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嘆きの壁。
誰が命名したのかは不明だが、アイランド1の中心街スクウェアガーデンにある壁のような形のモニュメントは、そう呼ばれていた。
モニュメントの表面には、写真とメモ書きがびっしり貼り付けられている。
写真はアイランド1内部で繁殖したバジュラが奔流となって船団を襲撃していった際に、行方不明となった人の消息を尋ねるために貼り出されている。携帯端末による通信網も寸断され、制限されているために、自然発生的に生まれた連絡手段だ。
元来は、さまざまな人種・種族が一丸となってフロンティア船団を推進している抽象画が描かれていた壁だった。
しかし、今では本来の名前を覚えている者は少ない。
嘆きの壁と言えば、誰もが知っている場所となった。

アルトは嘆きの壁の前に立っていた。
“三浦ジョセフ/アイランド3の保守要員。襲撃当時、アイランド3の下層ブロックで就業中。消息をご存知の方は、下記まで連絡を下さい”
“ムナ・ハサン・ザイード/襲撃の時は天堂路付近に居ました。テレサ記念病院に勤めている理学療法士です。行方を知っている方は、メモの余白に書き足して下さい”
“ノーマ・ジェール・フィッツジェラルド/美星学園芸能科2年。美星学園のランカ・リーのライブに出かけて行方不明。情報提供は次のナンバーまで”
“劉鉄/行政府庁舎内でバジュラに襲われて死亡。最期の様子をご存知の方、些細なことでもかまいません。お知らせください”
“フリッツ・キッペンベルガー/……”
“バツール0788/……”
“朴殷植/……”
“キアラ・パウロ/……”
スナップ写真が多かった。親しい人に向けた笑顔の画像が、彼らを喪失した悲しみとなって鋭く胸を突く。
アルトは、それらをざっと眺めていて見慣れた顔が目に止まった。
金髪に緑の瞳。眼鏡をかけた優男。
“ミシェル/たぶん学生。連絡が取れません。行方を知っている人は、このナンバーに連絡を”
アルトは胸郭の内側にこみ上げる塊を、意志の力で何とか治める。
少しためらってから、携帯端末を取り出して電話をかけた。
呼び出し音が鳴って、すぐに相手が出た。女の声だった。
「もしもし…」
「嘆きを壁を見て電話した。ミシェルとは同級生だ」
「知ってるの? 行方」
「あいつは……」
アルトは次に続く言葉を吐き出すのに、多大な努力を傾けた。
「多分、死んだ。空気の漏出で宇宙に……」
「うっ……」
携帯端末のスピーカーから嗚咽が聞こえる。
その嗚咽が二重に響いた。
振り返ると、携帯を耳に押し当てた大学生風の女性が口元を押さえながらうずくまった。こもった声が肉声とスピーカーからの音声と、二つの経路で鼓膜を震わせる。
アルトは携帯端末を切って、女性の肩に手を当てた。
びくっと肩を震わせてアルトを見上げる女性。
「今、電話した早乙女アルトだ」
「あ……ありが……とう…教えてくれて」
涙に濡れた赤褐色の瞳を、アルトは綺麗だと思った。

女性はミリアム・カトーと名乗った。惑星ゾラの出身で明るい赤毛をコーンロウ・ドレッドに編んでいた。美大の学生だという。
「あ、ありがと……落ち着くまで付き合ってくれて」
ミリアムは泣き腫らした目元をハンカチで拭いながら言った。
「気にするな」
アルトは公園のベンチに座らせたミリアムに自販機で買ったジュースを渡した。
買ったとたん、移動式の自販機は売り切れのサインを出して、どこかへと走り去った。
明日にでもフロンティア船団は自販機さえも使えない、食料・水の配給体制になるだろう。
「冷えてるから、目に当てるといい。腫れが引く」
「優しいね」
ミリアムは瞼に缶を押し当て、アルトを見上げた。
「もうひとつ教えてくれるかな。ミシェルさ……誰かを守った、とか逃がそうとしてなかった? 多分、女の子」
アルトは少し驚いた。
「なんで判った?」
「やっぱりね……ええカッコしぃだからさ、ミシェル」
「鋭い」
「あんなに目が良くって、頭の回転が速くって、運動神経が良くってさ…なのに……女で身を滅ぼすって言ってあげたのに……バカ」
アルトは下唇を噛んだ。
ランカが宇宙に放り出された時には届いたこの手が、ミシェルには届かなかった。

ミリアムと別れてから、アルトは本来の目的を果たすためにホテルに向かった。
シェリルが宿泊していたフロンティアきっての高級ホテルは、さながら野戦病院の趣だった。ロビーにまでベッドが並べられ、比較的軽傷の負傷者が横たえられている。
フロントに向かうと、あらかじめ連絡しておいたおかげでシェリルの荷物はまとめられていた。
半ダースほどの大型トランクに詰め込まれた荷物を、ホテルが貸し出してくれたレンタカーに積み込む。
シェリル・ノーム様にお伝え下さい。またのご宿泊をお待ちしております、と」
慇懃に頭を下げたフロント係は、すぐに取って返して負傷者たちにベッドを割り当てる仕事に戻った。
「大したもんだ」
その背中を見送って、アルトは感心した。この状況でも自分の職務に忠実であろうとしている。
前線で戦っている軍人だけで、この状況を生き残れない。背後で支えていてくれる人たちがあってこそ、だ。
(考えていたより、フロンティアは強いのかもしれない)
アルトはシェリルを想った。
戦闘が終息してから、シェルターに迎えに行ったところ、シェリルは既にシェルターから出て、ナナセに付き添って病院に収容されていた。
連絡が錯綜して、あちこちタライ回しされた後、病院に向かった。
アルトの姿を目にしたシェリルが駆け寄ってきた。
「遅いわよ」
一言、言うとアルトの腕の中へ倒れこんだ。
意識を失ったシェリルを多くの人が労わってくれた。銀河の妖精の歌声が、シェルターに避難した人々の心を慰めてくれたのだと言う。
病魔に冒された体で、全身全霊を歌に注ぎ込んだのだろう。
その強靭さは自分にも備わっているだろうか。
アルトはレンタカーに乗り込むとハンドルを握った。

