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(承前)

表面上、ギャラクシー船団は接収を粛々と受け入れていた。
治安上の不安もなく、軍事的に不穏な動きもほとんどない。
大規模な船団なので、接収作業は長丁場となる。
新統合軍連合艦隊司令部は、作戦に参加している艦船の乗員にギャラクシー船団内での上陸休暇を順次認めていった。

「ここが、デビューライブの会場」
シェリルはミルキーウェイ・ホールにアルトを案内した。
様々な形の音符のホログラフがホールをゆっくり漂っている様子は、音の形をした魚が泳いでいる水族館のようだった。
「おしゃれだけど、ライブの時は機材の配達が遅れて、どうなるかと思ったわ」
会場はライブの合間で無人だった。管理者に頼んでステージに入れてもらう。
管理人はシェリルのことを覚えていて、満面の笑顔とともに照明のスイッチを入れてくれた。
ブン、という重々しいハム音とともにスポットライトのビームが舞台上に降り注ぐ。
「ああ、こうだったわね……音響はステキ」
シェリルは『ダイアモンド クレバス』をワンコーラス、マイクなしで歌いあげた。
アルトは耳を澄ませた。
歌声が美しく響き渡り、計算され尽くした音響設計のおかげで余計な残響や共鳴はない。
「値、千金たぁ小せぇ、ちいせぇ」
アルトは『楼門五三桐』から石川五右衛門のセリフを引用し、拍手を惜しまなかった。
シェリルがくるりと振り向いて、優雅に礼をする。

途中立ち寄ったショッピングモールは人通りも多く、活況を呈していた。
度重なるバジュラとの戦闘で疲弊しきっていたフロンティアに比べて、戦禍のないギャラクシーの目抜き通りは人通りも多く、華やかだ。
フロンティアに比べると、モノトーンのファッションが多い。
つばの広い帽子と、サングラスで目元を隠していたシェリルだが、すれ違う人の中には目敏く気づく者もいたようだ。シェリルの名前が囁かれている。
しかし、話しかけようとする者が居ないのは、やはりシェリルにとっての地元だからだろう。彼女がサイン嫌いで通っているのを良く知っている。
「ああ、まだあったのね」
シェリルはブティックに足を踏み入れた。
顔見知りの店員が喜びの声をあげて、シェリルをハグする。
「まだ、って? お前、フロンティアにいたの1年足らずだろう?」
アルトはジャケットを手にとりながら、シェリルに尋ねた。
「ギャラクシーでは、この手のお店、サイクルが早いのよ。半年経ったら半分は入れ替わってるわ」
「さすが」
新しいサービスの開発と、短い期間で変わる流行はギャラクシーの特徴と言える。
アルトは試しにジャケットに袖を通してみた。
鏡の前に立つと、シルエットと色が瞬時に変化する。下に着けているタンクトップとカーゴパンツの色に合わせているようだ。
「うぉ」
アルトは体の上でモゾモゾ動くジャケットの肌触りに声を上げた。
「ああ、モルフェウスね。そういうブランドなの」
シェリルは、ジャケットの襟をつかんでめくる。内ポケットのあたりにシート状のキーボードがあって、いくつかキーを押すと色相や彩度が変化した。
「へぇ…」
アルトは感心した。先端技術の応用が、惜しげもなく使われている。
「面白いでしょ? そういう変り種ばっかり置いてあるのよ、このお店」

ブティックを出ると、シェリルは携帯端末を頼りにアルトをゲームセンターへ案内した。
「ここ、いっぺん入ってみたかったの。まだ営業してて良かった」
シェリルが受付で手続きしながら言った。
「へぇ、忙しくて来れなかったのか?」
「それもあるけど」
シェリルは受付で渡された入場券代わりの腕輪をアルトの手首につけた。
「カップルで入らないと面白くないって評判なのよ」
言ってからシェリルは、自分の言葉が何を意味しているのかに気づいた。
照れ隠しにアルトの手をとってグイグイと引っ張り、ビルの中へ足を踏み入れる。
アトラクションは『テセウスの冒険』と名付けられていた。
ファンタジー風のダンジョン(地下迷宮)を探索し、出口を目指すのがゲームの目的。途中、モンスターを倒すとポイントが得られる。
入口ロビー付近の大型ディスプレイを見ると、本日のハイスコアや、クリアタイムのランキングが表示されていた。
「サイボーグや、インプラントしているヤツなら、オンラインで、こんなゲームを楽しめるんじゃないのか?」
アルトは右手首に腕輪をつけて言った。
「まあね。でも、あえてオフラインでやるのが、かえって新鮮に思われたのよ。この腕輪をつけてると、インプラントでのアクセスを制限しているわ。ええと、こうすると」
シェリルは指で拳銃の形を作った。そうすると、立体映像が腕輪から投射されて、手の先が銃になった。これで、モンスターを撃つ。
「さあ、行くわよ!」
シェリルは先に立ってダンジョンに足を踏み入れた。

