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「ひいおじいちゃん、おきてる?」
「ああ、起きているよ。今日はお前たちの顔を見れて、気分が良い」
窓辺の電動車椅子に、和服姿の老人が座っている。
見事な白髪を総髪にしていて、琥珀色の瞳には優しい光を湛えていた。
今日は老人の誕生日で、子、孫、ひ孫の四世代が、この家に集まっていた。
下は5歳から、上は11歳までのひ孫たち4人は、老人の周りを囲んだ。
「ひいおじいちゃん、お話して」
「何が聞きたい?」
一番幼い女の子を抱き上げると、膝に乗せて髪を撫でた。
真っ直ぐなストロベリーブロンドは、老人と連れ合いの遺伝形質を受け継いでいるようだ。
「ひいおばあちゃんのお話!」
「そうかそうか、ひいお祖母ちゃんは人気者だな」
「ひいおじいちゃんのお話が好き」
老人は、飾棚の上からこちらに微笑みかけている連れ合いの遺影を見上げた。
半年前、先に旅立った彼女の碧眼が頷いたような気がする。
「そうだな……猫の惑星に行った話はしたかな?」
「ううん、まだきいてないよ」
「そうかそうか……お前たちのお父さんやお母さんが生まれる前の話だ」

惑星カーフ5は、別名『猫の惑星』と呼ばれている。
住民の多くは地球・中近東からの移民で、イスラムやアラブの影響が強い植民惑星だった。
住民の大半は猫を飼っていて、猫用の住民登録や福祉制度が充実している程、猫好きの多い惑星だ。

シェリル・ノームが言った。
「確かに、猫が多いわね」
カーフ5の中心都市マディーナ・アッサラームに降り立ったシェリルと早乙女アルトは、下町のいたるところで気ままに過ごしている猫達の姿を眺めていた。
「ああ。行こう」
アルトは足元にまつわり付く猫達を踏ん付けないように気にしながら歩き出した。
街路の脇に並ぶ、泥を捏ね上げて造形したような褐色の建物は、全体としては直方体で5階建て程度のビルディングだが、全ての角がまるで人の手で撫でられたかのように丸められている。
屋上はキャットウォークのような細い橋で隣のビルと接続されていた。
この独特の建築様式は、地球のアラビア半島にあった伝統的な都市の様式を再現しているらしい。
シェリルはヒジャブと呼ばれる頭巾の具合を直して、アルトの後に続いた。当地の女性のドレスコードに倣って、目立つストロベリーブロンドをヒジャブの下に隠している。
アルトもディスターシャと呼ばれる男性用のワンピースタイプの衣装に身を包み、目立つ黒髪をゴドラという男性用頭巾で覆ってしまっている。
エキゾチックな街並みを異邦人二人が歩いて行く。
スークと呼ばれる市場は道幅が狭く、人がすれ違うのがやっとという感じだった。見通しが悪く、他所者にとっては迷路に等しい。
シェリルがヒジャブの隙間から見るアルトの動きはしなやかで、人混みをスルリとすり抜けていく。
時折、携帯端末のナビゲーションで路地の分岐を確かめるために立ち止まる。
「聞こえて来たわ」
シェリルが振り向いて、路地の向こうを指差した。
薄暗い路地から見ると、明るい空間が広がっているのが判った。
そちらに向けて歩いて行くと、広場の一角に地元の少年が立って歌っていた。背後にもう一人の少年が居て、伴奏にバイオリンでアラブ風の旋律を奏でていた。
「うん、いい声ね」
シェリルにとっても、アルトにとっても未知の言語だったが、愛を歌い上げているのは伝わった。
音域は広く、マイク無しでも多くの人の足を止めている。
「でも、ちょっと声量が弱いかしら?」
シェリルは耳を澄ませて思案顔になった。

今回の旅行は、シェリル・ノーム財団が主催する新人発掘プロジェクトの一環だった。
恵まれない環境にある若い才能を見つけ出し、奨学金と専門的な訓練を受ける機会を提供する。
自薦他薦を受けて、随時のオーディションを行う。
ある程度絞り込むと、シェリルがお忍びで本人が歌っている所に出向くのが慣例だった。
アルトとシェリルの間に生まれた子供達も独立して手を離れ、自由に気ままに銀河系を旅する口実とも言える。

