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「フェアリー9、個体名シェリル・ノーム。精神面で安定しつつあるが、まだ言葉を取り戻せていない」
電脳空間のグレイス・オコナーは、レポートをまとめようとしている。
冒頭を言葉にして、さて、その後はどのように続けようかと思案した。
グレイスの意識は、仮想的に作り出された空間の中で、いくつものリソースやデータベースにアクセスしている状態だ。
並列的に表示されたデータの内、幼いシェリルの行動を逐次記録した映像ファイルを強調表示する。
「スラムで保護してから半月、身の回りの世話をする看護師には少し慣れたものの、身体接触を忌避する傾向は強い。特に抱き締められるのを嫌がる……」
動画を眺めながら、気が付いた事を箇条書きのように言葉にした。
まだ、シェリルは与えられた部屋から出してもらえない。
人為的にV型感染症を罹患させた直後で、身体状況をモニターするためと、スラム暮らしで失われたコミュニケーション能力を回復させる必要があった。
「あら?」
スモック姿のシェリルが、幼児用の低いテーブルに食器や、玩具の類を並べていた。
並べ終わると、スプーンで叩いて音を出している。
耳を澄ませて聞いていると、街角でよく耳にするコマーシャルソングのメロディーになっていた。
「……絶対音感」
シェリルは、生まれながらにして音の高低を聞き分けて音符に置き換える才能を持っているようだ。
並べている物は、きちんとドレミの音階に合うものだけを選び出している。
「これは、良い兆候と言える。リトルクィーン仮説によれば、歌がバジュラとのコミュニケーションにおいて重要な役割を果たす可能性がある」
この文章と、第117調査船団において記録されたランシェ・メイとランカの生体から発振されるフォールド波に関するデータをリンクさせる。
惜しむらくは、ランカがバジュラと直接コミュニケートできる人間“リトルクィーン”だったという可能性に気づくのが遅すぎた。
その後、調査船団がバジュラに襲撃されたために、きちんと計測されたデータは、あまりにも少ない。リトルクィーン仮説が仮説に留まっているのも、そのためだ。
「やむを得ない事情ではあったのだけれど、かえすがえすも惜しいわ」
蓄積されたデータを閲覧しながら、回想に耽ってしまう。
グレイスは意識を現在に振り向けた。
「フェアリー・シリーズに求められる資質は、歌に対する卓越した集中力。安定した感情指数を支える自信。リトルクィーンの歌と合わせて、歌手として育成するのが妥当であろう」
ここまで記述して、思いついたアイディアをメモする。
「プロの歌手であれば、移民船団や植民惑星を巡るツアーという形で行動することにより、オペレーション・カニバルにとって、便利この上ない隠蔽となるであろう」
このアイディアを最終的にレポートに組み込むかどうかは、保留しておくことにした。
今後の見通しを判り易く図示して、レポートの結論とした。