ブロック状に切り出した石を積み上げた(ように見える)薄暗い回廊をホログラフの拳銃を手に慎重に歩むアルトとシェリル。
時折、バンパイヤバットという蝙蝠型のモンスターが現れる程度で、アルトは難なく撃破している。
「もう、アルト、手出すのが早過ぎ。こっちにも撃たせなさいよ」
シェリルが唇を尖らせた。
「了解、ほら、出るぞ右上隅からだ」
アルトは銃口で次にバンパイヤバットが出現しそうな個所を示した。
「え……あ!」
シェリルが引き金を引く。薄緑のビームがモンスターに命中した。空間に数字が浮かび上がって、獲得したポイントに加算される。
「やった!」
ガッツポーズを作るシェリル。

『鏡の広間』と名付けられた部屋に入った。
あちこちに鏡が飾られ、きらびやかなシャンデリアの光を反射している。
ファンタジーというよりは、ルイ王朝時代風の衣装をつけたホログラフの紳士淑女が歓談している。
「この人たちがモンスター?」
シェリルは腕輪を見た。
ルールを表示させる。貴族たちの間にモンスターが混ざっている。モンスターではないキャラクターを撃つと減点されるので注意。
「ははぁん」
シェリルは目を細めて広間を見渡した。今のところ不穏な気配はない。
「なあ、シェリル」
アルトは正規の訓練を受けた軍人らしく、拳銃の銃口を上に向け体に引き付けていた。
「どうしたの?」
「鏡だらけなのに何か意味はあるのか?」
「そうねぇ…あ!」
「そうか!」
貴族たちに混ざって、鏡に映らない人物を見つけた。
ドラキュラの伝説に曰く、吸血鬼は鏡に映らない。
アルトは、鏡に映らない人たちのうち一人に向って引き金を引いた。
命中すると、蝙蝠の翼を広げて一瞬だけ正体を現し、灰となって崩れた。
貴族たちが逃げまどい、その混乱の中から吸血鬼が襲ってくる。
素早く撃って撃退。
やがて、広間には誰もいなくなった。
「これでクリア?」
息を荒くして、シェリルが言った。
吸血鬼の数が多く、素早い射撃を求められて、軽く汗をかいた。
「うーん、クリアのサインは出ていないが」
アルトは天井まで届く、ひときわ大きな鏡を見た。
「そこかっ」
鏡を見たまま、肩越しに射撃。
吸血鬼の下僕である狼男がもんどりうって倒れ、ミッションクリア。
「昔、西部劇の映画で見て、いっぺん、こーゆーのやってみたかった」
アルトはにっこり笑って、シェリルの手をとった。
「次はどっちだ?」
「こっちよ」

「絆の回廊……なになに?」
アルトは腕輪を使ってルールを表示させた。
「この通路では、あちこちから敵が襲ってくる。その間、ペアの相手と手をつなぎ続けなければならない、か」
「アルトの利き手は?」
シェリルは自分の右手に付けた銃を見ながら聞いた。
「右」
「そうよね、普通に手をつなぐと、どっちかの利き手をふさいじゃう。あ、こうすればいいか」
シェリルはアルトと背中を合わせた。背後でアルトの左手を左手でつかむ。
「じゃあ、横向きに走るか」
アルトは背中に触れたシェリルの豊かなブロンドの髪と、漂ってくるかすかに甘い香りに捕らわれた意識を、通路の向こうへと集中した。
「コケるんじゃないわよ、アルト!」
二人が動くと、通路の各所から緑色の小人型モンスターが襲ってきた。

