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早乙女邸の離れ。
和服姿のシェリルはホテルや病院からアルトが回収してきた荷物を解いていた。
当座のところ必要なものを納戸の衣装箪笥に移す。
「あら?」
一番下段の引出しを押し込もうとして、何かが引っ掛かっている。引き出す時は滑らかに引き出せたので、箪笥に問題があるわけではなさそうだ。
シェリルは引出しを引っ張り出して、床に置いた。箪笥の中を覗き込む。
果たして、奥に何かがある。手を突っ込んで取り出した。
「手帳?」
昔ながらの紙のページでできた手帳だった。表紙は千代紙で装丁されている。たぶん、持主は女性なのだろう。
「美与さんの?」
この衣装箪笥を以前に使っていたのは、アルトの亡き母・美与だと聞いている。
ページを開いた。
ほとんどのページが空白のままだったが、最初の方のページには和歌が書きつけてあった。1ページに1首で、全部で7首。シェリルにとっても読みやすい書体だったが、最後の1首は崩してあるのか、判読できなかった。ペンで描いた達者な絵が添えてある。
最初のページにはこんな和歌が記されていた。

 沖深み
 釣する海士の
 いさり火の
 ほのかにみてぞ
 思ひそめてし

余白には舞台らしい絵が描いてある。本格的な劇場ではなくて、学校の講堂のような施設だった。
一瞬、アルトに意味を尋ねてみようかと思ったが、帰ってくる前に自分で読みこなしてみようと考え直した。

荷物を整理すると、携帯端末の辞書機能を使って和歌の逐語訳を試みる。
最初のページの和歌は“沖に見える漁火のように、あなたの事を遠くから見て、この思いが始まった”ぐらいの意味らしい。
思いとは、きっと恋なのだろう。あるいは、恋と呼べないくらいの淡い感情だろうか。
(出会った頃の和歌なのね。相手は嵐蔵さんかしら? それに、この舞台は何かしら?)
次のページを見ると、こんな和歌が記されていた。

 うたたねに
 恋しき人を
 見てしより
 夢てふものは
 頼み初めてき

恋しき人と書かれている。恋愛感情をはっきり自覚した歌だ。
余白の絵は風鈴。
(うたたね……お昼寝でもしてたのかしら?)
季節の無いギャラクシー船団で育ったシェリルにはピンと来なかったが、風鈴は夏のものらしい。
歌の意味は“うたたねで見た夢で恋しい人の姿を見た。それ以来、夢を頼みにするようになった”。
(夢の中でも会いたい……かしら? かなり思いが募っているようね)
最初の和歌から時間が経過して、重いが深まったのだろうか。
ページをめくった。

 君がため
 惜しからざりし
 命さへ
 長くもがなと
 思ひけるかな

余白の絵は、桜の枝。花が咲いている。
辞書によれば、日本の文化において桜とは人生の象徴するものと記されていた。美しく散る花びらを死に際になぞらえるのだと言う。
歌の意味は“君のためなら惜しくないと思った命も、思いがかなった今となれば長く生きたいと願うようになった”。
(恋愛が成就したのね)
次のページを見た。

 銀も
 金も玉も
 何せむに
 まされる宝
 子にしかめやも

平易な言葉なので意味は簡単につかめた。“金銀や宝石と比べても、子供に勝る宝はない”と言うことだろう。
判らなかったのは、余白にはある犬の絵の意味だ。
ページをめくる。

 瓜食めば
 子ども思ほゆ
 栗食めば
 まして偲はゆ
 いづくより
 来きたりしものそ
 まなかひに
 もとなかかりて
 安眠しなさぬ

紙飛行機の絵が描いてある。
アルト……この“子ども”は、きっとアルトのことね)
歌の意味は“瓜を食べれば、子供のことを思い出す。栗を食べても思い出す。子供はどこから来たのだろう。面影が浮かんで安らかに眠れない”。
次のページを見た。

 ながめつる
 けふは昔に
 なりぬとも
 軒端の梅よ
 我を忘するな

飛んでいる小鳥の絵が添えてある。
“時が過ぎても、軒にかかる梅よ私を忘れるな”最後の一言に悲痛な響きを感じた。
シェリルの胸も熱くなった。
限られた命で、どれだけ生きた証を残せるだろう。
アルトに何を残せるだろう。
ページをめくった。
おそらく和歌なのだろうが、字が崩してあって読めなかった。
筆跡に力が無いのが気になる。
余白にも絵はない。
シェリルは開いた手帳をそのままにして、縁側から庭を眺めた。
伝統的な日本庭園の様式に則った庭。生い茂る優しい緑が目に心地よい。
空に視線を転じた。
雲が少なくなっている。
度重なる交戦で水や大気が大量に流失したとニュースで言っていた。
もう一度、手帳のページを眺める。
“うたたねに~”“君がため~”“ながめつる~”の句は、選んだ人が部屋の中から空を眺めながら記したような気がした。
(いつも見てたのかしら? アルトが空を求めるルーツって、ここから来ているのかしら?)
シェリルの目には庭先で紙飛行機を飛ばしている幼いアルトの姿が見えた。

