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運命というものがグラフで示せるなら、今のアルトは下降曲線の真っ最中だった。
SMSと新統合軍の対抗演習で機体を破損させ、オズマの鉄拳制裁を浴び、整備班長から小言をコッテリくらい、始末書を書かされた。
美星学園ではパイロットコースの定期テスト・実技でミシェルに僅差で負けた。
「はぁ…」
気がつくと溜息が洩れる。
これではいけないと、アルトは意識して背筋を伸ばし、深呼吸した。
これからシェリルに会うのだから、しょぼくれた所を見せては、どんな風に付け込まれるか判ったものではない。
通りがかったビルのショウウィンドウで身だしなみを確認する。ジャケットにTシャツ、ジーンズ、ショートブーツ。
「よし」
小さくうなずいて、待ち合わせのリニア駅に向かった。

改札近くで立っていると、背後から声がかかった。
「待った?」
「いや…」
振り返って驚いた。
今日のシェリルは、長い髪を大きめのニットキャップに収め、目元を完全に隠すサングラス、タンクトップにデニム地のミニスカートを合わせていた。
タンクトップの上から透かし柄のショート丈のニットを着ている。
足元はお気に入りのショートブーツだった。
全体の色遣いはラスタカラーで、いつものイメージとは大きく違う。
「すごい変装だな」
アルトが言うと、シェリルが言い返した。
「似あってるぐらい言えないの? 気が利かないわね」
「声を聞かないと、お前だって気付かない」
「ああ、髪をね、まとめちゃうと全体のシルエットが変わるから」
他愛ない会話をしながら、二人でリニアに乗る。
「今日はどこに行くの?」
「そうだな、水族館とか」
そこでアルトは自分のジャケットに違和感を覚えた。
「ん?」
体に手を当てて、違和感の正体を探る。
「あ」
「どうしたの、アルト?」
「財布……無い」
財布とは言っても、電子マネーが主流のフロンティアでは身分証を兼ねたカードだ。
「落とした、か?」
慌てて周囲を見るが、落ちてない。
「忘れたんじゃないの、ドジねぇ」
シェリルが言った“ドジ”の単語がやけに胸に突き刺さる。
「くっ…」
リニアに乗るのに財布を使ったので、忘れた可能性はない。
“財布”は所有者が手に持って使用しないと機能が活性化しないので、紛失しても不正使用される可能性は少ない。ただ、
「再発行、面倒なんだよな……」
運命の下降曲線は続くらしい。アルトはガックリきた。
「財布ぐらいで、そんなに落ち込まないの。無いなら無いで、何とかなるわ」
シェリルは人差し指でアルトの頬をつついた。

リニアを降りて、水族館へ続く道を歩く二人。
「でね、グレイスが……ちょっと、アルト、聞いてるの?」
「ああ…まあ」
「もー、冴えないわね」
さっきからアルトはこの調子だった。占いを信じる気質ではないが、こうも良くないことが続くとお祓いでもしてもらおうか、という気がしてくる。
「あんまりショボくれていると…」
「誰がショボいんだよ」
一応言い返すが、声に力が無い。
「えいっ」
シェリルはアルトを両手で突き飛ばした。
「おおっ!?」
二人が歩いてきた道は桟橋をイメージしたもので手すりなどはない。
突き飛ばされたアルトは澄み切った海水の中へ、派手な水しぶきを上げて落ちた。
「何をする!」
上へ向かって怒鳴ったアルトだが、目を丸くした。
シェリルが飛び込んでくる。
「うわっとぉ!」
「きゃぁ!」
シェリルもまた、水しぶきを盛大に立てた。
「お前、無茶を……わぷ」
この辺りは、足が底に着くほどの深さで、シェリルは手のひらで水をはね上げてアルトにかけた。
「あははっ」
笑顔のシェリルに、アルトも反撃する。
「このっ!」
「きゃぁ……やったわね!」
「くそ…くらえ、マクロスキャノン!」
「ぷはっ……アルト、必死すぎ…あはははっ」

結局、水族館へは行かずに、二人してびしょ濡れになって砂浜に上がった。
「もう、ひどいかっこう」
「自分でやっておいて」
はしゃぎ過ぎた二人は、荒い息をしながら座り込む。
「でも……ちょっとはマシな顔になったわよ」
ストロベリーブロンドの髪を絞り、海水を滴らせながら、シェリルが言った。
「あ……」
あれはシェリルなりの励まし方だったんだ。アルトの心がほんのり温かくなった。
「アルト、振り返らないで。これをかけて」
シェリルの声が不意にシリアスなものになった。そして大きなサングラスを差し出す。
「なんだ?」
言われるとおりにサングラスをかけてアルトは驚いた。
「リアビュー(後方視界)サングラス?」
視界には、前方の視野に重ねて、映像が表示されている。サングラスのツルに仕込まれた超小型カメラから見た後方の眺めだ。
「パパラッチ対策用のおもちゃよ」
シェリルはアルトの耳に唇を寄せた。
「階段のところ、あのお爺さんリニアでもいたわ」
目を凝らしてみると、砂浜から道路へ上がる階段のところ、街灯に隠れるように小柄な老人の姿が見える。
言われてみれば、リニアの車内でも見かけたような気がする。
短く刈った白髪。特徴のないグレーのジャンパーに、グレーのスラックス。あまり裕福そうな服装ではない。
「尾行されている?」
シェリルは頷いた。
「かもね」
「帰るか」
アルトは立ち上がって、シェリルに手を差し出した。
服が乾くまでリニアも使えないので、駅ひとつ分ほど歩くことにした。
アルトの後方視界には、あの老人の姿がある。見ている内に気付いたのは、彼の目的はシェリルではないらしいこと。どうも、アルトの方を監視している。
「どう?」
シェリルが尋ねた。
「わからない……でもパパラッチとかではないようだ」
撮影機材は小型化の一途をたどっているので外見からは判らないが、そうした職業の人間が備えているギラついた感じが無い。