「倒錯の舞踏会、ね」
広間に足を踏み入れると、二人を光の泡が覆った。
「どうなるの? あ、アルト?」
シェリルはパートナーを見て目を丸くした。アルトの面影を残した女性が腰を絞り、裾が大きく広がったドレスを着て立っている。女性が口を開いた。
「お前、シェリル…か?」
シェリルの姿はフリルのついた男性貴族風の服装となっていた。
「この部屋のルールは?」
外見のみならず声まで男女逆転されたようにピッチが調整されていた。シェリルの声は低く、アルトの声は高くなっている。
「男女のパートを逆にして踊れってことみたい。あっちの額縁の中で踊っている二人を参考にして」
シェリルが指さしたところには油絵風のグラフィックが表示されていた。立派な額縁に縁取られた油彩画の中で、男女のカップルがステップを踏んでいる。
二人は横目で絵を見ながら、ステップを踏み始めた。最初は、お互いのつま先をふんづけたりしたが、徐々になめらかな動きになる。
「お前、男になるとけっこうマッチョな感じになるな」
「うーん、そうね」
シェリルは自分の体を見た。
「どうせ男になるなら、もうちょっとスマートな方がいいわ。アルトは、あんまり変わらないのね?」
長い黒髪をポニーテールにした髪型は、女性になっても変更がない。
「変わらないってゆーな」
アルトが唇を尖らした。

最後のボスは、牛頭人身の巨人ミノタウロス。
掴みかかってきたり、蹄のついた足で蹴飛ばそうとするのを避けながら、ミノタウロスの額にあるマークを狙い撃つ。
身長差があるので、額のマークはなかなか見えないし、サイズに似合わず動きが素早い。
「くそっ、飛べれば、一発でクリアなんだが」
ミノタウロスの蹴りをよけながら、アルトが呻いた。
もちろん、ミノタウロスそのものは立体映像なので、怪我をする心配はない。ただし、キックやパンチが体に命中すると、ポイントが減点される。
「EXギアはアイテムの中には入ってないわよ!」
シェリルは通路の影に身を潜めて叫んだ。
「じゃあ、こういうのはどうだ!」
ミノタウロスが足を高々と蹴り上げた瞬間、アルトは身を投げ出して、巨人の足の間をくぐった。
ミノタウロスが軸足にしている足の膝裏を狙って撃つ。
速射で10発ほどたたき込むと、膝が崩れて、仰向けに倒れ込んだ。
アルトは素早く床を転がって下敷きになるのを免れた。
「いくわよー!」
シェリルは目の前にミノタウルスが倒れたおかげで、はっきりと見えるマークめがけて撃った。
ミッション・コンプリート。
出口が開き、二人はホールへと戻った。

「どうだった?」
シェリルの質問にアルトは、ゲームのもたらした興奮の余韻を感じさせる声で断言した。
「面白かった。確かに二人で行くと楽しいな」
「良かった。そろそろ、お昼にしましょう」
シェリルお薦めのカフェで、クラブハウスサンドとコーヒーのランチをとる。
「どう、ギャラクシーは?」
「ああ。綺麗で賑やかだな……でも、俺にはちょっと狭苦しい」
アルトは空を見上げた。10階建てのビルで支えられた白い天井が見える。あちこちに広告の動画が表示されていた。
これに比べれば、あれほどアルトが嫌っていたフロンティアの青空の方が開放感を味わえる。
「そうね、そうよね。アルトらしいわ、その答え」
シェリルは微笑んだ。声と表情が少し硬い。
「どうした?」
アルトは天井から視線をシェリルに戻した。
「……これから、もう一つのギャラクシーを見せようと思うの」
「もう一つ?」
「スラム、よ」
「ああ……話には聞いている。でも、何故そこを見せたいんだ?」
シェリルはサングラス越しの視線をテーブルの上に落とした。
「スラムは……ギャラクシーのもう一つの顔で、この船団が抱えている病がはっきりわかる場所……それから、私の育った場所」