母屋のほうが騒がしくなった。
人が集まり、荷物が運び込まれている。
離れから眺めていると、和服にたすき掛けの矢三郎が現れた。
「お加減はいかがですか、シェリルさん」
柔和な面立ちに似合った、柔らかい声だ。
「おかげさまで、気分は上々よ。母屋の方が賑やかだけど、何かあったの?」
「ああ、弟子の家族が、この前のバジュラの襲撃で家を無くしましてね、しばらく家でお世話することになったんですよ」
「そうなの……だったら、私が一人で離れを使わせてもらっているのは、悪いわ」
「お気持ちだけいただいておきますよ。母屋も部屋数は多いですからね。あと2、3家族増えても大丈夫です。そうだ、何か不足しているものはありませんか?」
「いいえ。お気づかい、ありがとう」
礼を言ってからシェリルは思いついた。
矢三郎さん、聞いてもいいかしら」
「なんです?」
シェリルからの質問は珍しく、矢三郎は身を乗り出した。
「子供と犬って何か関係ある?」
「子供と……犬?」
矢三郎は首をひねった。
「日本の伝統文化に関係するかも……」
「何故、そんなことをお尋ねになるのですか?」
シェリルは矢三郎に、あの手帳を見せた。
「これは……美与さんの筆跡。どこで?」
推理は当たっていたようだ。シェリルは犬の絵が描いてあるページを開いて見せた。
「衣装箪笥の奥に隠れてたの。それで、ここなんだけど」
和歌との組み合わせで、矢三郎には見当がついたようだ。
「ああ、岩田帯」
「それは何?」
「日本の暦には戌の日というのがあります。妊婦さんはこの日に岩田帯をお腹にまく、という儀式があるんですよ。戌の日を選ぶのは、犬が子犬をたくさん産むのにあやかって、安産で母子ともに健康であるように、という願いが込められてます」
「じゃあ、この句は……」
「山上憶良(やまのうえのおくら)の句です。妊娠中に書かれたものか、妊娠してた頃を回想して書かれたものですね。他のページも、有名な歌人の作を引用してます。式子内親王、小野小町、藤原義孝」
「たぶん、嵐蔵さんに会ってからを回想してたんだと思うわ」
「どうも、そのようですね」
矢三郎は最後のページを開いた。いつも笑っているような細い眼を見開いた。
「この句……お願いです。アルトさんに見せて上げて下さい」
「意味は?」
「それは……今ここで聞くより、アルトさんから教えてもらってください」
「何を考えているの?」
矢三郎が柔和なだけの無害な人間ではない、とシェリルは知っていた。
舞台に、ショウビズというものに魅入られているし、そんな矢三郎を彼自身がよく理解している。なかなか油断のならない策士でもあった。
「お願いです。必ず見せてあげてください……今夜はお帰りになるんでしょう?」
「ええ」
「お願いします」
矢三郎は念押しして、母屋に戻っていった。

その夜。
シェリルは帰ってきたアルトに尋ねた。
「アルトのお父さんとお母さん、どこで出会ったのか知ってる?」
その質問にアルトは虚を突かれた。
「なんで、そんな事を?」
「なんでもいいでしょ。教えて」
「あ、ああ…」
アルトは畳の上に座布団を敷いて胡坐をかいた。
「母さんが大学生の時だったって聞いたな。大学の時に、OBだった親父が来て歌舞伎を演じて見せたって」
その話でシェリルは“沖深み~”のページに書いてあった舞台の意味が分かった。
「アルト、これ見て。昼間にね、箪笥の奥に落ちてるのを見つけたの」
シェリルは手帳を座卓の上に出して、アルトの方へ押しやった。
「何だ……あ」
アルトは手帳を受け取ると、ページを一枚一枚丹念に眺めた。
「美与さんの、でしょう?」
「うん」
「この鳥は何?」
シェリルは“ながめつる~”のページを開いているアルトに聞いた。
「鴬だ。梅とセットで画題になる事が多い」
「どうして?」
「俺もよく判らない。地球の…日本の季節が関係しているらしい」
フロンティア船団の気温は初夏に固定されていて、観光艦や農業艦でない限り季節の変動はない。
「それからね、このページ……字が読めないんだけど、アルトには判る?」
「……!」
アルトは驚いた。何かを堪える表情になっている。
「そんな、びっくりするような事が?」
シェリルが顔を覗き込むと、アルトは視線を逸らした。わずかに震える声で、やや早口に読み上げた。

 恋ひ恋ひて
 そなたになびく
 煙あらば
 言ひし契りの
 果てとながめよ

「…って書いてある」
「深い想い詠っているのね。でも、煙って?」
「荼毘(だび)の……火葬の煙だ」
アルトの声が深いため息とともにこぼれた。
「……とっても愛していらしたのね」
病床で間近に迫った自分の死と愛を見つめている美与の姿をシェリルは思い浮かべた。
アルトは黙っていた。
「ねえ、アルト」
シェリルは手を伸ばしてアルトの手を握った。
アルトの肩から力が抜ける。小さな声で呟いた。
「この字。かなり悪化してから書いたみたいだ」
アルトの手がシェリルの手を握り返すと、ぐっと強く抱きよせた。
「アルト、私は生きているわ」
シェリルはアルトの手を襟元に導き、中へといざなう。左の乳房を押しつけるようにした。
アルトの手が胸を握ると、声が出る。
「あ……アルト、判る? 心臓の音?」
「ああ」
「私は生きている。諦めない。アルトも……歌も」
「諦めない……なんだってしてやる」
アルトの心は、フロンティア船団から離脱しようとするマクロス・クォーターを追撃した時に戻っていた。あの、オズマ・リーに照準をつけた瞬間。明確な意思とともに、引き金を絞った手ごたえ。
シェリルに寄り添うためなら、昨日までの上官に殺意を向けることだって厭わない。
「う……」
シェリルの唇からもれた声に、アルトははっとした。
「悪い…痛かったか」
手を離そうとすると、シェリルは和服の上からアルトの手を押さえた。
「いいの。痕がつくぐらいに強くしても」


★あとがき★
嵐蔵と美与のお話を、ちょっと変則的な形で書いてみました。
最後の句を、怖いと受け止めるか、純粋と受け止めるかは、美与がどんな人物だったかで変わりますが、筆者としては純粋と思いたいところです。

2008.09.11 


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