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アルト
シェリルが呼び掛けても返事はなかった。
居るはずなのに、と思いながら居間をのぞくとアルトは床に座り込んで、壁の一面を占める大画面モニターに向かっていた。
画面に表示されているのは、地球時代の記録映像で狐の生態を紹介している作品のようだ。
アルトは時折手元のリモコンを操作して仔狐たちがじゃれあっている姿を執拗に繰り返している。
こんな風になったアルトは集中するあまり周囲の声が聞こえなくなる。
シェリルは足音をしのばせて、アルトの背後に立った。
アルトは緩く拳を作ると、床の上に何かボールのようなものがあるかのように手で転がしたり、止める仕草をする。
シェリルは息を殺してしゃがみこむとアルトの首筋に軽く歯を立てた。
「何しやがる!」
そこまでされたらさすがに気づく。アルトは振り返ったが、シェリルがピッタリ背中にくっついているので顔が見えない。
「アルトこそ何をしてるのよ?」
「芝居の練習」
「狐のビデオ見て?」
「次の役が狐」
「え? 義経千本桜ってそんなお芝居だったかしら?」
シェリルの言葉にアルトは少し驚いた。
「良く知ってるな」
「ネットで見たのよ。狐のお芝居ってどんなの?」
シェリルはアルトの肩に顔を乗せた。
アルトは小さく息を吸った。

 今日が日まで隠しおおせ
 人に知らせぬ身の上なれども
 今日国より帰ったる誠の忠信に御不審かかり
 難儀となる故よんどころなく
 身の上を申し上ぐる始りは
 それなる初音の鼓。
 桓武天皇の御宇(ぎょう)
 内裏(だいり)に雨乞ひありし時
 この大和国に千年功ふる雌狐雄狐
 二疋(にひき)の狐を狩り出だし
 その狐の生皮を以て拵へたるその鼓。
 雨の神を諫(いさ)めの神楽
 日に向かふてこれを打てば
 鼓はもとより波の音。
 狐は陰の獣故
 水を発(おこ)して降る雨に
 民百姓は悦びの声を初めて上げしより
 初音の鼓と名付け給ふ
 その鼓は私が親
 私めはその鼓の子でござります

「親思いの子狐なのね」
シェリルはアルトの前に回って、寸劇を見守った。
「狐は忠義の褒美として、義経から初音の鼓を与えられるんだ……この時には人間に変身しているのを止めていて、狐の正体を現している」
続くセリフは、今までとは口調を変えている。言葉の最初を高く発音し、語尾を早口にする。

 ナニ、その鼓を下されんとや。
 ハアアありがたや、かたじけなや。
 焦れ慕ふた親鼓
 御辞退申さず頂戴せん
 重々深き御恩の御礼
 今より君の影身に添ひ
 御身の危きその時は一方を防ぎ奉らん。
 返へす返へすも嬉しやな。

「声を変えたのは……人間じゃないモノを表現しているの?」
「そんなところだ。狐は、与えられた鼓と戯れる」
アルトは指を折って、獣の前足を表現する。
見えない鼓を手で転がし、鼻面を押しあてて匂いを嗅ぎ、口で咥える。
シェリルはアルトの頭を抱きしめて、クシャクシャと撫でた。
「可愛い狐さんだわ」