アルトがシェリルの服の袖を引いた。
「何?」
アルトは、目線で広場の対角線上にあるビルの陰を示す。
そちらを見ると、ヒジャブを着けた地元の女性が耳の辺りに手を当てて、何事か喋っている。喋っているというよりは、鋭い目線を広場のあちこちに配って指示を飛ばしているような感じだ。
アルトも女性の目線を追いかけた。
「ん……」
曲が終って、拍手が沸き起こる。
アルトの目が再び女性に向けられる。
互いの視線が重なった。
「あ」
シェリルが小さな声を上げた。アルトが見つけた女性が不自然に素早く身を翻し、路地の向こうに消える。
それにつられるようにして、広場のあちこちで聴衆の動きがあった。
「何だか戸惑っているみたいね、皆」
互いに顔を見合わせると、三々五々散ってゆく。
歌っていた少年達も気がつくと、その動きに紛れて去ったようだ。
「多分、サクラじゃないか?」
アルトは皮肉な笑みを唇に浮かべた。
「サクラ?」
「オーディエンスを雇ってたように見えた。さっきの女が指示を出していたみたいだし」
「ヤラセってやつね」
シェリルは頷いた。
「で、どうだ、応募者の方は」
「自分の魅力を演出するのは悪いことじゃないわ。実際、素質は悪くないし」
シェリルは踵を返した。
「でも、オーディエンスを雇うぐらいのお金があるなら、財団がバックアップする必要は無いわね。自力で頑張ってもらいましょ」
最終選考は不合格ということだ。
「プロジェクトの主旨を間違えないで欲しいわね」
「お前が選んだ新人が、皆ヒットを飛ばしているから、箔付けに選ばれたかったんじゃないか?」
アルトは携帯端末で時計を確かめた。
「時間、余った。観光しようか」
「そうしましょ」

「ひいおじいちゃん、カーフ5ってネコになれる星なんでしょ?」
膝の上の少女が老人に向かって言った。
「良く知ってるなぁ。そうさ、猫になって観光したんだよ。ひいお祖母ちゃんと一緒に、な」

カーフ5の観光名所とも言える、猫の宮殿。その中にある接続室は、病院の診察室のように白く清潔な空間だった。
オペレーターが猫型ロボットをアルトとシェリルの前に持ってきた。
「これが名物のロボットなのね」
シェリルが顔を覗き込むと、利発そうなトパーズ色の瞳がシェリルを見つめ返す。
毛並みは本物の猫に近いが、天然ではあり得ない鮮やかなピンクに染められていた。
長い尻尾も二本ある。
はっきり人工物と識別できるようにするためのデザインだった。
「可愛らしいけど、何ができるの?」
医師のような白衣を着けたオペレーターが答える。
「ホロコミュニケーションです」
「ホロ…?」
要領を得ないシェリルに向けて説明がされた。
「そうですね……数値化され難い、ドキドキとかワクワクとか、そういう感情や情緒を伝えてくれるのがホロコミュニケーションと思ってもらえれば判りやすいですかね」
「ふぅん」
シェリルは要領を得ない、といった表情だ。
「すごい技術なんでしょうね」
「本来は、スーフィズムの修行で使うんですよ」
シェリルは眉を寄せた。聞き覚えのない言葉だった。
「えーと、スーフィズムはイスラム教神秘主義って翻訳されます。仏教の悟りにも似た、アッラーと人の合一を目指す宗派で……」
長くなりそうなオペレーターの説明を遮って、シェリルが質問した。
「宗教と猫がどういう関係があるの?」
「イスラム教の預言者ムハンマドが猫好きって話がありまして、それとスーフィズムが繋がって、人生の内、一定期間を猫として過ごす修行があるんだそうです」
「つながりが良く分からないわ」
「済みません。僕も、あんまり飲み込めてないんですよ」
オペレーターが困り顔で笑った。他の植民惑星から来た技術者なので、この惑星の事情には詳しくないのだと付け加えた。
「でも、とにかく、ゼントラーディ人との遭遇で文化的なショックを受けたんでしょうね。他の生命の立場から、人間自身を見つめなおそうという動きが出てきたんですよ。それで、インプラントネットワークをつかって、このペットロボットに意識を移す、っていう修行が生まれたんです」
「修行の道具ね。それを観光の目玉にするなんて、この星の人達は、かなり柔軟な発想ができるんだわ」
「インプラントを埋め込んでいない方は、こちらのシート型のインターフェイスで接続していただきます」
オペレーターが示した先には、リクライニングできる白いシートがあった。
ヘッドレストの周囲にホロコミュニケーションのための接続機器が設置されている。

