちゃんが居てくれる)

T0。
バトルフロンティア、特設ステージへと向かうランプ(傾斜路)からステージを見下ろすシェリル。
カサンドラの調合した薬品が血管を駆け巡り、心地良い熱を生み出す。
手足の隅々まで力が漲る。心臓がビートを刻む。
(これでいい。もう思い残すことはないわ。あとは燃え尽きるだけ。今あるのは音楽と、そして私。だから)
「私の歌を聴けぇぇぇ!」
虚空へと踏み出す。
ガウンを脱ぎ棄て、ステージへと落下してゆく。
重力調整された空間がシェリルの体を受け止め、『射手座☆午後9時 Don't be late』のイントロがフォールド波に乗って、宇宙空間に響く。
生き残りをかけた作戦が始動する。


★あとがき★
24話決戦直前までのシェリルの心の動きを追ってみました。

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2009.01.29 


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