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フロンティア行政府環境維持局の予告通り、雨は14時ちょうどに止んだ。
ルカ・アンジェローニは雨雲が晴れない内にと、EXギアを装備して美星学園屋上のカタパルトから飛び出した。
雨上がりの大気は塵や埃が洗い流されてすがすがしい。
そして、薄れ始めた雨雲の間から人工の陽光が漏れ出す。
次の瞬間、雲間から光の帯がさぁっと降り注いだ。
(ああ、ヤコブの梯子だ)
ルカにとってお気に入りの眺めだった。

旧約聖書に曰く。
ヤコブが荒れ野で石を枕に眠っていると、夢を見た。
大地から天に至る梯子を伝って、天使達が上り下りしている。
神がヤコブの傍に立って、ヤコブの子孫たちが繁栄し四方に広がるとの約束をした。
目覚めるとヤコブは、その場をベテル(神の家)と名づけ、神の契約に従うとの誓願を立てた。

ヤコブが見た夢にちなんで、キリスト教徒たちは雲間から差し込む光を『ヤコブの梯子』あるいは『天使の梯子』とも呼ぶ。
敬虔なカソリックの家系に生まれたルカには、もっと幼い頃からお伽噺や昔話と一緒に聞かされた話だ。
郊外の緑地上空を風に乗って飛ぶルカは、ほんの少しだけ聖書の登場人物になったような気分を味わった。
公園として整備された丘の上、あずま屋の軒下で手を振っている人の姿を見つけた。
遠目にも美星学園女子の制服と判る。
ヘッドギアに装備されたカメラでズームアップすると、それが松浦ナナセだと判った。教養コースで何かと同じクラスになることが多い。
ルカは緩降下して、あずま屋のそばに降り立った。
「こんにちは、ナナセさん」
「こんにちは! ルカ君だったんですね。それがEXギア?」
「ええ」
ナナセはスケッチブックを胸に抱えながら、ためらいがちに切り出した。
「あの、ルカ君、思いつきで悪いんだけど、向こうの方角へ飛んで、こちらへ向かって降りて来るって、できますか? できるだけゆっくり。あ、もちろん、用事があるなら、そっちを優先して下さい」
ナナセが指さした方を見ると、いくぶん薄れてはいるものの、雲間から差し込む光の帯が見えていた。
「いいですよ」
ルカはナナセから距離を置くと、脚部のスラスターをふかして飛び上がった。丘の斜面に沿って一旦降下して対気速度を稼ぐと上昇に転じた。
ナナセの位置と、ヤコブの梯子を結ぶラインに乗ると、ゆっくり降下する。
「すごい、ルカ君、すごいです」
ナナセは拍手を送ってくれた。
「あの、もう1回お願いしてもいいですか?」
「いいですよ」
ルカは、すぐに飛んだ。雲が薄くなり、青空がのぞいている。
もう一度、ナナセへと向けて降りて行く。
「ごめんなさい、変なお願いをして。でも、本当にありがとう」
ナナセはルカに向かって深々と頭を下げた。
いかにもアジア系らしい仕草にルカは微笑んだ。
「いいですよ。クラスメイトじゃないですか」
ナナセは、あずま屋のベンチに座ると、鉛筆で素早く線を引いた。いくつも線が重ねられ、EXギアを背負ったルカの姿になっていく。
「魔法みたいだ……見せてもらってもいいですか?」
ナナセは一瞬ためらった。
「えっ……ど、どうぞ」
ルカはバックパックを外して翼を折りたたんだ。ナナセの横に座って、手際を眺めた。
一見無造作に引かれる線は、EXギアの翼になったり、ルカの手足になる。ボカして描かれた太い線は、雲の陰影。
グラフィックソフトによる輪郭検出や、トゥーンレンダリング(立体コンピュータグラフィックをマンガのような描画手法で表現する技術)を見慣れていたルカにとって、不思議な手品のように思えた。
ナナセは作業に入ると没頭するタイプのようで、息さえひそめて一気に数枚のスケッチを描きあげた。
「あの……ナナセさん、聞いてもいいですか?」
スケッチブックを体から離して、デッサンのバランスを確かめていたナナセはルカを振り返った。大きな瞳の目が瞬く。
「どんなことを考えながら、絵を描くんですか?」
ナナセは、はっと目を見開いてから、少し考えた。慎重に言葉にする。
「どんなって……何も」
「何も? それだけ集中している?」
「集中……うーん、そうですね。もっといい線が描けるようになりたいとは思ってますけど」
「すごい、まるで手に画像処理ソフトがインストールされているみたいだ」
ルカの言い方が面白かったのか、ナナセはクスクス笑った。
「ど、どうかしましたか? 僕、何か変な事を……?」
「だって、ルカ君……それはコンピュータに人間の機能をマネさせようとして作ったソフトウェアじゃないんですか?」
「あ」
「ルカ君らしい言い方ですけど」
ナナセの笑いは、ようやく止まった。
胸を押さえて息を整えている横顔が、ルカの目に鮮やかな残像を焼き付けた。