「ネコになるって、どんな感じ?」
「そうだな。夢を見ているような感じかな。シートに座って、接続が完了すると、すーっと目の前が暗くなる。眠りに落ちる瞬間みたいに。それから、遠くに光が見える。その光がどんどん近づいてきて、目の前に猫の視界が広がる」

アルト=猫は周囲を見回した。
そこが接続室であると気づくのに少し時間がかかった。
視点が猫の目の高さになっていたからだ。
調度や機器類は全て見上げるばかりの高さになっている。
オペレーターの足がゼントラーディサイズより大きく見えた。
不意にアルト=猫がジャンプした。
(完全に自分の意識でコントロールできるわけじゃないんだな)
猫のロボットボディは、ある程度独自の判断で動いている。
アルトの意識は、ロボットボディの動きに影響を与えるが、思いのままに操る、というわけにはいかない。
乗馬の感覚に近いだろうか。猫ロボットには独自の行動原理が備わっていて、ロボットに対して指示を与えるような感覚だ。
今の猫の視界には、シートに横たわっているアルト自身の姿が見える。
(臨死体験とか、幽体離脱とか、こんな感じかな)
目を閉じた自分の顔を見て、アルトは思った。
「にゃぁ」
鳴き声に振り向くと、シェリルのシートに飛び乗る猫ロボットが見えた。
視界の片隅に表示された情報によれば、シェリルが接続している。
二匹の猫ロボットは床に飛び降りると、互いの尻の匂いを嗅ぐようにグルグル回った。
「さあ、こちらから街に出られますよ」
オペレーターが猫用の小さな扉を開けた。
シェリル=猫が尻尾をピンと立てて扉を潜った。アルト=猫もそれに続く。
「にゃああああーおぅ」
シェリル=猫が語尾を長くのばして鳴いた。
扉を出ると、ビルの壁面に接続されているキャットウォークの上に出た。
こうやってマディーナ・アッサラームの街並みを見下ろしてみると、地上は人間達の世界、キャットウォークとビルの屋上を繋ぎ合せて作られた階層は猫の世界のように見える。
シェリル=猫とアルト=猫はキャットウォークを歩いてビル伝いに移動した。
猫の視点から見ても、かなり高い場所を移動するが、夢を見ているような非現実感のおかげで恐怖は感じない。
アルトの視野に着信のサインが出た。
“アルト、聞こえる?”
シェリルからの音声メッセージが聞こえる。
“ああ。聞こえてる。面白いな。あれ?”
視野の一部がボヤけて像を結ばない。どうも、場所からするとビルの窓が、そこにあるらしい。
“プライバシーの侵害に当たるような物は見えないようにマスキングされるんだ”
視野の片隅に表示される警告メッセージを斜め読みした。
“個人のお家の窓なのね。まずはガイドに従って、コースを巡りましょ”
観光用の猫ロボットは、内蔵しているマップに従って観光名所を巡り歩いた。
スークに並ぶ商店の庇の上を歩きながら土産物をひやかしたり、本物の猫の集会場に紛れ込んでみたりと、良く練られたコースは確かに面白かった。
“この角度から見るモスクが一番綺麗ってことなのね”
郊外のビルの屋上、人間では入れない壁面の張り出し部から見下ろすのは、植民初期に築かれたモスク『スレイマニエ・ジャーミー』。
青いタイルで装飾された大きなドームの周囲を小さなドーム構造が取り囲んでいる。まるで海の泡の中から、大きな泡がせりあがるように躍動感のあるフォルムだった。
シェリル=猫は、ドームのタイルが反射した午後の陽光に目を細めた。
“天と地を結ぶ祈りの形……円と四角の組み合わせ”
シェリルが呟いた。もう少しでフレーズが生まれそうになっている。
アルト=猫は、おとなしく尻をつけて座った。
創作のスイッチが入った時のシェリルは、集中力がすさまじい。文字通り周囲が見えなくなる。
(周りに邪魔するようなものはないな)
自然と、全周囲警戒態勢に入るアルト=猫。
その時、シェリル=猫の耳が動いた。
聴覚に優れた猫の特性を再現している猫ロボットのセンサーが反応した。
アルト=猫の耳も同じ方角に向けられた。
風に乗って微かに歌が聞こえる。
歌は、この星の言葉だったが、猫ロボットのインターフェイスが自動的に翻訳して視界に表示してくれる。
“命は儚いけれど
 この詩は歌い継がれていく”
シンプルに燃える思いを、物悲しい旋律に乗せて歌う声は女性のようだ。
シェリル=猫が、パッと身を翻した。歌い手を探すつもりらしい。
アルト=猫も追随する。
ビルの非常階段伝いに駆け降り、一般家屋の屋根の上を走る。
“愛を言葉にするのは
 ひどく遠回りだけど
 私は積み上げる
 言葉のきざはしを
 あなたに、あなたに届くまで”
街の外周を囲む城壁の上に出た。
そこで、ヒジャブをつけた少女が、街の外に向けて歌っている。
アルトは、いつかのアイランド1・グリフィスパークの丘で歌うランカを思い出した。
少女は人影のないナツメヤシの果樹園へ向けて歌い続けた。
高く澄んだ声は、不思議に高貴な響きを帯びていた。
シェリル=猫とアルト=猫は並んで座った。長い尻尾が、ゆらゆら揺れている内に絡み合う。
やがて、歌い終わった少女は、ふぅと深呼吸して息を整えた。
踵を返したところで、シェリル=猫とアルト=猫を見つける。
外見で猫型ロボットと判ったらしい。
ヒジャブを着けているので表情は判らないが、服の裾をつまんで優雅に一礼した。
「にゃあああーあ」
シェリル=猫が鳴き声を上げると、ヒジャブの下から黒い瞳が微笑んだ。
少女は階段を小走りに駆け降りて、街へと戻っていく。
“今回の旅、無駄足にはならないようね”
シェリルが言った。
“今の子、スカウトするつもりか?”
“その気があれば、チャンスを提供するわ。戻って、人間の姿にならないと”
“ああ”
アルト=猫は尻尾をほどくと、猫の宮殿の接続室へ駆け出す。
シェリル=猫も続いた。