ランチの後、二人は無人タクシーを拾って、ギャラクシー船団内部で最も大規模なスラム地区に足を向けた。
「路上の治安は悪くない。暴力沙汰が発生するとすぐに保安部チームが派遣されるから。でも、建物の中は監視システムの死角になるから入らないこと」
タクシーから降りると、シェリルはアルトに注意を促した。上着にしている、モスグリーンのポンチョと帽子の具合を確かめた。スラムの中では目立たない色だ。
「わかった」
アルトは降り立つと、周囲を見渡した。
無愛想なグレーに統一された量産型のビル。ビルの1階部分の外壁には、ペンキで派手な色使いの落書きが描かれていた。
匂いも違う。今までの場所は無臭か、人に心地よく感じさせる計算された匂いが漂っていた。
スラムでは、排水や塵芥といった都市の排泄物の臭気で満ちていた。時々、洗濯物から漂う洗剤の匂いや、屋台の食べ物の匂いもある。どこかで焚き火をしているのか、焦げ臭い風が吹いてきた。
一見、それなりに活気はありそうだが、同時に壊れたままの街灯や、画面だけが持ち去られた公衆端末に、無気力や怠惰さも見て取れる。
「ここで、お前……」
「……4歳だったか、5歳だったか。施設に居たのよ。両親を事故で亡くしたって聞かされてた。でも、どうしても施設がイヤで逃げ出して、ビルの間で眠ってた。ゴミを漁って食べ物を探した……」
スラムの中を歩きながら、シェリルは記憶をたどった。
「2年ぐらい? スラム暮らしをしてて、それからグレイスに、グレイス・オコナーに拾われたわ。マオ・ノームの孫娘という手がかりだけで、よく見つけられたものね。感心する」
かつて、シェリルのマネージャーであり、バジュラを巡る陰謀の立案者でもあるグレイス・オコナーは、彼女の研究テーマ上での先達だったマオ・ノーム博士に対し、深い反感を抱いていたらしい。研究方針について深刻な対立があったと、最近の捜査で判明した。
「ここのレストランの残飯が、けっこう美味しいとか、あそこのファーストフードはゴミが多いとか、そんな事ばかり考えてた……ガッカリした?」
振り向いたシェリルにアルトは首を横に振った。
「驚いた……でも、落胆なんてしない。お前の勇気に……その、感動した」
アルトは手を伸ばして、シェリルの手を掴んでぎゅっと握った。
シェリルも握り返す。
「ギャラクシーはね、競争社会。学校も、会社も、恋も、なんでも競争。競争から脱落すると、立ち直るのが難しい街。公共サービスもほとんどが有料。だから身寄りが無い子供なんて誰も顧みない。負けた人たちは、みんなここに流れ込む」
ビルの壁面全体を使って大きな聖人像が描いてある。名も知らぬ聖人は、伏し目がちの眼差しを路上に向けていた。
「ここ、ここの隙間で寝ていたのよ」
聖人像が描いてあるビルの横、猫でなければ通れそうにないほど細い隙間をシェリルは指さした。
(その頃の自分はどうだったろう?)
アルトは回想した。フロンティアの早乙女邸で歌舞伎の手ほどきを受けていた頃だ。まだ出歩けた母とともに散歩するのが日課でもあった。
「今は、別の人が使ってるみたい」
シェリルの言う通り、隙間にはクッションになりそうな破れかけた防水シートが敷き詰められていた。汗と垢の匂いがこもっている。やはり子供が寝泊まりしているようだ。
「ギャラクシーに変わって欲しい。いや、変えるわ」
シェリルは小さく頷いた。
極端に利己的な街の空気を変えなければならない。
小は、スラムの路上で寝泊まりする子供たち。
大は、同胞のフロンティア船団を犠牲にしてまで利益を求める企業家たち。
病の根は同じだ。
「何か、決めているのか?」
アルトの質問にシェリルは振り返った。いつもの不敵な表情がよみがえっている。
「ギャラクシーにも慈善活動をしている人たちがいる。その人たちを資金面でサポートする所から始めようかと思っている。ギャラクシーはギャラクシー市民自身が変えないとね。必要なら外部の団体にも協力してもらうけど、主人公は住人自身」
「うん」
「後は他船団や、惑星社会へ留学とか。私も、ギャラクシーに居たころは、世の中そういうものだって思ってたけど、フロンティアで暮らしてて、いろんな人に会って、変わったわ」
「シェリル……お前、いい女だな」
「何よ、今さら」
「前からいい女だった。でも、それから、もっといい女になった」
「やだ、当たり前のことは声に出さなくてもいいのよ」
シェリルは頬を染めた。つないだままの手をぐっと引きよせる。

