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12歳になったメロディ・ノームは早乙女嵐蔵邸の玄関に立った。
「お邪魔します。メロディです」
格子の引き戸を開けると、呼び鈴代わりにぶら下げられた明珍の火箸が涼しげな音を立てる。
「時間ぴったりだな」
廊下の角から顔を出したのは、メロディと同い年、双子の片割れである早乙女悟郎だ。ピンクブロンドの髪と空色の瞳は、母親のシェリル・ノームに似ている。
歌舞伎の稽古が終わったところらしく、和服姿だ。
「お、来たな。ここで渡しておこう」
悟郎の後ろから顔を出したのは、やはり和服姿のアルトだった。
懐から封筒を取り出して、メロディに差し出す。
「座敷で待ってろ、直に先生が来る。頼んだぞ」
アルトは小さな声で素早く喋った。
「はい、お父さん」
メロディはニッコリうなずいて受け取った。

嵐蔵は、稽古用の和服から、外出用の紬の着流しに着替えて座敷の襖を開けた。
待っているメロディに声をかけようとして、一瞬あっけにとられた。
嵐蔵を見て、微笑みかけるメロディは、長く真っ直ぐな黒髪をポニーテールにし、涼しげな淡いパープルのワンピースを着ている。正座した膝をふわりと覆う裾。ノースリーブの白い腕が眩しい。
(まるで……これは……)
孫娘の姿は、亡妻の美与の生き写しだ。
「どうかしました? お祖父様」
メロディの声に、嵐蔵ははっと我に帰った。
「あ、いや……そうしていると、お前のお祖母さんそっくりだなあ」
座卓を挟んで、差し向かいに座る。
「矢三郎さんも、そう言ってました。嬉しい」
「そうか」
「とっても綺麗な方ですもの」
「メロディの方が、元気が良い」
日本舞踊と剣道、歌を習っているメロディは、身体を動かすのが好きだ。休日になれば、悟郎と一緒にEXギアで空を飛ぶ。
「どうせ、ガサツで頑丈ですよーだ」
メロディは、ちょっと頬を膨らませた。
「この前も、EXギアで不時着して、頬っぺた、ちょっとすりむいちゃったんです。お母さんに、涙目で怒られちゃいました」
嵐蔵は、ぎょっとしてメロディの顔を見つめた。肌理の細かい白い頬は滑らかだった。
「傷は残ってないようだな」
「ええ。お医者様もびっくりしてました。治りが早いって……あ、そろそろ出かけないと」
メロディは腕時計を見てから、ハンドバッグに入れておいた封筒を取り出した。アルトから渡された封筒の中身は、ミュージカルのペアチケットだ。
「出ようか」
「はい」

ここ数年、父の日の習慣として、アルト嵐蔵にメロディとのデートをセッティングしていた。
最初のうちは悟郎も一緒に出かけていたが、悟郎が正式に早乙女一門に加わった頃からメロディだけが来るようになった。
アルトはプレゼントの内容を毎回悩まなくて良いし、メロディはアルトから新しい服を買ってもらえて、美味しい物を嵐蔵にご馳走になる。嵐蔵は、孫娘とゆっくり過ごせる。
三方良し、というわけだ。

嵐蔵が贔屓にしている寿司屋で夕食を済ませてから、劇場に足を運ぶ。
マクロス11船団から来た劇団による『ウェストサイドストーリー』が今夜の演目だった。
指定席に座って、開演を待つ。
「ミュージカル、初めてなんです」
メロディは、まだ幕が下りている舞台の上を眺めながら言った。
「ロミオとジュリエットは見たことないかな?」
期待に目を輝かせている孫娘に目を細めた嵐蔵が尋ねた。
「ええと、小説と映画でなら」
「ウェストサイドストーリーは、ロミオとジュリエットを20世紀アメリカを舞台に翻案したものだよ」
「あ……それで筋立てが似てるんですね」
メロディはパンフレットのページを開いて、あらすじを読んだ。
「日舞や歌舞伎とは、体の使い方が違うから、それも面白いだろう」
メロディは嵐蔵の言葉に耳を傾けながら、パンフレットを読み込んでいた。
しばらく、二人の間には沈黙があった。
「お祖父様」
メロディはパンフレットに視線を向けたまま、ぽつり、と言った。
「何だい?」
「あの……歌、止めようと思うんです。レッスン」
「ほう」
嵐蔵の片眉が持ち上がった。
「その……やりたいことが出てきて。時間が足りないから」
母親のシェリルや、双子の片割れの悟郎はプロのミュージシャンとして活動している。二人の影響でメロディも歌のレッスンを幼い頃から続けている。
「でも、お母さんに、何か言い出しづらくて」
「優しい子だね」
メロディはクスッと笑った。
嵐蔵にも分かっている。
シェリルが娘にメロディの名前を与えたのは、歌への思い入れがあるからだ。シェリルは、はっきり歌手になれと言ったわけではないが、メロディは無言の期待を感じ取っていた。
歌の才能が皆無なら期待もされないのだろうが、メロディの声は“すごいタフな喉だ”と悟郎が羨ましがるほどだ。
「何がやりたいんだい?」
「パイロットに、軍に入りたいんです」
嵐蔵は、ひどく切ない気持ちになった。
美与とアルトが持っていた空への憧れを、この子が受け継いでいる。
そう思うと、メロディがとてつもなく遠くへ行こうとしているように感じた。
「美星学園の航宙科の入学案内、取り寄せて……お母さんに言い出そうって思ってるんですけど、何かきっかけが見つからなくて」
メロディの視線はパンフレットに向けられたままだったが、もっと遠くを見ている。
「今夜帰ったら言ってごらん」
「え? 今夜…」
メロディは嵐蔵の横顔を見た。
「きっと、お母さんは、メロディの気持ちに気がついている」
「そうなんですか?」
「メロディのお母さんだからな。あれで、子供の事は、よく見ている。言いづらかったら、最初にお父さんに言ってみるとか」
「はい」
「そういえば、シェリルも航宙科のOGだったなぁ」
「芸能科じゃなかったんですか?」
メロディは目を丸くした。
「アルトと出会った時には、既に銀河系のトップアーティストだったんだよ。そんな生徒に何を教えられようか?」
嵐蔵は、茶目っ気たっぷりに、節回しをつけていった。
「知らなかったぁ」
「だから、メロディの空への気持ちも判るはず」
「はい」
メロディが明るい表情で頷いた。
開演のブザーが鳴り、幕が上がった。

2009.06.27 


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