「それから女の子を探し出して、スカウトしたさ」
「その子って、今でも歌っているの?」
「そうとも。お前も名前は聞いたことがあるはずだ」
続けて老人が言った名前に、ひ孫たちは目を丸くした。
「すごーい」
「ああ……少し、疲れたかな」
「ひいおじいちゃん、おねむ?」
「……あ…ああ……少し眠る…よ」
その言葉に反応して車イスに内蔵された人工知能が背もたれを、もっとも負担の少ない角度に傾けた。
「ママ、ひいおじいちゃんにお話してもらったの!」
子供達が大人に呼びかける声を遠くに聞きながら、老人の意識は薄れていった。

”アルト、遅いわよ!”
シェリルの言葉にアルトは笑った。
”待たせたな”
“ほら、皆、待ちくたびれてるわ”
向こう側で、あの頃のままのミシェルが手を振っている。
“ああ。話したい事がたくさんあるんだ”
アルトはシェリルの手を握って、足を踏み出した。


★あとがき★
私的大河ドラマ『アルトシェリル』のエンディングは、こんな感じで考えています。
家族の愛に恵まれていなかったシェリルが、多くの家族に囲まれて、看取ってもらえたらいいなぁ。

イスラム教の教祖ムハンマド(モハメット)が猫好きというのは有名で、こんな逸話が知られています。
ムハンマドが座っていると、長衣の裾の上に猫が丸まって眠りはじめました。
猫を起こすのが忍びないと、ムハンマドは衣の裾を切り取って立ち上がったそうです。
眠っている猫って可愛いですよね。

このお話は、春陽遥夏さまのイラストから大いにインスピレーションをいただきました。
ありがとうございます。

2009.03.17 


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