全員がインプラントネットワークによる即時通信網でアクセスしていても、権力者という人種は部下を呼びつけなければ気が済まないらしい。
有線による通信はもちろんのこと、電磁波を完全に遮断し、情報的にスタンドアローン状態の会議室に集まったオペレーション・カニバル指導部に向けて、グレイスは自分の担当する分野についての説明を行っていた。
「以上のように、フェアリー9の状況は、おおよそ想定通りです。問題となっているのは、バジュラ・クィーンの神経網にダイレクトにアクセスできるインターフェイスの開発であります。これは予定の15パーセント程度しか進捗しておりません」
「停滞の理由は?」
質問者の姿はグレイスの義体が有している高度な視覚センサーであってもシルエットしか捉えられない。声も男女の区別がしにくい音程に加工されていた。
「バジュラの神経と接続する物理層については完成しています。しかし、バジュラの大型戦闘個体の貧弱な神経網では問題ありませんが、格段に情報処理能力の高い女王、並びに準女王クラスの個体の神経網がどのような様態なのか、現状、推測するしかありません。可能な限り早急に準女王級の個体を入手する必要があります」
「了解した。ハンター部隊の尻を叩こう。しかし、フェアリー部隊も急がなければならない。マクロス・フロンティア船団のコースは知っているだろう?」
「はい」
グレイスは脳裏に銀河系全体と、各移民船団の現在位置と未来位置を描いた。
「フロンティアには、リチャード・ビルラーが居る。ゼントラーディの出身でありながら、企業家として端倪すべからざる相手だ。少なくとも、創造性については平均的な地球人類と比べても優れていると言える」
上司達は、ビルラーもバジュラクィーンの惑星を探していると推測していた。ビルラーと、彼の企業グループSMSの影響下にあるフロンティア船団の予定航路は、オペレーション・カニバル指導部が目指す宙域と重なっていた。
バジュラ・クィーンの星が存在すると推定されている宙域をゴールとして、密かに、しかし熾烈なレースが繰り広げられている。
「承知しています」
「時は人を待たない。ところで、グレイス・オコナー技術少佐」
「はい」
「これまでの功績により、技術中佐へ昇進した。おめでとう」
「ありがとうございます」
グレイスは内心で溜息をついた。与えられた1000人規模の研究グループが、ようやく有機的に機能するようになったのだ。昇進によって部隊の編成が変わったら、また一から連携を作り上げなければならない。
一方で、使用可能な予算規模が増えたことで、研究の進展を加速させる見通しも生まれた。
「現在、貴官が率いているフェアリー部隊は、呼称をそのままに増強される。成果を期待している」
「はい、微力を尽くします」
今から果てしない雑事の連続が待っている。
研究に集中できるよう真っ先に有能な幕僚のチームを手配しなければと、グレイスは思った。
(Dr.マオ・ノームも同じ苦労を味わったのかしら?)
かつての上司、第117調査船団を率いた恩師の姿を思い浮かべる。第一世代マクロス級を旗艦とする巨大な船団は、今グレイスが率いているチームに比べて桁違いに参加人数が多い。
(バジュラの襲撃によって船団が崩壊した時、マオは苦しまずに死んだのかしら?)
今更、考えても詮の無い事だが、苦痛を感じる前に死んでいて欲しい、とグレイスは願った。
「昇進に際しまして、お願いがあります」
気持ちを現在直面している課題に切り替えて、グレイスは上司たちへ向かって言った。
「何か?」
「ブレラ・スターンを、こちらの駒として欲しいのです」
「ブレラ……ああ、リトルクィーンの兄弟か。構わないが、彼は現在、高度義体化を済ませ、今後は適性を勘案し、パイロットコースへと進ませる予定だ。彼が直ぐに必要か?」
「いいえ。しかし、ビルラーが押さえているフロンティア船団には、リトルクィーンが居る可能性があります。彼女の兄であるブレラは、切り札になるかも知れません」
「それでは、作戦がフロンティア船団方面で展開される段階で、オコナー中佐の指揮下に入れよう。これはフェアリー部隊指揮官である貴官からの公式な要請として記録されている」
「ありがとうございます」
グレイスは一礼した。