この日のデートで最後に訪れたのは、シェリルのアパートだった。
最高級住宅街の一画、厳重なセキュリティで守られた部屋の内部は、ロボット家政婦のおかげで、シェリルがツアーに出発した日と同じ状態に保たれていた。
「ただいま、エスメラルダ!」
シェリルが部屋の奥へ呼びかけると、身長120センチほどの、ややズングリとしたボーリングピンのような恰好のロボットが玄関へ出迎えた。
「オ帰リナサイマセ、オ嬢様」
人工の音声は、女性っぽく聞こえた。
「久しぶりね。なんだか懐かしいわ……こちらは、早乙女アルト。ゲスト登録しておいてちょうだい。期限は無し」
「カシコマリマシタ、オ嬢様。早乙女あると様。guest001・無期限。イラッシャイマセ」
シェリルはアルトを振り返った。
「これで、この部屋のホームオートメーションは普通に使えるわ。話しかけるだけでOKよ」
「ありがとう」
アルトはリビングに通された。ソファで座って、エスメラルダがサーブしてくれた紅茶を飲む。
シェリルは寝室へ行って、部屋着に着替えている。
広々とした余裕のある間取り。インテリアは淡い色の壁紙に、ビビッドな赤いカバーのソファや、ピンクのカーテンがリズムを作り出している。
アルトからすると女性らしさに満ちていて、少しばかり落ち着かない気分だ。
落ち着かなさを紛らわせるために、アルトは先ほどのエスメラルダの復唱を思い返していた。
(guestの番号が001って、もしかして俺がこの部屋に来た最初の客?)
「エスメラルダ、聞いてもいいか?」
「ハイ」
「お前が認識しているguestって俺の他にも居るのか?」
「イイエ」
シェリルが戻ってきた。白のドレスシャツと、ジーンズのホットパンツを着ていた。
「何おしゃべりしているの?」
「いや、別に。すごいな、ギャラクシーの音声認識技術」
シェリルはアルトの隣に座った。
「ええ。フロンティアで暮らして、最初の頃は、すごく不便に感じたわ」
エスメラルダがサーブした紅茶のカップを手にして、一口味わう。
「あ、そうだ……オズマ隊長から言付かってたものがあるんだ」
アルトは上着の内ポケットから角が擦り切れている古びた封筒を取り出して、シェリルに渡した。
「これは?」
シェリルは封筒をしげしげと観察した。
宛名は第117調査船団、マオ・ノームになっていた。差出人の名前は…。
「ママ? これって」
少し震える手で封筒を開けた。手書きの手紙と写真が一枚入っている。
真空に晒されても色褪せない写真には、マオ・ノームの面影を受けついた女性が生まれたばかりの赤ん坊を抱いている姿が焼き付けられていた。やはり手書きの文字で“あなたの孫娘シェリル”と書きそえてある。
手紙の文面を確かめた。
シェリルの手が耳につけているイヤリングに触れ、その感触を確かめた。
「隊長が117調査船団の残骸から発見して……バジュラ戦役の捜査資料として当局が保管していた。この前、返却されて……お前に渡せってさ。何が書いてある?」
「え……ええ」
シェリルの声は震えていた。
「お母さんから譲ってもらったイヤリングは、娘に……シェリルに贈るって。地球時代から、もしかしたらプロトカルチャーの時代からノーム家に伝わるんだって。このシェリルって……」
「ああ、お前のことだろ」
「初めて見たわ……ママの姿」
写真を手に、シェリルの目に涙がたまっていく。大きな滴が一つ、頬を伝い落ちる。
アルトはそっと肩に手をまわして、抱き寄せた。
シェリルはアルトの胸に顔を埋めて、声を立てずに涙を零した。
シャツが濡れるのを感じながら、アルトはポケットに手を入れて小さなケースを取り出した。シェリルの目の前でケースを開ける。
「それから、これは俺からだ」
中身は精巧に複製されたイヤリング。フォールドクォーツはリチャード・ビルラーのコネを活用して入手した。
「いつまでも片っぽだと、かっこ付かないだろ」
アルトはシェリルの顔を上げさせると、空いている耳朶にイヤリングを着けた。
「複製品にはチップを仕込んであって、携帯端末で読み取ると……」
アルトは自分の携帯端末をイヤリングに近づけた。
ピっという電子音が読み取り完了の合図。
シェリルに画面を見せた。
“2059年5月バジュラとの戦闘で喪失。フォールド波を通して響いてきたシェリル・ノームとランカ・リーの歌声で、危地を脱出。2060年1月フロンティアのルビンスキー工房で複製。早乙女アルト”
「お前の子供に伝えてやれよ」
シェリルは流れる涙をぬぐおうともせずにアルトを見つめた。
アルトは頷いて唇を合わせる。

(続く)


★あとがき★
立夏さまのリクエストにお応えしてみたつもりです。
ご笑覧ください。

ななし様にご指摘いただいた箇所、修正しました。

2008.09.27 


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