「何か、用があったんじゃないか?」
狐の映像を消しながら、アルトが尋ねた。
「あ、そうそう。聞きたいことがあったの……いつ、私を愛してるって思ったの?」
「う」
シェリルの質問にアルトは言葉を詰まらせた。
「いきなりなんだ。言えるか、そんなの」
「何で言えないのよ」
シェリルは顔を覗き込んだ。
そっぽを向くアルト。
「そんな事は胸に秘めておけば良いんだ」
「はぁん、恥ずかしいのね? 照れちゃって、可愛い」
「お前な」
「私が話したら、教えてくれる?」
「好きにしろ」
「私はね…」
シェリルは、そこで少し考えた。
「フロンティアのファーストライブの時、バジュラが船団を襲って、中止になったでしょ?」
「そうだな」
アルトの心は、ほんの少し、その日に戻った。あまりにもたくさんの出来事が、怒涛のように襲いかかって来た。
「会場から避難するとき、アルトが“皆を置いて、お前が先に逃げるのか”って言ったわよね」
「そんなような事を言ったな……お前が何を言い返したのか、覚えてるぜ。“ここからはプロの仕事。アマチュアは下がりなさい”」
シェリルは苦い笑いを頬に浮かべた。
「その言葉はね、半分以上、私自身に向けた言葉だったの……凄く悔しかった。本当は最後までステージに残って居たかった。観客が全員避難するのを見届けてから、舞台を下りたかった」
アルトは手のひらでシェリルの頬を撫でた。
「でも、アテンドしてくれていたキャサリン・グラスが…あの時は中尉だったかしら…舞台から力ずくで下したの」
「仕事だからな」
「ええ。理解できるわ。でも納得はしない……アルトの言葉が、ガツンと来たの。それから気になって、ライブで無くしたイヤリングのこともあって、アルトの事、調べたわ。多分、その時に私の中で、この気持ちが始まったのよ」
アルトの柔らかい視線がシェリルに向けられた。
「俺も、あの時は……いや、その後か。自己嫌悪に陥った」
「どうして?」
「あれだけ反発してた親父が言いそうなことを、お前にぶつけたからな。結局、歌舞伎の考え方から逃げられないのかって」
「そう……だったの」
歌舞伎の世界じゃ、観客を“ご見物”、丁寧な言い方だと“ご見物様”って言うんだ。“ご”と“様”、敬称を二つもくっつける。だから役者がご見物様を置いて舞台を下りるのは、とんでもないことだ」
「とっさに、受け継いできた価値観が出てきたのね」
「ああ」
「素敵な事だわ」
今のアルトは、シェリルの言葉に素直にうなずけた。
「アルトは、いつから?」
「俺は……いつからだろう。そうだな、ドキュメンタリーの撮影が終わってから、かな」
「何よ、そんなに経ってから?」
シェリルは頬を膨らませた。
「撮影の間、朝から晩まで顔を突き合わせていただろ? ロケから、いつもの状態に戻って、学校で顔を合わせるようになったけど、その……なんだ、ちょっと寂しくなった。お前の金切り声が聞けなくなって」
「そんな言い方無いでしょ。もう」
言葉は咎めていたが、シェリルは微笑んでいた。軽く唇を合わせる。
「どうして、そんな事、聞くんだ?」
「ラブソングをね、書いているの」
「それで身近な所から取材か」
シェリルは微笑み、どこか歌うような抑揚をつけて言った。
「久しぶりにランカちゃんの『星間飛行』を聴いていてね、あんなラブソングが作りたくなったの」
アルトの胸に、甘い痛みが走った。そんなに昔のことではないのに、懐かしくさえ思える。
シェリルはアルトの瞳の奥を見つめながら続けた。
「あの歌、ポップな作りになっているけど、凄く深い事を歌っているわ」
「深い?」
「例えば…歌詞の中に登場する“あなた”って単純に考えたら彼氏のことだけど、相手がどんな存在でも…異星人や銀河クジラでも、当てはめてもおかしくない」
アルトは惑星ガリア4の永遠に続く黄昏の空から降ってきた歌声と、メロディに体を揺らしていたゼントラーディの反乱部隊を思い出した。
「そうか、そんな歌だったのか」
「歌詞の最後は、魂に銀河雪崩てく、よ。溶けるとか、一つになるとか、そんな生やさしい表現じゃないわ。ものすごい勢いで何もかもが融合するイメージ」
「銀河の果てまで抱きしめて…」
ランカのMCを言葉にした途端、唐突にリチャード・ビルラーが語った夢を想起した。
(直径10万光年の銀河をあまねく我らの領域に)
「何もかも繋がっていたんだ」
怒涛のように推移する事態の最中にいた時は見えなかったものが、今になってクリアに見えてくる。
アルトは、こうしてシェリルと暮らしている事そのものが、かけがえの無い、尊い奇跡のように思えた。
「繋がっていた?」
シェリルの言葉には応えずに、アルトは腕を伸ばして抱きしめた。


★あとがき★
このお話は亜希さまのリクエストにお応えしてみました。
いろいろと思案した挙句、ちょっと変則的に回想をつないで構成してみたのですが、いかがでしょうか?
時系列的には、本編が終わった後の後日談ぐらいのつもりで書いています。

シェリルの歌詞分析は、前のエントリにも書いている松本隆さんのインタビューからネタをいただきました。

アルトシェリルのキャラクター造形は小説版を参考にしています。

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2008.07.29 


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