会議から解放され、シェリルが収容されている病室へと向かう。
病室のドアを開けると、スモックを着たシェリルがハッと振り返った。立ち上がって、ベッドの向こう側に隠れる。
「恐がらなくてもいいんですよ」
その様子を見て、グレイスは心のどこかに残っていた緊張感がほぐれるのを感じた。
それまでシェリルがいた場所を見ると、幼児用のテーブルにコップや積み木、玩具の類が並んでいる。
今、シェリルがお気に入りの遊びをしていたようだ。
グレイスは資格データに、ならべられた物体の固有振動数を重ねて表示させた。
左から順番に叩くと、よく耳にする幼児番組のテーマソングになっている。
「こうやっているのね」
グレイスはテーブルの前にひざまずくと、テーブルの上にあったフォークを手にして叩いた。
ベッドの物影からシェリルがのぞいている。
視線を意識しながら、グレイスはゆっくりと叩く。
最初はならべられた順番でテーマソングのメロディを鳴らした。
次に積み木の位置を変えた。
シェリルの視線がひたとグレイスの手元に吸い寄せられている。
その視線を意識しながら、グレイスはフォークを振るった。
メロディはさっきのテーマソングと同じだったが、転調している。
シェリルが持っている絶対音感なら、この違和感に気づくはずだ。
大きな青い瞳がグレイスの手の動きを追った。顔は無表情だったが、瞬きの回数が減っている。
「さあ、シェリルも演奏してみますか?」
フォークの柄をシェリルに向けて置いてみる。
一瞬だけ、ベッドの陰から身を乗り出そうとするが、直ぐに物影に戻った。
いくつか、ならべ替えのパターンを見せたが、シェリルは出てこようとはしなかった。
「今日は、ここまでにしますね」
グレイスは病室を出た。

「今週だけで、2個小隊が損耗した」
バジュラの個体を手に入れるハンター部隊の司令官、チャドウィック中佐が言った。黒い肌の青年の姿形だが、グレイスと同じく義体なので本来の年齢は判らない。
「戦果は?」
グレイスの切り返しに、チャドウィック中佐は憮然として続けた。
「ビショップ級の母艦タイプ・バジュラの遺骸を入手した」
「素晴らしい。しかし、準女王級個体を捕捉したのではなかったのですか?」
「大量の群れに逆襲された。戦死も出た」
「引き続き、入手の努力を」
「犠牲が大きすぎる!」
「対バジュラ戦術の確立は、そちらの仕事であって、私のマターではありません。欲しいのは結果だけです」
グレイスは冷やかに返した。
インプラントネットワークを介したやり取りでも、憎悪というのもは伝わる。
チャドウィック中佐からの沈黙は、雄弁にグレイスに対する反感を語っていた。
「報告は以上でしょうか?」
「以上だ」
秘匿回線による直通回線が切断された。
(オペレーション参加各部隊に、この作戦の意義が徹底されてないのは、問題だわ)
意識を物理空間に振り向ける。
グレイスの義体はシェリルの病室に居る。
今日は、シェリルはグレイスから隠れようとはしなかった。
代わりに幼児用のテーブルを前にして、ならべたものをスプーンで叩いている。
グレイスは微笑んで見守った。
シェリルが一心に叩いているメロディーは、母の日に向けた“お母さん、ありがとう”を繰り返すだけのコマーシャルソングだった。
「まあ、もしかして、私がお母さん?」
シェリルは手を止めて頷いた。
「気持は嬉しいけれど、私はグレイス。あなたのお母さんではないのよ」
シェリルはグレイスをじっと見上げた。不安そうに瞬きをしている。
「私はグレイス・オコナー。貴方はシェリル・ノーム。シェリルは、この世に二つとない、素晴らしい才能の持ち主なんですよ」
グレイスはシェリルの様子を見ながら、腕を伸ばして、そっと抱きしめた。
小さなシェリルが、そっと身を寄せてくる。
「貴方はシェリル」
「シェ……」
最初、その声はあまりに小さくて、グレイスには、単なる息づかいかと思えた。
「シェリル・ノーム?」
グレイスが初めて耳にした、シェリルの声は愛らしかった。
「そうよ、貴方はシェリル」
「シェリル……シェリル・ノーム」
「ええ、ええ」
シェリルはグレイスの腕の中で、何度も自分の名前とグレイスを繰り返して発音した。
遅遅として進まないオペレーション・カニバルの中にあって、小さな達成感と幸せがグレイスの心を満たす。

グレイス・オコナーが残した公式の記録によれば、この日を境にシェリルは爆発的に語彙を取り戻していった。


★あとがき★
グレイスさんも、多くの人々の利害関係が錯綜した場所で仕事していると、色々と大変だったんでしょうねー。
と、気楽な人生を送ってきたextramfは推察します。

2009.05.06 


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