ルカは授業時間以外に初めて美術室に足を踏み入れた。ナナセが作品を見せてくれる約束をしていた。
ナナセは、美術室にいた。
デッサンの練習で使う古代ローマ彫刻を複製した胸像を真剣な顔で撫でている。指先で凹凸の一つ一つを読み取る様に頭頂部から、顎へと指が滑る。
ルカは、その真剣な様子に声をかけるのがはばかられた。息を殺して、ナナセの横顔を見つめる。
ナナセは視線を感じて、入口を振り向いた。
「ルカ君」
「あ、はい。来ました」
「声、かけてくれれば良かったのに」
ナナセは、胸像から離れて、キャンバスをしまっている棚の前に移動した。棚の中から、自作をいくつか取り出して壁に立て掛ける。
「天使…」
ナナセの油彩画には、白い翼を背負った天使の姿があった。
ルカの目から見て、ナナセの天使は美しかったが、何か欠けているような気がした。
絵については教養以上の事は知らないが、毎日のようにEXギアで空を飛び、SMSの任務でRVF-25の加速度を体感しているルカにとっては、切実な感覚だった。しかし、それを上手く言葉に置き換えられない。
「ええ。クリスチャンではないのですけど、なんだか昔から、惹かれてて」
はにかみながら、もう一枚の絵を取り出すナナセ。
「これ、この前の?」
旧約聖書に登場するヤコブの梯子を描いた作品だった。暗い夜空、雲の狭間から光る梯子が地上まで届いている。
梯子から飛び立つ天使、あるいは天へと向かう天使が、それまでの絵には無い躍動的なタッチで描かれていた。広げられた翼は、空気をとらえている緊張感、力感を帯びている。衣は風をはらんではためいていた。
「僕がモデルなんですか?」
「そう、ありがとう。なんだか壁を超えたような気がします」
ナナセはルカの手をとって握手した。
「でも、すごいのはナナセさんですよ。EXギアって羽ばたくわけじゃないのに、あれを見て、こんなリアルな翼が描けるんですから」
ナナセは目を丸くして、それから頬を染めた。
「でも……良く見れば、機械の翼もしなるし」
「やっぱり凄いや」
ルカはナナセの手を握り返した。
「画像処理の専門家が教えてくれたんですけど、絵を描くって脳の働きは、もしかしたら彫刻より表現としては高度かもしれないって」
「そうなんですか?」
「彫刻は現物を計測して、複製できるけど、絵は立体を平面に置き換えますから」
「なるほど、そういう考え方もありますね」
ナナセはルカの手を握ったまま続けた。
「あの……ルカ君、お願いがあるのですけど」
「何ですか?」
「ちょっとモデルになってくれませんか? 今度は、その……えと、そこに座って」
「お安いご用です」
ルカは指定された椅子に座った。
「そ、それから…」
ナナセの声は緊張していた。
「…嫌だったら、言って下さい。その……上、脱いで欲しいんです」
「はい」
ルカは、制服のシャツを脱いだ。
「できれば、その下のシャツも」
「あ…」
ルカは一瞬ためらったが、勢いをつけてアンダーウェアを脱いだ。幼く見られがちなルカの顔からは、ちょっと意外なほどたくましい体が現れる。
「描く前に……昔、教わった先生がおっしゃっていたんですけど、ご、五感の全てで対象を感じ取らなければならないって……だから、その……さ、触ってもいいですか?」
ナナセは最後の言葉を早口で一気に喋った。
ルカは自分の頬が赤くなるのが判った。小さく顎を引く。
「ご、ごめんなさい」
ナナセも頬を染めていた。しかし、あくまで目つきは真面目で、ルカの肩から胸にかけてを指先でたどって行った。
肌の滑らかさ、筋肉の弾力、体温が触れている部分から伝わるはず。
ルカは、いつか自分用の軍用EXギアをオーダーメイドするために、三次元スキャナーの前で裸になったことを思い出した。
(ナナセさんは、今、形や感触以外に何を感じ取っているんだろう?)
「あのっ、ルカ君……」
ナナセの言葉はたどたどしく聞こえた。
「はいっ」
「腕も触っていいですか?」
「ええ」
「その…力瘤ってできます?」
「こ、こうですか?」
ルカが腕を曲げてみる。
触れている指の下で筋肉が盛り上がるのを感じて、ナナセは目を丸くした。
「こ、こんなに……あ、あと足も……」
ルカは黙って頷いた。
ナナセは、足元にひざまずき、太ももから下へ、ゆっくり掌で撫でた。半ズボンから出ている肌を撫で、足首まで形を確かめる。
「ご、ごめんなさい、ありがとうっ」
ナナセは、掌に感触が残っているうちにと、ルカの姿を手早くスケッチしていった。
5枚ほど仕上げたところで、はっと気づく。
「も、もう着てもらっても大丈夫ですから」
「はい」
ルカはシャツに袖を通し、ナナセのスケッチブックを見た。
そこにはルカ自身の姿が描かれている。それだけなのに、言葉にできない感動が込み上げてくる。
(何だろう? 写実とか、力感とか……なんか、そういう言葉で表せられないもの)
ルカが愛情を注いでいる機械からは感じられないものが、そこにはあった。
ひどく、理不尽で、不条理で……でも、心惹かれるもの。
「ナナセさん、また作品できあがったら見せてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
スケッチブックを抱きしめたナナセ。
その瞬間、ルカは恋に落ちたのを自覚した。


★あとがき★
ルカ・アンジェローニ君、名前がルカだし、姓がイタリアっぽいし、兄弟がたくさんいるし、ということでご両親はカソリックと断定。
カソリックは産児制限とか家族計画を歓迎していません。「産めよ増やせよ地に満てよ」を実践しています。ローマ教会にとって幸いなことに、時代背景が宇宙の大航海時代で、新統合政府は出産奨励政策を採用しているでしょうから、この点については教義解釈を変えずに済んでいるのでしょう。
たぶん、アンジェローニ家のご家庭内では、お母さんの権力が強いと予想されます。英語圏の人が「Oh my God!」と言うところを、イタリア系の人は「Mamma Mia!(おかーちゃーん)」と叫ぶのですから。
等々、名前で色々妄想してます。

作中で見つめているルカの目線が、、ナナセの横顔に注がれていることが多いので、そこを意識しました。
Gカップだけに惹かれているわけではないぞ、と(笑)。

2008.09.23 


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