途中、病院に寄ってナナセの見舞いをして、シェリルの荷物を回収する。
早乙女邸の駐車場に車を入れると、隣のスペースに見慣れた乗用車が止まっていた。早乙女家のかかりつけになっている医師の車だ。
離れに荷物を持ち込むと、入れ違いで医師が出てきた。初老の女性医師は、アルトに会釈した。
アルトも会釈を返し、シェリルの容態を尋ねる。
「どう、ですか?」
医師は首をひねった。
「あまり類の無い感染症だと思われますね……症例論文を詳しく調べてみないと、なんとも。ただ、感染力は強くないようですわ。隔離設備は必要ないでしょう」
「そう…ですか。ありがとうございます」
アルトは頭を下げた。

「当座使いそうなものは出しておけよ。納戸の衣装箪笥使っていいから」
アルトはトランクをシェリルがいる座敷に運び込んだ。
「ありがとう」
浴衣姿のシェリルは布団の上で半身を起した。待避壕でのストレスが重い疲労となってのしかかっている。
「ナナセちゃん、どうだった?」
シェリルと一緒のシェルターに収容されていたナナセは、バジュラの襲撃が終わると、意識が戻らないまま病院に搬送された。
「ルカがついているよ」
「…そう。ミシェルは?」
「……」
アルトは言葉に詰まった。
「どうしたの? まさか……」
心配そうなシェリルの表情に、アルトはとっさに言葉を濁そうとした。
「あ、ああ……そうだな…」
「アルト」
シェリルの声は落ち着いていた。
「嘘はつかなくていいのよ」
アルトの喉から声が迸った。
「クランを守って……死んだっ」
シェリルは息を飲んだ。
「……アルト」
思いがけなく激しい言葉になってしまったことに、アルトは驚いた。次の瞬間、途方もない喪失感が襲ってきた。
畳の上に、へたり込むように胡坐をかく。
「アルト」
シェリルはにじり寄って、アルトの頬を掌で撫でた。膝立ちになってアルトの頭を抱く。
しばらく、二人はそのままの姿勢でいた。
「……シェリル」
体の真ん中に穴があいたような喪失感は消えていないが、襲い来る衝撃に耐えられた。
「泣いたっていいのよ?」
「今……今、泣いたら、二度と立てなくなりそうだから止めておく」
シェリルは歌うような抑揚をつけて囁いた。
「意地っ張り」
「ここで意地のひとつも張らないとな」

早乙女邸の稽古場。
アルトは何年ぶりかで父・嵐蔵と向き合った。
「勘当を解いた覚えはない」
嵐蔵は言い放った。
「離れに居るのは矢三郎の客だ」
アルトは正座して頭を下げた。最も丁重な合手礼だ。
「シェリルをかくまってもらって、ありがとうございます」
嵐蔵は返事もせずに、立ったまま背中を向けた。
執拗な沈黙が場を支配する。
しじまを破ったのは嵐蔵からだった。
「バルキリーに乗っているそうだな」
アルトは顔を上げた。
「家業から逃げ出した半端者にしては悪くない」
「親父……」
「人様のお役に立て」
「はい」
アルトは上体を起こして顎を引いた。
「離れの娘さん……あれは何者だ?」
嵐蔵の横顔がわずかに見える。
アルトは即答した。
「シェリルの歌を聴けば判る」
「ほう」
「あの歌と比べられるものがあるとしたら……それは十八世早乙女嵐蔵の芝居しか思いつかない。俺にとっては、それほどの衝撃だった」
嵐蔵は、またアルトに背中を向けた。
再び執拗な沈黙。
アルトはもう一度、深々と礼をすると立ち上がった。
出口で、今度は稽古場に向かって礼をして、出ようとした。
その背中に向かって、嵐蔵が声をかけた。
「離れ、自由に使ってもらえ」
「親父……」
「悔いの無いように」
その言葉に、嵐蔵が母・美与の事を常に忘れていないのを感じた。悔いる事が多かったに違いない。
アルト自身、この先、何をしても何を選んでも後悔する羽目になるかもしれない。
そうであったとしても、今は思い残しが無いように心がけて前に進むしかない。
アルトは稽古場を出た。


★あとがき★
21話の行間を妄想してみました。
最後のあたりで登場したシェリルは早乙女家の離れで、入院時に使用していた寝間着を着ていたので、たぶん誰かが荷物を取りにいったんでしょうね。矢三郎によって運び込まれた時には、着のみ着のままでしたから。
それを手がかりに、お話を膨らませました。

2008.09.03 


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