リニアの駅前はそれなりに混雑していた。
アルトの後方視界の中で動きがあった。老人が接近してくる。何か仕掛けるつもりだ。
「シェリル」
声をかけてから、左腕でシェリルの肩を抱いた。
「何、いきなり?」
シェリルはアルトの顔を見た。アルトがサングラスに投影された後方を注視しているのを見ると、黙って寄り添った。
人ごみの中、明らかに何かの訓練をした身のこなしで老人は急速に接近した。その手が素早く動く。
アルトの人並外れた動態視力と反射神経は老人の手を掴むのに成功した。
「ひっ」
老人は短く悲鳴を上げた。
「えっ?」
アルトは驚いた。悲鳴は甲高い女の声だ。
老女が手に持っていたのはアルトのカードだった。

異様な雰囲気で周囲の注目を集めそうになったところでシェリルが機転を利かせた。
「ちょっと、こっちへ」
駅に程近い小さな公園はアルトを引っ張ってゆく。アルトに腕を掴まれたままの老女もおとなしくついてきた。
人気の無い公園でアルトは尋問を試みた。
「このカードはどうしたんだ?」
「へっ、返すつもりだったんだよ。気づかれないように。アタシも老いぼれたもんだねぇ」
老女は悪びれずに言った。
「アルトからスリとったの?」
シェリルの質問にうなずく。
「ああそうさ、この芳乃(よしの)さんがスリとったのさ」
芳乃と名乗った老女は独特の節回しで口上を述べた。

 問われて名乗るもおこがましいが 産まれは遠州浜松在
 十四のときから親に放れ 身の生業も白浪の
 沖を越えたる夜働き スリはすれど非道はせず
 人に情けを掛川から 金谷をかけて宿宿で
 名人と噂高札に 回る配布の盥越し
 危ねえその身の境涯も 最早七十に人間の定めはわずか百年
 フロンティアに隠れのねえ 中抜きの芳乃たぁアタシのことさ

「何を言ってるの?」
きょとんとしたシェリルの横でアルトは驚いていた。続く口上を述べる。芳乃とは違って正当な歌舞伎のセリフ回しで。

 さてその次は江ノ島の 岩本院の稚児上がり
 平生着慣れし振袖から 髷も島田に由比ヶ浜
 打ち込む浪にしっぽりと 女に化けた美人局
 油断のならぬ小娘も 小袋坂に身の破れ
 悪い浮名も龍の口 土の牢へも二度三度
 だんだん越える鳥居数 八幡さまの氏子にて
 鎌倉無宿と肩書きも 島に育ってその名さえ
 弁天小僧菊之助

「な……」
芳乃は絶句したが、アルトの顔を見て得心した。
「今日のアタシは本当に下手をうってばかりだねぇ。早乙女家の御曹司の前で素人芸を披露しちまうなんざ、たははっ、本当におこがましい」
アルトは照れ笑いする芳乃がちょっと可愛く思えた。
「二人で盛り上がってないで、私に判るように話しなさいよ」
シェリルが唇を尖らせた。

芳乃は統合戦争前に地球で生まれた世代だった。
家庭環境に恵まれず、犯罪に手を染めて成人した。手先が器用で、スリを得意とした。
スリの中でも特に高度な中抜きといわれる技を身につけたのは中年の頃。
一度スった財布の中から、いくらか金額を抜き取る。財布は元の持ち主のポケットやバッグに戻すのだ。被害が発覚しづらい、という利点がある。

「今じゃ、財布スったって現金なんざ入ってないけどね、移民星についたら、エイリアンにでも教えようかって、こうして腕を磨いている。財布はキッチリ返してんだ、お天道さんだって見逃してくれるだろ」
「はた迷惑なプライドだな」
アルトは半分呆れ、しかし半分は感心していた。
「そろそろ引退時じゃないか。リニアの中でスられたのに気づいたし、今、こうして捕まってるんだ」
「そうだねぇ。本当はさ、リニアの中で返すつもりだったのさ。気がつかれて、返すタイミングを逃しちまって、こんなところまで来るはめになった。
警察に捕まる時にゃ、最後にカッコつけようと白浪五人男の口上も覚えてみたけれど、披露した相手がアンタじゃねぇ。どうにもシマラナイ」
芳乃はため息をついた。
「誰にでもアンラッキーな時ってあるわよ。元気出して、芳乃」
シェリルが励ました。
「今はこんなシャッキリした顔してるけど、財布をスられた時のアルトったら、それはもうションボリの見本みたいだったんだから」
「お前なぁ……」
アルトはため息をついた。それから、芳乃に向き直る。
「こんなのいつまでも続けてないで、何か新しいこと始めたらどうだい?」
「説教なら聞かないよ」
芳乃はキッパリと言った。
「そりゃ、ろくでもない人生だったさ。誰かの懐をアテに生きてきたんだからね。
でも、スリの技前だけは誰も奪えないアタシのものさ。今じゃ、銀河中探しても他に中抜きできるヤツなんざ居ない。そうだねぇ、異星人の弟子でもできたら、誰か一人ぐらい世の中の役に立ててくれるかもねぇ」
「やれやれ」
アルトは肩をすくめた。

(続く)

2008.06.06 


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